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52 羊と虎の合同クエスト


 男が取りなすことで、メルトはしぶしぶとカシューにヒールをかけた。

 患部にかざしたてのひらから魔方陣を照射したあと、人差し指と中指の二本をそろえて伸ばし、光の(とも)った指先で治療する場所をなぞっていく。

 回復持ちの冒険者魔法使いや神殿の回復術士が使うヒールとは、ずいぶん手順が異なる魔法だった。

 彼らは深く考えることもなく、ただ治癒の光をまとわせたてのひらを向けるだけだった。


「刃物かなにか、右手に刺さったことがあるでしょう」


 少しまえまでの騒ぎとは別人のように無機質な表情で尋ねてきたメルトに、カシューは少し考えて答えた。


「以前、相手が突き刺してきたナイフをてのひらで受け止めたことがある。貫通したが、骨は無事だった」


「それですわね。指の神経に傷がついて、薬指と小指の動きが悪くなってますわ。あと、刺さったときにナイフが欠けたんでしょう。骨に食いこんだ破片が組織で覆われて、骨棘(こつきょく)になっています。寒い日などは握るだけで痛んだでしょう。ついでに治しておきますわね」


 湯につかったような(ぬく)もりがてのひら全体に広がり、指先のすみずみまで新鮮な血液が行き渡っていく心地良い感覚に包まれた。

 カシューが思わず吐息を漏らすと、メルトの顔にも笑みが浮かんだのがわかった。

 なにかしてやられた気分になり、カシューは悔しまぎれに咳払いをした。


「冒険者ギルドから派遣されてきたあの従者、かなりできるな」


 カシューは扉に顔を向けて口を開いた。

 先ほど、外で待機していると言い残してドアを閉めたとたん、足音ひとつなく気配が絶えた。

 猫の獣人だった大将も恐ろしいほどしなやかな身のこなしをしていたが、あの男はそれに勝るとも劣らないだろう。


「彼がお手伝いさん1号ですわ。わたくしが与えた恩寵のおかげと言いたいところですが、もともとかなりの実力者ですのよ」


「らしいな。第四王子の推薦文を読んだ」


 ウルブリッツ現国王ヴィルヘルム三世の第三妃を母に持つ第四王子ウェルテルは、王位継承権こそあれど現実的に考えて王位に就く可能性はありえず、当人も至尊の座への興味はないと公言して(はばか)らない武門気質の人間だった。


 遅くに生まれたせいもあって幼少時は放任といってもいい環境で育った彼は、貴族学園に入る頃にはゆがんだ特権階級の持ち主となっていた。


 そんなウェルテルの意識に改革をうながしたのが、学園の実地研修という名目で訪れた辺境ゴート、その周辺に広がる魔の森の探索だった。

 いかなる経緯(いきさつ)があったのか、初の遠征となるその探索においてウェルテルは少数の精鋭をもってゴブリンの巣を殲滅し、近隣集落の危機を救うという武勲を達成したのである。


 密かに伝えられる伝聞によれば、傅役(もりやく)を務めていた近衛騎士団隊長ヴィルフォールがウェルテルの性格を(うれ)いて案じた荒療治だったというが、それ以降、たしかに彼は変わった。

 阿諛追従(あゆついしよう)する取り巻きたちを離し、率先して近衛の訓練に混じって土埃に(まみ)れた。


 もっとも、集団のなかに個を埋没させる軍隊の空気は気質に合わなかったらしく、学園卒業後は冒険者に片足を突っ込む結果となったが、父であるヴィルヘルム三世もまた即位前は冒険者として市井(しせい)に混じっていた逸話もあり、彼に対する国民の人気は高い。


 そのウェルテルが、勇者三人による魔王討伐行の補佐として熱烈に推薦したのが、冒険者ギルドゴート支部に籍を置くギルドつき冒険者、アッシュだった。


「あなたのお仲間が立てた計画。成功するとお思いですか」


 カシューの治療を終えたメルトは、どこか気怠(けだる)げに言うと煙管(きせる)から紫煙を吸いこんだ。


「コブが人生をかけたんだ。なんとしても成功させる。あんたこそ、元勇者から邪龍を切り離して確保するために降臨してきたんだろう。だが、実際に元勇者と融合してるのは、国王が邪龍の分身(わけみ)として作りだした魔王の卵だ。邪龍本体が入った魔石は、まだ国王が持ってる。元勇者のことなんか放り出して、国王から魔石を奪ってくればいいんじゃないのか。あんたが力を授けたあの従者もいるんだ。なんとかなるだろう」


