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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
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聖女の責任

作者: 青座あおい

(わたくし)を置いていってください」


 とある宿の一室でソフィア・アードラが仲間達に告げた。


「急にどうしたんデース!? まだ傷が痛みますカー!?」


「ちゃんと完治させた」


「理由を聞かせてソフィア」


 ソフィアの他にその場にいるのは3人の少女。ソフィアの言葉に真っ先に反応した独特な喋り方をする金髪碧眼の少女。セリーヌ・セレスタは血相を変えてソフィアに飛びついた。

 次に反応した少女は長い黒髪と黒目のフブキ・タチバナ。セリーヌの言葉に冷静な声で反論する。

 最後の少女はフブキと同じ黒髪黒目だが髪の長さは肩口くらいのアヤカ・ヒビノ。ソフィアに抱きつくセリーヌを見て眉をひそめつつ、ソフィアに発言の真意を訊ねた。


「フブキ様のおっしゃる通り完治していますよセリーヌ様。そう、それが問題なんです」


 頬ずりしてくるセリーヌを押し返しながらソフィアは言った。


「完治したということは傷ついたということです。フブキ様がいなければ恐らく死んでいたでしょう」


 そう言って今日の戦いで大穴を開けられた腹部を(さす)るソフィア。今はもう外にも内にも傷一つ残っていないが。


 そのような傷を負うほどの戦いを続けながら彼女達が旅をしている理由は、5年程前に発生した未曾有(みぞう)の大災害の原因究明、及び今なお引き続くその影響を解消するため。

 その災害とは酒場の明かりさえ消えたある日の夜更け、突如としてこの国の国土の2割ほどが天を衝くほど巨大な黒い壁のようなもので閉鎖されてしまった現象のことだ。壁は魔法によって展開される魔力障壁(まりょくしょうへき)と呼ばれるもので、明らかに自然現象ではなかったがそのまま通り抜けることができるのに中から出て来た者は今まで確認されておらず、今を持ってなお原因が特定できていない。また壁からは強力な魔物達が溢れ出しては、壁に近づく者や近隣の街を襲い今まで数えきれないほどの人間が犠牲になってきた。

 光を飲み込むような漆黒の壁は来るものは拒まぬが帰さないことから、『壁で囲われたのではなく消滅してしまっているのでは』と噂され、市井の人々はこの災害を<大消滅(だいしょうめつ)>と呼び、『次は自分の住む街が消されるのでは』という不安を抱えて夜を過ごしている。

 国土の2割が消滅し強力な魔物が跋扈(ばっこ)するようになってしまったこの国の国王は、『これはもはや国ではなく世界の危機』として、各国の協力も仰ぎ世界に名だたる英雄達を招聘(しょうへい)し事態の終息を図った。しかし、その誰もが帰ってくることはなく壁から溢れる魔物の対処にすら事欠くほどになってしまった。『世界滅亡』が現実味を帯びるに至り王達が頼ったのが、神と交信するという特殊能力を持つ聖女であるソフィア。もはや神に(すが)るより世界が救われる道はなかった。

 こうしてソフィアの祈りを受けて神が遣わせたのが異世界より呼び出されたアヤカ達3人の勇者。それぞれがまさしく神の如き力を発揮する彼女等と世界最高の癒しの魔法使いでもあるソフィアとで、<大消滅>の壁を破壊し世界を救う為に旅立ったのだ。

 道中で壁から溢れ出た魔物を殲滅(せんめつ)しつつ順調に旅は進み、今となってはまだ住人が残っている内で壁に最も近い位置となった街までたどり着いたのだが……


「怖くなっちゃいましたカー?」


「はい。私の死がではなく皆様の死がですが」


 押し返してなお頬をくっつけながら聞いてくるセリーヌに抵抗をやめてソフィアは答える。


「壁に近づくほどに戦いが激しくなることはわかっていました。魔物は壁から生まれるのですから近ければそれだけ数も多くなりますからね」


「近くも遠くもそんな変わらないよ」


「私にとってはとても大きな変化なんです」


 当然のように言うフブキにソフィアは唇を噛む。悔しいことだがはっきりと言わなければならない。


「私はもうここから先足でまといにしかなりません。私自身が死ぬのはよいのです。けれど私のために皆様が死したり戦えなくなるほどの傷を負うことは絶対に避けなければなりません」


