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37 帰還


 嬉々として暴れまわっていたクラウスは、かすかに聞こえてきた女の笑い声に動きを止めた。

 首をめぐらし、後方の敵本陣からあがる珠をころがしたような声と、離れた場所からそれを見つめるガーウィンの姿を見出した。


 戦場を統べる女神は、勝敗が決したとき、敵味方の区別なくおのれを楽しませたものすべてを言祝(ことほ)ぐという。

 軽やかな笑い声が聞こえたということは、この戦場、どうやら彼女のお眼鏡にかなうものだったらしい。


 ガーウィン率いる騎馬隊が敢行した壁割りは、前線と後詰めの攻撃部隊を分断し、かなめの敵本陣は最小限の守り手だけを残して戦場の晒しものとなっている。

 ガーウィンが本陣に総攻撃を仕掛ける意思がない以上、こちらも攪乱の役割は終わったとみるべきだろう。


「潮時だな」


 呟いたクラウスは、最後の仕上げとばかりに大剣を振りまわして周囲に群がっていた敵兵をはじき飛ばした。

 四方ぽっかりと開いた空間のまんなかで、手にした剣を高々と天に突きあげ、力一杯息を吸いこんだ。

 すかさず、背後についていた味方ふたりが前後に展開して敵兵たちを牽制しつつ、器用に耳を塞いだ。


「おまえらっ、メシの時間だ! 道を開けろ!」


 至近距離から想像を絶する音波攻撃の直撃を食らったウルブリッツ兵たちがばたばたと倒れていくなか、前線のあちこちから似たような叫びがあがった。


「シェフがお呼びだ! 道をつくれ!」


「急げっ、食いっぱぐれるぞ! 道をつなげろ!」


 ときならぬ号令は、戦場を構成するすべてのものたちに届いたが、その反応は対極的だった。

 何ごとが起きるのかと動きを止めたウルブリッツ陣営に対し、ヴェルトバウム陣営は激烈な化学反応のごとき統制のとれた集団行動を発揮してみせた。


 敵本陣を中央にはさんで左右に展開していた盾兵たちが、形成していた壁を解除して離脱をはじめた。

 本陣に近いものから、立てていた大盾を横向きに抱え、混戦の続く前線へ向かって走り出す。

 両側面から駆け込んできた盾兵ふたりは、合流すると背中合わせとなって再度盾をかまえ、対面する敵兵を強引に押しのけていった。


 前線と分断されていたウルブリッツ軍の後詰め部隊の目のまえから、吸いこまれるようにして壁が消えていった。


 前線においては、前後左右の区別もない乱戦に翻弄されていたウルブリッツ兵たちの目のまえで、押し出されるようにして壁が形成されようとしていた。


 そして本陣で指揮を執るウルブリッツ軍の上級将校たちは、またたく間に広がっていく目のまえの空間を、なすすべもなく凝視していた。


「たしかに、これは道だな。敵の砦の城門まで一直線に続いているが、同時に我が本陣に向けても、遮ることなく一直線だ。どうするのだね。我々が打って出るのか? それとも、我々が討たれるのか?」