 メルトによって大量の知識を流し込まれて以来、女神である彼女が邪龍を排除してくれるのであるならば、それでもいいとカシューは考えはじめていた。


 コブがカシューに明かした計画は、魔王を倒したのちにダンジョンコアを手に入れ、龍脈が豊富に流れる魔の森の地下にダンジョンを作ってダンジョンマスターに据えることで邪龍を封印するというものであった。

 消滅させることのできない邪龍を確実に封印するためには、ダンジョンの奥底に閉じこめるくらいしか手段がなく、また元龍脈の守神ということもあって龍脈との親和性の高い邪龍ならば、国王の手元にあっても龍脈に引き寄せられるはずだというのが、コブのしめした根拠だった。


 だが、そう語るコブの様子にカシューは危うさを見出(みいだ)さざるを得なかった。

 国王は討伐された魔王の亡骸(なきがら)が届き次第、アストラル体を自身に取りこむ儀式を実行するだろう。

 それは同時にアデリーン王女の命に残された時間でもある。

 その焦りが、コブにいつにない拙速さを強いている気がしてならなかった。


 命を投げ出す覚悟はできている。

 幼い日、コブを助けるために掴んだ選択肢によって胸の奥底に生じた疑問は、コブの過去を知ったことで贖罪(しよくざい)めいた思いに変化していた。

 だからこそ、カシューはコブの願いを確実に実現させなければならない。


 邪龍の力を失った国王はまちがいなく弱体化し、そこにいるのは年齢相応に衰弱した老人にすぎなくなる。

 背後から絞め殺してもいい。

 正面から心臓を突いてもいい。

 復活などできないよう、首を落としたうえで焼き尽くしてもいい。

 二十年以上国の暗部に塗れてきた自分にとっては、造作もないことだった。

 少なくとも、邪龍などというわけのわからないものを相手にするよりは。


 カシューが強い視線を向けると、メルトは目を()らした。


「地上に降りてあらためて龍脈を調べてみましたが、想像以上に状況は深刻でした。今後のためにも邪龍を回収することは必要ですが、それ以前に龍脈の機能不全をどうにかしないことには、遠からずこの惑星は廃棄されることでしょう」


「崩壊ではなく廃棄されるというのか」


 メルトはうなずいた。


「わたくしたちの雇用主である超越者の目的は、あくまでもエネルギー源であるエーテルの徴収であって生命の保全ではありませんからね。世界線を維持するコストに見合わないと判断すればシャットダウンしますわ。魔素もないのに存在している地球は例外なんです。超越者の出身母星を展示するためのショーケースみたいなものですから。まあ、最近は各世界に派遣される勇者たちの供給元にもなっていますけれど」


 知りたくない事実だと、カシューはあきれるしかなかった。


「龍脈の機能不全っていうのは、いったいなにが起きてるんだ。おれたちで直せないのか」


「単純に詰まったり、ひび割れて漏れたりしてるだけですわ。ただし、分布範囲は惑星全体。地殻を貫いて縦横無尽に走っていますから、最大深度は地下七〇〇〇〇メートルを越えます。おまけにマントル対流の影響で十年単位で微妙に流れが変わりますわ。見て見ぬふりをして五十年。まさかここまでひどいことになってるとは思いませんでした。ごめんなさい」


 謝罪を口にしたものの、なぜかメルトの口調は挑戦的だった。

 一方のカシューはメルトが話した内容の半分も理解できず、早々に考えることを放棄していた。


「つまり、魔王を倒したところで、この世界が滅びることにちがいはないってことか」


 メルトは答えることなく、顔を背けると勢いよく煙を吐き出した。


「いっしょに旅してる勇者ふたりは、どこまで知ってるんだ」


「なにも。悪い魔王を倒して世界を救う。彼らにとってはそれだけでじゅうぶんですわ」


 勇者など異世界人であれば誰でもいい。

 天界にとっては単なる道具としての武器にすぎない。

 国王の言葉を、カシューは思い出した。


 カシューの目に浮かんだしらけた色を読み取ったのだろう。メルトが固い声をあげた。


「勘ちがいなさらないでください。べつにあのふたりを(ないがし)ろにするつもりはありませんわ。彼らが立ち向かおうとする魔王は、もとを正せば彼らと同じ世界の同胞なんです。同族殺しをさせておいて高みの見物ができるほど、わたくしは女神としてできた方ではありませんのよ」