 『皆様だけが希望なのですから』とソフィアは言い聞かせるように3人に伝える。ソフィアにとって自分が死ぬことなどはどうでもよかった。自分が死んで世界が救われるなら喜んでこの身を捧げられると思っていた。

 しかし、3人の勇者達を巻き込んでしまえば世界を救う手立てがなくなってしまう。3人とも仲間を見捨てられるような性格ではなく、戦闘時にはもはや邪魔にしかなっていないソフィアを庇うように立ち回る。今日の怪我も即死を(まぬが)れたのは魔法使いであるフブキが障壁を張って敵の魔法の威力を減衰してくれたからだ。特別に固い障壁をソフィアの前に張ったのでそれ以上障壁は張ることができず、フブキ達3人は直接敵の魔法を受けてしまった。幸い威力を減衰してもソフィアでは瀕死の重症を負うほどの魔法でも3人の体には多少の傷が付いたに過ぎなかったのだが、これがもしもっと高威力の魔法だったら……とソフィアを恐怖させるのには十分な出来事だった。


「私の治癒魔法などもはやフブキ様の足元にも及びません。その上フブキ様は他の各種魔法も使えます。治癒と守護しか能のない私がおらずとも十分戦っていけるでしょう」


「ソフィアがいた方が安心できる」


「そうですね。フブキ様が傷ついた際に備えた予備としての治癒術師はいた方が心強いかもしれません。けれどお優しい皆様は私のために傷ついてしまう。予備戦力のために主戦力たる皆様が傷つくのでは意味がないじゃないですか」


「予備がいるからって意味じゃない……」


 歯を食いしばり自らの不要性を説くソフィアにフブキは淡々と応じる。いつも感情を見せない彼女だが今回ばかりは戸惑いや悲しみの色を滲ませた声で。


「アヤカ様もセリーヌ様も私の役目を絶やさぬようにわざと傷つかれていますね? 今はそれでよくともここから先激化していく戦いの中でそのような慢心は命取りとなります」


「エ、エー、気づいてたんデスネー……」


「そ、それは体の痛みと引き換えに心を癒やしてるというか……」


 見透かされていたと知ってセリーヌとアヤカは口ごもる。


「皆様が私を想ってくださっていること大変光栄です。けれど私もまた皆様を想っているのです。このままでは私は皆様を死なせてしまう。だから私を置いていってください。お願いします……!」


 今一度懇願(こんがん)するように言ってソフィアは頭を下げた。悔しさを堪え不甲斐ない自分を心中で罵倒しながら。


「……わかったよソフィア」


「アヤカ!?」


「待って彩花」


 ソフィアが頭を下げ続けて5分ほど。その覚悟の程を感じ取ったアヤカが彼女の訴えを受け入れるようなことを言い、他の2人が驚いて止めにかかる。


「ソフィアの言うことは(もっと)もだよ。(わたし)だって今日のことはショックだったもん。ソフィアが死んじゃうかもしれない、死ななくても後遺症とか傷跡とか残っちゃうかもって」


「吹雪が全部治す」


「吹雪の魔法は信じてるけど即死するような攻撃だったら? 跡形もなく消し飛ばすような魔法だったらきっと蘇生もできない」


「ぐっ……」


「セリーヌだってソフィアが今日みたいなことになるかもって思いながらじゃ戦えないでしょ?」


「ぴったりくっついてないと心配デース……」


「私だってそうだよ。ずっとソフィアのこと守りながらじゃないと戦ってられない。でもそれじゃ駄目なんだよね?」


「はい」


 仲間達を諭してから再確認してくるアヤカにソフィアは顔を上げ頷いた。


「なら安全なところいてもらった方が気兼ねなく戦える」


「ここも安全じゃない」


「王都まで戻らせていただきます。皆様が切り開いてくださったおかげで、引き返す分にはさほど危険はありませんから」


「……そう」


「ウゥー……ショーがないんデスヨネー……」


 フブキとセリーヌは完全に納得はできないが認めざるを得なくなり渋面を作るしかできない。


「申し訳ありません。本来この世界のことなど関係ない皆様に全ての責任を被せることしかできない弱い私達を、どうかお許しください」


 申し訳なさで消え入りたくなりながらソフィアはもう一度頭を下げる。ソフィアはこの旅に自分が不要であると旅立つ前から気がついていた。それでも着いて来たのは3人が一緒に来ないなら行かないと駄々をこねたのと、異世界の人間に全ての責任を負わせることが許せなかったからだ。

