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18 おめえだよ


「隊からいち分隊、冒険者からはパーティひと組を出して避難キャンプまで走れ。現地に到着次第、難民たちの状況を確認し、パーティと分隊からひとりづつ伝令として戻り、残りは先行して撤退準備にとりかかれ」



 隊長が声を張りあげ、矢継ぎ早に指示を下していった。


「護送するのは大量の非戦闘員だ。我々と同じように動けるとは考えるな。砦にある馬車、荷車を総動員して彼らを輸送する。軍馬にも曳かせろ。どうせ山越えの際には背負えない荷物はすべて放棄することになる。物資の出し惜しみはするな。我々の運搬能力が難民たちの命を左右する。全力をかけて彼らを守り、運べ。行動開始」


 隊長の号令とともに、冒険者、軍人たちがいっせいに駆け出した。

 軍人は各種作戦要綱に則った行動手順があり、冒険者はパーティ単位での護衛、運搬クエストが身に染みついている。

 すべての人間が、自分のやるべきことを心得ていた。


 配下の人員の動きを見届けた隊長が、親方に向き直った。


「この砦には最低限の連絡要員だけ残して、総員撤退します。親方はどうなさいますか」


「いまのおれの身体じゃあ、行軍には保たねえ。援軍が来るまでのあいだ、留守番でもしてるさ」


 さきほどまでの勢いを忘れてしまったかのように、親方は力なく笑った。

 常ならば赤らんだ顔が、生木のように白かった。


 ふと俯いた親方の身体が、頭の重さに耐えかねたように傾いだ。


 とっさに腕を伸ばして抱きかかえた。

 親方の手が私の肩をつかみ、身体のバランスを取り戻そうとする。

 上半身はふらふらと左右に揺れ、膝が笑ったように定まっていなかった。


「すまねえ。満腹ではしゃいだせいで、立ちくらみ起こした。ちょっとだけつかまらせてくれ」


 手にヒールの魔法をまとわせたメルトが、親方の背中に手を添えた。

 光る手のひらが背筋にそって上がっていき、首を揉むようにしてヒールを浸透させていく。


「すぐにベッドへ。しばらくは絶対安静です」


 肩を掴んだ親方の腕をとり、そのまま強引に背負った。

 足を抱え込もうとすると、力なく抵抗しようとする様子が伝わってきた。


「おろせ。自分の足で歩ける」


 腕に力を込め、親方の動きを封じた。

 骨太の骨格と、みっちりと詰まった筋肉の重さを背中に感じた。

 問題ない。親方の肉体に、どこにも傷はない。体力が落ちているだけだ。

 そうわかってはいても、これ以上無理をしてほしくはなかった。


「くそったれが」

 

 小さなつぶやきを耳にしながら、救護室へと向かった。


「しばらくは伝令のやりとりを絶やさないようにする。親方を頼んでもいいだろうか」


「執刀を担当した主治医として、患者の治療には最後まで責任を持ちますわ。申し訳ありませんが、わたくしもこの砦から離れるわけにはいきません」


 背後から隊長とメルトのやりとりが聞こえた。

 その後、いくつか言葉を交わしたあと、小走りにやってくる足音が追いついてきた。


「わたくしも、一緒にお留守番ですわ。といって、特にすることもありませんし、食べて寝るだけですけれどね」


「勝手にしやがれ。どいつもこいつも、おれを年寄り扱いしやがって」


 不機嫌さを隠しもせず、親方が舌打ちを放った。


「あら。さきほどのボウモアだけじゃなく、スコッチならバランタインの30年ものもございますのよ。バーボンならハーパーのゴールドにベイカーズ。果実酒好きでしたら、ヘネシーにナポレオン。魔法のバッグには夢のように酔わせてくれるお酒がぎっしり。そうですか、親方さんはお飲みにならないと。あらあら、いやですわあ。こんなに飲んだら、わたくし、酔っ払ってしまいますわあ!」


