横須賀
10月15日。
俺は今、横須賀に来ている。正しくは連れてこられた、いや、持ってこられたが正しいだろうか。
バカンス(長野)から帰った俺は、超絶暇だった。
父は再び出張とか言って出て行ってしまい、母親と2人きり。考えてみると、大学生の時は空研の活動で模型の作成やら設計やらで忙しかったがそれはそれで充実していたのかもしれない。
しかし、今は生まれて間もない赤子。しかも、明治日本ときたもんだ。前世の乳幼児みたいに、母親からスマホを与えられてようつべを見て暇つぶしということはない。できることは「牢獄」の上に付けられた、なんかカランカランと音がしながら回転するを見ることだけ。本物の赤ちゃんならともかく、中身は21歳の赤ちゃんにこんなおもちゃは何の意味もない。むしろ、騒音だ。
それで十分と考える母親は、俺にご飯(母乳)をあげると、買い物に出かけてしまう。だいたい日暮れまで帰ってこない。井戸端会議に花を咲かせているのだろう。まあ、本人はあやしているつもりなのだろうが、俺が欲しいのはこの退屈な時間を心を病まずに乗り切るための何かだ。
というわけで、かなり暇。暇で死にそうとはこのことか。
こんな暇な毎日を過ごすこと1ヶ月。父親が久しぶりに帰ってきた。海軍の白い制服姿で、もう10月でいい加減秋も深まって過ごしやすい日になってきたというのに、汗でぐっしょりだった。何を焦っているのだろう?
「あれ、晶子は?買い物か?」
(半分合ってるぞ、だが、半分違うな。まだまだ甘いな。)
父親に伝える手段もない(実際には誰もいない時、少し喋る練習していたから、少しは声を出せるが)ので、放っておいた。すると父親は制服のまま立ったり座ったり、寝っ転がったり、腕立て伏せしたり、うろちょろしていた。
(本当に忙しない人だな。これでよく海軍大尉が務まるものだ)
1時間ほど、父親がそわそわしていると、母親が帰ってきた。
(今日は3時間か)
父親は待ってましたとばかりに玄関へ飛んで行った。そして、なにやら話している。この部屋と玄関が離れているせいでほとんど聞こえないが、母親の驚く声や怒ったような声、父親が興奮気味に話す声が漏れ聞こえてくる。どうやら仕事の話だったようで、「いやー、1ヶ月ほど出張で家空けたばかりでなんだが、また2週間後から次は海洋実習なんだ。すまん!和也のことは頼む」的なことを言ったのかな?日露戦争が近づいているのは確かだし、日本軍が警戒して演習を重ねるのは当たり前のことだ。俺はこの父親の様子をあまり気にも留めていなかった。
翌々日。父親はいつもの軍服(作業着)ではなく、正装をしていた。正装をするということは誰かお偉いさんに会うのだろうか、まあ自分には全くもって関係ないことだ。父親が慌ただしく準備をしていると、母親も普段はそんなに齷齪した様子は見せないのに、俺がゆっくりご飯(母乳)を食べていると、仕切りに急かすような仕草を見せた。腹五分くらいで切り上げられて、強制ゲップをさせられると、俺はなんか綺麗な服に着替えさせられた。そのまま、母親に抱えられて、父親と一緒に家を出た。
都電や汽車を乗り継いで向かった先は神奈川県は横須賀市。前世では敗戦後から米海軍と海上自衛隊の基地が置かれている。日本海軍横須賀鎮守府だ。
父親は俺を抱えた母親を連れて軍令部内へと歩みを進めた。
(??軍の施設って女性大丈夫なのか?)
案の定、警衛に誰何された時に、女は外だと言われたが、父親が名前と階級章、アポのある人物名を言うと警衛は慌てて直立不動の姿勢で敬礼をした。
(あれ、俺の父親ってただの水雷戦隊の副長やってる大尉じゃなかったっけ?そんなに偉いのか?)
