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29 地表が近い


 勢いのままに飛び出したせいで、身体が縦横無尽に回転した。


 視界が定まらず、頭がどこを向いているのかわからない。

 手足を大きく広げ、全身で風を浴びて体勢を安定させることで、ようやく下がどちらなのかわかった。


 ゴートより照射されている光の柱から、かなり離れた場所を落下していた。

 なんとかして滑空していく必要があった。


 目を凝らし、自分の直下、くるくるとまわりながら落ちていく女王蟻を発見した。

 すでにだいぶ距離をあけられている。


 腕を胴体に沿わせて足を閉じ、頭を下げた。

 耳元で轟く風の音が、張りつめた叫び声のように甲高くなった。


 女王はあらゆる抵抗を諦めたように落ちるがままになっていた。

 翅が風をはらんでいるのだろう。

 速度はそれほど出ていない。


 身体をくねらせながら位置を調整し、矢のような速さで女王蟻の至近まで降下した。

 激突する寸前、手足を開いて減速し、そのまま女王を抱きとめるように捕捉した。


 弛緩していた女王が、息を吹き返したように激しく足掻いた。

 安定していた体勢が再び無軌道な回転をはじめ、四方八方から吹きつけてくる風が掴んだ腕を吹き飛ばそうとする。


 バチバチと跳ねる触覚を引きちぎらんばかりに握りしめた。

 痛みを感じたのか、女王蟻は顎を噛み鳴らせて抗議の悲鳴を上げた。


 触覚を手綱がわりにして馬乗りの姿勢になった。

 ぐるぐるとまわる視野に耐えながら女王の全身を観察すると、首筋の真下、両の肩に生えた翅の中心に、トレントが貫いた穴が開いていた。


 私は右腕を振り上げると、躊躇することなく女王の体内に肩まで突っ込んだ。

 強引に押し広げられた傷口から黄土色の粘液が噴き出し、激しい飛沫となって私の全身を打ちつける。

 かまわず肘を左右にねじり、ペースト状の内臓をかきまわした。


 蟲の心臓である背脈管を避け、神経索をかき分けて手のひらを広げると、探していた魔核の感触が指先に当たった。

 こぶし大のそれを握り、一気に私自身の魔力を流し込んだ。

 瞬間、残った女王蟻の半身が大きく痙攣した。

 触覚と節足がぴんと張りつめ、限界まで拡張された顎から鼓膜を震わせる咆哮が放たれた。


 魔核を通じて女王の身体を乗っ取った私は、風に煽られてバタバタとはためいていた二対の翅を大きく広げた。

 同時に掴んでいた触覚を思い切り引っぱり、女王の頭がほぼ天を向くまで引き寄せた。

 急激な減速がかかり、無理な圧力に襲われた女王の下半身から、ちぎれたはらわたが押し出されて長い尻尾のように風に流れるのが見えた。


 水平姿勢を取り戻したところで方向転換するために広げた翅を羽ばたかせると、ガラスの割れるような音とともに、四枚あった翅の一枚が砕け散った。

 かろうじて意識は残っていたものの、女王の肉体はほとんど死んでいたのだろう。

 外骨格や皮膜部分が急速に壊死し、脆化しつつあった。


 ぐらついた体勢を立て直し、風を読んだ。

 わずかな気流を頼りに、ゴートへと向かって螺旋状に大きく旋回して降りていく。


 高度が下がるにしたがい、眼下の森の様子がわかってきた。

 絨毯のように広がる木々が一点に収斂するように波打っている。

 本来であれば魔の森の深部で蠢いている魔物たちが、猛烈な勢いで屹立する光の柱へと向かっていく波だった。

 それが第二波第三波ととどまることなく押し寄せている。


 魔物たちの目的が新たに穿たれた龍脈の噴出孔であるのは間違いないだろう。

 近隣に存在していた魔物は、すでにゴートの敷地内部に侵入しているはずだ。


 日頃、冒険者たちが難なく倒しているゴブリンや角ウサギであっても、視界を埋め尽くすほどの大きな集団となれば、なすすべもなく蹂躙されるしかない。

 ゴート市街に展開しているはずのアルカード、デルモンド両家の軍がどこまで耐えきれるか。

 強固な防御陣地を形成していることを祈るしかなかった。


 地表が近い。

 大地は丸みを失い、地平線を浮き上がらせていた曙光の輝きは消え、眼下は再び黎明間際の濃厚な闇に包まれている。


 ゴートの子細な様子が見えてきた。


 魔の森の開拓地として切り拓かれ防御壁に囲まれた狭い旧村落と、大規模なミスリル鉱床が発見されたのちに集積地として開発された新市街地。


 砦にいた駐留軍隊長に聞いたとおり、新市街地はひどい有様だった。

 戦闘と延焼によって倒壊した家屋。