 思わぬほど強い反応が返ってきたことに、カシューは驚いた。


 メルトに治してもらった右手に触れてみれば、長年(わずら)わされてきた反応の鈍さや痛みが消え、若返ったような力強さに(みなぎ)っていた。


 前線で軍医をやっていたときのほうが楽だったという、メルトの言葉を思い出した。

 治療を終えたときに見せた彼女の笑顔は、その言葉がしめすとおり、人を生かすことを使命としたものだけが抱きうる純粋な喜びに溢れていたように思えた。


 女神や管理官とはいったいなんなのか、カシューにはよくわからない。

 知識を与えられたことでその役割と意味を知ることはできたが、その職務に就いたものが背負う責任や苦労は、経験したものにしかわからないだろう。

 超越者などというよくわからないものを頂点とした社会構造など、いくら想像力を働かせたところでなにひとつ具体的なかたちが思い浮かんでこなかった。


 カシューにわかることがあるとすれば、目のまえにいるこの女は、自分と同じ喜怒哀楽をそなえた人間にすぎないということだけだった。


「勇者ふたりの目的は魔王を倒すことだ。おれの目的は、邪龍を封印して国王を倒すこと。そしてあんたの目的は国王から邪龍を奪取し、なおかつ龍脈を元通りになおすことだ。最終目的はちがえど、邪龍が大きな要素となっていることにはちがいない。いわば、途中経過はいっしょだといえる」


 カシューが言うと、メルトがあとを継いだ。


「魔王を倒さねば国王に近づくことはできない。国王を倒さねば邪龍を手に入れることはできない。邪龍を手に入れなければ龍脈を安定させることはできない。順番としてはまちがってはいませんわね。龍脈の機能不全の回復っていう前提条件が抜けていますけど」


「聞きたいんだが、龍脈が完全にダメになって超越者がこの世界を廃棄するまで、どれくらいの猶予があるんだ」


 カシューの質問にメルトは少し考え、ゆっくりと声を紡いだ。


「エーテルの回収効率はすでに五十パーセント近くまで低下しています。ホムンクルスたちが精製工程の損失率を改善したり、自分たちが使うエーテルを削減したり必死こいてますけど、焼け石に水ですわね。たぶん、あと十年もしたら業務改善命令がきて、それでも歩留まりが上がらなければ監察官が派遣されるでしょうから……。三、四十年ってところでしょう」


 おれはとっくに七十越えてるじゃないか。

 口には出さなかったが、カシューはそう思った。


「あっというまですわよ?」


「ああ。……そうだな」


 気分を変えるように、カシューは背筋を伸ばして言葉を早めた。


「とにかく、いまはできることを着実にこなしていくしかないんじゃないのか。一刻も早く魔王を倒すというなら、おれも協力しよう。王国からなんらかの支援がほしいというなら、組織に連絡してもいい。コブなら相談に乗ってくれるはずだ」


「コブさんですか。王宮でたまに見かけましたわね。あの国王の目を(あざむ)く計画、目のつけどころはいいと思うんですが、ちょっと不確定要素が多い気がいたしますわ」


「おれもそう思うが、あいつも必死なんだ。おれはなんとしても成功させる。そのためならなんだってするさ」


 メルトに目を向ければ、あごに手を添えて思案にふけっていた。


「龍脈を利用したダンジョンですか。下手をすれば過剰流入圧で一帯が吹き飛びますわね。でもうまく定着させることができれば、ダンジョン機能を利用した自律調整が可能になるかもしれません。その場合、かなり大規模なダンジョンが必要になりますが。しかし、力の大半を失っている現在の邪龍に管理官が務まるか……」


 カシューが見つめる先で、メルトは思考の海のさらに奥深くまで潜っていった。


「なんとかして邪龍に管理をまかせることができれば……。大量の龍脈を一気に消費させて一時的に枯渇状態にしたあと、そのすきに惑星全土を一括調整……。あれ? ひょっとしてナイスアイディア?」


 メルトは目の色を変えて猛烈な勢いで計算をはじめたようだった。

 口の端にくわえた煙管に火をつけるのも忘れ、吸い口をさかんにがりがりと噛んでいた。

 聞き取れないほどの早口でぶつぶつと独り言を繰り返し、頭を振っては豪奢な金髪をかき乱した。


「やっぱり使徒を増やさないと……。ホムンクルスたちにも確認を取らないといけませんわね……。それよりも超越者にバレないように進めないと……。いやバレる絶対バレる……。あいつらめっちゃむかつく……。いっそ統合管理官なんてやめちまうか……。いまならサイトーさんいるし」