「お、おい。なんだ、そのパッパカのゴールドってのは。金色なのか? 酒がビカビカ輝いてるってのか! 飲ませろっ。いますぐ飲ませろ!」


 頭のネジがはずれたように高笑いをするメルトを隣に、暴れる親方を抑えつけてベッドに寝かせた。


 メルトはかたわらに椅子を持ち出すと、本当にバッグから酒瓶を取り出した。

 さすがに私が咎めようとすると、耳元に近づいてきたメルトが囁いた。


「疲れているだけで、親方さんは健康体です。気持ちが昂ぶっているようですので、ちょっとだけ酔わせて、さっさと寝てもらいましょう」


 止める暇もなく、小さなショットグラスに朽葉色の液体を注いだ。

 目敏くそれを見た親方が、グラスをつまんで取りあげる。


 案に相違して、親方はひと息に飲み干すことはせず、なめるように口を湿らせただけだった。


「おれだって自分の具合くらいわかってる。無茶な飲み方はしねえよ。寝しなの一杯だ。ちょうどいい。あんたらも、すこしつきあえ」


 不承不承、椅子に腰掛けると、メルトがグラスを差し出してきた。

 私が首を振ると、肩をすくめたメルトは自分で口をつけた。


「拾いもんだな」


 手元のショットグラスを、慈しむように両手で包んだ親方が、小さく言った。


「あまり飲みすぎないでくださいね」


「酒じゃねえ。一度は落っことした命を、あんたらに拾ってもらった。おかげで、こうして美味い酒が飲める」


「やっぱりお酒じゃないですか」


 鼻を鳴らすようにして笑い声をあげた親方の顔が、皺のなかに埋もれた。


「ちげえねえ」


 泣いているのか笑っているのかわからない表情だった。


「でかい借りができちまったな」


「親方さんがいたおかげで、街の方々がみな無事に避難することができたと聞いていますわ。ゴートの街を取り戻すまでまだまだ困難が予想される以上、元気でいてくれないと困ります」


 首を横に振った親方が、硬質な眼光を私たちに向けた。


「ゴートの奪還と言ったが、ありゃ嘘だ。勇者を呼びに行かせた本当の目的は、ゴートの完全破壊。もっと正確に言や、汚染された龍脈の消滅だ」


 その言葉を理解するまでに、すこし時間がかかった。


「詳しくお聞かせいただけますか」


 神妙な面持ちでメルトで聞くと、頷いた親方は話しはじめた。


「勇者連中が王都から旅立ったって情報が来てから半年ほどがすぎたころ、ゴートの冒険者ギルドにおかしなシロモノが持ち込まれはじめた。最初にお目にかかったのは、獣人の毛皮だ。熊と虎。ふたつとも頭がなかったし、虎の方にいたっちゃ、かなり焼け焦げていたが、とんでもねえ魔力を内包してた」


 私が燃やした妹。

 兄は苦悶の絶叫をあげる妹を助けるため、勇者の剣に身を貫かれながら、火を消そうと懸命に抱きかかえていた。


 メルトがとどめを刺したあと、ふたりの亡骸は丁重に埋葬したはずだった。


「その次は解体されたエンシェントドラゴンの素材だ。大量の鱗からはじまって、角、牙、爪。眼球に骨。血と臓物以外のすべてが、連日、山のように運ばれてきた」


 孫を殺された祖父は、その怨念で大地を底から腐らせようとしていた。

 死した肉体は、龍脈の爆発とともに山の中に埋もれたはずだった。


「さすがに置き場所がねえってんで、アルカードのバカ子爵が街中にでけえ倉庫を造りやがった。隊長たちが守ってたのは、そのとき造られた倉庫だ。冒険者ギルドには鑑定と保存加工だけやらせて、いったん倉庫に運び込んだら軍人以外は手出し無用なんて抜かしやがる。その後も変身した魔女の烏羽(からすば)、ダークエルフの全身骨格。どれも尋常なしろもんじゃねえ。勇者が戦った戦利品だなんてことは、バカでもわかる」


