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16 眠る親方の手をとった


 酒を飲み干した親方は、酔った素振りもないまま、眠るように意識を失った。

 傷は癒えたとはいえ、大量の血液を失ったことにちがいはない。

 あとはただ、体力の回復につとめるだけだった。


 眠る親方の手をとった。分厚く、重い手のひらだった。

 幼い頃、この手に数え切れないほど頭を叩かれた。

 だが、それ以上に記憶に残っているのは、乱暴に髪を撫でまわす無骨な感触だった。

 風呂場で頭を洗われたときは、あまりの手の大きさに、髪といわず顔じゅうをかきまわされ、石鹸の泡で噎せることがたびたびあった。


 いま、手のなかにある親方の手のひらは、記憶のなかにあるものよりも小さく感じられた。


 かるく力を入れて握ると、同じように握り返してきた。

 顔を見れば、穏やかな表情で寝息を立てている。

 無意識の反応だろう。

 生きた人間の熱さを、手のうちに感じた。


 治療を終えた親方を宿舎のベッドへ移動させると、つきそっていた守備隊の隊長が口を開いた。


「親方の命を救ってくれたこと、この砦を守る軍の代表として感謝する。砦に残留する冒険者たちも同様の気持ちを抱いているだろうが、そちらの責任者はご覧の通りだ」


 隊長はそう言って眠る親方に目をやった。

 先ほどまでの緊張から解放されたせいか、きつくつり上がっていた目元から皺が消えていた。


「いやはや、本当に助かってくれてよかった」


「こちらの御仁はギルドの解体部門の長と聞きましたが、ギルドマスターが冒険者側の責任者ではありませんの?」


「本来ならば、そうあるべきなのだが」


 腕を組んだ隊長が、苦慮を漂わせて言いよどんだ。


「詳しい話は、食事をとりながらにしよう。ささやかなお礼だが、食事くらいは提供させてくれ」


 隊長が案内したのは、建物内に設けられた食堂ではなく、防壁に囲まれた広場だった。

 平時であれば、駐留する兵たちの鍛錬や軍事教練に使われるのであろう。

 堅く踏みしめられた剥き出しの大地に、いまは多くの天幕が張られ、簡易な救護所や食堂が設置されていた。


 見渡せば、軍装に身を包んだ者と思い思いの装備を身につけた冒険者たちが、入り交じって動きまわっていた。


 通常、軍人と冒険者では、同じ作戦行動であっても共同で動くことはない。

 上意下達の群れとして生きる軍隊と、なによりも個の強さが生死を分ける冒険者では、行動規範がまったく異なる。

 自然、同じ場所にあっても彼らはそれぞれでまとまることが常だった。


 足を止めた私が広場を眺めている様子から、疑問を感じ取ったのだろう。隊長が言った。


「いまでこそ砦を預かる軍隊でございと肩肘張っているが、魔王との戦争が起きるまえまでは、我々はしがない傭兵団だったんだ。団員も、冒険者あがりが多い。昔取った杵柄ってところなんだろうな。現役の冒険者たちと反目することもなく、うまく馴染んでいるよ。とくに、いまのような緊急時にはありがたい。全員が命令を出さずとも連携をとってくれるからね」


「隊長さんも、もとは冒険者だったんですの」


 メルトの質問に、隊長は苦笑で答えた。


「いや、私は元軍人から傭兵にうらぶれたくちだ。気楽な傭兵稼業が性に合っていたんだが、なんの因果か正規兵に逆戻りさ。いってみれば、出戻り組だな。おかげで肩身の狭い思いをしているよ」


