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32 世界樹の森・ゴート境界砦望楼


これより最終章。



 砦に設けられた望楼(ぼうろう)の上に立ち、ガーウィンは眼前に広がった敵軍の群れを睨みつけていた。


 門前よりウルブリッツ王国へとつながる街道周辺の木はすべて伐採され、一面が開けた荒れ地へと成り果てている。

 敵はみずからが作りだした面積いっぱいに布陣し、城砦攻めの準備を完了していた。


 さかのぼること三十五年前。

 あのとき望んだ光景が、いま目のまえにある。


 突如としてなだれ込んできたデルモンド兵と味方であるはずのアルカード兵の戦いに巻きこまれ、警護していた軍事倉庫の守備もなげうって住民を逃がすことに奔走した記憶。

 救援を求める報を飛ばしたあと、隊列をなしてやってくるものと信じていた味方の姿を探して、あのときもガーウィンはこの望楼で目を凝らしていた。


 遠い過去に追いやったはずの自分の姿が、まざまざと瞼の裏に浮かんでくる。

 待てど暮らせど救援はあらわれず、かわりにやってきたのは薄汚れた冒険者の男女ふたりづれだった。


 ふいに感傷的になっているおのれに気づき、思わず苦笑が漏れた。

 三十五年という月日は、あのとき見たかった光景に対称的な意味を与えていた。

 いまのガーウィンにとって、ウルブリッツ王国軍は安寧をもたらしてくれる守護神ではない。

 安住の地たる祖国を侵略しようと大軍をもって進んでくる敵の威容は、偵察隊の隊長を務めるガーウィンにとってもっとも見たくない光景だった。


「あんだけの敵さんをまえにして笑ってられるってんだから、さすがは元将軍さまだ。腹の据わり方がちがうな」


 望楼へと登ってくる梯子からひょっこりと伸びあがった顔が口を開いた。

 老齢をしめす皺の多い手が手すりをつかみ、全身が姿をあらわす。

 いまだはち切れんばかりに筋肉の詰まった巨体からは想像もできないほど、身軽な動作だった。


「クラウスか。天下に鳴り響くウルブリッツの魔甲師団をまえに、七十過ぎのロートルばかりをかき集めた部隊でなにをできるかと考えてな。笑うしかないさ」


「おれはまた、古巣の晴れの舞台を見て里心でもついたのかと思ったぜ」


 となりに立ったクラウスが尻のポケットからスキットルを取り出し、ひとくち(あお)った。

 濃厚な蒸留酒の香りがガーウィンの鼻先まで漂ってきた。


 原料となる大麦を世界樹の葉で(いぶ)して熟成させたウイスキーは、ヴェルトバウム王国の名産として隣国ウルブリッツでも高値で取引されている。

 名称もそのままヴェルトバウムウイスキーで、ウルブリッツ王室御用達(ごようたし)の肩書きを持つ蒸留所も存在していた。

 にもかかわらず、ウルブリッツ王国はヴェルトバウムを独立国家として承認していない。

 ヴェルトバウム建国後二十年以上を経たいまも、公式文書などで言及するさい、国土に関してはウルブリッツ王国ローゼンハイム領およびデルモンド地方という長々しい呼称が用いられ、そこに暮らす国民にいたっては不法占拠をつづける独立勢力などと不名誉な記載をされている。


 ウルブリッツ王国以外の諸外国ではどうかというと、いちおう国扱いはされているが、こちらもまたヴェルトバウムという名称が浸透しているとはいいがたい。

 もっとも、それに関しては政治的利害とは異なる事情があった。


 世界樹の加護を受けた魔族が国王をつとめ、国民の人種形成にもヒトならざる容姿をもつ魔族が一定比率含まれるヴェルトバウムは、街を歩けばそこらじゅうでラミアだのアラクネだのが闊歩し、頭上を見上げればハーピーやフェアリーがはばたいている。

