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67 呼応する獣たち



 絨毯を運び出すまでのあいだに、戎兵衛(じゆうべえ)が負傷した経緯(いきさつ)をカシューはコブから聞き出した。


 至近距離より仕掛けられた自爆攻撃から身を守るため、アデリーン王女は自分を中心とした球状の障壁を展開して馬車を覆ったが、御者台にいた陽炎(かげろう)は爆発による衝撃を(まぬが)れることができずに吹き飛ばされたらしかった。

 炎に包まれる寸前だった陽炎を駆けてきた戎兵衛が障壁の内部に押し戻したものの、戎兵衛自身は爆炎の直撃を受け、助かった陽炎が急いで障壁に引き込んだときには全身が炎に(まみ)れた状態だったという。


 ふだんならば危険な状況にあっても快活さを失わないコブが、言葉少なに語ったきり口を閉じた。


 カシューもまた、コブに問い(ただ)さなければならないことがいくつもあったが、口を開く気にはなれなかった。

 コブですらわかっている。

 戎兵衛は誰が見ても助かる見込みのない状態だった。


「カシュー。せめて苦しまないように……」


 うつむいたまま沈痛な表情で吐き出したコブに、カシューは黙ったままうなずいた。


 運んできた絨毯を地面に敷き、コブに手伝わせて戎兵衛の身を横たえた。

 戎兵衛が最後まで陽炎を(かば)いつづけたことを物語る背中を地に着けないよう、比較的やけどの少ない左半身を下に向けて寝かせた。

 唇を噛みしめたまま(かたく)なに離れようとしない陽炎の膝に、戎兵衛の頭をのせた。


 カシューが作業しているあいだも戎兵衛は意識を取り戻すことはなく、痛むであろう傷口に触れてもまったく反応を返してくることはなかったが、弱々しい呼吸が残っていることは確認できた。

 死にかけのものがときおり見せる、口元が動いているだけの見せかけの呼吸とはちがい、上下に動く胸の動きが息を吸いこんでいることを示している。

 見れば、額と喉元に手を添えて戎兵衛の頭を包みこんでいる陽炎の手が、かすかに光を灯していた。

 陽炎の力により、呼吸は維持できている。

 だがそれは、魔法による延命がなければ戎兵衛の命はとっくに尽きているということだった。


 カシューはアデリーン王女に目を向けた。

 (ひざまず)いた姿勢のまま胸元で手を組み回復魔法を放つ姿は、まるで祈りを捧げているように見えたが、青ざめた顔に浮かぶ力なく悲痛な表情から胸中はあきらめに占められているであろうことが感じられた。

 そのうしろでは、ハンカチで顔を覆った老女が声を押し殺して肩を震わせていた。


「戎兵衛……」


 陽炎の唇が弱々しく震え、かぼそい声が漏れた。

 常に強い矜持と反骨心を宿していた瞳が、いまはぶざまな狼狽と無力感に揺れ、溢れた涙が煤に汚れた頬を伝って黒い滴となり顎から落ちていた。


「お願いじゃ、誰でもいい。助けて。わしから戎兵衛を奪わないでくれ」


 カシューは空を見上げた。

 太陽はすでに南中を過ぎ、午後の日射しを降りそそいでいる。

 澄み渡る青空に爽やかな白い雲が浮かび、ゆるやかな風が肌を撫でて通りすぎていく。

 地に満ちる苦しみや悲しみのすべてを断絶し、世界はただ世界として穏やかな光に満ちていた。


「日没までもたせろ。絶対に死なせるな」


 天に顔を向けたまま唐突に無機質な声を発したカシューに、全員が驚きの顔を向けた。


「カシュー……」


 わずかに避難の色が混じるコブの声を無視し、カシューは陽炎を見た。


「戎兵衛の血を濁らせるな。心臓を動かして、息をさせつづけるんだ」


 陽炎はすがるような目つきのままカシューを見上げてきた。

 とめどなく流れ落ちる涙とわななく口元で声が出ない様子だった。


「泣くな。あきらめれば戎兵衛が死ぬ。おまえが戎兵衛を生かすんだ」


 カシューが力を込めて言うと、陽炎の瞳にかすかな希望が戻ったのがわかった。


 カシューはひとつうなずくと、いぶかしげな視線を向けてくるアデリーン王女に口を開いた。

 突然現れたカシューに不審を抱いているのだろうが、それ以上に瀕死の戎兵衛になにをするつもりなのか疑っている心の動きがありありとうかがえた。

 魔法に万能の適性を持ち、これまでに多くの怪我や病を治癒してきたアデリーン王女からすれば、もはや戎兵衛を回復させる見込みはなく、命が失われるまでのあいだ苦しみを取りのぞいてやる以外の処置がないことは自明だった。