 大型テントのなかに入ると、隊長は調理場へ目配せをした。

 自身と私たち二人を指で示したあと、三本指をつきたてた。

 目のあった調理人は、うなずきを返すと、慣れた様子でトレイに料理をよそい、そのまま私たちの座った長机まで運んできた。


「あんたがたが親方を助けてくれた医者の先生かい。手の込んだごちそうってわけにはいかねえが、量だけはたっぷりある。いくらでも食ってくれ」


 隆々とした筋肉でシャツをパンパンに張らせた禿頭の調理人は、トレイを置くと、去り際に再度、ありがとうよと言って離れていった。


「親方さんは、慕われていますのね」


「ああ。私なんかより、よほどね。実際、親方がなにかと私を立ててくれていたおかげで、冒険者たちが文句なく動いていた側面は否めない。だが、それもそろそろ限界だろうな。しびれを切らした冒険者の一部が、強引に村の奪還をはかろうとしている。偵察に出たまま戻らない冒険者を探しに出て、親方はやられたんだ」


 隊長の言葉に返答することなく、メルトは黙って食事を口に運んだ。

 質問すれば、深入りすることになる。

 軽々しく会話に乗る内容ではなかった。


 元より、私がしゃべることはない。

 食事を必要とする身体ではなかったが、食べることはできる。

 きつく巻きつけていたネックスカーフを下げ、機械的に料理を口に放り込んでいるだけだ。

 粘土や砂利のような感触の違いは判別がつくが、味などはまるでわからない。


 隊長はそんな私の姿に、幾度か慄くような視線を送ってきたが、態度にあらわすようなまねは見せず、静かに食事をすすめていた。


 全員の皿から盛られていた料理があらかたなくなると、コップの水で舌を湿らせた隊長が話を切り出した。


「きみたちは外部から来た冒険者だと報告を受けている。街道を抜けてきたのならば、状況はある程度察しているとは思うが」


 私とメルトの二人は、行く先々での注目を避けるため、魔王戦後、一人生き残った剣の勇者の補佐をするため、新たに従者として雇われたと口裏を合わせていた。


 メルトがため息をひとつ吐き、言葉を返した。


「難民状態の民間人の群れが、ほぼ放置されている状態でしたわね。ほとんどが平民階級の方たちで、貴族の姿はなし。冒険者や軍人の方々も多少はいましたが、護衛として機能しているようには見えませんでしたわ。さきほど村の奪還とおっしゃっておりましたけど、なんらかの理由で占拠された居住地からの避難民という理解でよろしいのでしょうか」


「砦から馬で半日のところにあるゴート。彼らはその街の住人だ」


 ゴート。それこそが私の目指す土地だった。

 かつては森林開発をおこなう移住者たちが立ち寄る連絡地にすぎなかったが、近隣に大規模なミスリル鉱床が発見されたことで急速に開発が進み、人口、面積ともに爆発的な発展をとげた。


 急激な変化は、さまざまな側面で歪みを引き起こす。

 拡大する貧富の格差。

 旧弊なしがらみをよりどころにする古くからの住人と、新天地を夢見てやってきた新しい住民による価値観の対立。

 職を求めて大量に流入してくる、あぶれ者たちを原因とした治安の悪化。


 私が暮らしていたときでさえ、問題は数え切れないほどあった。

 だが、そんなものは、日々の生活をまえにすればすべてがささいな事柄だった。

 帰る家があり、ともに生きる仲間たちがいた。

 家族が増えれば喜び、仲間がいなくなれば悲しむ。

 ささやかな晩餐のあとは穏やかな眠りにつき、新鮮な朝を迎える。

 誰もがそうして生きてきた。

 私をかたちづくった土地だ。


 その土地が蹂躙され、追われるようにして逃げ延びてきた人々がいる。

 故郷の名は平和なときに耳にしたかった。


「魔王との戦争が終わり、これから復興だと気が緩んでいる隙を狙ったのか、隣領のデルモンド兵が突然攻め込んできたんだ。ところが、タイミングがいいのか悪いのか、その日はちょうど領主であるアルカード子爵の視察の日だった」


「戦争が終われば、集積所に保管されていた軍需物資は王軍に返還しなければならない。おおかた、横流しの算段をつけるための視察だったんでしょう」


 メルトの言葉に、隊長が腕組みをして眉根を寄せた。

 口から出た言葉には、強い徒労感がにじみ出していた。


「お察しの通りだ。デルモンド兵からすれば、どうせ消える荷物をかっさらおうとしたにすぎない。アルカード子爵からすれば、デルモンドに奪われたことにすれば、真相を悟られずにお宝を着服する絶好の機会が到来したってわけだ」


