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27 目のまえに広がる光景をひと目見ただけで、ここを突破するのは不可能だとわかった


 目のまえに広がる光景をひと目見ただけで、ここを突破するのは不可能だとわかった。


 (つぼみ)のように枝にとりついた蛹は足の踏み場もなく、上下左右に広がる樹冠はすべて羽蟻に覆われている。

 遠目には生い茂った梢のように見えていた枝振りがすべて生まれたばかりの蟻の群れだとすれば、確実に万単位は越える。


 羽蟻たちは針のように鋭い口吻を枝に突き刺し、龍脈をたっぷりと吸い上げた樹液を啜ってはバチバチと翅をこすりあわせていた。


 近づいてみると、付近にいた蟻の動きが一斉に止まった。

 下にいた成虫たちとちがい、明らかに私を警戒の対象としているようだった。


 下に戻るべきかどうか考えていると、ひときわ大きく足元が揺れた。

 太い幹を中心とした振動が、さざ波が広がるようにして枝の先端まで伝播していく。

 波に乗った蟻が、揺れる狭間の一瞬だけ腹を光らせ、翅を鳴らした。

 まるで遠ざかっていく潮騒(しおさい)のようだと思いながら、流れていく光を見つめた。


 振動の源はトレントの吸い上げる龍脈によるものだろう。

 複雑に絡み合って天空に腕を広げた枝が、中心から外縁に向かって放電するかのごとく輝き、陽炎(かげろう)を立たせて周囲の風景を揺らめかせている。

 醜悪な蟲が起こした現象とは思えない、幻想的な光景だった。


 放心したように眺めているうち、気づいた。

 発光する蟻たちを透かし見た向こうの景色が陽炎によって歪んでいるということは、蟻の周囲だけが高温になっているということだった。

 そして光るたび、飛び立つわけでもないのに翅を激しく動かすのは、放熱と冷却のためだとすれば納得がいく。

 腹が光ることから見ても、発光の原因が龍脈の摂取によるものなのは、疑問の余地もないだろう。


 つまり、この羽蟻たちは龍脈という高活力物質を養分として取り込む一方で、その肉体の限界値ぎりぎりの発熱に見舞われているということになる。


 それが蟻の魔物としての元から持つ生態なのか、それとも龍脈を得たことによる激烈な変異の代償なのかはわからない。

 いずれにせよ、龍脈によって生まれたのであれば、龍脈によって殺すだけだった。


 ベルトにつけたポーチから、結晶を取り出した。ダンジョンコアの設置された目的地まで使うつもりはなかったが、ほかに龍脈の導体として使えるものがない以上、しかたなかった。