 神に願い彼女達をこの世界に連れてきた自分には最後まで見届ける義務がある。その思いを胸に今日まで旅を続けたが限界が来てしまった。


(なんて破廉恥(はれんち)なんでしょう私は……! 聖女が聞いて呆れる……)


 結局勇者達を(いたずら)(わずら)わせただけで逃げ帰ろうとしていることから来る自責の念の呵責(かしゃく)に、ソフィアは強く唇を噛んで耐えた。


「ソフィア」


 フブキに名前を呼ばれて顔を上げると彼女の指が唇に触れる。触れた指先が(かすか)かに光ると噛み切れていたソフィアの唇の傷が塞がっていた。


「ありがとうございます、フブキ様」


「貴女を傷つけたくないから置いてくの。自分で傷つけてどうするの」


 礼を言うソフィアにそう告げてフブキはソフィアの唇に触れた指を自らの唇に付ける。その何気ない仕草にセリーヌとアヤカは腰掛けていたベッドから勢いよく立ち上がりフブキに詰め寄った。


「アー! フブキずるいデース!」


「何が? 治療しただけ」


「治療するだけなら触れる必要ないのに、いつもそうやって無駄にベタベタするじゃない! 治療に(かこつ)けてのお触りはルール違反よ!」


「触った方がやりやすいだけ」


 いきり立つ2人を意に介さずフブキは指で唇をなぞり、それを見た2人の気勢が更に強まる。喧々諤々(けんけんがくがく)の口論が始まりソフィアは慌てふためく。


「お、おやめください皆様! もう夜中ですしお隣の方々にも迷惑になりますよ!」


「そう、近所迷惑」


「ぐぬぬ……」


「ムー……」


 仲裁に入るソフィアに同調して済まし顔でそう言いながらも唇を弄んでいるフブキを、2人は恨めしそうに睨みながらも落ち着きを取り戻し元の位置に戻って行った。

 3人とも平時はとても仲がいいのだが時折こうしてソフィアを巡って争い合うことがある。これだけソフィアが慕われているのにはわけがあった。


 ソフィアが召喚の儀を執り行い初めて3人と出会った際に先ず初めに抱いたのは重苦しさ。いずれも劣らぬ美少女達であるがその美しさを圧してあまりある程に彼女達は陰鬱(いんうつ)な空気を纏っていた。突然異世界に呼び出されたにも関わらず驚きも戸惑いもなくただ王国の窮状(きゅうじょう)を話し助力を求める王の言葉に頷くだけの彼女達は、皆一様に目が死んでいたのだ。

 剣も握ったことがないというので最低限の訓練を受けることになった彼女達は、兵士達との手合わせから魔物との実戦においても傷つくことも(いと)わず戦った。その姿は死を恐れていないのではなく死んでもいい――死にたいと思っているようにソフィアには見えた。話を聞けばそれも当然。3人とも召喚される直前に死のうとしていたのだから。


 フブキは勉学でも運動でもどれだけ優秀な成績を修めても逆に非行に走っても、一切自分に興味を向けてくれない両親の気をひきたいがため。

 セリーヌは機械の動作不良が原因の事故を父親の責任にされ、それを理由に周囲から迫害されたことで父に辛くあたり自殺させてしまったため。

 アヤカは同性の恋人から手酷くフラれ両親や友人からも、慰めではなく気持ち悪いだの悪口を叩かれたり病気扱いされたことに絶望して。


 三者三様の理由だがそれぞれ心に負った深い傷の痛みから逃れようと自ら死を選んでいた。だからなんの縁もゆかりもないこの世界のために捨身で戦えるのだ。もはや何もかもがどうでもいいから。

 それは彼女達を召喚した神がそのような精神状態の人間をあえて選定したのかもしれないとソフィアは考えていた。自分の世界のためにでも立ち上がれる人間はそれほど多くない。だが自ら死を選んだ者ならば異世界のためにでも命を捨てられるだろうと。

