一 陸子静(二)
『太極圖説』は、約百三十年前、周茂叔によって書かれた。宇宙の生成を表す「太極圖」とその解説からなる短い論文である。元晦はこの書の「無極にして太極」なるものこそ、彼が世界の根本とする「理」であるとした。元晦にとって「理」は、「良知」によって、不断に追究されるべき窮極の存在だ。それが無極にして太極であるとは、現実の事物を超越しつつ、かつその根本であることを意味した。
それに対して、子静は「理」とは「無極」と形容されるような超越的存在ではなく、全ての人々に初めから共有されていると考える。万人に共通する「本心」がそのまま「理」であり、君臣や父子の義は、その本心に根ざすからこそ真理であると論じた。
二人の学は、彼らが育った環境の影響を色濃く受けている。
金谿の陸氏は唐代には宰相を輩出した名門で、宋王朝が成立する少し前にこの地に移り住んだ。以来二百年、定住して農業や商業を営み、家業に浮沈はあったものの、一族三百人、縁者を集めれば千人とも言われ、その固い結束で「義門」と称えられる大家族となった。
一方元晦の一族は、元々は江南東路の徽州の出身である。父朱松の代にその赴任先であった福建路に移住した。朱松は秦檜が進めた金との和議に反対して政界を去った硬骨漢だ。戦乱を避けて各地を転々としており、元晦も仮寓先で誕生している。二人の兄が早世し、十四歳で父を失った元晦は、母と妹を守り、父の友人の庇護を受けて学問に励む。十八歳で科挙を受けて進士となり、二十二歳で官吏となった。常に他人の中で身を処してきた苦労人で、その学も、多くの人々から教えを受けながら形成されたものだった。
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「まだ起きているのか」
弟の部屋に灯火が揺れていることに気付き、子美は声を掛けた。
「よくない知らせか」
子美は弟の沈んだ様子を見て尋ねた。子静は卓上の手紙を取り上げた。ため息と共に兄に渡し、椅子から立ち上がった。
「元晦どのが、話を打ち切ってきた」
子静は拳を固め、卓を叩いた。鈍い音がした。