62 そして蜥蜴はみずから尾を断ち切った
「旦那、わかってやしたんですか」
驚きに目を大きくした戎兵衛に、カシューは小さく首を振った。
「長年、この国で諜報員なんかをやってれば見えてくるものがあるんだよ。戦時体制への切り替えという潮目があったにしても、同じ派閥の貴族たちを中核に据えた同盟の結成から、軍部の掌握までがスムーズすぎる」
軍権の簒奪というクーデターに近いことをやっておきながら末端の工作員にさしたる混乱も見られないということは、首尾一貫した指揮のもと、上層部の入れ替えだけが電撃的におこなわれたことを意味していた。
軍隊における命令とは、その内容がどれほど不条理なものであろうと正式な手続きに則って発せられた以上、粛々と実行されていく。
各部門の責任者の更迭ともなれば、それを決定できるのは軍の命令系統の頂点を占めるものたちしかいない。
軍政を司る軍務尚書や軍令を担当する統帥本部長、指揮や兵站といった実際の運用を統括する各方面軍大将たち。
彼らがそれぞれ、どのような思惑を抱いていたのかはわからない。
だが本来であれば、担う役目も目指す方針もちがう彼らが一切の相違なくひとつの意見にまとまることなどはありえないはずだった。
たとえ軍隊といえども、百出する異論反論を調整した結果生まれる妥協への従属こそが、組織の実態であることにちがいはないからだ。
そのありえないことが、今回は起きた。
理由など考えずともわかる。
絶対権力の持ち主による強権の発動。
すなわち、国王の意向だ。
在位五十年に渡る為政のなかで、ヴィルヘルム三世は軍部の持つ権限を慎重にコントロールしてきた。
強大な実行力を維持しつつ武力による暴走を許さないその軍制は、巧緻な芸術の域に達している。
いまになってヴィルヘルム三世自身がそれを崩すとも思えない。
王権の強化とそれを裏づける軍の権限増強。
それを志向していたのは、ノイタンツ公爵にほかならなかった。
「最初はダンジョンコアのもたらす富に目が眩んだノイタンツ公爵が、強硬手段に出たのかと思った。だがおまえから国王が不予だという話を聞いて合点がいったよ。魔力による延命処置を求めるヴィルヘルム三世と、豊富な魔術師団を抱える中央方面軍総大将のノイタンツ公爵。おおかた、回復術士たちを差しだすかわりに譲位を迫ったってところじゃないのか」
カシューが問いかけると、蜥蜴が片頬を歪めて皮肉げに笑った。
「そういうことだ。しょせんはいっときの寿命を引き延ばすために、ヴィルヘルムは玉座を捨てた。これを耄碌と言わずしてなんと言う」
たしかに、傍目に見ればそのとおりだろう。
だが国王に対する蜥蜴の嘲笑に、カシューは同意することはできなかった。
国王の真の目的は、元勇者である魔王を倒したあとに残るアストラル体にある。
魂の結晶であるアストラル体と自身を同化させることができれば、無尽蔵の魔力と不死性を兼ね備えた神にも等しい存在に生まれ変われるのだ。
蜥蜴の言ういっときの寿命。
アストラル体を手に入れるまでのほんのいっときのためならば、玉座程度いくらでもくれてやるだろう。
蜥蜴が次に発した言葉は、カシューのその予想を裏づけた。
「譲位をおこなうのは、魔王との戦争終結後という取り決めだ。戦時中に王位の交代などしては周辺国に攻め入る隙を与えるというヴィルヘルムの意見を優先させたらしいが、オットーにしてみれば、戦争が終わるまでに延命も間にあわずヴィルヘルムが死んでくれるのを願っているだろうな。痛くもない腹を探られずにすむ」
逆だ。
戦争が終わるということは、国王が本懐を遂げ再生を果たしたことを意味する。
ノイタンツ公の思い描く未来は決してやって来ないであろうことを、カシューは悟った。
「まともに動くことのできないヴィルヘルムを尻目に、オットーはすっかり国王気取りよ。正式な即位もしていないというのに、重い王冠に首をぐらつかせながら王笏を振りかざして、玉座にふんぞりかえっているありさまだ。あきれたことに自分が発した命令書には、すべて蝋で王璽をシールしている。誰も自分に逆らうことができない状況が楽しくてしょうがないんだろう。ヴィルヘルムですら、法令の発布や外交文書にしか用いなかったのにな」
「なるほど、軍の暴走を誰も止められないわけだ。いや、そこまでいくと暴走しているのは軍ではなく、ノイタンツ公爵自身というべきか」