 それでもソフィアは彼女達をそのままとすることを良しとしなかった。例え神の意に反するのだとしても、酷く打ちのめされ世界に絶望した彼女達を見過ごせなかった。

 他人を拒絶する彼女達にソフィアはときに強引にでも寄り添った。(かたく)なだった彼女達も何度振り払っても食い下がり優しく微笑んでくれるソフィアに心を開き、その心の傷を癒やされていく。そうして今では彼女達の目は確かに生きていく意志を宿したものになっていた。


 そんな事情があって彼女達は自分に希望をくれた相手としてソフィアを大変好ましく想っており、悪く言えば執着している。構ってもらいたくてしょうがないのだ。そのためソフィアが他人に構っていると露骨に不機嫌になり、それが他の勇者であるならば今のように口論になることもしばしばあった。


「ともかく、私をここに置いていくことはご納得いただけたということでよろしいですね?」


「本音は嫌だけどしかたない」


「ソフィアの分まで頑張るよ!」


「寂しいですけど我慢デース! シノブモノと書いてニンジャデスカラ!」


 ソフィアが3人の意思を再確認するとフブキは歯噛みして、アヤカは拳を握り、セリーヌは目端の涙を拭い肯定する。それを見てソフィアは安堵の息を吐いた。


「ありがとうございます。そして改めて申し訳ございません。私が、私にもっと力があれば……!」


「いいんだよソフィア」


 礼と謝罪の意を込めてまた低頭するソフィアの手を取ってアヤカが優しく語る。


「死のうとしていた私達に希望を与えてくれたのはソフィア、貴女。貴女がいたから私達は未来を見て生きようと思えるようになった」


「けれどそれはある意味で残酷なことだったのかもしれません。あのままであれば死に恐怖することもありませんでした」


「そんなことありまセーン! ワタシ達がここまで来られたのはソフィアがいるからデース! ソフィアを、ソフィアが生きるこの世界を守りたいと思ったから戦ってこられマシタ!」


 吐露(とろ)されたソフィアの懸念(けねん)を強く否定してセリーヌがまたソフィアに抱きついた。


「そうだよソフィア。あのままだったら私達どこかで絶対もういいやって諦めて死んでた。ソフィアを守りたいって想いが私達の命を繋いでくれたんだよ」


「ソフィアがいたら安心するってそういうこと。予備がいるからじゃない。ソフィアの存在が吹雪達にとって最強の守護魔法」


 アヤカに続き先の言葉の真意を話すフブキはセリーヌの逆側からソフィアにしなだれかかる。両手を包むアヤカの手、左右のフブキとセリーヌの体の温もりにソフィアは胸が詰まり涙が溢れて来た。


「皆様……この身に余る光栄です……!」


「もう、大げさだなぁソフィアは」


 3人を見回し震える声で感謝を伝えるソフィアの様子にアヤカは苦笑し、セリーヌはソフィアと同じく泣きながら頬ずりし、フブキはしなだれかかったまま心地よさそうに目を閉じた。


「皆様なら必ずできると信じています。どうかこの世界に安心して眠れる夜を取り戻してください!」


「うん、任せて。絶対にあの壁を無くしてもう二度とできないように、原因をぶっ倒して来るからね!」


「ボッコボコデース!」


「ん。跡形もなく消す」


 ソフィアの哀願を勇ましい言葉で受け止める勇者達。若干物騒なことを言っている気がしたが<大消滅>の原因に関してはソフィアも同じ心持ちなのであえて指摘はしなかった。


「全てを終えた暁にはその大恩には必ず報います。よっぽど無茶な内容でなければどのような願いも叶えると陛下も仰っていましたから」


「うーん、私は王様からの褒美よりも……」


「ふふっ、無論私もこの身で叶えられることならなんなりと」


 アヤカの意味有り気な目配せを受けソフィアはそう答える。国王よりも大事に思われていることが恐れ多くも嬉しくてつい笑みを浮かべてしまった。だが対照的に他の3人からは穏やかな雰囲気が消え一触即発な空気が流れ出す。


