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53 虎は天を目指す


 メルトの言葉どおり、勇者一行は翌日からダンジョンに潜りはじめた。


 監視をつづけていたカシューは、メルトによって大幅に能力を底上げされた魔眼の恩恵を認めないわけにはいかなかった。

 目に見える世界が一変したといっても過言ではない。

 空気中に漂う魔素が見えるようになったことは、カシューにとって新たな光を得たも同然だった。

 だからといって、メルトに感謝しようなどという気にはならなかったが。


 魔眼の能力を試すついでと理由をつけて、カシューは勇者一行から徹底して身を隠した。


 強者が発散する魔力は、煙のように空気中に拡散する。

 微細な魔力の残滓(ざんし)を色彩として知覚する術を身につけたカシューが、彼らの魔力範囲内に近づかないようにすると、一行は完全にカシューを見失ったようだった。

 それでも、メルトはときおりいわくありげな目つきをカシューのいる方向に投げかけてきたし、従者の男は斥候などで単独行動するときもカシューのそばには決して近づいてこなかった。

 おそらく、姿は見えないまでも存在だけは感じているのだろう。

 異世界人ふたりに関しては、自分たちに監視の目がついていることなど想像もしていないようだった。


 国内のダンジョンをしらみつぶしにするつもりなのか、一行は危険度が低いとされる、いわゆる低ランクダンジョンを次々と踏破していった。


 慣れた足で先導を務める従者と、そもそも危機感が欠如しているとしか思えないメルトの姿は変わらなかったが、剣と杖の勇者ふたりの慢心ぶりは目に余るものがあった。


 探索や戦闘はすべて従者の男にまかせ、自分たちは武器を杖がわりに怠惰に足を運んでいるさまは、カシューをして見るに堪えない気分にさせるにじゅうぶんだった。


 異変が起きたのは、なんの変哲もない野良ダンジョンにおいてだった。


 組織からの報告を求める些末(さまつ)な確認事項に時間を取られたカシューは、勇者一行によるダンジョンの探索開始に間にあわず、出入り口を見渡せる高台のうえで待機していた。

 平生(へいぜい)のカシューであればあとを追って自分もダンジョンに侵入していたであろうが、ことあるごとに嫌がらせをしてくる貴族管理官とやる気のない勇者ふたりに対する鬱屈が、カシューから任務への献身を奪っていた。