「暴走というより、あれは完全に箍がはずれているといったほうがいい。ヴィルヘルムが次から次へと魔導師を使い潰すのが惜しくなったんだろう。オットーは自分がかわした約束すら反故にして、アデリーン王女を使うことにした。自分たちが裏切られたことに気づいたコブが少数の護衛とともに王女を逃がし、オットーが追っ手を差し向けた。それが真相よ」
国王とノイタンツ公爵。
国家を思いのままに動かすふたりをまえにして、いったいどこへ逃げるつもりだったのか。
カシューの知るコブは、そんな採算のない賭に出る人間ではなかった。
「どうやら、新しい玉座の主は、我ら玉座の爪にあまり信頼を置いていないらしい」
返答のないカシューにかまわず、蜥蜴は言葉をつづけた。
みずからの命が消えつつあるのを自覚しているでのあろう。
内心の葛藤を吐き出すようにしゃべりつづけるその口調は、性急ですらあった。
「アデリーン王女の拉致は公爵家所属の実行部隊が直々に行うといって、我らははずされた。代わりに与えられたのが、貴様らを排除して代わりに勇者たちを監視する任務よ。たわいもない仕事だと思っていたが、まさかこんなところで命を捨てるはめになるとわな。つくづくツキに見放されたわ」
「アデリーン王女はいまどこにいる」
カシューが訊ねると、蜥蜴は生気のない視線を向けてきた。
「それを知ってどうする」
「助ける。王女も、コブもだ」
カシューの静かな声を聞いても、蜥蜴はしばらく言葉を返さなかった。
まるで感情を感じさせない死んだ魚のような目でカシューを見つめ、やがて呟くように口を開いた。
「おれもおまえも、国王であるヴィルヘルムに売られた。アデリーン王女はノイタンツ公爵であるオットーに売られた。助けたところで、いったいなにを信じて生きていくつもりだ」
「それを見つけるために行くんだ」
蜥蜴の目がわずかに見開かれ、眼光の奥底にかすかな生気が宿ったように見えた。
歪んだ口元が引きつった嗚咽にも似た細い唸り声を漏らし、それはやがてはっきりとした笑い声に変わった。
死を目前にした蜥蜴の狂ったような哄笑を、カシューは動揺することもなく黙って見つめていた。
唐突に笑い止んだ蜥蜴が、別人のように力強い表情をカシューに向けた。
「この宿場街を出て街道を西に逸れた山道を行くと、廃棄されたダンジョンがある」
カシューはうなずいた。
昨夜、メルトとの会話で、気になることがあるので足を運ぶつもりだと聞いたばかりの野良ダンジョンだった。
「あそこはもともと、軍の伝令が早馬に用いる秘匿ルートだった場所だ。三十年ほどまえ、あのダンジョンが出現したおかげで行軍ルートからはずされたが、かつては軽輜重部隊の通行も想定されていたために、小型の馬車くらいなら駆け抜けられる程度に道が残っている」
歴史から忘れられた裏街道の存在。
建国当時からの機密書類を暇に飽かせて読み込んできたコブならば、知っていておかしくはなかった。
「王女一行の通過予想時刻はいつになる」
「ちょうど今頃だ。本来の予定だったら、おまえたちを片付けたあと、おれも合流することになっていた。行くなら急げ」
最後の気力を振り絞ったのか、蜥蜴の口調が急速に曖昧なものに変わりつつあった。
顔面が弛緩し、目が一点を見据えたまま虚ろになっていく。
「誰かいるか。なにも見えん。なにも聞こえん」
かろうじて持ちあげられた腕が震え、虚空を掻いてさまよった。
「ここにおる。安心せえ、おぬしをひとりにはせん」
蜥蜴の腕をとった陽炎が、握りしめた手に治癒の光を灯らせながら穏やかな声をかけた。
「お嬢っ、それ以上はいけねえ!」
叫んだ戎兵衛にかまわず、陽炎は魔力を注ぎつづけた。
蜥蜴の残った上半身がほのかに光を帯び、土気色をしていた肌にほんのりと赤みが差していった。
「くそ、あったけえな。死ぬってのはこんなに楽になんのか。……いままで生きてきた苦痛はなんだったんだ。……ふざけやがって、なにが玉座の爪だ。……とんだお笑いぐさだ」
焦点の合わない目に泣き笑いの色を浮かべたまま、蜥蜴の全身から力が抜けていくのが見えた。
「死んだ」
深くうなだれた陽炎の発した声が、薄暗い教会に響いた。
爆発によって砕け、腰から下だけが佇む天使像を、天井から射しこんだ日差しが照らしていた。




