50 羊と虎のゲーム
出発当初、彼らはまるで目的のない旅をつづけているようにカシューには見えた。
王都から伸びる街道を進んで分岐路にあたるたび、勇者たち三人は角突き合わせて相談していた。
そして途方に暮れたように人影の多い方に向かっていった。
街にたどりつくと、どれほど早い時間であろうと必ず一泊した。
冒険者ギルド支部に立ち寄り、壁に張り出された依頼表を冷やかして併設された酒場に向かい、日がな一日のんだくれていることも往々にしてあった。
従者兼案内人の冒険者だけは窓口で長いこと話し込んでいることもあったが、依頼を受けようともしない勇者などにギルドは協力する気が起きなかったのだろう。
最後には決まって追い払われていた。
カシューはもちろん、癒やしの勇者が見たこともない女にすり替わっていることをすぐさま報告した。
次の街に着いたとき、返答があった。
本部にて詳細確認中。
現地実務従事者は任務を続行せよ。
コブとは別の管理官からの指示だった。
組織内において、勇者一行の監視が優先度の低い任務であることはわかっていたが、ここまでおざなりな対応が返ってくるとは思っておらず、カシューは驚いた。
王国の上層部を占める上位貴族たちは、一様に勇者たちの活躍に期待しない姿勢を貫いている。
召還後の彼らの態度を見れば当然だろう。
国王もまた、それを追認する態度をしめしたことで、今回の対魔王戦争における勇者の扱いは決定的なものになった。
女神の加護による不死性を得た彼らは、体よくいえば秘密暗殺部隊であり、そこに軍との連携を前提とした戦術などはない。
とにかく突っ込んで、殺せるもんなら殺してこいと、王都を追い出されたのが実情であった。
組織からすれば、勇者の監視など安全管理上の義務としてしかたなくおこなっているにすぎず、最初からまともなバックアップをするつもりはないのだろう。
もちろん、それが隠れ蓑にすぎないことをカシューは理解していた。
国王は、勇者たちが倒した戦利品を確実に手に入れなければならない。
すなわち、四天王と魔王の遺体だ。
そのために彼らの注目度を意図的に下げ、まかりまちがっても他の貴族たちが協力などしないよう、敢えて孤立状態においている。
カシューが旅の途上であげた報告は、最初にコブの手元に届き、取捨選択を経たのち、組織に渡されていると考えてまちがいないはずだった。
本当に重要な情報はコブと国王が独占し、勇者たちが目的を達成したあかつきには、国王直属の実行部隊がすべてを秘密裡に処理する。
コブによって国王に引き合わされたカシューは、いやおうなく、おのれが所属する組織すらも欺く二重作戦に従事することになった。
だが、コブはそのうえでさらに国王の野望を阻止せんと画策しており、その実行にはカシューの協力が不可欠だった。
もとよりカシューに否やはない。
国家から見棄てられた孤児として育ったカシューは、コブを助けるために、みずからを組織に売り渡した。
幾星霜の月日がたったいまも、あのときの決断を後悔したことはない。
しかし、コブはどうだったのか。
かつて、生まれもった病から明日をも知れぬ命を持て余していたコブは、スパイになるくらいならマフィアのほうがマシだと言った。
そのコブに対し、はからずも諜報員として生きる道すじを与えたのも、あのときのカシューの決断だった。
口に出したことはない。
だがその事実を、カシューは忘れたことはなかった。
愛国心などもとから持ちあわせてはいない。
組織への忠誠心などとうに涸れ果てている。
それでもなお任務に命をかけるとすれば、それはコブのためだった。
おれはコブが動かす機械の歯車でいい。
考えるのはコブの役目だ。
勇者が誰にすり替わっていようと、自分のなすべきことに関係はない。
重要なことは誰かが魔王を倒し、その死体を国王が手に入れることだ。
そして国王が魔王の死体に対面したとき、コブの真の目的が達成される。
そのために万全を期すのがおれの役目だ。
そう自分を納得させた矢先、カシューは女の正体を知ることになった。
勇者たちが宿泊する宿屋にはりついて彼らが眠るのを確認したカシューが、自分が泊まる安宿に戻ったとき、そこに問題の女が待ちかまえていたからだった。