「それで、あなた方たちが戦闘に発展したわけですか」


「いや、実際にデルモンドとチャンバラを繰り広げたのは、アルカード子爵と行動をともにしていた要塞司令官が連れていた守備兵たちだ。私たち元傭兵組は、所属こそ要塞守備隊だったが、ゴート村にある兵站倉庫の警備を命じられていただけの単なる倉庫番だったんだよ。本格的な戦闘がはじまってしまった以上、双方が目標としている倉庫を守っていたって勝ち目なんぞあるわけがなし、さっさとお役目を放棄して、住民の避難援護にまわったんだが、予想外に戦闘が大規模になって、総員でこの要塞まで待避せざるを得なくなった」


 隊長が語った詳しいいきさつによると、偶発的な遭遇戦が制御不能な殲滅戦にとってかわるまでは、あっという間の出来事であったらしい。


 最初に村に火を放ったのがどちらの勢力であったのかはわからない。

 双方に証拠隠滅の意図があった以上、時間の問題でもあったろう。


 さいわい、街には旧村落が構築していた防御壁がそのまま新市街との境界線として残されており、大部分の住民は旧村落を避難経路としてこの要塞へと落ちのびることができたものの、いまだ何組かの冒険者グループと古参のギルド職員が取り残されているということだった。


「どうやら、戦闘はデルモンド側の勝利に終わったらしい。新市街を占拠したデルモンド兵たちは、旧村落を包囲したあと、冒険者ギルドの建物を攻撃目標に定めた。おそらく、ギルドに設置されている魔導通信機で外部から援軍を呼ばれることを恐れたんだろう」


「場当たり的に戦闘に及んだわりに、手際がいいですわね」


「あるいは、当初の作戦計画に戻ったということなのかもしれない。援軍があらわれたタイミングや攻略施設の選び方から考えても、ただ倉庫の中身を奪って終わりというには手が込みすぎている気がする」


「それがわかっていながら、街の奪還を目指しているのですか」


 メルトの疑問はあたりまえのものだった。

 軍隊が明確な作戦計画のもとに軍事行動をとっているのならば、まず最初にやることは、防御陣地の構築に決まっている。

 魔王討伐後、勇者とともに各地を転戦しながら、何度も目にしてきた光景だった。

 そして、精強な兵ほど、隙なく堅固な陣地を造る。


「デルモンドさんがどの程度の貴族なのか知りませんが、都市の占領をこころみるくらいですから、それなりの人数を動員しているんでしょう。街を奪われてから日数がたっている以上、相手はすでに準備万端整えて待ちかまえていると想定すべきですわ」


「デルモンドは爵位こそ男爵にすぎないが、代々勇猛な将校を輩出することで知られる軍閥系の名門だ。今次の魔王戦では、この砦を攻撃してくる敵軍の侵攻ルート正面に位置していたために、常に戦火にさらされていた激戦区でもあった。かたやアルカード子爵は、ミスリルの大量採掘を王国から命じられたのをいいことに、領地にこもって出兵すらしなかった。おかげでゴートの街とこの砦は無傷だったが、デルモンド領は惨憺たるありさまらしい。さぞ恨みがたまっていることだろうな」


