第1話 異世界転移
「今日も何もせずに一日終わるのかねぇ……」
四畳半の一室でふとんに横たわりながら、彼はそんなことをつぶやいていた。
中肉中背で、どこかぼんやりと虚空を見つめるような目、顔も特に美形というわけでもない。さらりとした黒髪のみが唯一の特徴である男――伊藤幸也。彼は公立の高校に通う青年だ。いや、正確には高校に通っていたというべきだろうか。何しろ二年前から、いじめと、あるもう一つの原因で学校に通っていない、年がら年中ネットサーフィンに溺れる、いわゆる『引きこもり』だからだ。
これまでの酷い生き様を自分で回想していた幸也は、もう何度目かわからないため息をついた。
「さすがに酷ぇな……ははっ……」
そんな乾いた笑いをこぼしながら気だるそうに重い体を起き上がらせながら部屋の時計に目をむけた。時刻は午後一時半頃。昼食をとるには丁度いい時間だ。幸也は腹は減っていなかったので少し悩むが、ふぅと一息つくと、
「よし! 気分転換にもなるし昼飯でも買いに行くか!」
暗い気持ちになる自分を鼓舞するようにハキハキとした声を出しながら、準備をし始めた。引きこもりの幸也が向かおうとしている場所は近くのコンビニだ。徒歩三分ほどのところにあり、生活の基盤を支えてくれる、幸也にとってはありがたい存在であった。
身支度を済ませて家を出るととても暖かな陽の光が幸也を包んだ。空は晴れて雲ひとつないきれいな青色だった。近くの公園で子供達が、はしゃいでいる声がよく聞こえる。そんなことに微笑ましい気持ちになりながら、隣の家に植えてある桜の木を見ると、きれいな桃色の花がいくつも咲いていた。もう春なんだな、と感慨深いようなそうでないような気持ちを抱えたまま、幸也はコンビニに向かって歩いていく。
移ろいゆく季節以外は普段と大して何も変わらない。平凡な一日。――のはずだった。
コンビニの前まで来たところで幸也は自分の体の異常に気づく。――胸が痛い。引きこもり生活で不摂生をしていたのだから、少しばかり体に異常をきたしてしまうことくらいあるものだろうと幸也は思っていた。しかし、それを考慮してもこの胸の痛みは明らかに普通ではなかった。
痛み自体はさして大きいものではなかった。しかし自らの本能が危険だと警笛を鳴らすような、命が危機にさらされ背筋が寒くなるような、そんな痛みが、幸也をいきなり蝕み始めたのだ。
経験したことのない感覚と、正体不明の痛みと、突然の寒気に少し恐怖を覚え、どうしたものかと悩みかけた幸也であったが、そのうち痛みは引いてくれるだろうと考えコンビニへ入っていった。
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「一体なんなんだよ……この痛みは……」
コンビニの中で昼食用の弁当を選びながら、動揺と焦りを隠せない声で幸也はつぶやいた。彼は明らかに先程より胸の痛みを気にしている。それも当然だろう。幸也の動揺の原因――謎の胸の痛みが彼の体を犯していくように徐々に強まっていたのだから。
「さっさと帰ってなんとかしねぇと本気でヤバい気がするぞ……痛くなってきた……」
先程から鳴り続けている幸也の中の命の警笛、それがどんどん大きくなってきている。このままでは大変なことになるぞと言わんばかりに。幸也の体が幸也自身を案じている。その警告に答えるように、いつも買っている唐揚げ弁当とペットボトルの緑茶をレジまで持っていき、そそくさと買い物を済ませようとする。
「六百四十円になります」
無機質な店員の声を合図に千円札を雑に出す。周囲の人からすれば明らかに挙動不審だろう。誰が見てもすぐに分かる。それほどまでに幸也はソワソワしていた。
自分はなぜこんなにソワソワしてしまう状況に陥ってしまったのだろうか。なぜ体は警笛を鳴らすのか。なぜ根拠もないのに不安になるのか。そもそもこの痛みは何なんだ。訳が分からない。そんなことを一人思案顔で幸也は考えていた。
そんな彼を見て何を思ったのか、つい先程までロボットのように無機質な雰囲気だった店員が、心配そうな顔をして『大丈夫ですか』と声を掛けながらお釣りを渡す。そんな店員の気遣いに、幸也はそっけない返事で応え、お釣りを受け取り即座に店を出る。
その直後のことだった。コンビニの入口から数メートル離れたときだった。それはいきなり襲ってきた。
「――ゔ!?」
何かが幸也の中で弾けた気がした。次の瞬間――、
「がぅあああぁぁぁぁぁぁ!!」
彼は度し難いほどの胸の痛みに襲われた。身を焼かれるような、引き裂かれ、切り刻まれるようななにか。幸也の体を蝕むそれがついに暴れだした。幸也は体をビクビクと痙攣させながら、コンビニの駐車場の中心でこの世のものとは思えない絶叫のような叫び声をあげながら、うずくまり、そしてのたうち回る。
「ッぁぁあがあ!!」
『痛い』――これが今の幸也の胸裏にあるものの全てだった。
『痛い。 痛い。 痛い。 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!』
――――自分はどうなるのだろう。死ぬのかな…?
体を引き裂くような痛みの中で、ふと痛いということ以外を幸也は考えた。その瞬間、痛みという苦痛で埋め尽くされていた彼の頭の中にはそれと変わるように、次から次へと濁流のような疑問が流れてきた。
何故こんなことになった? 何故こんなに痛い? 何故こんなことを考えてる? 容赦なく流れてくる『何故』。その疑問という名の濁流に、おかしくなった幸也の頭は呑まれていた。突然の激痛と死の恐怖で幸也の頭はパニック状態に陥りかけてしまっていた。
『何故。 何故。 何故。 何故、何故、何故、何故、何故、何故!』
――――ふと痛みが引いた気がした。疑問も全てどうでも良くなった。何もかもがどうでも良くなった。
――気がつくと伊藤幸也は見知らぬ街の見知らぬ道のど真ん中に突っ立っていた。
初めて小説というものを書いたので拙い文章かも知れませんが、読んでくださった皆さん!今後ともよろしくお願いします!m(_ _)m