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齟齬

11月24日。今日も暇だ。赤ちゃん業、そんなものがあるかは知らないが、世の中で一番辛い仕事ではなかろうか。仕事というのは、何かを達成すること、前世なら飛行機が完成することで充実感を得てこそというものだと思う。なのに、赤ちゃんというのはあまりに暇すぎる。本当にすることがなく、俺は毎日を素数を数えて過ごしていた。3571が素数だと知ることはできたが、赤ちゃん業の本業ではないので、やはり赤ちゃん業は暇なのだ。



1週間前に父親がまた鎮守府に呼び出されて、ついでに俺も連れて来いと言われたらしい。

「なんで、井上少将はお前を呼べと言ったんだ?お前、まだ言葉わからないのになー。」

母親は俺の祖父が怪我をしたとかで実家へ帰っていた。その結果、海軍服に抱っこ紐という世にも面白い、今まで誰もしなかっただろうコーディネートが出来上がった。

横須賀の基地では、入り口でやはり警衛に誰何された。当たり前だ。そんな軍人いるとは誰も思わない。階級章が紐で隠れたことが災いした。

「お前、その制服をどこで手に入れた?」

とか、聞かれた。向こうは一兵卒、こちらは少佐なのに。威厳がなさすぎなんだよ。向こうの方が武士然としている。こちらは髪の毛はボサボサ。制服の丈が微妙に短い。ただでさえ怪しいというのに、本当は少佐であることを言わず目をぐるぐる泳がせている。偶然、井上少将が出勤して声をかけてくれたから、良かったものの(一兵卒は声を失って青ざめていたが、お気の毒に)、もう少し栄光ある日本海軍大佐という肩書きを持つ以上もっと胸を張って欲しい。

そのまま、井上少将はまず俺と話があるとかいって、訝しげな父親を置いて、俺を執務室に通した。もちろん、俺は移動できないので桑原少佐に抱かれていたが。


「再三悪いね。」

「いや、良いんですけど、さすがに父親が可哀想で。なんか俺が井上さんと話しているのを恨めしく感じているっぽくて…。で、また俺を呼び出したのは、何かあったんですよね?」

井上は頭を少し掻いて、困ったような表情をしてからこう告げた。

「実は、ロシアの動きが活発になってる。」

「え、でも史実では2/4に旅順艦隊出港の知らせを聞いた日本政府がロシアに宣戦したんですよね?今日は11/24だから、時期的にはそうであっても不思議ではないかと。」

「たしかに歴史上ではそうなっていたはずだ。ロシアが怪しい動きをしたからといって一介の軍人の私にどうこう言う権利はない。しかし、このロシアの活発化に呼応したかのように内閣は開戦にかかる動議を閣僚会議にすでにかけたらしい。」

俺は冷や汗を感じた。

「つまり、歴史が変化している?」

「そうかもしれない。実はだな、前にも似たようなことがあったんだ。今年で俺は43歳。江戸時代に転生したんだ。その頃はすでに日本は開国していた。しかし、日本を開国させたのは黒船ではなかったらしい。」

「それはどういうことでしょうか?宇宙人が攻め込んできたり(某人気漫画みたいに?)したんですか?」井上は笑った。

「それはないが、来たのはペリーではなく、アメリカ人ですらなかったという噂だ。当時の絵巻物には赤い鉄製の船に鼻の高い白人が描いてあった。イギリス人だった。日本はまず、ここ横須賀で日英和親条約を結び、その後に貿易協定を調印した。1874年。旧士族の大反乱が九州で起きた。中心になったのは旧福岡藩と長州藩の浪人だった。代わりに1877年の西南戦争は起きなかった。むしろ、1874年の内乱では西郷隆盛が西鎮軍を指揮し、その功績で今や日本政府のNo.2だ。」

「西郷隆盛は征韓論派の中でも慎重派。日露戦争の発生は遅くなると思いますが?」

そう。史実では、西郷隆盛ら明治維新の重鎮たちは『征韓論派』が多かった。西郷隆盛に代表される慎重派(外交手段による開国の要求)と板垣退助に代表される急進派(武力侵略による開国)の二派に分かれていた。政府は西郷を使節として派遣を決定した。しかし、1877年の西南戦争で西郷が自刃。以後、政府内では急進派による朝鮮征服が企図され、慎重派であった西郷は急進派の首魁に祭り上げられてしまったのだ。だから、西郷が生きているならば、今の時期に日露戦争が起きる、ましてや早まるなどあり得ないことだった。

