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24 一刻も早く薄汚い化け物を殺してやる


 親方の身になにが起こったのか、理解した。

 そして親方もまた、こいつに襲われたのだと悟った。


 気配を忍ばせて近づき、圧倒的な暴力で蹂躙する。

 暴れ狂うだけのオーガには見られない、狡猾さを備えていた。

 あるいは、親方への襲撃がうまくいったので味を占めたのかもしれない。


 時間が極限まで引き延ばされたように感じるなか、ゆっくりと降りてくる足の向こうに、ニタニタと下卑た笑みを浮かべるオーガの顔が見えた。


 胸郭を踏み潰される寸前、両腕を上げてオーガの足を止めた。

 鋭い爪の生えた親指を握り、力まかせに足の甲へ向けて押し曲げた。

 若干の捻りを加えると、急に抵抗がなくなり、関節が外れたのがわかった。


 痛みで苦悶の表情を浮かべたオーガが、のけぞって足を引っ込めようとした。

 その隙を逃さず、オーガの足首を腋の下に挟みこんだ。

 下半身を持ち上げて自分の右足の脛をオーガのふくらはぎに押し当て、宙に浮いた右足首は左膝で保持。

 勢いよく全身を弓なりに反らせる。

 抱えこんだ足首が脛と合わせて一本の直線を構成し、可動範囲の限界を越えた関節から、伸びきった靱帯が剥離していくミチミチとした感触が伝わってきた。


 腋を引き絞ってオーガの爪先にかかる力の方向を変えると、あっさりと足首の関節が外れた。


 動きを止めることなく、ふくらはぎに押し当てていた右足をそのまま伸ばして今度はオーガの太腿に両脚を絡ませた。

 胸元でオーガの膝から下を抱きかかえ、反動をつけて全身を丸めた。

 伸ばされたオーガの膝がさらに逆方向に曲がっていく。

 骨に圧迫された軟骨が潰れるぐずりとした抵抗に続いて、大腿骨と脛骨に挟まれた膝蓋骨に(ひび)の入る、ぱきりという音が聞こえた。


 オーガがはじめて悲鳴をあげた。

 一瞬にして膝、足首、親指の関節を強引に外されたのだ。想像を絶する痛みを経験したに違いない。

 尻餅をついて地面を転げまわり、見境なしに足を振りまわしてしがみつく私を振りほどこうとする。


 何度も叩きつけられた衝撃で身体の力が緩み、抱えこんでいたオーガの脚が抜けた。


 立ち上がろうとしてバランスを崩し、倒れこんだ。

 見れば、最初に潰された自分の足が外側に向かって折れ曲がっていた。


 オーガは胎児のように身体を丸め、いまだ痛みに耐えている。


 定まらない視野で這いずり、オーガの背中に覆い被さった。

 懐から抜いたペグを握りしめ、オーガの首筋めがけて振り下ろした。


 かなりの力を込めたつもりだったが、硬い皮膚に阻まれて貫くことができなかった。

 むきになって何度も突いているうち、鋭かったはずのペグの先端が潰れ、全体がおかしな方向に曲がっていた。


 うずくまっていたオーガが立ち上がった。

 凶暴な叫びを喉の奥から絞り出しながら脚を振り上げ、怒りにまかせて何度も地面を踏み鳴らした。

 驚いたことに、外れた関節を力まかせに嵌め直しているらしかった。

 靱帯の向きも考えずに関節を無理矢理押しつければ、骨同士が擦れあって、それだけで激痛が走るはずだ。

 肉を裂かれる痛みと神経を削られる痛みでは、まるで種類が違う。


 オーガの脚から骨が鳴らすとも思えない金属質な音が連続して聞こえ、力なくぶら下がっていた関節が堅牢な再接合を遂げたのがわかった。

 同時に、天を向いて開いたオーガの口から、怒号のような絶叫が響いた。


 物理的な衝撃をともなった咆哮が周囲に拡散していき、森の木々が大きく撓った。

 一斉に木の葉が舞い上がり、揺り戻しの風に巻き上げられて吹き荒れる。

 まるで幾条もの旋風(つむじかぜ)に襲われているようだった。


 暴れ狂うオーガの背中にしがみつきながら、私は冷静に次の一手について考えていた。

 両脚をオーガの腰に巻きつけて身体を固定し、(とき)を待った。

 拳を()ちつけ、爪で引き裂くしか知らない化け物め。

 人間さまの戦い方を教えてやる。


 怒りのままに叫びつづけたオーガの声が止まった。

 肺活量の限界を迎えた肉体が新鮮な空気を求めて喘ぎ、新たな呼気を吸い込もうと全身の筋肉を弛緩させる。