 場違いなほどにほがらなか空の下、時間を持て余していたカシューの目に、這うようにしてダンジョンから出てきた一行が写った。


 なにごとが起きたかとカシューが首を伸ばしたとき、日差しを浴びて仁王立ちをしたメルトの叫び声があがった。


「カシューさん! 出てきてくださいっ。いるんでしょう、カシューさーーん!」


 迷っている暇はなかった。

 尋常でない様子にカシューが繁みをわけて近づいていくにつれ、彼らの異様な姿が明らかになっていった。


 血の雨でも浴びたように全身を赤黒く濡らしたメルトと、みずからの足で歩くことすらつらそうなほどに消沈した剣の勇者。

 従者の男は装備していた革鎧がズタボロに裂け、下に来ていた衣服も黒くちりぢりに焼け焦げて、肌がむきだしになっていた。

 筋肉質ではあるが痩せてギスギスとした肉体全体に、精緻(せいち)な蛇の刺青(いれずみ)が刻まれていることに、カシューは驚いた。


 座りこんだ剣の勇者と、いつもどおり無表情ながらも珍しく茫然(ぼうぜん)として反応の鈍い従者。

 そしてどういうわけか、血まみれにもかかわらず満面の笑顔で待ちかまえていたメルト。


 カシューは薄暗い影に包まれたダンジョンの入り口に目をやったが、そこからもうひとりの人間が出てくる気配は感じられなかった。


「杖の勇者はどうしたんだ」


 カシューが尋ねると、メルトが場違いなほどはきはきとした口調でこたえた。


「死亡ですわ」


 その言葉の意味をカシューが理解するまえに、へたりこんでいた剣の勇者が激しい声をあげた。


「おいっ。さっきと話がちがうじゃないか! 鈴木はまだ生きてるって――」


 鋭い一瞥(いちべつ)で、メルトは剣の勇者を黙らせた。


「いずれ復活はさせますが、今回の魔王討伐に参加できない以上、王国には死亡と報告せざるを得ません。鈴木さんのことは、あなただけの胸の内に秘めておいてください」


 (ひる)んだように目を()らせた剣の勇者は、うつむいたまま黙り込んだ。


「それよりもカシューさん、龍脈を回復させる目処(めど)が立ちましたわ」


「どういうことだ」


「彼ですわ」


 メルトが視線を向けた先は、従者を兼ねた冒険者、アッシュだった。


 意識が内面に向いていたのか、(うつ)ろな目つきで立ち尽くしていた男は、メルトとカシュー、ふたりからの注視を浴びて驚いたように顔をあげた。

 その瞬間、全身に施されていた蛇の刺青がざわりと(うごめ)いた。


「ぐぅっ」


 アッシュの口から苦痛に満ちた(うめ)きがかすかに漏れ、顎に奥歯を噛みしめる筋張ったラインが浮かびあがった。

 蛇の移動した皮膚が破れ、いたるところから血が滴っていた。


 魔眼を発動してアッシュの姿を見たカシューは、驚愕に身体を硬直させていた。


 アッシュの肉体に刻まれた蛇は、刺青などではなかった。

 みずからが発する闇のなかでほのかな燐光を脈動させる長大な蛇の姿が、カシューにははっきりと見えた。

 皮膚の表面を這いずりまわり、胸のなかでとぐろを巻いてアッシュの心臓に絡みついていた。

 安息の(ねぐら)を得たかのように瞬膜に包まれた目を細め、二股に分かれた長い舌を心臓に這わせている蛇の様子に、カシューは戦慄した。


「なんだ、これは。なぜ彼は生きているんだ」


 声を震わせて呟いたカシューに、ヒールでアッシュを癒やしていたメルトが言った。


「あなたの魔眼に写っているのは、本物の蛇ではありません。実体を持たない精霊のようなものが彼の肉体のうちに宿っているのを、魔眼がとらえているんですわ」


「精霊?」


 理解の範疇を超えて訊き返したカシューに、メルトがうなずいた。


「彼は契約したのです。みずからの力で人間という種族の限界を突破し、天界ですべての命を見守っていたあの子に触れて、選ばれたんですわ」


 メルトの言葉がカシューの記憶を触発した。

 種族を越える存在進化。

 天界にいるホムンクルスとの契約。

 地上における神意の代行者。


 脳に焼きつけられていた知識が泡立ち、沼の底から湧きあがってくるように口をついて出た。


「使徒……」


「そうです。それも地上の管理保全を担う12天使たちとの契約ではありません。超越者たちが世界創造のためにもたらした、基幹運営装置である生命の木。彼が契約したのは、その生命の木の管理者であるセフィロトです」


 カシューの脳が凄まじい勢いで活動をはじめ、メルトによって流し込まれた知識が次々と浮かびあがってきた。


 超越者が惑星改造をするさい、最初に設置した三つの装置。

 次元隔離装置である裂け目(カズム)、世界に起きる事象のすべてを記録するアカシックレコード、地上における生命体の発生と行動パターンを統括する生命の木。

 それぞれが空間と時間と生命を制御し、これを運用することで世界の効率的な創造を可能たらしめる基礎設備であった。


 これらを管理するホムンクルスは天使とは別系統に存在しており、裂け目(カズム)を管理するカオス、アカシックレコードにおいては過去現在未来のそれぞれを職掌とする三人の女神たち、そして生命の木を管理するセフィロト。

 この五人を総称して五神職と呼ぶ。


 彼女たちと契約してその使徒となることは、現象そのものを操作する力を得るということにほかならなかった。

 地下を流れる龍脈を調整する邪龍などとは比べものにならない、まさしく神の力といえた。


「アッシュさんがセフィロトの力を自由自在に使いこなすことが可能になれば、この地上に天界との新しい中継基地を作ることもできるでしょう。それを目指します」


「中継基地って、なんだそれは」


 力強く胸を張ったメルトが、天を指さして言った。


「世界樹です」


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