 言葉もなく立ち尽くしていた貴族たちに向け、ひとり豪華な装飾をほどこされた床几(しょうぎ)に腰掛けた女性が声をかけた。

 先ほどまで楽しげに笑い声をあげていた表情が幻のように消え、いまは氷のような美貌を気怠げに頬杖をついた顎にのせ、無関心ともいえる視線を戦場に向けていた。


 その言葉に我にかえった貴族のひとりが、うわずった声で叫びをあげた。


「な、なにをしている! 兵たちを前に出せっ。ノイタンツ将軍をお守りするのだ!」


 思い出したように騒然となった本陣のなか、自分たちの失態と恐怖を隠す出しにされた女は口のなかで小さく呟いた。


「なさけない」


 周囲に向けたものか、あるいはおのれに向けたものか。

 吐息に混ぜて吐き出されたささやきは、空虚な怒号の渦にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。


 前線では、内部にくまなく浸透していたヴェルトバウム軍の歩兵たちが、各班長のあげる集合の合図とともに走り出していた。

 駆けながら楔形陣形を組み、乱戦を切り崩しつつ突進していく。

 手にした武器を掲げて目印にしていたクラウスたち突撃要員と合流すると、二列縦隊をなして盾兵がつくる道の入り口へと向かった。


 直接、砦に帰還する途をとれば、立ち直った敵兵が全方位から城門に殺到することになる。

 さらには、盾兵たちを移動する橋頭堡として使った以上、もっとも危険にさらされる敵包囲のどまんなかで、攻撃手段を持たない彼らが孤立する可能性があった。

 最後にもう一度前線を切り裂き、後方に敵軍全体を引きつけながら、タイミングを合わせて歩兵と盾兵が同時に砦内部へと駆け込む。

 死にもの狂いで攻めるのは誰にでもできるが、安全を確保しつつ迅速に撤収するには、高度に統率された用兵技術と、それを可能にする兵員個人の身体能力が必要だった。


 ヴェルトバウム軍は困難な撤収戦を完璧に遂行してみせた。

 押し寄せる敵兵を蹴散らして飛び出してきた集団が、ウルブリッツ本陣前できびすを返し、盾兵のつくった道に駆け込んでいく。


 ガーウィンは少数の兵を率いて敵本陣を防衛する魔砲兵たちを牽制していた。

 盾兵によって発砲してきた銃弾を防ぎつつ、右から左からあらわれる味方兵に声をかけて攻撃させ、ひと当てだけさせて背後に逃がしていく。


 道の内部に駆け込んだ歩兵たちは最後尾にいる盾兵とともに砦の城門めがけて走り、駆け抜けた盾兵は道の先端にたどりつくとふたたび盾をかまえた。


 巨大な一個の軟体生物のごとく全軍行動をとるヴェルトバウム兵のなかにあって、ガーウィンは最後まで戦場にとどまっていた。

 流れるように移動していく盾兵の殿をつとめ、おのれの剣だけでは足りず、落ちていた槍や剣をひろっては斬りつけ、突き刺し、投げつけて押し寄せる敵の猛攻を防いだ。


 左右では、大盾をかまえた兵が小刻みな前進と後退をくりかえしながら敵兵を弾き飛ばしていた。

 それがバイコーンに乗って自分とともに突撃してきたふたりだと気づくと、ガーウィンは獰猛な笑みを浮かべた。


「まだいたのか、おまえたちっ。足元に気をつけろ。ころぶなよ!」


 荒い息の合間にそう怒鳴ると、吼えるような叫びがかえってきた。


「そこまで耄碌してねえ」


「おれらは盾もって歩いてるだけだ。ガーウィンこそ息切れしねえでくれよ」


 大盾のすきまから突きだされた魔式銃砲の先端がガーウィンの顔を向き、火を噴いた。


 ガーウィンは筒の奥深い底でかすかな炎が赤く灯ったのを見た瞬間、とっさに銃身をつかみ、押し上げた。


 銃口から押し出されたガスが筒先で外部の空気に触れると同時に発火し、閃光が視野を埋め尽くした。


 飛び出した銃弾が音速を突破し、拡散する空気の振動が個体となってガーウィンの顔面を打ち据えた。


 のけぞった頭部をかすめて銃弾が通過し、ガーウィンは斬りつけられたような熱をこめかみに感じた。


 ガーウィンは怒りのままに絶叫した。


「それはもういい」


 つかんだ魔砲をもぎとったガーウィンは撃った射手に向かって銃床を叩きつけると、昏倒したウルブリッツ兵の身体を押しのけて飛び出した。

 そして銃身を両手で握った魔砲を棍棒のように振りまわしはじめた。


「隊長が錯乱したぞ!」


「止めろっ。連れ戻せ!」


「あぶねえ! 駄目だっ、近寄れねえ!」


 周囲にいた盾兵や歩兵たちが必死に制するなか、ガーウィンは狂ったように暴れまわった。


 ガーウィンが我にかえったとき、周囲には倒れ伏したまま呻き声をあげる人体の山が築かれ、それを取り囲む恐れ(おのの)いた目をしたウルブリッツ兵たちの姿があった。

 左右をかためてともに殿をつとめていた味方を探せば、はるか彼方で規定どおり粛々と撤収戦の手はずを進めていた。


 ガーウィンはくの字に折れ曲がった魔式銃砲を放り捨てると、味方のもとへと走っていった。

 ウルブリッツ兵たちは立ちすくんだまま、追ってこようとはしなかった。


 殿に合流したガーウィンは、何食わぬ顔をして言った。


「すまん、不覚をとった。いまのうちに帰陣しよう」


 再会した大盾兵たちは、顔を逸らして目を合わせず、もごもごと口を動かした。


「お、おう」


 ガーウィンが砦に入ると、滑車の軋み音を響かせながら城門が閉じていった。


 班長による点呼がおこなわれ、小隊ごとに戦闘概況がまとめられたのち、手の空いたものから個人作業に戻っていく。

 騎馬兵たちは裸馬となったあとかってに帰ってきていたスレイプニールたちを労うため厩舎へ向かい、盾兵や歩兵たちははずした装備品の手入れをはじめた。


 ガーウィンが愛馬のバイコーンに挨拶をするため厩舎に向かおうとすると、待ちかまえていた副長が声をかけてきた。

 すでに待機時の服装となっていた副長はフェイスガードもはずし、隻眼の素顔を晒していた。

 失われた眼窩には黒い眼帯をつけているが、口の周囲に豊かに繁った口髭は深い傷によって毛根が失われたことをしめす切れ目が入り、刈り込んだ髪から突きだした耳朶にはいくつも亀裂ができていた。


