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二 武夷精舎(二)

 朱元晦と陸子静は、学問仲間であった呂伯恭の仲介で、十四年前に初めて顔を合わせた。元晦が四十六歳、子静は三十七歳の時で、子静の七歳年長の兄、子寿もいた。伯恭も年下なので、元晦が最年長だった。

 古来、儒の学といえば古典の解釈だった。人間と宇宙生成の根本を突き詰め、体系化しようという志向が顕著になったのは宋代に入ってからで、元晦と子静はその旗手と見られていた。伯恭の呼びかけで、元晦と陸兄弟が公開の場で互いの論を披露することになり、多くの同志たちが鉛山鵝湖寺に集った。

 論じ合うことで、儒の学をより深いものとしたい―――少なくとも元晦と伯恭の方はその思いで足を運んだ。

 だが子静は、初対面の元晦に対し、いきなりこう言い放った。

「私の学は易簡、貴兄の学は支離」

 支離とは、細部に拘りすぎてまとまりがないという意味だ。

「存分に議論を重ね、ここで真偽を明らかにしようではありませんか」

 何だこの若造は、と思った。

 喧嘩を売っているのか。お前の学こそ何だ。本心を存養すれば足りる? そういうのは易簡といわず、安易、安直というのだ。

 傍らで伯恭も青くなっていた。

 最初がこれでは、一致点を見いだすことは難しい。二日にわたって論じ合ったが、学問上の収穫は乏しかった。

 だが、我々は互いを見つけた。




「お手紙を書きます。―――いえ、いずれ、必ずまたお目にかかります」

 ずけずけと人の学を批判しながら、別れを告げる子静には何の気兼ねもなかった。黒目がちの目を生き生きと輝かせ、恭しく挨拶をする年少の男に、元晦も伯恭もいささか気を飲まれた。

 師を持たず、兄に学んだ子静には、相手への素朴な信頼がある。何度も書簡を交したが、子静の言葉はいつも率直で、時に不躾だった。皇帝による口頭試問、殿試を受けた際も、直言しすぎて評価を下げたと聞く。

 自信家で生意気で、学問的上では決して譲らないが、自分に非があれば即座に認め、相手が子供だろうときちんと頭を下げる。

 あの男には、誰もが胸襟を開くだろう。

『貴兄の学と私の学は、それぞれ完成している。話し合いは無益だと言う人もいます。

 私はそうは思わない。貴兄と私は、必ず同じ場所に至ることが出来ると確信しておりますし、貴兄も同じお気持ちだと信じます』

 書簡の言葉を思い出し、元晦は頬を緩める。

 子静どの、あなたは正しい。

 我々の学は、完成しているから交わらないのではない。未完成だからこそ、まだ出会うことがないのだ。

 彼の言う「同じ場所」。それは天を衝く険峻な山に別々に登り始めた二人の男が、時に近づき、時に交差し、時に遠く離れ去りながら歩み続けた、その先にきっとある。我々が別々の場所で果てた後も、誰かが受け継いで歩き続ける。

 そして遠い未来に、顔も知らぬ後継者が山の頂で出会い、手を携えて、来し方を懐かしく振り返るだろう。

 武夷山の彼方にいる、我が兄弟よ。

 その瞬間を胸に、日を追い、月を追い、日夜たゆみなく、共に己れの道を歩もう。六十歳を超え、足も腰も、目も衰えた。それでも一歩でも半歩でも先へ、私は歩き続ける。

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