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25 森に谺する慟哭を遠くに感じながら、私は意識を失った


書き始めてから丸三年。とうとう10万字を超えました。




 放物線を描くことなく宙を飛んだ私の肉体は、進行方向にあった木々をなぎ倒しながら勢いを緩め、地面を何度もバウンドしながら転がって停止した。


 一拍遅れていくつもの梢が擦れあう擦過音と、自重に耐えかねた幹が砕ける破裂音が耳を聾して響き渡り、倒壊した樹木が私の上に落ちてきた。


 なすすべもなく、私には見つめることしかできなかった。

 肉体は指一本たりとも動かすことができず、自分が五体満足かどうかもわからない。


 周囲を覆っていた土煙が雲散すると、開けた視界の彼方に、オーガとサイクロプスの姿が見えた。


 うずくまるオーガを(くみ)しやすい獲物と見たのだろう。

 鈍重な動きで掴みかかろうとするサイクロプスに対し、オーガは素早く立ち上がって身の丈の倍はあるサイクロプスを引きずり倒すと、顔面めがけて拳を突き入れた。

 サイクロプスの巨体が二度三度と大きく跳ね、動かなくなる。

 引き抜いたオーガの手には、巨大な眼球が握られていた。


 造作もなく握りつぶした眼球を投げ捨てると、オーガは物言わぬ(むくろ)となったサイクロプスに馬乗りになった。

 おもむろに拳を振り上げ、振り下ろす。

 オーガの肩が、ぶるぶると震えているのが見えた。


 己の力を確認するように、オーガは執拗に拳を打ちつけた。

 振り下ろす拳の速度が徐々に上がってゆき、全身の筋肉が怒張して荒々しい輪郭を描き出した。

 鍛錬のように左右交互に突き出していた拳は、激情の昂りとともにがむしゃらな乱打となり、振り上げた両の拳で大地を打ち抜く一撃となった。


 肉を打つ鋭い打撃音に骨を砕く重い音が混じり、やがて軟泥が飛び散るような湿った音が加わった。


 ふいごのような呼吸を吐きながらオーガが立ち上がったとき、その足元には原形を留めず、ところどころが挽肉のようになった肉塊が散らばっていた。


 大きく息を吸い込んだオーガが、月に向かって吼えた。

 怒りに満ちた叫びだったが、私の耳には怯えや恐怖を絞り出す悲鳴のように聞こえた。


 暗い霧に包まれたように、視界が閉ざされていった。

 闇を見透かして広がっていた世界が、黒く塗りつぶされていく。

 肉体の感覚はなく、思考が重い。

 森に(こだま)する慟哭を遠くに感じながら、私は意識を失った。




 全身をまさぐる感触に不快さを覚えた。

 細く金属質のなにかがぶつかりあうカチカチとした音と、引きずられながら移動していく感覚。

 濃厚な湿った土のにおい。


 手を伸ばすと、硬く滑らかな質感に指先が触れた。

 同時にいくつもの鋭く尖った先端に、腕を強く挟まれた。

 思わず腕を振り払い、勢いよく身体を起こした。


 目に入ってきたのは、ひと抱えもある巨大な蟻の姿だった。


 全身に数え切れないほどの蟻たちがまとわりついていた。

 細い脚で私の身体を押さえつけ、触覚が絡みつくようにいたるところをまさぐっていた。

 どの蟻も、突き出した顎を規則正しく噛み鳴らしている。


 生理的な嫌悪感が理性を上まわり、地面を転げまわって蟻の群れから逃れた。


 しばらくのあいだガチガチと顎を噛み鳴らして私の周囲を取り巻いていた蟻たちは、やがて興味を失ったように離れていった。


 辺りを見まわして気づいた。

 身体の感覚が戻っている。

 身にまとっていた外套こそボロボロだったが、折れた腕や足も元通り繋がり、動かすことに異常は感じなかった。

 もっとも、全身が黒く靄がかっているのは相変わらずだったが。


 武器といえるものはすべて使い果たしていたが、装備品携行ベルトに取りつけたポーチは失っていなかった。

 触れた手のひらから、脈動が伝わってきた。

 結晶は、そこにある。


 どうやら、地面の下を通る洞窟にいるようだった。

 ほのかに発光する木の根が、壁や頭上のあちこちから突き出していた。

 腕を上げて天井に触れた。

 土はまだ湿っており、掘られてから日の浅いことが見てとれた。


 頬に風の流れを感じ、穴の向こうに目をやった。

 カサカサと入り乱れる足音と、なにかを引きずる物音が近づいてきた。


 壁際に身を寄せて身構えていると、新たな蟻の群れが姿をあらわした。

 地を這う巨大な蟻たちが、甲殻の上にかつて魔物だったもののなれの果てを載せて行進してくる。

 皮膚の色と残された四肢の形状から見て、オークであったろう肉塊の表面には、びっしりと蟻が群がっていた。


 洞窟ではない。

 ここは蟻の巣だ。

 龍脈に誘引された蟻の魔物たちが、より濃厚な龍脈の気配を求めて掘り進んだトンネルだった。


 露出している木の根は、トレント化した樹木のものだろう。

 たっぷりと龍脈の養分を吸収した根が蟻たちによって表皮を囓られ、剥き出しになった繊維質がぼんやりと光を放っているようだった。


 倒れた木々の下敷きになっていた私もまた、あのオークのように餌として蟻たちに運びこまれたのだろう。

 ならば進む蟻たちとは逆方向へ向かっていけば地上へと出る穴があるはずだった。


 しばらく進んだが、穴の高さが腰より低くなったあたりで諦めた。

 這いつくばって進もうにも、断続的にあらわれる蟻から身を守るすべがない。

 密閉された閉鎖空間のなかで手も足も動かせず、何千何万という蟻に全身を貪られるのは恐怖でしかなかった。


 規則正しく間隔を開けて歩く蟻たちを横目に見ながら、来た道筋を戻った。

 さいわいなことに、蟻たちは手を出さないかぎりは異物である私に無関心な様子だった。


 気がかりなのは、蟻たちが運んでいる餌だ。

 それは、地上で行われた弱肉強食の痕跡である、あらゆる生き物の死体だった。

 つまり、彼らが行き着く先には、大量の肉を喰らうなにかがいるということになる。

 運びこむ餌の量から見ても、それが巨大な肉体を有しているだろうことは想像できた。

 あるいは、複数存在するか。


 私の運ばれていた穴は支道だったらしく、ひとまわり大きな空洞に合流した。

 入り組んだ構造の巣穴は先が見えないが、横穴から絶え間なく蟻の群れが這い出してきては同じ方向へと向かい、長大な行列を構成していた。


 進むにつれてトンネルが広く、高いものに変わっていった。

 周囲はもはや土ではなく、蔦のような樹木が絡まりあって堅固な壁面を作り出し、それ自体がかすかに発光していた。

 天井は遙か高みにあって白く霞みがかり、音の残響だけが、ここが閉鎖された空間であることをしめしていた。


 明らかにおかしい。

 これほどの広大な空間が地下にあるならば、深度もとてつもないものになるはずだ。

 にもかかわらず、ここに来るまでのあいだ、それほどの急勾配を下った感覚はなかった。


 曲がりくねったトンネルを抜けた先の光景を見たとき、その疑問が解けた。


 見上げるほどの巨木が、巣穴のなかに佇立していた。

 豊かに生い茂る樹冠が天井を突き抜け、皓々と降りそそぐ月明かりが周囲から切り離すように根元を青く照らし出していた。


 ここは地下ではなかった。

 地表に生えた木を覆うようにして築かれた蟻塚だった。


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