 呪詛にまみれながらも最後まで魂の救済を渇望していたシスター。

 純粋に家族の復讐に身を焦がしていたダークエルフの戦士は、その肉を削がれ、骨だけを組み立てなおされた。

 どれもこれも、死者への冒涜だった。


「持ち込んできた奴らはアルカード子爵家に雇われた冒険者だなんて名乗っていたが、正体が軍人なのはバレバレだった。おそらく、最初から公爵派の連中が絡んでたんだろう。勇者たちが旅路を急ぐのをいいことに、監視下において成果だけを掠め取ってたってわけだ」

 

 あとをついてくる存在には、早い段階から気づいていた。

 幾度かは接触したこともあったが、張りつくように追跡してくるでもなく、ときには幾日も、その気配を感じないときもあった。

 

 あれは跡をつけてくる集団ではなく、国内各地に広がっていた監視網だったのだろう。

 王国内になんらかの諜報組織が存在するならば、私たちの動向を見逃すはずはないし、共闘する意思がないのならば気にするまでもないと無視してきた。

 国王派と公爵派の暗闘などは、私の想像の範囲外にある。


「最後に品物が届いたのは、魔王が倒されたって報せに国じゅうが湧いてるときだった。魔法陣で何重にもコーティングされたうえ、ミスリル製の鎖でぐるぐるに縛られた棺桶に入ってたよ」


 下を向いた親方が、深く息を吐いた。


「なんの変哲もない、そこらへんにいる男に見えた。頭の後ろ半分が吹き飛んでいたが、微笑んでるのかって思うくらい穏やかな顔をして、まるで寝てるようだった。おれはあれを見て、はじめて今回の戦争がおっかねえと思ったよ。こんな顔をする奴が怒りのままにまわりをぶっ壊しはじめると、だれも止められねえ。なんにも考えず、向かってくる敵を殺しまくる。自分のまわりに動く人間がいなくなって、はじめててめえが怒り狂ってたことに気づく。そういう人間の顔だった。土地だの食うもんだのを奪いあう戦争なら、ほっぽりだして逃げちまえばいい。だが、あの男がおっぱじめたことは、そんなもんじゃねえ。最後のひとりまで殺し尽くす、虐殺だ」


 かすかに震える手で、親方はグラスを口元まで持ちあげた。

 たいした量を口に含んだわけでもないのに、嚥下する音が大きく聞こえた。

 湧きあがってきた生々しい感情を、酒ごと飲み込んだように見えた。


「棺桶んなかには、もう一個荷物が入ってた。むしろアルカード子爵たちからすれば、そっちのほうが本命だったんだろうな。死んだ魔王の心臓をくりぬいて、かわりに宝玉が埋めこまれてた」


 自分でも気づかないうちに握りしめた拳から、巻かれた布の軋む音がした。


「運びこまれたときにゃ、だいぶ瘴気が抜けてぼろぼろの軽石みたいになってたが、ダンジョンコアなのはまちがいなかった」


 魔王の死亡を確認したあと、ゆっくりと地上に向かって下降する浮遊城に留まった私には、もうひとつやるべきことがあった。

 それがダンジョンコアの破壊だ。


 ダンジョンとは濃厚な瘴気に晒された天然の鉱石が、長い年月をかけて瘴気を沈殿体積させてコアとなり、迷宮という環境を形成したものといわれている。


 これだけならば、鍾乳洞などと同じように珍しい天然の産物といえるが、ダンジョンの危険さのゆえんは、自然の瘴気と生き物が持つ魔力を同調させる機能にある。

 ダンジョンコアそのものが、魔力を用いて環境を構築する触媒として作用するのだ。


 コアと同調してダンジョンマスターとなった生物は、コアの蓄えた瘴気を自由自在におのれの魔力に変換して用いることが可能になり、コアはまた、ダンジョンマスターの力量に応じて迷宮を複雑化させる。