 瓦礫の山を乱雑に積み上げて作ったとおぼしき橋頭堡がいたるところに残っており、無軌道な戦闘が長く続いたことを思わせた。


 かつてそこで戦っていたはずの人々の姿はない。

 かわりに往来を占拠しているのは雑多な魔物たちだった。

 ゴブリンやオークが誰はばかることなく建物に出入りし、通りや路地を四つ足の魔獣たちが走りまわっている。


 旧村落に目を向ければ、わずかな篝火のもと、防御壁の内側にへばりつくようにして外をうかがう人々の姿があった。

 東西に作られたふたつの門を監視するように陣を組み、それぞれ百は下らない人間が整列して魔物の襲来に備えていた。


 門前を十字砲火するよう設置された大型のバリスタ。

 壁上の回廊には幾張りもの強弓が固定され、斥候を兼ねた引き手たちが暗がりに身じろぎもせず待機していた。


 あれらの大型武器は冒険者ギルドの武器庫に眠っていたものだろう。

 だが、それを扱う彼らは冒険者ではない。

 軍人だ。

 それも、全体の練度から見て襲撃してきた側であるデルモンド兵を主体とした集団であるように思えた。


 旧村落の中心に位置する冒険者ギルドの周囲には本陣が置かれ、ひっきりなしに伝令が行き来している。


 光の柱は防御壁の外側に沿うように造られた建物の屋根から屹立していた。

 なにひとつ装飾がない、ただ箱を巨大にしただけの、まさしく倉庫としか呼びようのない建造物だった。


 龍脈が噴出した際の衝撃で天井部分が吹き飛んだのか、屋根が骨組みだけになっており、光に照らされた内部がよく見える。

 床一面に描かれた異様な紋様は、複雑に編み込まれた魔方陣だろう。

 その中心を刳りぬくようにして穿たれた、地の底まで続く穴。

 そこから、太い光が拡散することなく一直線に天へと向かって放たれている。

 まるで大地の叫びだった。


 女王の身体を操って光の柱へ近づいていくと、遠目に感じていたような透明感のある均一な光ではないことがわかった。

 むしろ、手を伸ばせば触れられそうな質感に満ちた、幾条もの炎が縒り合わさってのたうちまわっているようにも見える、気味の悪い発光体だった。


 ギルドマスターであるギリアムとエレノアの二人がどこにいるか考えた。

 親方とともに避難することを拒み、わざわざ騒動の渦中に残ったのだ。

 災禍の中心地点にいるのはまちがいない。


 順当に考えれば要塞化された冒険者ギルド支部に居座るだろうが、見たところギルドの建物は軍人たちによって完全に掌握されており、彼らの最終防衛拠点として機能しているようだった。

 つまり、いまあの場に立てこもっている軍人たちの目的は生き残ることであり、龍脈とダンジョンコアの奪取ではない。

 あたりまえだろう。

 玉砕前提で突っ込んできたのでもないかぎり、死んではどうにもならないのだ。


 ギリアムの目的は違う。

 彼の目的は王家の片棒を担いだ、勇者をダンジョンマスターとするダンジョン生成計画の完遂のはずだ。

 本来であれば勇者の到着に合わせて龍脈を開通させ、力を回復させたコアを用いてダンジョンを創り出すつもりだったのだろうが、実際にはアルカード家の介入によってタイミングが狂い、勇者不在のままにダンジョンコアだけが暴走しているのが現状だった。


 無論、細かな過程や当事者たちの心算など私にはわかるよしもない。

 だが、ギリアムならば目のまえの現実から目を逸らさないはずだという確信があった。

 魔の森全域の龍脈が崩壊し、すべてが跡形もなく吹き飛ぶ寸前まで、事態を打開する可能性を模索し続けるだろう。

 私の知るギルドマスターとは、そういう人間だった。


 あの光の柱の根元。

 そこにギリアムとエレノアはいる。

 ならば私の行くべき場所もそこだ。


 もうひと巻きも旋回すれば大地に到達しようかというとき、森の一角が突如として爆発した。

 遠目にも巨木とわかる豊かな梢が、へし折れた勢いのままにぐるぐると回転しながら宙高く舞い上がるのが見えた。


 ついに龍脈の崩壊がはじまったかと身を固くして待ちかまえたが、次にやってきたのは爆発音ではなく、歓喜とも怒りともつかぬ魔物の咆哮だった。


 闇を突き破って響き渡った叫びにパニックを誘起されたのか、森周辺にいた鳥たちが一斉に飛び立った。


 躱す隙もなく突っ込んでくる鳥たちによって女王の身体が激しく揺れ、羽ばたく翼で視界が埋め尽くされた。


 見えずともわかる。

 あの声を聞き(たが)えることはない。

 オーガとの決着はまだ着いていないということだった。



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