 ため息をついて隊長は周囲を見まわした。

 気がつけば、天幕のなかは人であふれかえっていた。

 これからどうすればいいのか。誰もが責任者の決定を待ちかねているのだろう。

 しわぶきひとつ漏らさずに私たちの会話に耳目を立てていた。

 見れば、軍人と冒険者できれいにふたつの集団に分かれている。

 それこそが、彼らの意見の相違を如実にあらわしているようだった。


「王軍への支援要請は?」


「とっくに出しているが、いまだに返答はなしのつぶてだ。聞くが、往路目にしてきた住民たちのなかに、それらしき貴族や軍人の姿を見たかね」


「高位の貴族や上位軍人の方々となると、わたくしにははっきりと区別はつきませんでしたが」


 記憶を掘り起こすように目を細めていたメルトが、問うように私に目を向けた。


 私は首を横に振って答えた。

 難民たちと行動をともにしていた冒険者や軍人もいたが、経験の浅い若者や下級兵士ばかりだった。

 あれではかりに群衆がパニックに陥ったとしても、自分の身を守ることで精一杯で、とてもではないが集団の統制をとることなどできないだろう。


 思い出されるのは、避難キャンプに差し掛かるまえから頻繁に目にした商人と、豪奢な馬車を護衛するように取り囲んでいた軍人たち。

 そして列をなして牽かれていた軍用の輜重荷車。

 なんのことはない。貴族や上位軍人たちは、平民たちを守る気など最初からなく、置き去りにして自分たちだけ逃げ急いだだけの話だった。


 気にかかるのは、彼ら貴族や軍人たちのたどった道筋だった。

 私とメルトのふたりは、各地を転戦していた王軍から離れたあと、山越えをしてこの砦へと続く街道まで出てきた。

 だが、山の傾斜を苦労して登ってくる馬車などは一切見なかった。


 剣の勇者を加えた王軍が、どこにも立ち寄ることなく王都へと帰還するならば、わざわざ面倒な山岳地帯を行軍するよりも、多少遠回りとなったところで楽な平原の街道を進むだろうことは予想に難くない。

 彼らには急ぐ理由がないからだ。

 いまもまだ、戦場となった各地で慰撫活動をしながら、ゆっくりと王都へと向かっている最中だろう。

 その道中に、この要塞から続く街道と交わる宿場町はない。


 つまり、要塞から逃げ出した軍人と、この一帯を治めるアルカード子爵配下の一族たちは、王軍への救援を求めることなく、一直線に王都へ入ろうとしている。


 そしてもうひとつ。

 難民たちの避難キャンプにあった、簡易埋葬の跡。

 いまにして思えば、あれは数が少なすぎた。

 どれも剣や手持ちの武器が墓標代わりに突き立てられていたことから、逃げてくる道中、襲ってくる敵から難民たちを助けるため応戦した冒険者や軍人たちの墓なのだろうと思っていたが、平民が埋葬された痕跡はひとつもなく、その後の道程でも、路傍にうち捨てられた遺体、なにより戦闘の痕跡すら見当たらなかった。


 王都へと最短距離で向かうアルカード子爵一派と、それに同行して王軍の救援を拒む要塞駐留軍。

 その双方は、ミスリルを含む大量の軍需物資でつながっている。


 そこまで想像すれば、考えられる可能性はそう多くはない。

 王都には、彼らを迎える誰かがいるのだろう。

 そしてその誰かは、王軍の介入を求めてはいない。

 デルモンド兵が襲いかかってきた事実を知られたくないのは、襲いかかられたアルカード側も同様だったということだ。

 山を越えて早駆けする伝令など、邪魔な存在でしかないはずだった。


 発音の安定しない声を操りつつ、身振り手振りを交えながらメルトにそれを伝えると、彼女は倦厭とも憂慮ともつかない表情でうつむき、長い吐息を漏らした。


「わかってはいたつもりでしたが、この世界は想像以上に悪辣ですわね」


 隊長に目を向ければ、メルトとは対照的に、硬くとがった視線でなにもない宙空を睨みつけていた。

 自らの肉体を抑えるように強く腕を組み、指が二の腕に深く食いこんでいた。


 指揮官が怒りを爆発させれば、部隊もまた、怒りにまみれる。

 それがわかっているからこそ、歯を食いしばって激情をこらえている様子がうかがえた。


「撤退だな」


 身動きひとつしないまま、隊長が独白するように呟いた。


 その言葉が周囲に伝わると、取り囲んでいた者たちのあげる密やかなざわめきが、潮騒のように返ってきた。


「国内の戦時体制はまだ解かれていない。その状況下で意図して伝令兵を斬ったということになれば、明確な反逆罪だ。たとえ実際に手を下したのがアルカード子爵側の人間だったとしても、横で見ていた駐留軍の連中が罪に問われないわけがない。このまま王都入りしたところで、遠からず事実が発覚してまちがいなく軍法会議が開かれる」