 高い知性と大量の瘴気を変換しうるほどの強力な魔力を秘めた者ならば、空間を歪曲し、重力すら操るほどに。

 魔王が拠点とした天空に浮かぶ島が、まさしくこれだった。


 一般に、ボスであるダンジョンマスターが消滅した迷宮は休眠状態に入り、新たなダンジョンマスターの出現と同時に活性化するといわれている。


 冒険者ギルドでの解釈はより厳密だ。ダンジョンコアの管理者であるダンジョンマスターが消滅することによって、コアの持つ魔力と瘴気を強制変換することで得られる迷宮の大規模環境構築機能が一時停止する現象。

 これが冒険者ギルドによるダンジョンの休眠状態の定義だ。


 そして、もうひとつ重要な点がある。

 ダンジョンマスターが瘴気と魔力を大量に変換するほど、ダンジョンコアはより大きく結晶を成長させる。

 巨大化したコアはさらに多くの瘴気を蓄えることが可能となり、ダンジョンマスターの揮う力は強大なものとなる。

 この一点において、ダンジョンコアとダンジョンマスターは、完全に比例する共生関係にあるといえた。


 あれだけの力を持った魔王が育てたダンジョンコアだ。

 地上に落下して定着すれば、凶悪なダンジョンを生成し、大量の魔物を生み出すことだろう。


 もちろん、それにはいくつもの偶然が重なる必要がある。

 落下の衝撃で崩壊しないこと。

 定着場所に瘴気が充ちていること。

 巨大なコアとの同調に耐えうる生物と接触すること。


 だが、たとえ万にひとつの可能性だとしても、それが起こらないとはだれにも言えない。

 なんとしても、あの場で破壊しておかねばならなかった。


「ダンジョンコアの瘴気抜きは、冒険者ギルドの秘伝だ。冒険者だなんてろくでなしどもを抱えるギルドが王国から自立を保っていられるのも、いざとなりゃ、ギルドの奴らが命を捨ててダンジョンを封印できるからだ。王宮の筆頭魔導師クラスになりゃできる奴もいるだろうが、あんな根性なしどもが挑戦するわけがねえ。魔物がうようよいるダンジョンを踏破しなけりゃならねえうえ、失敗すりゃ瘴気まみれになって体んなかから腐りおちるんだからな」


 そう言って、親方は勢いよくグラスを呷った。

 唇から溢れた酒が、ごわごわとした白い髭に茶色い滴をつけて流れ落ちていった。


「若えころ、戦争で負けて部隊にいた全員が奴隷冒険者になった。年季明けまで三十年。生き残ったのはおれだけだ。引退したのはいいが、魔物ぶっ殺してバラすことしか知らねえ。ギルド以外、居場所がねえってだけで五十年たつ。都合八十年間、この稼業やってきて、コアの瘴気抜きは五回やった。たったの五回じゃねえ。五回も、だ。そのたんびに何十人って冒険者が死んで、やっとダンジョンマスター倒したと思ったら、コアに触れた仲間が目のまえで腐って溶けた。五回、成功させたのはおれしかいねえ。ギルドの秘伝? ちげえ。おれたちの秘伝だ。死んでった仲間たちが、自分の命をかけて、ひとつひとつやり方を探していった。おいそれと他人に教えられる技術じゃねえし、軽々しく手をつけるべき行為でもねえ。魔王の胸から取り出されたダンジョンコアは、あとひと晩でも外気にさらしときゃ、完全に瘴気が抜けきっちまうってくらい、完璧な処理が施されてた。あんなことができるのは、おれ以外にゃいねえ。いるとすれば、おれが教えた奴だけだ。教えたのは、たったひとり」


 親方の目が、はじめて正面から私に向けられた。


「おめえだよ。アッシュ」



文字数7万字を越えて、ようやく主人公の名前が明かされましたよ。


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