 膝をつき、枝に手を当ててタイミングをはかった。

 絶え間なく続く微細な振動の彼方、吸い上げた龍脈をトレントの全身に送り込むための脈動が、塊となって近づいてくる。


 足元にまで揺れが到達した瞬間、握りしめた結晶を振り下ろした。


 樹皮を突き抜け、龍脈に直接触れた結晶から、まるで落雷でも打ち込んだかのような衝撃が伝わってきた。


 急いで結晶を引き抜いた。

 トレントに突き刺さっていた部分から、糸のように細い突起物が幾本も飛び出していた。

 神経網のように枝分かれしながら長く伸びた突起は、外気に触れるとぱきぱきと音を立てて硬質化していき、抜け落ちると霜が砕けるようにして消滅していった。


 足元で脈打つ振動が、はっきりと跳ねるような揺れに変わっていた。

 トレントの全体が内圧の高まりによって急激に膨張している。

 張りつめた樹皮がばりばりと音を立ててひび割れ、奥にある形成層が龍脈によって輝いているのが見えた。


 突如としてトレントが咆哮を上げた。

 全身を縛る枷を振り払うかのごとく身をよじり、節を作って折れ曲がっていた枝の束が、一本の棒のように張りつめた。

 樹皮は鱗状に割れて幹に張りつき、露出したトレントの肉が強烈な閃光を放った。


 枝にしがみついていた蟻たちが、いきなり燃えあがった。

 蛹が次々と破裂し、内部から飛び散った粘液状の物質が炎に触れてさらに周囲を引火させていく。


 蟻はよく燃えた。

 燃えすぎたともいえる。

 まさか発火するとは思っていなかった。

 高温で体内から蒸し焼きにして退治できないものかと考えていた私は、一瞬で業火に包まれた樹上でひとり慌てふためいた。


 炎上した羽蟻の死骸が花びらのように降りそそぐなか、なりふりかまわず枝から飛び降りた。

 着地するまでのわずかなあいだに地上を垣間見ると、地面が波打つように黒光りする蟻の大群が逃げ惑っているのが見えた。


 体勢を整える余裕もなく、蟻たちの真上に落下した。

 押しつぶされた何匹かの蟻が身体の下でもがいていたが、ほかの蟻たちはまったく注意を向けることなく広間にいくつかある横穴へと殺到していた。


 火の手は地上でもあがっていた。

 落ちてきた紅蓮の塊が下敷きとなった蟻を巻きこんで燃えあがり、全身に炎をまとった蟻が狂ったように走りまわることでさらに炎上を拡大させていた。


 幹の内部に固定された女王蟻が、燃えるトレントから逃れようと左右に身をよじって暴れていた。

 巨大な産卵嚢は炎にあぶられて破け、亀裂から溢れた白い粘液があっという間に泡だって凝固していった。


 全身に風を感じた。

 四方から吹きつける熱風が渦を巻いて空へと駆け抜けていく。

 地を舐めるように燃え広がっていた炎が、風に吸い込まれて尖塔のように細く高く突き立っていた。

 巨大な煙突状に築かれた女王の広間内部で、強烈な上昇気流が発生しようとしていた。


 逃げる場所はどこにもなかった。

 支道へとつながる横穴からは絶え間なく強い風が吹き込み、外へ出ようとする蟻たちを押し戻していた。


 もがいていた女王蟻の口から、金属を擦りあわせたような悲鳴が響いた。

 何事かと見上げれば、産卵嚢を這い上っていった兵隊蟻たちが、女王蟻の胸と腹の接合部を食いちぎっているところだった。


 一瞬、共食いがはじまったのかと思ったが、その後に起きた女王蟻の肉体の変化は劇的だった。


 胸に小さく突起のように生えていた三対の脚がずるずると伸びて展開されていき、強靱な甲殻を持つ巨大な節足があらわれた。

 その脚で幹を掴んで肉体を固定すると、尻を引き抜くようにして産卵嚢を引きちぎった。

 かわりにあらわれたのは、わずかに膨らんだ紡錘形の腹と、その先端から伸びる鞭のように細長くしなる管だった。


 女王は六本の脚を不規則に蠢かしながら身をよじり、幹と癒着していた背面部分を剥がしていった。

 背中があらわになるにつれ、肩口に盛りあがっていた突起がほぐれるように広がって二対の翅を形成した。

 樹上にいた羽蟻たちの丸い翅とは異なる、刃物のように長く鋭利な翅だった。


 おそらく、あれが女王蟻の本来の姿なのだろう。

 身体の全長を上まわる脚の長さと細長い全身のシルエットは、蟻というよりも(いなご)を思わせ、広げた翅は蜻蛉(とんぼ)にも似ていた。


 女王蟻の変態にも驚いたが、私が目を奪われたのは女王蟻が収まっていた幹の洞だった。


 女王蟻が全身の自由を取り戻したいま、その場所に赤子ほどの大きさの発光する珠が見えた。

 トレントの魔石だった。

 女王蟻は木の洞に収まっていたわけではない。

 あの魔石に寄生していたのだ。

 魔石を身に取り込み、トレントを生かさず殺さず操ることで龍脈の養分を搾取していたのだろう。


 女王蟻による束縛の(くびき)から解き放たれたとき、トレントがなにをするか。

 想像するまでもなかった。


 床を埋め尽くしていた蟻の群れが、突然炸裂した。

 跳ね上げられた衝撃で蟻たちの身体がバラバラに千切れ、四方へと吹き飛んでいく。


 足元に隆起を感じた瞬間、私は横ざまに身を投げ、トレントの幹にしがみついた。

 周囲にいた蟻が四散し、地中からひと抱えほどもある木の根が土を巻き上げながら次々とあらわれた。


 女王蟻が撓ませた脚を勢いよく伸ばして跳躍した。

 空中で背中の翅を大きく広げ、さらに上空へと羽ばたいていく。


 上昇気流を捉えた女王蟻が引き寄せられるように高度を上げたとき、幾本ものトレントの枝がその身を貫いた。

 もがくひますら与えられずに女王の身が引き裂かれた。


 トレントの怒りはおさまることなく、根と枝による乱舞が広間をなぎ払った。

 あれほど大量にひしめいていた蟻たちが、またたくうちに動かぬ残骸となって散らばっていった。


 私は荒れ狂う暴力の唸りを背中に感じながら、唯一トレントの攻撃の手が届かない幹を必死に登った。

 目指すはトレントの魔石だった。