「言質取ったからね?」


「えっ、あ、はい」


 急に張り詰めた空気に困惑するソフィアは念を押すようなアヤカの言葉をたどたどしく首肯した。


「ワタシが勝ちますからネー!」


「射程は吹雪が一番。負けるわけがない」


「ふっ、こういうのは剣を使う私みたいなのが主人公。私が勝つに決まってるじゃない」


「なんの根拠にもなってまセーン!」


「そもそも剣でどうにかなる原因かどうかもわかってない」


「それなら吹雪やセリーヌだってどうにもなんないかもしれないでしょ!?」


「ワタシにはニンポーがありマス! ニンポーはバンノーデース!」


「剣でどうにかなることなら大体魔法でどうにかなる。逆は無理なこともある」


「私の剣だってビームとか出せるから普通の剣と違うし!」


「ちょっと皆様! なんで急に喧嘩しだすんです!? お静かにと言ったじゃないですか?!」


 突如勃発した舌戦を止めるため大声を張り上げるソフィア。これにはいかな勇者と聖女のパーティーといえどさすがに苦情が入り、これ以上騒がぬようその日は就寝する運びとなった。




 明くる日の朝。ソフィアは窓の外の喧騒によって目を覚ました。


「あれ……皆様?」


 寝ぼけ眼を擦って部屋を見回すと同じ部屋で寝ていたはずの勇者達の姿がない。いつもなら別の部屋に寝ていても誰かしらが横で寝ているので今日の寝覚めはどこか寒々しい。


「何かあったんでしょうか?」


 窓の外は今もまだ騒がしい。魔物が街に入って来たなどの緊急事態というよりは戸惑いや何かを喜んでいるような歓声がする。事の次第を確かめようとソフィアはベッドを降りて窓を開ける。眼下の街道には大勢の人々がひしめき合っており、全員東の方角に視線を向けて何かを言い合っていた。その方角には<大消滅>の壁があるはずだとソフィアもそちらを見て、


「……!?」


 驚きのあまり前のめりになって窓から落ちそうになった。

 その方角にあるはずの異様。嫌でも目に入るほどの巨大な〈大消滅〉の壁が、跡形もなく消え去っていた。


「一体何が……!?」


 煌々と輝く朝日に照らされて目覚める。<大消滅>によって奪われ、焦がれていたはずの日常が余りにも唐突に帰ってきて街の住人達は困惑半分喜び半分といった感じで、感情をどう処理すればよいのかわからない様子だった。ソフィアもまたこの日を待ちわびていたはずなのにまったく理由がわからず喜ぶに喜べないでいる。


(そもそも喜ぶべき現象なの? 壁が消えたことで向こう側にいる魔物が一斉に解き放たれたりしてて――)


 ソフィアが最悪な事態に考え至ったときだった。朝日を背負い3つの人影が東の方から歩いてきた。


「ワタシが最初デース!」


「吹雪が一番活躍した」


「トドメ刺した私でしょ!」


 言い争うその声は勇者達のものだった。勇者達が〈大消滅〉の壁があった方角から歩いてくるのだ。呆気にとられていた群衆の1人が我に帰り慌てて彼女達に駆け寄り訊ねる。


「ゆ、勇者様っ! あの、壁は!?」


「あぁ、なんか壁の向こう側で魔王とか言って偉ぶってた奴ぶっ殺したら消えたの」


「魔王……ぶっ殺……と、ということは!?」


「これで解決」


「もう壁もナイノデ、魔物も出まセーン! コレニテ、イッケンラクチャクデース!」


 勇者達の言葉を聞き群衆は一瞬しんと静まり返り、直後一斉に割れんばかりの大歓声を挙げた。ソフィアの胸も喜びに溢れたが空気を震わすほどの大騒ぎにたまらず耳を塞ぐ。勇者達もまたうるさそうに顔を歪めたが宿の窓から顔を覗かせるソフィアを見つけるとニヤリと笑い、その場から跳躍して群衆を飛び越え窓枠に飛び乗ってきた。


「おはよソフィア」


「アヤカ様……」


「取り戻してきたよ、皆が安心して眠れる夜を」


「はい……!」


 窓枠に立ったアヤカは優しい声でそう語りかけ、事態を飲み込めたソフィアは歓喜の涙を流しながらそれに応えた。しばらくそのまま見つめ合う2人だったが、


「早く入って」


「ワタシもソフィアとお話させるデース!」


 3人分のスペースがなく窓枠にぶら下がっていたフブキとセリーヌからの催促を受け、一旦全員部屋の中に入ってゆっくり話し合うこととなった。




 宿屋のマスターに大事な話をしているから誰も入れないように頼み、閉め切った部屋にフブキが防音の魔法をかけることで外の大喧騒から完全に隔離された部屋の中、ベッドに腰かけたソフィアは勇者達から説明を受けていた。