中に入ると、1人の若い将校が立っていた。
「上郷少佐お待ちしておりました。大佐は執務室でお待ちしております。」
そう言って敬礼しているのは、田中満海軍少尉。この若さで少尉と言うことは、士官学校を出たばかりか?俺の父親よりも四つ違いだろうか?というか、さっき父親のことを「少佐」とか宣っていたが、聞き間違いだろうか?あの父親に限ってすでに少佐とかありえない。ありえないことだ。
田中少尉の案内で中を進むと、海軍の司令部であるだけあってなかなか豪華な作りだった。柱や壁への装飾がまるで宮殿のように煌びやかだ。ただし、木造で茶色いが。まだまだ、町は木造が多かったが、基地内はちらほらコンクリート造りの洋風な建物が増えている。
今日、父親が面会するという少将の執務室はこの通路の奥にあるという。父親は普段とは雰囲気が全く異なっていて、若い将兵とすれ違いざまに敬礼される度に鷹揚に返事をしている。大事なことなのでもう一度言うが、普段の父親はこんな真面目くさった人間じゃない。ゴミだめから発生したようなは言い過ぎにしても、母親の尻に敷かれている情けない男なのだ。そんな父親がこんなにも立派に見えることには心底びっくりした。
通路の奥までいくと、
「奥様はこちらの部屋で待機をお願いします。なお、息子様は少佐と一緒にご入室ください。」
と田中少尉は言った。そして、待ち人の執務室の扉を叩くと「入れ」の短い一言。予想よりも幾分か若々しい。
田中少尉と父親が中に入ると、少し狭目の執務室内の奥で、どっかりと椅子に構えた男性が座っている。
「上郷和宏第25整備大隊第2中隊長ただいま上番しました。」
「うむ、ご苦労だった。」
威厳のある声でそう言ったのは、第504整備大隊隊長の井上海里少将。アラフォーのダンディなおっさんだ。デスクワークが多いのだろうか、海軍軍人にしてはやけに色白だ。
「君に話があって呼び出したことは確かだが、まだ、もう1人の客人が来ておらん。そやつが来るまで、その子と少し話があるんだがいいだろうか?」
(へー他に客が来るのか?じゃあ、俺って居ていいのか?赤ん坊だからカウントされてないのかな?ん?その子とか言わなかったか?その子って田中少尉であるはずがないし………)
「その子って誰でしょう?田中少尉は子供というには少々年をとっていますよ。せめて青年と言わねば可哀想です。」
「あー、そうではないそうではない。田中くんでも上郷くんでもなく、その子だよ、上郷くんの息子殿だ。」
(は?!)開いた口が塞がらなかった。
(いやいやいやいやいやいやいやいや、俺は少なくとも見た目は赤ん坊だぞ?)
「少将、私の息子は生後3ヶ月で未だ『お父さん』とか言われたことがないのに、会話をしたいというのはどういうことでしょう?」
「文字通りだよ。いいから下がってくれ。」
「承知したしました。」
父親は少し訝しげに少佐を見ながらも、渋々入ってきた中尉の階級章が付いた男に俺を預けて退出した。
異様な時間が流れる。時が止まったような、重い空気。その中にいるのは、屈強な海軍軍人2人と赤ん坊というシュールな光景。こういう時、哲太ならこんな重い空気をおちゃらけたお喋りでぶち壊してくれただろうが、それは前世の話。今の俺は、姿が赤ちゃんだから、人前で話すわけにはいかないし(だって、人体実験とかされたら嫌じゃん?)、かと言って赤ん坊らしく泣いて助けを求めるのはなんか嫌だった。どうしようかと俺が思案していたとき、その沈黙を破ったのは、井上少将だった。
「そんな怖い顔をしないでくれ。この図面を書いたのは君だろう?日露戦争における旅順港包囲戦。そして、日本海海戦。帝国海軍の力を見せつけた戦いだな。」
井上は淡々と語り始めた。まるで経験したかのように。
(なぜ、このおっさんは日露戦争を知っているんだ?)
「あの戦争はなかなか悔やまれるものがあるからな。203高地や奉天会戦では多くの若い将兵が、勲功欲しさの連中のせいで無駄に命を散らした。」
(しかも、203高地の悲劇までも)
俺は益々眉間にしわを寄せて考え込んだ。
「そんなに難しい顔をするでない。」
いやいやいや、そりゃするだろ。だって、その歴史を知るのは、歴史を勉強したかその時代を生きたかのどちらかであって……ん?生きた?勉強した?