「王女、祈りはもういい。体温を一定に保って、火傷の傷跡が乾燥して壊死するのを少しでも防がないといけない。なにか方法はないか」


「あなたは、いったい……」


「不敬なのはわかってる。いまは黙って聞いてくれ。火傷で死ぬ原因は三つある。喉が焼かれて息ができなくなること。血や体液を流しすぎること。焼けた肉が腐って血が濁ることだ」


「そんなことは――」


 なおも言い(つの)ろうとする王女を静かな声が押しとどめた。


「殿下。お願いします」


 コブが見守るように穏やかな顔でアデリーン王女を見つめていた。

 ふいに泣きそうに顔を歪めた王女の肩に、うしろからクララ・クレイトンが手を置いた。

 王女と目があうと、安心させるように優しく微笑んでうなずいてみせた。


 うつむいた王女は息をつきながら軽く頭を振ると、顔を上げてカシューを見た。


「わたくしはなにをすれば」


 迷いのない澄んだ瞳と、決意に満ちた力強い声でカシューに聞いた。


「皮膚が焼け落ちて傷ついた肉は、血が流れなくなって乾燥するとあっというまに壊死して全身に広がっていく。なんとかしてそれを防がなきゃいけない。呼吸と血流は陽炎がなんとかするが、血が濁っていくのだけはどうしようもないんだ」


 顎に手を添えた王女は考えを巡らせたまま口を開いた。


「回復効果を含ませたミストの魔法で全身を包みましょう。元通りに治癒することはできませんが、乾燥を防ぎつつ壊死を遅らせるくらいならできるはずです。ただ広範囲で皮膚が失われている以上、体液の滲出は止められません。新鮮な血液が脳を循環していれば人間はそうすぐには死なないとはいっても、血が足りなければどうすることもできません。あとは内臓にどれくらい影響が出ているか……。敗血症ですでに炎症を起こしていた場合、最悪、突然ショック死する可能性も……」


 眉根を寄せた険しい目つきのまま深刻さの淵に沈んでいくアデリーン王女に、カシューが慌てた。


「待ってくれ。なんとか……、なんとかしてくれないか。死なせるわけにはいかないんだ。頼む。彼には死んでほしくないんだ」


 周囲に聞こえることがないよう小声ではあったが、言葉に詰まりながら胸の内をさらけ出してみれば、それは理屈を越えた衝動といっていいほどに強い感情となって吐き出された。