 間近に見る魔石は、かつて目にしたどのトレントの魔石よりも大きなものだった。

 年経たエルダートレントと龍脈の邂逅。

 奇跡のような偶然が、あの女王蟻を産みだしたのかもしれなかった。


 魔石はガタガタと振動しながら刻々と輝きを増していた。

 明らかに限界を超えた魔力を注ぎこまれ、崩壊寸前になっている。

 放っておいたところで、いずれ魔石が割れ、同時にトレントもしなびて死んでいくだろう。

 いわば、いまのトレントの狂乱は蝋燭の最後の輝きのようなものだった。


 蟻たちの死骸という可燃物質が散乱した広間は全域が炎上している。

 私の肉体が燃え上がるのも時間の問題だろう。


 肉体が焼けたところで、自分が死ぬかどうかはわからない。

 そもそも、呼吸することすらままならない高温のなか、さしたる苦労も感じずに動きまわれること自体に異常を感じるべきなのだろう。

 だからといって、この蟻の巣に閉じ込められたまま鎮火を待つわけにもいかなかった。


 私はすでに人ではない。

 自分がどういう力によって生きているのか、私自身、すでにわからなくなっていた。

 死ぬ方法もわからない。

 生命の(ことわり)の範疇から外れたという意味ならば、生物ですらないのかもしれない。

 だが、わかることもある。

 私は要するに私なのだ。

 故郷へ帰りたい。大切な人々に会いたい。

 その思いだけが、いまの自分のよって立つ立脚点となっている。

 こんな業火に包まれて埋もれてゆくわけにはいかなかった。


 いま、トレントは大量の龍脈を吸い上げている。

 それを制御しているのはこの魔石だ。

 つまり、魔石が失われれば行き場を失った龍脈が一気に噴出することになる。

 過剰供給程度ですら蟻たちを燃え上がらせたトレントが、どこまで龍脈の力を受け止められるかはわからない。

 その身が爆発する程度ですめばいいが、最悪、この一帯の土地もろとも吹き飛ぶかもしれない。

 巻きこまれた私の肉体がどうなるか。

 分の悪い賭けではあったが、ほかに方法を思いつかなかった。

 

 なにが起きても対処だけはできるよう集中し、握りしめた拳を叩きつけた。

 動物性の魔物が持つ鉱石めいた魔石とは異なる、金属質な感触が伝わってきた。

 硬い。

 そして痛い。


 二度三度と打ち据えたときには、我を見失って見境がなくなっていた。

 拳をハンマーのようにして振り下ろし、間髪入れずに肘を入れた。

 腰の捻りを加えて膝で打ち抜き、体重と全身の勢いをつけて踵を落とした。


 一向に砕けない魔石と格闘している最中にも、周囲の温度は猛烈な勢いで上がり続けた。

 身につけていた外套がカラカラに乾き、縮んだ繊維がごわごわと強張った感触に変化していく。

 ブスブスと燻る音と焦臭いにおいが鼻先に漂ってきた瞬間、外套が発火した。


 全身を火に包まれた私は、やぶれかぶれで魔石を両手で掴み、額からぶつかっていった。


 強烈な衝撃に一瞬意識が飛んだ。

 なにかがひび割れるぱきりという小さな音が頭のなかで響き、私はまちがいなく自分の頭が割れたと思った。


 トレントが全身から目も眩むばかりの光を放ち、一拍遅れてけたたましい叫びをあげた。

 しがみついていた幹が激しく縦揺れを起こし、根元から大量の白煙が吐き出されてあっという間に周囲を埋め尽くした。


 吹き飛ぶ。

 そう思った私は、とっさに身を固くして構えた。

 しかしいつになっても爆発は起こらず、かわりにすさまじい振動とともに身体が浮き上がる感覚に包まれた。


 激しい轟音と飛び交う粉塵でまわりの状況はわからなかったが、まちがいなくトレントの巨体が上昇していた。

 最初ゆっくりとした浮遊程度だった感覚が、下から突き上げられるような衝撃が来たあと加速度的に勢いを増し、今度は上から押しつけられる圧力に全身を襲われた。


 あれほど脱出に苦慮していた蟻塚が、いまははるか下方にあった。

 トレントが飛翔する際に噴出した白煙がいまだ大量に漂っており、まるで入道雲を吐き出す煙突のように見えた。


 上空には果てもなき濃い闇が待ち受けている。

 背後に目をやれば、地平線がかすかな曙光に淡く光っているのが見えた。

 そして地上では、トレントによって励起された龍脈が稲妻のような輝きを放っていた。


 地平線の彼方から大地を流れる河のように走る幾筋もの龍脈は、広大な森の外縁部で合流し、また分岐して方向を変え、視線のはるか先まで続いていた。


 上空から見ればよくわかる。

 魔の森は、何本もの龍脈がひしめき合う地点に生まれた中洲のようなものだった。


 おそらく、この世界には同じような場所がいくつもあるのだろう。

 それらはすべて、人跡未踏の混沌とした秘境であるはずだった。

 龍脈という原初の力をまえにして、人間ごときができることなどたかが知れている。

 そう思わせる光景だった。


 森の内部では、微細な血管網のように縦横無尽に龍脈が走っていた。

 ところどころに小さな水たまりのような龍脈の集合点がある。

 あれがハイエルフたちのいう龍脈の結節地点なのだろう。


 結節のひとつから伸びる一本の直線があった。

 網の目のように複雑な曲線を描いて絡み合う龍脈のなかにあって、幅を保ったまま歪むことなく一直線に走るその流れは、ひどく異彩を放っていた。

 はるかな高みから全体を観察すれば、明らかに人為的なものだということがわかった。


 直線の向かう先を目で辿れば、終着点にはひとつの街があるはずだった。

 それこそが私の目指すゴートにほかならない。


 目を凝らすまでもなかった。

 人工的に作られた龍脈の辿り着く場所。

 ゴートがあるはずのその場所から、天に向かって突き立てられた細い針のように、どこまでも伸びる光の柱が屹立していた。




トレントが歓喜に打ち震えながら月に向かって飛んでいくお話です。

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