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80 届かぬ遠吠え



 しっかりとした足取りであるにもかかわらず、足音ひとつ立てず滑るように近づいてくるアッシュの姿に、カシューは身がまえた。


「いつからあとをつけていたんだ」


 カシューの質問に口を開きかけたアッシュが、眉をしかめて足を止めた。

 右手で喉に触れ、なにかを探るように指で押さえた。


「失礼、少し声が出づらくて」


 その言葉どおり、カシューの耳に届いてきたのはひどく(しわが)れてくぐもった声だった。


「やって来たのはいまです。この場所にあなたがたの気配がしましたので。一緒に待機していた剣の勇者さまには、しばらく離れると断ってきました」


 アッシュが返答した内容に、コブの目がわずかに細められた。


 自分たちがここへ到着するまで、四半刻以上の時間がかかっている。

 それだけ離れた場所に人の気配を察知し、一瞬でやって来た。

 信じられるわけもない話だが、語る本人にまつわる多くのいわくを聞かされている以上、一概に嘘だと断定するわけにもいかない。


 カシューには、コブの胸中でざわめいているであろう葛藤が、手にとるようにわかった。

 同時に、アッシュの言葉には一切の虚偽がないであろうことも確信していた。

 まさにいま、この男は人を越えようとする途上にある。

 そして、人ならざる力を手に入れてなお、人として平然と振る舞っている。

 カシューにとっても、目のまえに立つ男はあまりにも異質な存在だった。


「わざわざおれたちの様子を見にきたということは、説明する気はあるんだろうな」


 自分たちのかたわらを通りすぎて黙ったまま埋葬跡を見つめていたアッシュに、カシューは声をかけた。


 勇者一行が倒した虎と熊の二人の獣人。

 メルトは、あの二人が魔王の同胞たる四天王だと言った。

 しかし、コブが明らかにしたところによれば、魔王を召喚するための魔法陣には致命的な欠陥があり、眷属(けんぞく)たる四天王たちは召喚を経由する異次元から出てこられないはずだという。

 さらには先ほどアッシュが語った、五十年にわたり意識だけをアストラル体のなかに閉じこめられていたという言葉。

 なにもかもが、カシューには意味がわからなかった。


 振り向いたアッシュが、正面からコブの目を見据えた。

 好意も悪意もない、目をつけた獲物を見定める狩人のような目つきだった。


 たじろいだコブが、腰の引けた足で一歩後ずさった。


「な、なんだい。僕の顔になにかーー」


「失礼」


 身がまえていたにもかかわらず、カシューが手を伸ばす暇もなかった。

 アッシュの姿が束の間ぶれたかと思うと、一瞬ののちにはコブの眼前に現れ、右手の人差し指で耳を貫いていた。


「っくか!」


 驚愕に悲鳴をあげたコブが、全身を大きくのけぞらせて硬直した。

 眼球がこぼれ落ちんばかりに大きく広げられた瞼の内側で、瞳の大半を占めるほどに開いた瞳孔が痙攣するように激しく動きまわっている。

 まるで虚空を飛び交う大量の羽虫を、視線だけで捕まえようとしているようだった。


 コブの目に写るもの。

 それは脳内に注ぎこまれる情報の瀑布を、視野に投影したものだった。


 限界まで酷使された眼球を真っ赤に血走らせたまま、コブの口元がだらしなく緩んでいくのが見えた。


「すごい、星がいっぱいだ」


 認知許容量の限界を越えたのか、糸が切れたように白目を剥いて崩れ落ちたコブの身体を支えながら、カシューはアッシュに鋭い視線を向けた。


「おまえさんにもできたんだな、知識の転写。だが、事前にひと言くらいはあってもいいんじゃないか」


 意識を失ったコブの肩を支えるカシューに、アッシュは地面に寝かせようと身振りで示しながら脱力した足を持ち上げた。


「申し訳ありません。活発な思考活動をしている最中の脳には負担が大きすぎるので、極力、この方の意識を空白にしておく必要がありました。とくに情報のインストールの場合、へたをすると人格が消え去ります」