 ふところから金属製の平坦なボトルを取りだしたメルトが、蓋をひねると口元に持ちあげて一気に呷った。

 その瞳が愕然と見開かれるのをカシューは見た。

 メルトは茫然とした表情でボトルを握りしめた。


「なんてこと……。空ですわ」


「おい。まさかそれ、酒じゃ……」


「カシューさんを待っているあいだに、全部飲んでしまったのを忘れていました……。これじゃ考えがまとまりませんわ」


 メルトはきょろきょろとあたりを見まわすと、声を張りあげた。


「アッシュさんっ。アッシュさーーん!」


 ふたたび背後からあらわれた男を見ても、カシューはもう驚かなかった。


「メルト様。ですからお声が大きいです。聞こえますから」


「お酒がなくなりましたので帰ります。背負ってください」


 肩をすくめた男が背嚢(はいのう)から背負子(しよいこ)を取り出し、慣れた手つきで組み立てはじめた。

 メルトは椅子にふんぞり返って足を組むと、カシューに向かって口を開いた。


「コブさんの計画、乗らせていただきますわ」


 カシューは鋭い視線をメルトに送ったが、その頭がぼさぼさのままなのを見て眉をしかめた。


「おれはどうすればいい」


「まだ状況が流動的ですし、魔王を倒さないことには話がはじまりません。当面は現状維持で旅を進めましょう」


「わかった。姿は見えないだろうが、おれは常に見ている。なにかあれば合図してくれ」


 カシューが力を込めて言うと、メルトがぽかんとした顔を見せた。


「いやいやいや。カシューさんバレバレでしたわよ」


「え?」


「あの人ずっと着いてきてるねって、いつも言ってたんですよ。分かれ道でどっち行くってときも、いきなり姿消したら申し訳ないと思って人の多い方を選んできたんです」


 メルトはそう言って背負子を組み立て終わった男に顔を向け、ねえと声をかけた。

 カシューが驚愕の眼差しで男を見ると、彼は気まずそうに顔を背けた。


「なん……だと……」


「いいかげん、わたくしたちもなにかしら行動しないといけませんから明日からダンジョンに潜ることにしたんですけど、わたくしたちいなくなっちゃうとカシューさん困るでしょう。だからひと言断っておこうと思って今日はお伺いしたんですわ」


 カシューは耳に入ってくる言葉を、どう受け止めればいいのかわからなかった。

 理解することを脳が拒否している。


「でも安心してくださいな。お手伝いさん2号任命記念特典として、女神であるわたくしが魔眼をパワーアップさせておきました。いままでのレアクラスからスーパースペシャルレア。二段階アップで魔眼SSRですわ」


 カシューは耳に入ってくる言葉を、どう受け止めればいいのかわからなかった。

 理解することを脳が拒否しているが、否が応でも肉体は反応してしまう。

 魔眼を発動させてメルトに目を向けた瞬間、強烈な輝きに視界が漂白された。


「ぎゃあ!」


「クラスアップしていろいろ見えるようになりましたけど、わたくしに魔眼は使っちゃダメですよ。ランクがちがいすぎますから」


「くそっ。早く言え! 人の商売道具になんてことしてくれやがる!」


 とめどなく流れる涙を拭いながら怒鳴ると、メルトは背を向けた男の背負子に、椅子に座るように腰かけようとしていた。

 カシューは、この女神が一切の痕跡を残さずに部屋に侵入した方法を悟った。


「新しい魔眼なんですが、残念ながら目からビームが出る機能はないんです。あれ、クラスアップ時のエフェクトなんですのよ。試しても出ませんからね」


「やかましいっ。誰が試すか!」


 メルトを背負った男は窓を開けると身を乗り出した。

 路地に面した三階の客室は(ひさし)もなく、向かいの屋根まではたっぷり背丈ふたり分は離れていた。


「あ、でも暗いところでは光りますよ。ダンジョンでもランタンいらずですわ」


「ふざけるなっ。スパイがそんな目立つ真似してどうするつもりだ。いますぐ元に戻せ!」


 窓枠を踏みしめた膝を折り曲げると、男は躊躇なく跳んだ。

 その背で手を振っていたメルトが、残像を残して飛んでいった。


「それではごきげんよぉーぅ」


 カシューは窓に駆け寄ると力のかぎり叫んだ。


「この野郎!」


 怒号を聞きつけたのか、どこかで野良犬が遠吠えを返してきた。


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