 自分自身の心の動きに戸惑いつつも、カシューはふいに納得した。

 戎兵衛はかつてありえたかもしれない自分の姿だった。

 戎兵衛をこのまま死なせることは、過去の自分を見殺しにして捨て去るも同然の行為だった。


「日没までとおっしゃいましたね」


「必ず」


「わたくしにできることは死なせないことだけです。負傷まえの状態に戻すことはできません」


「それでいい」


「全力を賭します」


 背を向けたアデリーン王女に黙って頭を下げると、カシューは陽炎のかたわらにしゃがみこんだ。


「戎兵衛を助けられる治癒士に心当たりがある。必ず連れて戻る。それまで、がんばれ」


 陽炎の目はいまだ涙に濡れていたが、気丈にうなずいてみせた。


「カシューの旦那。なにとぞ、お頼み申します」


 意識なく横たわる戎兵衛に目を向けた。

 教会で死んでいった蜥蜴(とかげ)と同じ、安らかといってもいい表情をしていた。

 だが、まだ眠るには早い。

 おまえには、まだ生きる苦労ってやつをたっぷり味わってもらわなきゃならない。

 おれとちがって、おまえには陽炎がついていてくれるはずだ。

 乗り越えられるだろう。

 待ってろ。


 カシューが立ちあがると、少し離れた場所に立っていたコブが呼びかけてきた。


「馬が必要だろう。まだ近場をうろついているはずだから、探しにいこう」


 広場から出る街道の先を指さすコブにうなずくと、カシューはあとを追って歩き出した。


「馬車を曳いていた二頭は吹き飛んじゃったけど、護衛が乗っていた二頭は襲撃を受けると同時に逃げていったから無事だろう。たぶん、森で草でも食ってるはずだよ」


 街道に入ってからどちらも無言のまま歩き、目についた木立の切れ目から森に足を踏み入れた。


 カシューが唇に指を当て、甲高い節まわりの音を二度吹いた。

 しばらくすれば鞍をつけた馬が姿をあらわすだろう。


 飼育された馬の習性など、誰に言われなくともカシューは理解している。

 コブが声をかけてきた時点で、人目を離れて話をする意図だと察していた。

 そしてカシューもまた、余人を(まじ)えずコブに確認しなければならないことがあった。


「どういうつもりだい、カシュー。あの状態の戎兵衛を助けることができるなんて、君だって思っちゃいないだろう」


 固い声で問い質してくるコブを見返すと、カシューは肩の力を抜いた。

 コブのその態度こそが、カシューが知りたかった疑問のひとつに解答を与えていた。


「その口ぶりだと、おまえ、本当に知らなかったんだな」


 (ひそ)められていたコブの眉が、(いぶ)しげな形にかわった。


「メルトのことだよ。そうか、さすがのおまえでも、神様までは操れなかったか。ちょっと安心したよ」


「神様? カシュー、いったいなんの話をしているんだ。メルトってなんだ」


 コブの表情がはっきりと(いきどお)ったものにかわった。

 吊り上がった(まなじり)と皺の寄った鼻。

 歯を剥きだしにした唇のはしに、白い泡が噴き出しているのが見えた。

 日頃めったに怒ることがないからこそ、激昂したコブの顔貌は醜悪だった。

 そしてコブ自身がそれを恥じていることも、カシューはよく知っていた。


 カシューの目に、コブが嘘をついているようには見えなかった。

 いま嘘をつく理由がないし、いまは嘘をついている場合でもない。

 戎兵衛の負傷はあくまでも偶然だったが、その偶然の招いた危機的状況が、コブの心から韜晦(とうかい)する余裕を失わせていることも事実だった。


 コブとメルトが結託、もしくはコブがメルトの存在を利用している可能性。

 それこそが、カシューが抱いていたもっとも大きな疑念だった。

 もしそうであれば、これまでにカシューが知り得た状況はまったく別の側面を描いていたことになる。

 たどりつく結末は想像すらできないものになるだろう。


 国王ヴィルヘルム三世による元勇者の再召喚からはじまり、魔王軍との戦争、ノイタンツ公爵による王位簒奪へといたる現在の状況。

 これらすべてに、コブが暗躍しているのはまちがいない。

 コブがいったいなにを真の目的として頭脳を発揮しているのかわからないが、いくらコブが天才であろうと、天界だの超越者だのを巻きこんだあげく、惑星崩壊を呼び起こして世界を破滅させるほど悪辣(あくらつ)なまねをたくらんでいるとは思いたくなかった。


「すまん。詳しい事情は帰ってきてから話そう。それよりも、いまは戎兵衛を助けるほうが先決だ」


 カシューがなだめるとコブの顔から怒りが消え、不安と悲哀と期待が入り交じった情けない表情になった。


「まさか、本当に助けられると?」


「だから言ったろう、神様だって。勇者一行に女神が紛れ込んでるのは報告したはずだ。そしていま、勇者たちはこの街道を進んだ先にあるダンジョンにいる。メルトはまちがいなくろくでなしだが、あの治癒魔法は本物だ。彼女なら、戎兵衛を助けられる」


 カシューの言葉にも、コブの顰められた眉が動くことはなかった。

 それはカシューがはじめて見るコブの表情だった。

 つまり、まったく理解できていない。


「おい、まさかそこからか!」


「すまない。君が出発してからすぐ、僕は組織から隔離されて、報告や連絡といった正規の情報源から切り離された状態にあったんだ。僕は僕で国王の失墜工作で忙しかったもんで、正直、君のことはあまり気にしてなかった。アデリーンと一緒に逃げてきたのも、義母(かあ)さんから呼び出し食らってはじめて危険が迫っているのを知ったから、慌てて飛び出してきたんだよ」