「おー、その顔は分かった顔だね?では自己紹介と行こう。私は元日本海軍連合艦隊所属空母『瑞鶴』航空参謀久喜大佐だ。今は転生して日本海軍試験航空戦隊の隊長をしている井上少将だ。そこにいるのは、同じく瑞鶴に乗っていた参謀の小泉中尉。今は桑原少佐を名乗っている。」
俺は、驚きとともに、自分が呼ばれた理由が「アレ」だということを悟った。
「あー、ちなみに試空戦は秘匿機関だから、バラしちゃダメだぞ?」
どうやら、井上によれば試空戦とは俺が書いた『アレ』が原因で、急ぎ海軍内で設立された新部隊らしい。もっとも『アレ』の有用性には懐疑的な人間が多く、その中でも利用価値を声高に叫んでいたのが、井上で「部隊を預けるから好きにやれ」とか言われたらしい。部隊といっても、300人程度の小規模で戦闘力はほとんどない。
そんなことを話すということは「アレ」が原因で、俺が転生者で話せることがバレているということなのだろう。俺は観念して声を出した。
「やっぱり、分かりますか?」
「分かるぞ、流石に。『アレ』を書かれたら、君は俺たちと同じ側の人間である他ない。して、和也くん。君はどの艦に乗っていたんだ?」
「いや、艦ではないですね。転生した原因も、海は無関係なんで。」
「どういうことだ?」
「俺は、20xx年に多分交通事故で死んだんです。それで、今世に転生してきました。」
「20xx年だと?!なるほど、そういうことか。なら納得がいく。実はな、これを見て、我々と同じ転生者であることは確信したんだが、どうにも違和感が拭えなかったのだよ。」
そういうと、井上はデスクの引き出しから紙切れを数枚出した。それはその『アレ』が描かれた新聞紙で、俺に広げてみせた。
「これは君が描いたのだろう?これは『飛空船』に『飛行機』。最後のこれは分からんのだが。」
「それはジャイロコプターですよ。前世の戦争では結構主流の兵器ですね。」
「そうか、なるほどな。おそらく、俺の見立てでは、飛行機とジャイロは今の技術力では不可能だ。だが、ここに書いてある『飛空船』は作れると思わんかね?」
「まあ、ヘリウムガスと機密性の高いバルーン。後は少し出力のある扇風機があれば飛べますからね。」
「そうだ。俺はこれを日露戦争に間に合わせたいと思っている。」
「なるほど。」
たしかに気持ちは分かる。高高度を飛んで敵陣の裏へ回り込めば、戦況は有利に進む。
「そこで、君の手を借りたいのだが」
「借りたいと言っても、俺、今この姿だし、前世ではこういう設計は工学部の友人と一緒にやっていて、この設計図がそのまま飛ぶとは限らないです。」
「そうか。」
「第一、本音を言えば、日露戦争を有利に進めて死傷者を減らすことで、父親が戦死してしまう確率を減らすために書いたものです。だから、父親が少将に付いていると分かれば、もう目的は達成できているんですよね。」
「君は協力したくないというのかね?」
井上は物凄い形相で睨みつけてきた。普通の赤ちゃんならトラウマものだ。
「あははは。そんなに怖い顔をしないでくれ。分かっている。赤ん坊に協力を願ってもなかなか頻繁にはここを出入りすることはできない。だから、すでに設計図自体は海軍工廠の研究所に回しているんだ。帝大卒の研究者が驚いていたよ。『これはどこで手に入れた』とか言って目を血走らせて怖かったから、軍機ってことにしておいた。」
井上はおどけてそう言った。
「そろそろ、君の父親が心配するだろう。もともと君の父親にも用事があったんだ。」
そういうと、ノックがあり父親が入ってきた。入れ替わり、桑原は俺を抱いて応接室へ運んだ。
「君の和也くんは面白い子だ」
「はぁ」
面白い子だと言われても、意味がわからない。和宏は普段から変人ではないかと疑っていた少将を完全に変人認定した。
「ところで、飛空船の開発は進んでいるかね?」
「そのことで、どうやらエンジン出力は今の技術力ではまだまだ推力を得るには足りないそうで、人を載せるにも3人くらいが限界だと。」
「そこで、今日君が呼んだという君の友人が役立つと?一応この試空戦は特務機関ではないが、海軍内の秘密機関で陸軍には秘密なんだから、そこら辺大丈夫だろうね?」
「大丈夫です。あ、来たみたいです。」
そう言うと、執務室の扉のそばに立っている紳士然とした背広姿の男に少将の注意を促した。
「私は、外務省から出向して参りました、橘佐一郎です。」
「それで、外務省の君がどのように役に立つのかね?」
「上郷少佐から内々に打診があり、同盟関係にある英国への技術協力要請をしていました。私は英国での外交官としての勤務歴があるので、その伝手を頼りに。」
「なるほど。して、どうなった?」
「ええ、英国で開発中の軍用車両のエンジン技術の提供を許可されました。飛空船程度なら問題ないと思われる馬力はあります。これを本国で改良を加えれば実践運用も可能かと」
「理解した。君を試空戦に歓迎しよう。」
「ありがとうございます。一応私はここに着任するにあたり、大尉を任じられましたので、以後よろしくお願いします。」
「うむ」
こうして、日露戦争の趨勢を変えてしまうかもしれない『飛空船』計画が始まったのだ。
その頃、俺は応接室で母親に抱えられていた。
井上と桑原の存在には驚いた。俺以外にも転生者がいたということだ。しかも、相手は第二次世界大戦を戦った軍人だ。それなら、俺の設計図に食いつくのは当たり前で、しかし、歴史に何をしようというのだろうか。この時の俺にはただ父親の戦死確率を下げられたという満足感しか頭になかった。
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〈設計段階の飛空船の構造〉
・原理は現代の飛行船と一緒。木造。ただ、和也の設計図では骨組みだけで、兵員輸送に適さない。
・浮力はヘリウムで得る。
次回、いよいよ、日露開戦