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56 血の流れるところ啜るものあり


 現王ヴィルヘルム三世の腹違いの兄であるオットー・フォン・ノイタンツ公爵は、五十年前、突如として舞い戻ったヴィルヘルムが王位を継承するにあたって王族を離籍し、新たに創設された公爵家の当主に就任した経緯を持つ。

 

 その事情から、国内の貴族たちは当然のようにノイタンツ公を反国王思想の持ち主とみなし、また事実、国内の統治問題や諸外国との外交方針など、国王ヴィルヘルム三世と対立することが多かった。

 オットー自身、おのれについてまわる評価や風聞を利用し、王家よりも自家の権益を優先する貴族家のとりまとめに熱心であり、現在では王宮派と反目しあう貴族連合派閥の領袖として権勢を誇っていた。


 しかし、一方でノイタンツ公爵が絶対君主制に固執する極端な王権思想の持ち主であることは、ごく一部の王室関係者にしか知られていない。

 国王との対立も、貴族家の自治を重視した封建的な共和制を根底に置くヴィルヘルム三世と、王家直轄による支配力の強化を目指す統治方針のちがいにきざすものであり、決して国内の貴族たちに利する目的などは抱いていなかった。


 ノイタンツ公の抱く野望の最終的な到達地点は、現王家になりかわってみずからを頂点とするノイタンツ王朝を打ち立てることにほかならない。

 その目的のために国内の有力貴族たちを糾合し、成就された暁には綱紀粛正の名目のもとに貴族たちを断罪し、以て王家の力を絶大たらしめる。

 手段と目的のあいだに横たわる相反する矛盾の根源が、異母弟に対する憎悪と玉座に対する執着が渾然一体となった妄執であるのは明白だった。


 深刻な自家撞着を起こしながらも、(よわい)八十近いノイタンツ公爵はいまだ意気盛んに宮廷を闊歩(かつぽ)しており、魑魅魍魎溢れる貴族社会でも筆頭たる重鎮として陰謀の網を張り巡らせている。

 それは、王家直属の諜報機関である〈組織〉に所属するカシューたちが、日々体感していた事実だった。


 そのノイタンツ公爵が魔の森ダンジョン計画を乗っ取ったという。

 カシューは大将の言葉を聞き、ここ最近目立つようになった貴族管理官による嫌がらせが腑に落ちた。

 おそらく、すべての構成員がノイタンツ派へと宗旨(しゆうし)替えを迫られるはずだった。


「コブはなにをしていた。指をくわえて眺めていただけってことはないだろう」


 カシューが問いかけると、沈鬱な表情で口元を引き締めていた大将がためらうように口をひらいた。


「それが、司令もいま、行方がわかりやせんで。これまでも任務の途中でふらっと姿を消すことはありやしたんですが、連絡法だけは必ず用意しておりやした。今回はそれもねえときてやがる。あっしにゃあ、もうなにがなんだか」


 口調のかわった大将が、がりがりと頭を掻きながら首を振った。


 コブが行方不明となったのは、十日ほどまえからだという。

 深夜にもかかわらず非公式な会合を繰り返すなど、組織上層部の幹部たちにきな臭さを感じた大将と女将がコブとの連絡を試みようとしたところ、その不在が発覚したらしかった。


 ノイタンツ公爵による反国王派貴族を集めた同盟の動きが本格化し、宮廷全体が蜂の巣をついたような混乱に陥ったのは、翌日になってからだった。


 王都に滞在するすべての貴族たちが保身と野心のはざまで踊り狂う騒動のなか、公爵一派は続けざまに矢を放っていった。


 独立した軍事組織の創設とノイタンツ公爵を総大将とする中央方面軍との統合。

 王国軍の組織系統に対する強引な介入と一部指揮権限の簒奪(さんだつ)

 これら一連の流れが電撃的に実行に移され、気がつけば王家直属だったはずの諜報機関は、ノイタンツ公爵の私的な陰謀組織として乗っ取られていたという。


 あまりにもタイミングのよすぎるコブの失踪とのあいだに、なんらかの因果関係があると大将が推測するのも、無理からぬ話だった。


「司令がいなくなったときの足取りを追ってみたんですが、いつもの倉庫からいつもどおりの時間に退勤した記録までは残っているものの、そのあとがふっつり。庁舎街から出てるかどうかもわからねえありさまで」