「国王の失墜工作ってなんだっ。おまえ、やっぱり裏で仕組んでたんじゃないか!」


 指を突きつけて糾弾するカシューを、腰をかがめたコブが手のひらで押さえるようにしてなだめた。


「待て待て待て。それは今度ちゃんと説明するから。それよりも、いまは戎兵衛を助けることのほうが先決だろ」


 カシューは(うな)るようにして息を吐くと、説明をはじめた。


「盛りのついた剣の勇者が癒やしの勇者に手を出して乳繰りあったせいで、出発前夜になって癒やしの勇者の妊娠が判明した。さすがに妊婦に戦わせるわけにはいかないってことで、癒やしの勇者を天界で保護するかわり、勇者を召喚した当事者である女神がすり替わって同行することになった。それがメルトだ」


 手のひらで目を覆って天を仰いでいたコブが、思いいたったように目を見開いた。


「じゃあ、杖の勇者はいちゃつく二人の姿を目のまえで見せつけられていながら仲間はずれだったってこと? なにそれ、かわいそう」


「ああ、あの淋病持ちの娼館狂いか。あまり気にしてなかったんじゃないか。指名する女は毎回ちがったが、みな癒やしの勇者とは正反対のタイプだったしな」


「それはそれで救いがないな」


「ちなみに、このあいだ死んだ」


「淋病で?」


「ちがう。詳しい話は聞いていないが、ダンジョンで勝手に暴走したあげく死ぬことになったらしい」


 カシューの話を聞いたコブは、小声でしょうもないなと呟いたあと、口を開いた。


「つまり、異世界から召喚されてきた三人の勇者は、二人が脱落していまは一人しかいないってことかい」


「そうだ。召喚した女神と従者として派遣されてきた冒険者の三人パーティーで旅してる。おれの見たところ、最大戦力は従者の冒険者。次が女神のメルト。剣の勇者は最近こそ努力しているようだが、杖の勇者が生きていたこのあいだまではひどいもんだった」


 コブは長く深いため息を吐いた。


「従者にすぎない冒険者が一番強い? さすがの僕にも理解が追いつかない。いったいなにをどうやったらそんな結果になるのか、教えてほしいよ」


「ああ。わかったら、おれにも教えてくれ」


 首を振りながら嘆息するコブの姿に、カシューはいまさらながら、アッシュという名の冒険者のことを考えた。

 その身に起きたことは災いというしかなく、旅の目的を達成したとしても、その先に待ちかまえている未来では苦難などという言葉では表現できないほど、苦痛に満ちた選択を迫られるはずだった。

 そしてカシューは、望むと望まざるとに関わらずその責任の一端を担がなければならない。

 気の滅入る話だった。


「あの女神に名前があったなんてことも、僕はいまはじめて知ったんだけど、とにかくその……メルトさん? その人がいれば、戎兵衛は助かるんだね?」


「まちがいない。おれが保証する」


 カシューは右のてのひらをコブに向けて開くと、自由自在に動かして柔軟さを見せつけてみせた。


「おれが長年悩まされていた古傷の後遺症は知ってるだろう。あいつに回復魔法をかけてもらう機会があったんだが、いまじゃこのとおりだ。ヒール単体としての威力もあるだろうが、それだけじゃない。おそらく、人体の構造すべてを知り尽くしてるんだろう。皮膚、筋肉、神経、骨。それぞれの損傷具合を見極めたうえで、個別にヒールをかけて治癒していくんだ。しかもあっという間にな」


 カシューは目のまえにかざしたてのひらを握りしめると、断言した。


「メルトならば、戎兵衛を助けることができる」


 力のこもった目つきでカシューの手を見つめていたコブは、目を合わせるとうなずいた。


「わかった。信じよう。カシュー、女神を連れてきてくれ」


 コブの言葉にこたえるように、(たたず)む木々の彼方から力強い馬の(いなな)きが近づいてきた。


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