「――その魔王と名乗る魔物が自らが君臨するためにあの壁を作り、壁の向こう側を領地として世界から隔離(かくり)した、と」


「うん。だから壁の向こう側は別に消滅してたわけじゃないよ。ただあの壁は入ることはできても出られない仕掛けになってたみたい。魔物も向こう側から来てるんじゃなくて壁そのものが生み出すようになってたっぽいね」


「なるほど、だから誰も帰って来られなかったんですね」


「ん。帰って来てない人の中にも生きてる人がいる」


「それは何よりです」


 壁の向こうに生きている人がいると聞いてソフィアは顔を明るくする。元から壁の向こうにいた者や後から向こう側へ行った者達の中にはソフィアの知り合いもいたからだ。


「マオーは壁の向こうでタミクサを苦しめてマシタ! だからワタシ達がテンチューを下したんデース!」


「倒したら壁が消える保証もなかったけど、こういうのは倒したら何とかなるもんだと思って、速攻で魔王城があったリンセスってとこまで行ってぶっ殺して来たの」


「リンセスまで!? ここからでも馬車で半月はかかる距離を一夜で!?」


 ソフィアが眠ってから今に至るまで恐らく7刻も経っていないはず。その時間でここからリンセスまで行き、魔王を倒し、また戻ってきたというのか。


「頑張った」


「が、頑張ったんですね……」


 フブキの端的な言葉に他の2人も頷く。一夜にして成し遂げられた救世を事もなげにその一言で片付けてしまう勇者達に、ソフィアはただ圧倒されるしかなかった。


「で、案の定倒したら壁と壁から生まれた魔物が消えたからこれで任務完了ってことで、また頑張ってここまで帰って来たってわけ」


「えっと、その……お疲れ様です」


 かなりいきあたりばったりな感覚での行動であったようだが、紛れもない偉業を達成した3人にソフィアはなんと言ったものか逡巡し、とりあえずその労を労う言葉を述べた。


「そんな疲れてないけどありがとう」


「はい。ではこれからのことを――」


「そうデス! これからのことを考えるためにケッチャクつけマース!」


 ここからの行動を提案しようとしたソフィアの言葉を遮ってセリーヌが宣言し、他2人とにらみ合いを始める。


「ワタシが最初に攻撃したカラ、ワタシデース! ハヤイモノガチデスヨ!」


「それは逸っただけ。総合的に見て吹雪が一番戦いに貢献してたから吹雪が最初」


「ゲームじゃないんだからそんなの決められないでしょ! 普通はトドメを刺した人の手柄になるもんだから私だよ!」


「たまたまタイミング良かっただけじゃないデスカー!」


「それを言ったらセリーヌだってタイミング良く駆け出せただけじゃない!」


「吹雪が強化してなかったら2人とも死んでたかも」


「あの程度で死にまセーン! ニンジャ耐久力をナメたらアカンデスヨ!」


「トドメ!」


「貢献度」


「ハヤイモノガチ!」


「お、おやめください皆様! せっかく戦いが終わったというのに何をまだ争うことがあるんです!?」


 またも繰り広げられる口喧嘩にソフィアが割って入り鎮静を促す。どうも魔王との戦いで誰が一番の功労者であるのかモメているようだったが、彼女達はそれほど自身の武勲に拘る人間ではなかったはずだ。一番の武勲の多寡(たか)で褒賞が変わることはないのも知っているだろうし、ここで言い争う理由がソフィアにはわからなかった。


「何をって私達にとって一番大事なことだよ」


「何なんですそれは?」


「ソフィアとエッチする順番」


 ソフィアの問いにフブキがまたも端的に答える。その言葉の意味をすぐに理解できずソフィアはしばらく思考停止し、


「エッ、エエエエエっ!?」


 恐らくこれまでの人生で最大の声量での叫び声を挙げた。そして混乱するままに3人へと食ってかかる。


「わ、わわ、私とエッ……なん、なんで!?」


「したいからデスヨ?」


「なんでしたいんです!?」


「好きだから」


「好き!? 好きって、そういう意味で!?」


「そういう意味じゃない好きならエッチしたいとか思わないよ」


「そう、です、よね……」


 アヤカの返事を聞いて状況を飲み込んでいくに連れ、荒くなっていたソフィアの気勢が沈んでいく。アヤカも他の2人も軽々しく言ってはいるもののその目は真剣そのものだった。


