26 まさしく繁殖するためだけの生態系といえた
虫注意。
広間の片隅に、山と積まれた肉片の塊があった。
原型を留めているものもあれば、どこの部位なのかも判然としないものもある。
多くは小型の魔物のようだったが、なかには見たこともない魔物のものもあった。
蟻たちがどこまで巣を伸ばしているのか、想像もつかなかった。
餌場では、さらにひとまわり大きな兵隊蟻たちが雑多に蠢いていた。
働き蟻たちが運搬してきた餌を受け取って積み上げるもの。
頭部のほとんどを占める凶悪な顎で肉を細かく刻むもの。
そして、餌を主へと捧げるもの。
彼らが向かうのは、巣の中枢たる巨大な木だった。
龍脈の影響を受けてトレント化したものであるのはまちがいない。
だが、その姿をトレントと呼んでいいのか、私にはわからなかった。
幹の中腹から根元にかけて開いた洞に、植物にはあるはずのない内臓が露出していた。
全体的に白く血が通っていないように見えるが、粘膜質の表面がてらてらと光り、時折不規則に脈動しては膨張と収縮を繰り返すさまは、まさしくはらわたとしか思えなかった。
兵隊蟻たちは、千切った肉を顎に銜えて木の幹を登っていくと、内臓の先端部分に肉片を押し込んでいるように見えた。
目をこらせば、そこに一匹の蟻が鎮座しているのが見える。
ゆらゆらと振れる長い触覚と忙しなく開閉している顎を持つ頭部に比べ、胸とそこから生える脚が異様に小さい。
あの脚では、地に降りたところで満足に頭を支えることすらできないだろう。
だが、腹を見れば、その必要がないことがわかる。
トレントの内臓と思えたものは、あまりにも大きい女王蟻の産卵嚢だった。
地上にほど近いトレントの根元では、群がった兵隊蟻たちが、女王の尻から粘液にまみれたなにかを引きずり出していた。
外気に曝されたとたん上下左右に身をくねらせ、伸び縮みするように蠕動するそれを、列をなした働き蟻が受け取り、どこかへ運んでいく。
この女王蟻は産卵するのではなく、腹のなかで孵化させた幼虫を出産するようだった。
いや、これを出産と呼んでいいのかどうか、私には判断がつかなかった。
自らの力では歩くことはおろか餌を食べることもできず、他者の力によって引っ張り出さなければ、成した子を産み落とすこともできない。
それは単独の生命体といえるのだろうか。
あるいは、巣に存在する蟻のすべてを群体として捉えた場合、女王は繁殖だけに特化した単なる器官にすぎないのかもしれない。
いずれにせよ、吐き気を催すようなおぞましさだった。
頭上を仰ぎ見た。
煙突状にくりぬかれた蟻塚の天井から、夜空に向けて枝葉が広がっていた。
周囲を蟻たちが埋め尽くすなか、外へ出るには木を登って飛び降りる以外、選択肢はないように思えた。
いま、蟻たちは私の存在を無視して活動している。
彼らからすれば、私など体内に入りこんだ異物にすぎないのだろう。
取るに足りない寄生虫のようなものなのかもしれない。
だが、ひとたび危害を加えればどうなるかはわからない。
危険を冒す気にはなれなかった。
周囲をひしめく蟻たちを刺激しないよう、壁伝いにゆっくりと移動した。
女王蟻がどこまで群れを制御しているかはわからないが、気づかれないに越したことはない。
視界に入らないようまわりこみ、裏側から幹にとりついた。
起伏が強く、ささくれだった樹皮は、指を差しこむ隙間に事欠かなかった。
両脚で体勢を保持し、左右の腕で全身を持ち上げる。
幹を掴んだ手のひらから、唸るような振動が伝わってきた。
まるで木そのものが内部で呻いているようだった。
実際、そのとおりなのだろう。
このトレントはまだ生きていた。
樹木の内部を食い破って巣をなす蟻がいることは知られている。
このトレントと蟻たちの関係も、もともとはそうだったのかもしれない。
龍脈を吸い上げた木がトレント化し、さらにその内部にいた蟻が龍脈の力を直接取り込み、魔物として変異を遂げた。
ありえない話ではないように思えた。
もしこの想像が真実だとすれば、龍脈を必要とする女王蟻がトレントを殺さず、むしろ自分の肉体の一部として同化させていることも頷けた。
おそらく、巨大な産卵嚢の内部は龍脈の養分で満たされているのだろう。
孵化した幼虫はある程度の大きさになるまで内部で育ち、やがて次々と生み出される卵に押し出されるようにして下降していき、兵隊蟻によって摘出される。
そのあいだ、動くことのできない女王蟻は働き蟻たちが運んできた肉をひたすら口に詰め込まれ、その生命を維持する。
まさしく繁殖するためだけの生態系といえた。
気がついた。
ならば、産み落とされた幼虫たちはなにを食うのだ。
魔物化しているとはいえ、蟻である以上、蛹となり、脱皮を経て成虫となるはずだ。
餌となる肉はすべて女王蟻のために消費されていた。
働き蟻たちは餌となる肉を運搬してきたあと、兵隊蟻が取り出した幼虫を持ってどこかへと消えていった。
龍脈によって生まれた幼虫たちが、頑健な顎を持つ成虫となるまで龍脈しか摂取しないとすれば、その供給元は当然トレントということになる。
細心の注意を払いながら登りつづけた私は、もうじき蟻塚の上端に達しようという高さにまで到達していた。
手を伸ばせば届きそうなほど大きな満月が、蒼い虚空に浮かんでいた。
周囲には太い枝が幾重にも重なり、生い茂った葉を風に鳴らせている。
枝を伝って蟻塚の外壁に飛びついてしまえば、あとは地上に降りて森へ戻るだけだった。
枝は生い茂ってはいなかった。
風に鳴る葉と見えていたものは、枝に身を固定させた蛹と、脱皮したばかりの羽蟻の群れだった。