 メルトが信じられないものを見るように、目を見開いた。


「まさか、逆撃してくると?」


「なにもかもなかったことにするならば、自分たちの犯した罪を見た者をすべて消し去るしかあるまい。それに、連中が向かったのは正確にいえば王都ではなく、王都周辺を管轄する中央方面軍の本陣だ」


 ちがいがわからず困惑する私たち二人に、隊長は腕組みを解き、表情を緩めた。


「きみたちは勇者が魔王を討伐したあと、その従者として王軍の近衛部隊に所属して転戦していたと言ったが、国王に仕え、その玉体を死守すべき近衛兵が、王を放置して国中を巡っている状況に疑問を感じなかったかね」


 剣の勇者と王軍を指揮していた近衛部隊の指揮官の会話を思い出した。

 王とはすなわち国なり。

 おのれの身に巣食う病巣を滅するに、近衛、なぜ立ち上がらんや。


 聞いた隊長が、侮蔑したように鼻を鳴らした。


「ふん、ものは言い様だな。勇者が魔王を倒したと報が入るまで、王城に籠もって魔物一匹倒さずにいたとは思えんほどの勇ましさだ。まあ、王を守るのが近衛の絶対使命だ。それ自体に文句はないがね」


「つまり、魔王が倒れたあとになってから、近衛兵の方々が実働部隊として動かざるを得なくなった理由があるということですの」


 隊長はひとつ頷き、机に肘をついた。


「魔王軍との戦争中、勇者たちが敵軍の中枢である魔王の直接討伐を敢行したように、王宮は敵もまた、国王を直接狙ってくる少数精鋭部隊の危険性を考えた。勇者が旅立ってからこっち、王城は常に厳戒態勢。鼠一匹漏らさぬほどの警戒っぷりだったよ。王は宮廷の奥に籠もって、軍議のための謁見すら、非公開の円卓会議上でしか行わないほどの徹底した秘密主義をとった。かわりに王国軍全軍の陣頭指揮を執ったのが、中央方面軍元帥の地位にあったノイタンツ公爵。今上陛下の異腹の兄にあたるお方だ」


 眉根を寄せたメルトがこめかみを押さえた。


「戦争中、一番目立って活躍したのが、王位継承権争いでは席を譲った王の兄ですか。火のないところに煙は立たないとは言いますけれど、火種を投げればあっという間に炎上しそうな話ですわね」


 隊長もまた、首を縦に振ってこたえた。


「戦争中はとにかく勝利をの一念で団結していたが、魔王討伐成功の報が駆け巡ったあと、王国内諸貴族の連合軍を統括するためと称して公爵が総帥を名乗りはじめたあたりからきなくさくなってきた。王軍の統帥権はあくまでも国王自身が所有するという宮廷派と、諸貴族連合軍は王軍の管轄下にはあらずという公爵派の反目が目立ってきているのが現状だ。いまのところ、ノイタンツ公爵自身が王から下賜された元帥杖を帯佩しているから決定的な決裂にはいたっていないがね」