「遅くまでごくろうさんですこと」
「失礼。部屋をまちがえたようだ」
なるべく顔を見られないよう、酔客を装ってすぐに方向転換をしたカシューの背に向かって、女は声をかけてきた。
「あなたたちが癒やしの勇者と呼んでいる斎藤彩奈さんなら、上で保護していますから心配しなくても大丈夫ですわよ。もっとも、あなたがそれを報告するのはちょっと待っていただきたいのですけど」
カシューは部屋を出ようと握りしめていたノブをゆっくりと押し戻して、ドアを閉めた。
身に染みついた習性で、自分が寝泊まりする場所には必ずトラップを仕掛けてある。
不在のあいだに誰かがドアを開ければわかるよう、部屋の外側にはドア枠とドアをまたいで髪の毛を一本はりつけた。
何者かが内部に侵入して自分を待ちかまえていても察知できるよう、ドアの内側周辺には砂を撒き、足音が聞こえるようにもしてあった。
そして自分の魔眼だ。
カシューの魔眼は眼球に魔力を込めて物を見ることで発動し、魔力を察知する。
かすかに発光する程度しかわからないとはいえ、生きるものすべてが魔力を持つ以上、カシューの目から逃れられる人間はいないはずだった。
にもかかわらず、カシューはこの女の存在をまったく予測することができなかった。
トラップに接触した形跡はなく、魔眼を使っている今この瞬間も、女から魔力を感じとることができなかった。
「なんだかぞわぞわしますわね。レディに向ける視線じゃございませんわよ」
言葉とは裏腹に底意地の悪そうな笑顔をみせた女は、くわえた煙管に火をつけて悠々と煙を吸いこんだ。
カシューはそれを無視して目のまえの女を観察した。
白磁のように透きとおった肌に青い瞳。胸元まで伸びたブロンドヘアは、優美な曲線を描いて豊かな双丘を覆っていた。
名工の彫りあげた大理石像を思わせる均整の取れた肉体と美貌は、ともすれば人間味を感じさせないほどの硬い冷たさを感じさせたが、これまでつぶさに行動を見てきたカシューは、その印象が詐欺に近いほどの裏切りをもたらすことを知っていた。
断言してもいい。
パーティー四人のなかで、こいつがもっとも意地汚く、だらしなかった。
いずれにせよ、勇者一行の仲間である以上、カシューが危害を加えるわけにはいかない。
ため息をついたカシューは、壁際に設置されたベッドに腰かけた。
部屋に一脚だけ置かれていた椅子は、我が物顔で足を組む女によって占領されていたからだった。
「あんた、誰なんだ」
「人に名前を聞くときは、まずは自分からと習いませんでしたの。それが美しい女性ならなおさらですわ」
しゃべりながら大量の煙を吐き出すという下品な芸当をみせる女に、思いのほか腹が立った。
そっちが侵入してきたんだろう。
そう怒鳴りつけようとして口を開いたとき、機先を制するように女が立ちあがり近づいてきた。
「名乗る必要はありませんわ。かってに見ますから。ステータスオープン」
身構えたカシューの眼前に、重い風切り音をともなって半透明の板が浮かびあがった。
とっさにのけぞったカシューに向けて女が手を伸ばしてきた。
浮かんでいた板を掴み、煙管を口からぶら下げながら目を落とした。
「お名前はカシューさんですか。姓はなし。四十三歳、男性。見りゃわかるおっさんですわね。ご職業は……。へえ、スパイ。意外性がなさすぎて逆につまりませんわ。あら、魔眼持ちですの。それでぞわぞわしたんですのね。わたくしに魔眼を使っても、なにも見えなかったでしょう。ランクがちがいすぎますもの」
ひとりで話を進め納得する女に、カシューはおののいた。
「どういうことだ。おれになにをした」
「ステータスの開示請求を出しましたの。地上に降臨して権能のほとんどを手放したとはいえ、まだ天界に籍を置いておりますからね。この世界の人間の情報くらい、すぐに見せてくれますわ」
女に言うことはまったく理解できなかったが、カシューの耳はしっかりと単語を聞き分けていた。
「降臨……、天界……。おまえ、まさか」
左手で煙管を持ちあげた女が、右手を差しだしてきた。
「クラウディア・メルト・デイヴィスと申します。メルトとお呼びになってくださいな。さすがに創世神たる女神に対して、おまえ呼ばわりは不遜ですわ」