「西郷隆盛は俺たちが知ってる西郷隆盛じゃない。陸軍大臣となり、今回の戦争を先導している。朝鮮に対してかなり強弁だ。」

「なるほど。だが、なぜ僕は呼ばれたのですか?政治の話や歴史解釈については桑原少佐でも事足りるでしょう?父親もなんか悲しそうでしたし。」

そう言って、俺は新しい犬を買った飼い主に捨てられた犬みたいな目をした父親の姿を思い出した。

「たしかにそうだったな。しかし、この時代を生きるなら、そういうことを知っていた方が便利だろうと思っていたのだよ。

ところで本題だ。君の設計した『飛空船』の試作機がつい先日完成した。」

「おー、ついにですか。」

「今は試験運用中らしい。兵員は一隻に30人くらいが限界だった。さらに武装をすると20人前後になる。」

「なるほど。でもそんなに数は作れませんよね?」

「そうだな。今の時代の日本の工業力は蟻んこ程度だ。週産三隻というのが限界らしい。予定では100隻だ。年明けには揃うらしい。」

飛空船は俺が設計したということになっているが、実際は前世で見た乗り物図鑑を参考にしている。まだエンジンが弱いということで速力は自転車並みしかでない。しかし、20人という兵員を運べるほか、高度300メートル以上を飛行可能で高射砲の概念がないこの時代の戦争では有利に働くだろう。

この後、桑原少佐に連れられて執務室を出ると父親がいた。父親が執務室に入ろうとすると、桑原少佐はすかさず俺を渡して、「非番なのに呼び出して申し訳ない」と帰宅を促した。



そして、今。

週産三隻だから、今やっと三隻完成というところか?大変だな戦争準備は。俺はいつも通り素数の続きを数え始めた。

(えーと、、3571の次は…3573?いや、全部足したら9の倍数だから、違うか。)



『ドンドン。ドドン、ドンドン』

(なんの音だろう、演習かな?)

二階の窓から外を見た。海の方を見ると煙が立ち上っている。沿岸部の工場で事故でもあったのだろうか?濛々と黒煙が伸びている。遠くに消防の鐘も聞こえる。

爆発音はさっきの一回限り。それ以降、何も聞こえないし、黒煙も見えなくなっていた。


母親が帰ってきた。母親も爆発音は聞こえたらしく、なんだったのかと不思議がっていた。

母親が夜ご飯の準備を始めようとしたその時、玄関の扉が叩かれた。

「ごめんください。となりの田中です。上郷さんいらっしゃいますか?」

「あら、田中さんどうされましたの?」

「いや、実はですね、自治会長さんから今日の夜7時からのラジオを聴いてくださいと。なんだか、お役所からのお達しらしいの。」

「そうですか。わざわざありがとうございます。」

そう言って、母親は家の中に入ると、ラジオをつけた。

まだ時刻は6時半。昼間の火災についてのニュースは一度もなかった。

6時50分。父親から今日は帰れない、との電話がかかってきた。前日までに翌日の予定を伝える父親にしてはかなり珍しいこと。いや、一度もこんなことはなかったのだ。


7時。

『今日、午後16時ごろ、東京湾にて露艦五隻現る。艦砲計10発が沿岸部の工場及び住宅街に着弾。死傷者約120名。全員が民間人である。我が方は直ちに反撃、全艦撃沈せしめた。これを受け、我が大日本帝国は臣民の無辜の命を奪った悪虐非道の攻撃を仕掛けた露国へ宣戦布告を致した。』

俺は開いた口が塞がらなかった。


井上少将の言うように、歴史の歯車は少しだけ揺らぎ始めていたのだ。



久しぶりの投稿です。PS ラジオの登場は1920年台であるという指摘を受けましたが、この後の話を読んでもらえれば、話に矛盾が発生しないことがわかると思います。ま、こうは言うもののラジオとかの通信機器は便利アイテムだからということで何も考えっずに使ってしまったというのが本音です。

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