「しかし、それと近衛兵の方々の話がどう繋がるのでしょうか」


 隊長はそれまでの斜に構えていた姿勢から私たちに向き直り、正面から目を合わせると言った。


「きみたちがともに戦っていた勇者だよ。きみたちには申し訳ないが、国内の有力貴族たちは、あの勇者たちが本当に魔王を倒すなどとまったく思っていなかった」


 言いきった隊長の目からは、貴族だけではなく、軍人である隊長自身もそう思っていたことが見てとれた。

 そして、それは私にとっても同感だった。


 となりに目を向けると、視線を感じとったメルトが肩をすくめてみせた。

 勇者を召喚した女神本人すら、信じていなかったらしい。


「戦争中は畏れ多くて誰も訊かなかったが、陛下御自身もそう思っていたんだろうな。勇者による魔王討伐完了の一報が届いたとき、第一声が、マジか、のひと言だったらしい」


 声を潜めて言った隊長の目からは、国王だけではなく、軍人である隊長自身もそう思っていたことが見てとれた。

 そして、それは私にとっても同感だった。


 となりに目を向けると、視線を感じとったメルトが片頬を持ち上げて不敵な笑いを浮かべてみせた。

 勇者を召喚した女神だけが見せ得るドヤ顔だった。


「誰からも期待されていなかった噛ませ犬が、蓋を開けてみれば偉業を成した英雄様だ。民衆はいつだって一騎当千の英雄が大好きだからな。戦時中、目立った活躍を見せなかった国王派は、一刻も早く勇者と合流し、遅ればせながら軍事的功績を確保しようとした。これに待ったをかけたのがノイタンツ公爵だ。王宮と王軍を意図的に分断し、焦った国王派が虎の子の近衛兵師団を派遣したタイミングで、戦線の縮小と王都周辺の守備を理由として自らが総大将をつとめる中央方面軍を王都の玄関前に堂々と布陣してみせた。事実上、現在の陛下は王宮に軟禁状態にあるといっていい」


「近衛の方々は目的の勇者と合流はしたものの、主のもとへと帰ることはできず、ですか。まるで捨てられた野良犬のようですわね」


 噛ませ犬は役目を果たせば捨てられる。それだけのことなのかもしれないと思った。

 だが、犬である以上、噛む牙は残っている。


「戦時法が解かれていない王国において、要塞などの軍事施設や軍属を含む人員の移動、物資の出納といった兵站の統率権は、すべて総司令官であるノイタンツ公爵が持っている。そして今回適用された戦時法は、国家総動員を可能にする第一種だ。いま、この国の実質的な国家元首はノイタンツ公爵だよ」


「あきれましたわ。おもいっきり王権が揺らいでるじゃないですか」


「もちろん、国王陛下とて、現状をただ座視しているわけではない。だが、王権を担保する軍事力が、現在の国王には勇者しかいないことも、また事実だ。さいわいなことに、現在の陛下は民衆の支持だけは圧倒的だ。曲がりなきにも国難を乗り切った指導者だからな。だからこそ、公爵一派は強引な軍事クーデターには踏み出せないし、近衛師団は勇者が備える絶大な武力を誇示することで、宮廷外特使として敵対派閥の切り崩しにも勤しんでいられる」


 そこまで言うと、隊長は深いため息をついた。


「アルカード子爵は、いまや公爵派のなかでも要人のひとりと目されている。領地には大小あわせて複数のミスリル鉱床を持ち、今後、魔の森が開発可能になれば、潤沢な森林資源と魔物素材の採集も期待されているからな。公爵派からすれば、文字通りカネのなる木さ。当然、アルカード子爵自身も戦争の終結を望んではない。だからこそ、我々は勇者のいる近衛に向けて援軍を依頼する伝令を出したのだが、伝令兵を斬ったとなると、公爵派はまちがいなくこの一件をもみ消しにはかるはずだ」


 隊長は一度言葉を区切ると、困惑の混じった視線を私たちに向けてきた。


「そういった事情があるので、私はきみたちのことを、勇者から派遣されてきた先触れの使者なのではないかと期待していたのだが……。そのようすだと、本当になにも知らなかったようだな」