 それが私が求めていた一瞬だった。


 腰に巻きつけていた脚を、満身の勢いで締めあげた。

 腹腔を圧迫されたオーガの気管から、肺に残っていた最後の吐息が吐き出された。


 オーガの腋の下から右腕を突き出すと同時、その額から伸びる角を掴んで引き倒した。

 左腕は同じように腋の下を通して持ち上げ、むきだしになった喉に巻きつける。

 左の手のひらを右腕の肘で挟んで固定。

 あとは握りしめた角を引けば引くほど、強くオーガの首を締め上げることができる。


 両腕を高々と天に掲げた無様な体勢のまま、オーガはもがきつづけた。

 張力の限界まで引っぱられた首の筋肉では柔らかい気管を拡張することはできない。

 なにより、首の両側から動脈、静脈ともに強く圧迫しているため、脳への血流が止まり、いずれは意識が失われる。


 突然、オーガが森に向かって突進していった。

 背中に絡みついていた私を振りまわすように木々に叩きつけながら、闇雲に走りまわった。

 体当たりされた樹木がなぎ倒され、白くささくれた木片が爆発したように四散する。


 全身に衝撃が走り、やがて感覚がなくなった。

 腰や足がまだついているのかもわからない。


 口を開け、自分の腕があったと思われる場所に噛みついた。

 鋭い痛みが脳まで到達し、まだ腕があることがわかった。

 ならば凝固したように一点から離れないこれは手のひらだろう。

 まだ、オーガの角は手放していない。


 振動していた視野が停止し、落下した。

 立ち止まったオーガが膝から(くずおれ)れたらしかった。


 私の左腕は、いまだオーガの首を締め上げていた。

 膝立ちの姿勢のまま全身を弛緩させたオーガの顔が、窒息と鬱血で赤黒く染まっていた。

 血管が破裂したのか、白目を剥いて裏返った眼窩からは真っ赤な涙が溢れ、だらしなく開いた唇から舌が垂れ下がっている。


 角を左手に持ち替え、空いた右手で懐から最後に一本残っていたペグを取り出した。


 魂が抜け出るように天に向かって開いたオーガの口腔めがけ、逆手に握ったペグを突き入れた。


 先端が喉を内側から突き破る寸前、意識を取り戻したオーガが牙を鳴らせて口を閉じた。

 咬みあった歯がペグに食い込み、それ以上奥へと侵入するのを留めた。

 いくらかは刺さったのだろう。食いしばった顎から、鮮血が滴った。


 角から左手を放し、右手に添えて押し込んだ。

 切っ先がさらに深く潜り込み、オーガの口から流れ出る血が量を増した。


 溢れる血が気管に流れ込んだのか、噎せたオーガの口から大量の血液が噴き上がった。


 顔一杯に生暖かい血を吹きつけられ、口のなかに糸を引いて鉄錆臭が充満した。

 思わず顔を背け、溜まった血を吐き出した。


 わずかに力の緩んだ隙にオーガが私の手首を掴み、膂力にまかせて握りつぶした。


 千切れさえしなければいい。

 力の入らなくなった手首に体重をかけて無理矢理固定し、抉るように先端を回転させた。

 ペグを噛みしめていたオーガの前歯がバキバキと音を立てて砕け、溢れ出る血がゴボゴボと泡立ちはじめた。


 オーガの顔が歪み、瞳から透明な涙が流れ出てくるのが見えた。

 その表情には、まぎれもなく本物の恐怖が浮かんでいた。


 私はそれら一切に注意を払うことなく、ペグを押し込んで喉を貫くことに全身全霊を傾けた。

 森を抜ける目的も、ゴートを救う使命も、親方の祈りも、すべてが頭のなかから消え去っていた。

 いまこの瞬間、私は目のまえのオーガを殺すためだけに存在していた。


 か細い悲鳴をあげるオーガに怒りが湧いた。

 化け物が惨めな野良犬のように啜り泣くことが、我慢ならなかった。


 魔獣のような唸り声をあげながら片手を振り上げた。

 握りしめた拳を叩きつけて、一刻も早く薄汚い化け物を殺してやる。


 抵抗する意思を失い呆然と見上げるオーガの瞳に、見たこともない魔物の姿が写っていた。

 得体の知れない真っ黒な生き物が、禍々しい双眸を爛々と光らせ、ぽっかりと開いた空洞から耳を塞ぎたくなるような雄叫びを響かせて襲いかかってくる。


 それが自分の姿だと気づいた瞬間、背後からあらわれたサイクロプスが私をなぎ払った。


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