 酒場ではエルフと獣人が同じ皿から(さかな)をつついて酒を酌み交わし、鍛冶場をのぞけばドワーフとノームが向こう()ちを張っていたりする。

 そのインパクトの強さから、いつしかついた通り名が魔王国。

 国民たちも、純血ヒューマン至上主義を掲げるウルブリッツへの意趣返しとばかりに魔王国の住人を自称したものだから、すっかりそちらが定着してしまった。


 ウルブリッツ王国に生まれ育ち、かつては王国の正規軍人として糧を得ていたガーウィンにしても、いまとなってはヴェルトバウム国民としての自覚のほうが勝っていた。


 故郷に絶望したなどという強烈な感情からではない。

 幻滅や諦念は数え切れないほど味わってきたが、そんなものはおのれが帰属する国家や組織の区別なく、人生についてまわる問題だとわかってもいた。


 おれはただ、自分を必要としてくれそうな場所に流れていっただけだ。


「三十五年か。あれから」


 脳裏に浮かんだ感慨が、そのまま言葉として聞こえてきた。

 顔を向けると、ぽつりと呟いたクラウスが照れを隠すようにスキットルを押しつけてきた。


 受け取ったガーウィンはなめるようにして口をしめらせ、深く息を吸いこんだ。

 濃厚な森の香りが胸いっぱいに広がり、全身の血液が集中したように臓腑が熱く動きはじめたのがわかった。


 前回、この砦に避難してきたとき、守備隊隊長の地位にあったガーウィンは三十六歳だった。

 軍属の専属料理人として随行していたクラウスは当時三十九歳。


 いまではお互い七十をすぎ、それなりに老いた。

 栗毛だったガーウィンの髪はすべて白く染まり、クラウスの顔には途切れることのない深い皺が刻まれている。

 だが、その目から放たれる光と確固とした骨格に裏打ちされた体躯の動きを見れば、二人を老人と侮る者はいないだろう。


 魔力による身体強化が存在するこの世界では、単なる人間であってもその寿命は長く、加齢による肉体の衰弱は遅い。

 病気や負傷による障害を受けることなく生活していれば、九十を超えて畑を耕す老人などざらにいる。

 それを考慮にいれたとしても、両者の身から溢れる覇気は常識の枠を越えていた。


 二人だけではない。

 ガーウィンのもとに集まったかつての戦友たち。

 世界樹の守護を名目にウルブリッツ王国を出奔して以来、みずからの新たな祖国の建国と防衛に戦いつづけた元守備隊隊員。

 すなわちヴェルトバウム王国国防軍第一期構成員として生き残った者たちのすべてが、往時と変わらぬ精強な肉体を維持していた。


 正確な理由はわからない。

 だが、その恩恵を受けた者は、誰もが世界樹の加護であることを理解していた。

 世界樹を護る者は、いつしか世界樹とともにある者を護る力が宿る。

 だからこそヴェルトバウムという国は成立し、同時に世界樹を狙う者はあとをたたない。


「ああ。まだたったの三十五年だ」


 力のこもった声音に、クラウスが眉を上げてガーウィンを見た。


「世界樹が降臨して三十五年。我々が建国を宣言したのは、さらに十年後だ。この短期間で、ヴェルトバウムは大国ウルブリッツが無視できない存在にまで大きくなった。さらに大きくなるか、それとも叩き潰されるか。ここが正念場だ」


 整列する敵軍から、はじけるような破裂音が散発的に響いた。


 わずかに首を傾けたガーウィンの耳元で擦過音が通り過ぎ、クラウスは瞬時に腰から抜いた肉切り包丁で飛来した(つぶて)をはじいて受け止めていた。


 敵陣後列の一角からかすかに立ちのぼる煙が見えた。

 追撃はない。


 クラウスが左のてのひらを開き、握っていたものをころがしてみせた。


(やじり)、にしちゃ小さすぎるな。速度も矢と比べたら段ちがいだ」


「魔式銃砲というらしい。粉末状に砕いた魔石を細長い筒のなかで爆発させて、椎の実型の弾丸を発射する武器だ。ウルブリッツの新兵器だよ。放出型攻撃魔法を持たない者でも遠距離を攻撃できるうえ、弾丸に魔方陣をしこめば属性ダメージを与えられる」


「すげえな。あっというまに魔法兵が量産できちまうじゃねえか」


 もっとも、当たったところでたいして傷つくとも思えねえがな。クラウスはそう言うと弾丸を指でつまんでみせた。

 たいして力を入れたようにも思えないのに、円錐状の金属塊が(まり)のようにひしゃげた。


「恐れるべきは物量だよ。叩けば簡単に殺せるような鼠であっても、全身を噛まれつづければいずれは死にいたる。それに、こいつは弓矢のように熟練の技術を必要とするわけではない。狙いをつけて魔力をこめれば一直線に飛んでいく。なにより、恐怖心を押し殺して敵の眼前で剣を振りかぶる精神力もいらない。昨日連れてきた農民だって、明日には立派な戦闘員だ」


 言ったガーウィンの表情が、思案に沈んだ。

 顎に手をやり視線がつかのまさまよったあと、静かに、恐怖心か、と呟いた。


「クラウス。さきほど煙があがった場所にいる連中、見えるか。悟られないよう、それとなく観察してみてくれ」


 胸を張ったクラウスが眼下を睨みつけるようにして腕を組んだ。

 どちらが大将かわからぬほどの偉丈夫ぶりに、ガーウィンの口元に苦笑が浮かぶ。


「魔式銃砲だったか。寸足らずの槍みたいなもん掲げてヘラヘラしてるやつらがいる。ありゃ貴族の士官だな。本陣から伝令づてに文句いわれてやがるが、聞く耳もたねえってようすだ。アホだな」


 顔を動かさず瞳だけを動かしたクラウスが、重々しい表情に見あわぬ軽い口調で伝えた。


「正面の本陣から見て右翼後方。指揮官クラスでそのざまか。思ったとおり、統率がとれておらんな」


「おもちゃが当たるか試してみたくてしょうがねえんだろうな。ガキの遊びじゃあるめえに」


「それがいまの戦場だよ。斬った張ったの覚悟なんてものは時代遅れなんだ」


「くそったれだぜ」


「ああ、くそったれだ。だからクラウス、あの若造どもに、私たちロートルの闘いかたってものを見せつけてやろうじゃないか」


 うんざりと吐き捨てたクラウスとは裏腹に、ガーウィンの口元には凄絶ともいえる笑みが浮かんでいた。




 完結に向けてラストスパートをかけていきたいと意気込んでおりますが、筆の進み具合はあいかわらず亀のごとき様相を呈しております。

 執筆ペースだけなら文豪クラス。

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