「ごくろうだった。損害状況の報告を」


 ガーウィンが歩みを止めることなく声をかけると、副長がとなりに並んだ。


「軽傷者多数なれども総員健在。一番の重傷者は、三度撃たれた隊長ですな」


 ガーウィンは苦笑を漏らした。


「自分の歳が身にしみたよ」


「あの距離で撃たれておきながら避けたあげく、その後のキレちらかしよう。若いもんたちのほうが逃げ惑っていたではないですか」


 冗談ともつかない口調で返してきた副長に、ガーウィンはうつむいてため息をついてみせた。


「クラウスたちは?」


「留守居を頼んでいた木樵(きこり)連中から、近所に新しく発見されたダンジョンの話を聞いたらしく、いつもの四人を連れて出ていきました。なんでも、バジリスクが多く棲息しているとか」


「あいつら……。厳戒警備態勢の意味を理解しているのか」


 奔放なクラウスたちの行動にあきれと羨ましさをおぼえていると、立ち止まった副長が背後から問いかけてきた。


「やはり、このあとは籠城ですか」


 足を止めたガーウィンが振り向いた。


「ああ。もともと我々の役目は、この地で戦線を膠着させ、敵の大軍をできるだけ長く足止めすることにある。とはいえ、連中からすればとるに足らんちっぽけな要塞だ。最初から籠城しては、相手にするだけ無駄だと迂回戦術をとられてしまう。どうしても、ひと当てして無視できない強敵だと知らしめる必要があった」


 ガーウィンは敵の本陣で目にした総大将の女性を思い出した。

 あの強い目つきと、あの状況下で心の底から笑ってみせた豪胆さ。

 年甲斐もなく、いい女だったと思った。


「現在、各国境線に分散配置されている我々の全軍を結集させれば、侵攻してくるウルブリッツ軍を全方面において各個撃破することは、十分に可能だと思われます。どうしても、籠城戦略をとらなければいけないでしょうか」


 副長の硬い声音のなかに、隠そうとして隠しきれない懇願の色彩が含まれていることを、ガーウィンは感じとった。

 ものごころついて以来、軍人として戦いのなかで生きてきた人間からすれば、勝てる見込みのある相手をまえにして戦いを挑まない選択は、おのれの存在を否定されるも同義なのかもしれなかった。

 ガーウィンのなかにも、同様に考える自分がたしかにいた。


「おまえの言うとおり、我々の軍人としての能力は、ウルブリッツ軍に引けをとるものでは決してない。だが、我々が各個撃破するため転戦しているあいだに、数において勝るウルブリッツ兵たちは国土奥深くまで侵攻し、戦うすべを持たない国民を苦しめるだろう。かつての我々の目的は世界樹を守ることだった。だが、いまはちがう。世界樹の加護を求めて集まった、すべての民の安寧を守ること。それが我々の存在理由だ」


 ガーウィンの言葉に、副長は口を閉じたまま顔を上げた。

 隻眼の視線がガーウィンの身体を貫き、背後で天に向かって(そび)える巨木に向けられていた。


「たとえ、世界樹が失われようとも、ですか」


「そうだ。我らがヴェルトバウムは、新たな成長の段階を迎えることになる」


 つかのま、ふたりは黙ったまま世界樹を見上げていた。


 さきに口を開いたのはガーウィンだった。


「バジリスクか。蒲焼きと肝吸いかな」


「いいですな。ひさしぶりに一杯やりますか」


 ひとつだけ残った瞳を細めた副長の顔に、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「クラウスのやつ、おれたちのぶんまで仕留めてくるだろうか」


「大丈夫でしょう。うちの料理長は、食うものにかけてはいつも全力ですから」


「たしかに。出会った頃からそうだった」


「腐れ縁ですな。今晩は三人で飲みましょう」


 ガーウィンの耳に、待ちくたびれたバイコーンが放つ不機嫌な鼻息の音が届いてきた。


 副長の肩を軽く叩いて別れを告げると、ガーウィンは愛馬の機嫌をとるため、厩舎へと足を速めた。



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