 私とメルトは顔を見合わせた。

 私はしょせん一介の冒険者風情にすぎない。

 公爵だの王権だのと言われたところで、まったく現実味を感じなかった。

 メルトにいたっては悠久の時を生きる天界人だった。

 たかだか百年ほどで移り変わる人間の営為そのものに、興味がないのだろう。

 おそらく、いまも頭の片隅で酒と肉のことを考えているはずだ。


「貴族どものいがみあいなんぞ、かってにやらせときゃいい」


 ふいに聞こえてきた声に、その場にいた全員が振りかえった。

 天幕の入り口に、眠っていたはずの親方の姿があった。


 隣に寄り添って肩を貸そうとした冒険者の手を振り払うと、こころもち前屈みにした上半身を大地を踏みしめるような脚さばきで支え、歩き出す。

 前を見据えた視線上にいた人々が、なにを言われたわけでもないのに押し出されるようにして道を開けた。


 となりにいたメルトの呟く声が聞こえた。


「うそでしょ。さっきまで死にかけてたのに」


 私たちの座るテーブルまで一直線にやってきた親方は、勢いよく椅子に座ると胴間声をあげた。


「クラウス! 肉だっ。血がたりねえ。ありったけの肉もってこい!」


 さきほど私たちに食事を提供してくれた禿頭の調理人が、ゲラゲラと笑いながらも、すぐさま湯気の上がる肉塊をうやうやしく差し出した。


「死にぞこないが。粥かなんかにしとけよ」


「うるせえ! なんだ、このちんけな肉はっ。ワイバーンの丸焼きもってこい!」


 怒鳴り散らしながら、親方は肉にフォークを突き刺した。

 ナイフで切り分けることもせずにかぶりつき、首を左右に振って噛みちぎる。


 一心不乱に咀嚼するあいだにも、次から次へと料理が運ばれてきた。

 敷きつめた挽肉を焼いたチーズで覆った窯焼き、カリカリに焼いたベーコンと半熟目玉焼きの薄焼きパン包み、ほぐした燻製魚と短冊状に切り分けた根菜類の炒め物。

 とろみのついたスパイシーなソースをぶちまけたパスタ。

 なにが入っているのかわからない、ドロドロに煮詰められたスープ。

 親方はそれらすべてを、テーブルに置かれるそばから食らいついていった。


 肉体が栄養を欲するまま、生きるために食う。

 鬼気迫る表情で、がむしゃらに口腔に料理を詰め込み、咀嚼と嚥下を繰り返す。

 とうてい、味わっているようには見えない。

 にもかかわらず、この男が手にする料理は絶対にうまいはずだという確信を抱かせる姿だった。


 食堂内に、焼けた肉から飛び散る肉汁の匂いが充満するなか、立ち尽くしていた男たちがわれもわれもと料理を手にしはじめた。

 緊張のあまり忘れ去っていた食欲が、一気に噴出したかような狂騒と混乱が、天幕のしたにみなぎった。


 それはたしかに、活気あふれる光景だった。

 先ほどまで周囲を覆っていた、不安と緊張ばかりの陰鬱な雰囲気は消え去り、生き残り、みずからの力で未来を切り拓こうとする強い意志に充ちた人間の営みが、眼前に広がっていた。


「おまえたち、備蓄の食料を食い尽くすつもりか」


 一瞬にして空気の変わった食堂内を呆然と見渡していた隊長が、苦笑交じりの声をあげた。


「どうせ撤退するんだろ。日持ちのしないもんは、ぜんぶ食わせちまえばいい」


 木製のジョッキを満たしていたエールを、喉を鳴らして飲み干した親方が言った。


「親方……。すみません。撤退せざるをえない状況になりました」


「あやまるのはこっちだ。すまねえ。オーガごときにヘタこいた。そっちのねーちゃんにも感謝する。あんたのおかげで生き返ったらしい」


 机に手をついて頭をさげる親方に、メルトが笑いながら手を差し出した。


「死んでなければ助ける。それが回復術士ですわ。メルトと申します」


 一瞬ぽかんとした表情を浮かべた親方が、野性味あふれる笑い声をあげながら、メルトの手を握り返した。


「ゴートの冒険者ギルドで解体所の主任をやってるベッカムだ。さっきの酒はうまかった。次に飲むときは、ドワーフ謹製の楢樽仕込みの火酒をごちそうするぜ」


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