 アッシュの言葉を聞いたカシューが驚きの表情を浮かべながら思わず手を離し、コブの頭が落ちた。

 慌てて腕を伸ばして地面との衝突を防いだアッシュが、今度はカシューに非難の視線を向けた。


「気をつけてください。知識がまだ定着していないかもしれない。強い衝撃を与えると、人が変わってしまいます」


「あの女。やっぱりヤバい技術だったんじゃないか」


「うちの女神さまは、まあ、ああいう性格ですから。壊れたら直せばいいと思っているのでしょう」


 ため息とともに憤懣(ふんまん)を吐き出したカシューは、眉根を寄せた目つきのままコブの様子をうかがった。

 頭のなかにどういう光景が広がっているのか、陶酔した表情で(よだれ)を垂らしていびきをかいている。

 あれこれと思い悩むのが馬鹿らしくなるような、幸せな寝顔をしていた。


「で? コブに知識を焼きつけたくらいだ。この子どもたちの正体にも、天界だの世界樹だのが絡んでるのか」


 カシューの問いかけにアッシュは直接答えようとせず、埋葬跡にしゃがみこむと盛られた土塊をひと掴み手にとった。

 すでに渇きはじめていた土は、細かな粒子となって指のあいだをすり抜け、逃げ去るようにこぼれ落ちていった。


 空っぽになったてのひらを握りしめたアッシュが、カシューに目を向けると静かに口を開いた。


「五十年前、瀕死の邪龍が起死回生の一手として打ちだした、勇者の地球への強制送還。転送はうまくいったが、勇者と眷属契約を結んでいた仲間たちも、勇者の魂であるアストラル体に引きずられるかたちで地球へと転送されてしまった。ここまではよろしいですか?」


 何度も聞いたはずの話をあらためて説明してくるアッシュの態度を(いぶか)しがりながら、カシューは(うなず)いた。


「ああ、国王からその話は聞いた。向こうの世界での彼らは、時間を(さかのぼ)り、家族として生まれ変わっていたとも聞いている」


「家族……ですか」


 小さな声で呟いたアッシュが、うなだれるように首を振った。


「おかしいとは思いませんか」


「なにがだ」


「メルトさまから知識をインストールされたならば、あなたもこの世界に生まれた生命の仕組みは知っているはずだ。魂とはアストラル体にほかならず、アストラル体そのものは天界にある生命の木によって管理保管されている。あなたも、私もです。いまこの瞬間も、私は私であると認識する意識、つまり魂は天界にある」


 感情を感じさせないアッシュの低い声を聞きながら、カシューは脳内の奥底に沈んでいた知識を(すく)いあげ、反芻(はんすう)していた。


 アッシュの言葉どおり、肉体と魂は地上と天界という別々の場所に存在する。

 言い換えるならば、地上で活動している肉体は、天界にあるアストラル体によって遠隔操作されているにすぎなかった。

 地上において肉体が修復不可能なほどに損傷、もしくは回復不可能なまでにダメージを受けると、天界にある生命の木はアストラル体と肉体の接続を遮断し、アストラル体を再利用するために内部の生体情報を消去する。

 これこそが、この世界における死の本質だった。


 だからこそ、異世界からやってきた勇者たちは異質なのだ。

 天界の管理下にない生命体、それはすなわち、魂の内蔵されたアストラル体をみずからの体内に保持していることを意味する。

 肉体と意識がまさしく一心同体にある。

 あたりまえのように思えるその事実こそが、彼らをしてこの世界の異物たり得る決定的な要因だった。


「……なるほど」


「おわかりになりましたか」


 正面から顔を向けてきたアッシュと視線を交わし、カシューは重くなった口を開いた。


「五十年前、勇者とともに姿を消した仲間たち。ひとり取り残された国王からすれば、全員が一緒にあちらの世界に転移してしまったと考えたのは当然だろう。だがそれは、事実の半分しか見ていない。地上の肉体と天界のアストラル体。肉体はあちらの世界に送ることができても、アストラル体は天界で生命の木によって保管されている」


 ゆっくりとした口調でたどりついた結論を整理しながら、カシューは胸に湧きあがってくる徒労感を抑えることができなかった。


「古龍、魔女、ダークエルフ、そしてふたりの獣人の子どもたち。四天王は最初からどこにも行っちゃいなかった。本当に取り残されたのは国王じゃない。彼らだったんだ」


 カシューの苦い声だけが(うつ)ろに響く洞穴のなか、アッシュは時間が停止してしまったように子どもたちの埋葬跡を見つめていた。



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