「アヤカ様が同性の方を愛される人だとは知っていましたが、セリーヌ様とフブキ様もそうだったのですね」


「違う」


「ワタシもデース」


「えっ?」


「フブキは女の子が好きなんじゃない。ソフィアが好き」


「ハイ! 女の子だから好きじゃありまセン! ソフィアだから好きなんデスヨ!」


「私、だから……」


 フブキ、セリーヌとソフィアは確かに同性だ。けれど彼女達がソフィアに惹かれたのはそれが理由ではないということ。女の子だからではなくソフィアだから。それは恋慕という意味の『好き』には伴って当然の感情だったが、色恋の経験がないソフィアにとっては限りなく深い愛の言葉のように聞こえた。心臓が脈打つ音が早まり頬が上気するのを感じてソフィアは頬と胸どちらを押さえればいいのかわからず両手を彷徨わせる。そんな3人の盛り上がりから1人外されていたアヤカは憮然とした口調で言う。


「なんか含みがある言い方ね?」


「別に。彩夏は女の子が好きだから好きだと言いたいわけじゃない」


「当たり前でしょ! 私だってソフィアのことが好きなんだから!」


「ケド、前のカノジョさんとやりまくりだったデショー? ワタシはミケーケンですから譲ってくだサーイ!」


「誰がやりまくりよ!? キスまでしかしてないわよ!?」


「ワタシはキスもしたことないデース」


「フブキも」


「だ、だったらここは経験者の私が手解きするのが妥当じゃないかしら?」


「キスくらい手解きなんかいりませんヨー!」


「女の子を気持ちよくする方法を自分でよく知ってるから手解きいらない」


「自分でするのとは全然違うからね!?」


「その言い方、やっぱり経験あるんじゃない?」


「先のために知識を収集してただけだよ!」


「あ、あああ、あのっ! 皆様一旦落ち着いてください!」


 また再開される猥雑な内容の言い争いを羞恥に頬を真っ赤に染めて止めに入るソフィア。その言葉を聞いてセリーヌが何かを思いついたように掌に拳を落とした。


「そうデース! 魔王との戦いで誰がどうしたトカ関係ありまセーン! 大事なのはソフィアの気持ちデス!」


「確かに」


「一番大事なことを忘れていたよ。ソフィア、誰としたい?」


「することは確定なんですか!?」


 3人に真剣な目で真っすぐ見つめられてソフィアはたじろぐ。動転する頭で何とかこの場を切り抜ける策を講じるがそんな都合のいい策は見つけられない。


「やっぱり嫌?」


「そ、それは……」


 恐る恐るといった様子のアヤカの問いにソフィアは口ごもり考える。アヤカが同性を愛する女性だと知ってそれでもなお彼女との仲を深めようと決めたときに、彼女に懸想される可能性もあることは考えていた。アヤカと、或いはフブキやセリーヌともそのような関係になりそのような行為をすることを考えたとき、自分はどう思ったのか。そして実際にそのときが来て今自分は何を思っているのか。心臓の高鳴りは恐怖なのかときめきなのか。


「嫌、ではないです……」


 搾りだすようにしてソフィアの口から出た結論はそれだった。


「本当に? 無理してない?」


「してません。私も……私も皆様のことを、あい、愛して、いるんだと、思います……」


 真意なのか確かめようとしてくるフブキにソフィアはこれ以上ないほどに朱に染まった顔を背けか細い声で答える。


(だって、私をずっと守ってくださるから!)


 足手まといにしかなっていなかったということはそれだけソフィアは守られていたということ。ピンチになる度に身を挺して自分を守ってくれる3人の姿はまさしく勇者そのもので、それでいて平時には隙あらば甘えて来る姿がまるで子犬のように愛くるしくもあり、ソフィアは徐々に彼女達に心惹かれてしまっていた。

 それに気が付かないようソフィアは無意識の内に自分の気持ちに蓋をして気づかないようにして来た。この世界では公にできるような嗜好ではないということもあったが何より、


(やっぱり(わたし)は破廉恥だ……! 3人を同時に愛しているだなんて……!)