「大将がやっていた店もそうだが、コブほど王都の地理に詳しい人間はおらんよ。地下水道と連絡用トンネル、秘密通路に路地裏、空き地にいたるまで、全部頭のなかに入ってる。その気になれば、一度も地上の道を通ることなく目的地まで移動できるだろう。コブはああ見えておそろしく用心深い。拉致された場合、必ずなにかしらの痕跡を残すはずだ。なにもないということは、自分から行方をくらました可能性が高いな」


 大将もそれは理解しているらしく、うなずいて肯定した。


「自分もそう思ったんですが、どうにも、あとさき考えず慌てて姿を消したようなのが気になりやして。もし自分からいなくなったんなら、なんかを見たか誰かに会ったかしたんじゃねえかと思ったんで、司令の職場が入ってる庁舎の入館記録を手に入れやした」


 大将はふところから折りたたまれた紙片を取りだすと、カシューに差しだした。


 カシューは感心しながら受け取った。

 体術に優れているだけでなく、頭もまわる。

 たしかに、噂になるだけのことはあると思った。


「まあ、入管記録に気づいたのは烈風――、もう女将でいいか。あいつなんでやすがね。持ってって、カシューの旦那に聞いてみろと。司令と連絡がつかない以上、現場同士で相談してどうするか決めなきゃならねえからさっさと行けって、どやされちまいました」


 苦笑した大将の顔が、思いがけず幼い印象をカシューに与えた。

 いたずらを見つかり、叱られた小僧のようなあどけなさがあった。

 女将にとって、大将は目を離せない弟のようなものなのかしれなかった。


 なにか微笑ましいものを感じて口元をゆるめながら、カシューは紙束をめくっていった。


 コブが仮初(かりそ)めの身分で日々出勤する執務室は、王国の記録文書や季節ごとに入れかえる備品などを収めた倉庫棟の一角にある。

 一歩足を踏み入れたとたん、乾いた羊皮紙と古紙、それらに積み重なった埃のにおいに包まれる古色蒼然とした建物だったが、人の出入りは存外に多い。

 過去の記録を求める文官や、細々とした模様替えを繰り返す後宮のために生活用具を運び出す下級メイド、重要物品保管庫に詰める衛兵。

 燃えやすい紙類を大量に在庫しているため、管理点検のための雑役夫(ぞうえきふ)が特に多く配置されていた。


 眺めていると、文官の出入りが極端に多くなっているのがわかった。

 戦争がはじまって以来、過去の戦時状況を調べる目的であろうことは察しがつく。


 それ以外にも多くの人間の名前が羅列されていたが、ほとんどが日常的に出入りしているものばかりであり、特別コブとのあいだに接点がありそうには思えなかった。


 文字を追っていたカシューは、ひとつの名前で目をとめた。

 クララ・クレイトン。

 名しか持たない平民ばかりのなかで、数少ない姓持ちの女だった。


「クララ・クレイトンという貴族の女がいるが」


 クレイトンという苗字が、わずかにカシューの記憶にひっかかった。


「戦争がおっぱじまって、王族の一部が王都から地方のカントリーハウスに避難するってんで、持ってく家財道具やらなにやらの下見にきた侍女頭だそうです」


「王族の疎開か。一大行列になるな」


「へえ。なんでも、皇太子の娘なんですが、怪我だか病気だかの後遺症で療養生活を送っているらしくて、緊急時に急ぐことができねえから早めに移動することにしたとか」


 カシューの心臓が大きく脈打った。

 現在の皇太子には正妃側妃含めて四人の妻がおり、二男四女の子をもうけている。

 そのなかで療養生活を送る皇太子王女といえば、カシューには一人しか思い浮かばなかった。


「アデリーン王女……」


「その姫さんです。クララって侍女頭はもともと姫さんの乳母をやっていたご婦人で、もう六十近い年齢のばあやなんですが、いまでも母親同然に慕われているって話ですぜ」


 クレイトンの名をどこで聞いたのか思い出した。


 国王の種を身籠(みご)もった侍女は、男爵家に下賜(かし)されるかたちで秘密裡に放逐され、そこでひとりの娘を生んだ。

 先天性魔力不全という難病を持って生まれた娘は、長じて同じ病を持つ男と結婚し子どもを得たが、生来の身体の弱さから、出産と同時に身罷(みまか)った。

 いかなる運命の転変か、妻が命をかけて(のこ)した娘は国王に引き取られたのち皇太子の娘という身分を与えられて育つことになり、すべての発端となった侍女は、その乳母として王宮に戻ることになった。


 国王から侍女を下賜された男爵家の名はクレイトン。


 乳母をつとめ、いまは侍女頭となっているクララ・クレイトンは、みずからが仕えるアデリーン王女の実の祖母であり、そして、コブの義母(はは)でもあった。


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