 3人ともを同じくらい愛してしまっていたから。アヤカともフブキともセリーヌとも、彼女達が望む行為をすることに忌避感を抱けていない、全員に『好き』と言われて嬉しいと思ってしまっている自分の卑しさから目を背けるためだった。


「ごめんなさい、(わたし)、こんな……ふしだらだと軽蔑(けいべつ)してください……」


 取り繕う余裕もなくそのままそっぽを向いてソフィアは3人に謝罪する。どんな表情をしているのか見る勇気が出て来ず、そんな自分にまた失望して気持ちがどんどん沈んでいく。


「そっか。わかったよソフィア」


 ひたすら自己嫌悪に走っていたソフィアはアヤカのその言葉に体を大きく震わせた。怒りや軽蔑の色は感じ取れず、どこかすっきりしたような声であったことに疑問を覚えたが理由を探る前に腰かけていたベッドに押し倒される。


「えっ!? えっ!?」


「私達3人とも好きだってことだよね? 私だけを見てほしいって思うのが普通なのかもしれないけど、なんだかこれでよかったって思っちゃうのはなんでだろうね」


「ホレタヨワミってやつデスカネー」


「フブキ達もそれぞれのことソフィアほどじゃないけど好きだからじゃないの」


 ベッドに転がされ素っ頓狂な声を挙げるソフィアを余所に、和やかに会話しつつソフィアを押し倒し腰に跨るアヤカを追って、フブキとセリーヌもベッドに上りソフィアの両腕を取って寝転がった。3人とも微笑みながらソフィアを見つめ穏やかな声でアヤカが語り掛ける。


「軽蔑なんかしないよソフィア。独り占めできないとしてもちゃんと愛してくれてるならそれで幸せだから」


「2人で愛し合うヨリー、4人で愛し合った方が幸せ2倍デース!」


「セリーヌの理屈はどうかと思うけど、この4人なら幸せになれるってフブキも思う」


 3人ともに受け入れられて嬉しいという気持ちがソフィアの内に湧きあがった。しかし、事が事だけにそのまま受け入れることができない。


「本当に、それでいいんですか? ただでさえ女同士なんてこの世界では公に晒せることではないのに、ずっと後ろ指を指されて暮らすことになってしまいます」


「そんなことどうだっていいデース! 言ったデショー! 大事なのはソフィアの気持ち!」


「ソフィアはどうしたいの?」


「私達のためとか世界のためとかじゃなくってさ、ソフィアの気持ちを聞かせてほしい。好きだって言ってくれたの嘘なの?」


「嘘じゃないです! (わたし)は本当に、本気で皆様のことを愛しています!」


 アヤカに疑われたまらずソフィアはたまらずそう叫んでしまった。それはもうソフィアの気持ちに蓋ができなくなったということの証明だった。


「なら問題ないね」


「4人でいっぱい幸せになりまショー!」


「ン……」


「はいっ! 不束者ですがよろしくお願いしますっ!」


 ソフィアもついに意を決して3人とそして自分の気持ちを受け入れる覚悟の言葉を告げる。救世主としての栄光を棒に振ってでも自分との愛に生きることを決めた3人のため、自分もまた彼女達を精一杯愛するのだと。それこそこの身でできることならば何なりと。


「じゃあ、しよっか」


「えっと、全員一斉に、ですか?」


「逆にそうじゃないと思う?」


「ですよね……」


「ンフー、ナメクジのコービのように絡み合いマスカラネー!」


「1人ずつではいけませんか?」


「ごめん、我慢できない。私達もだいぶふしだらだから」


「外の音が聞こえないように中の音も外に聞こえないから」


「ソフィアの声、たくさん聞かせてくださいネー……」


「あは、あははは……」


 陶然とした表情で自らの服をはだけそしてソフィアの服を脱がしていく3人達に、ソフィアは渇いた笑いを浮かべながら先ほどの覚悟がさっそく挫けそうになるのを何とか堪えるのだった。




 こうして世界滅亡の危機は去り人々は再び安心して眠れる夜を取り戻すことができた。ソフィアが寝かせてもらえなくなることと引き換えに。

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