嘘
8月25日。なんか、母親が小躍りしながら、ボストンバッグに服とかを突っ込んでる。
それもそのはずだ。今日は、父親の和宏が帰宅するらしい。別に別居ではない。呉の基地から、横須賀へ配置転換になる戦艦回航の護衛として、彼の座乗する駆逐艦が護衛につくことになっていたらしい。だから、今日は両親にとっては1ヶ月ぶりの再開なのだ。
荷造りをしているということは、どこか行くのだろうか?旅行かな?俺は何も知らされてないけど……(赤ん坊に知らせても無意味だと思ってるからだと思うけど)
父親の帰宅。どうにもやつれてる。どうやら、8月初旬から露軍極東艦隊の活動が活発になっているらしい。お陰で駆逐艦の副長である彼は、見えない敵へ神経を尖らせすぎたらしい。こんな時、レーダーがあればどれだけ楽だろうに、残念ながら、レーダー開発は第一次世界大戦後の話だ。
いつも、スケベでおちゃらけた父親の雰囲気は全くなく、1年くらいサバイバル生活を送って帰還した人みたいに、髭は伸びきり、頰がこけ、目が虚ろだった。
(え、母さん。こんな状態のを連れてくの?いや多分、無理矢理連れていくと思うけど……)
うち、上郷家は周囲から見れば、いい家族だ。奥さんは旦那さんの言うことを聞いて、しっかりと家事をこなす。旦那さんは海軍軍人としての威厳を持って、いつも堂々としていると思われがちだ。多分、これが昔の一般的な家庭だろう。だが、実際は……
「あなた、そこで横にならないでくださいませ。寝るのであれば責めて、居間にして下さい。あとあなたが任務に就く前に言っていた旅行は明日からですのよ。ヨレヨレしていたら、みっともないので一晩で何とかしておいて下さいね?朝、6時に出ますから」
鬼だ。俺はそう思った。一仕事終えた亭主に素晴らしいほどの鞭打ちだ。
「分かったよ〜、あきこ〜。風呂入ったら寝るよぅ……」
父親は、右に左にゆらゆらしながら、脱衣所へ消えた。
翌る日。俺が起きると、父親の膝の上で汽車の一等客車に揺られていた。行き先は全く分からない。前世で見た車窓とそもそも車両が違すぎて、これがどこに向かう電車なのか、あと何時間揺られる必要があるのか分からない。しかし、太陽はあと少しで南中ということはもう12時を迎える頃ということは分かった。6時間も都会から移動するとあたりは山だけ。これは前世と変わらない。
もう一眠りとまぶたの裏を見つめようと思ったら、
「おー、和也。起きたか!あともう少しで着くぞー!」
このうるさい声の主は、昨日、完全に屍とかしていた父親だった。
五分足らずで駅に着いた。
(えーと、どこだ?ま・つ・も・と?松本…?長野の?)
だいぶ遠くまで移動してきたらしい。
母親の話によれば、父親の幼馴染の別荘で、幼馴染一家と合同でバカンスらしい。いくら、海軍大尉とはいえ、一等客車に乗るのは、給料に見合わないことこの上ないが、その理由が分かった。
まず、父親の幼馴染 橘佐一郎は外交官として一昨年までイギリスに勤務していたらしい。今は外務省に戻って、ヨーロッパの外事課長を務めている、エリート官僚だ。海軍大尉の数倍はもらっているであろう、その父親の幼馴染が今回の旅費を出してくれたらしい。つまり、タダ旅だ。
上郷家一行が改札を済ませて、駅前に出ると、この時代には珍しい、自動車が停まっていた。フォード車だ。
「おーい、カズ。こっちだ。」
「おー、久しぶりだなイチ。随分といい身分になったもんだな」
「かみさんたちは別荘で待ってる。さあ、乗った乗った!」
上郷家一行は促されるままに乗った。
車内は結構狭い。走り出すと、前世の車に慣れてしまった俺には乗り心地は最低だった。しかし、母親は乗るのが初めてだったらしく、子供のような目をしていやがる。
「カズのとこは何週だ?」
「7月の7日生まれだから、7週くらいか?和也っていうんだ。こいつ、俺に似たのか、我慢強くて全く泣かないんだよ。やっぱ、血は偉大だな。」
「なに、アホなこと言ってんだ。お前は子供の頃から、虫が歩いているだけで、大泣きだったじゃねーか。虫からしたら飛んだ理不尽だよな。」
「ば、ばか。子供がまだ赤ん坊だからいいけど、父親の威厳ってものがあるんだぞ」
(しっかりと聞いちゃいましたー。記憶ボタンポチッとな)
「そういえば、イチのところも赤ん坊生まれたんだったよな?」
「言ってたっけ?和也くんと同じ、7月の7日生まれだよ。君のとこと違って、うちは毎日大泣きだよ。かみさんなんか、毎日ヘトヘトでさ。でも、泣き止む瞬間があるんだよ。」
「どんな?」
「それがさ、俺が新聞読み始めると、急に泣き止むんだよ。もしかして、俺の新聞を読む姿に見惚れてんのかな?まあ、カズとは違って俺は凛々しく雄々しい威厳のある父親だからな。うん、分からんでもない。」
「それはよかったな」
「うんうん(ニッコリ)」
父親は皮肉ったつもりだったが、佐一郎氏は満更でもなさそうだった。
ドライブすること、30分。松本の市街地から離れて山に入ったところに別荘はある。北欧風のロッジでなかなか小洒落た感じだ。
(へー、明治日本にもこんな建物あるんだな)
建物の中に入ると、フローリングに洋風暖炉があったが、リビングの片隅に8畳ほど畳が敷いてあったことで、ここはやっぱり日本なのだと思い出した。
「やあ、寛子さん、今日もお美しい。」
「お久しぶりです。お世辞はやめてください」
そんなくだらない会話を交わした父親は俺を母親に預けて、佐一郎氏と二階の部屋に消えていった。
「お子さん産まれたんですって?おめでとう。」
「いえいえ、そちらこそ。」
「これは和也と言います。7月の7日生まれです。」
「まあ、うちの文と同じ日なのね、運命かしら」
「まあ、文ちゃんていうの?可愛らしい女の子ね」
橘寛子、佐一郎氏の奥方の膝の上に、ちょこんと座っている女の子は、橘文というらしい。文月生まれの文ちゃんってところか?
( へー、文ちゃんね)
何かどことなく見覚えがあるような(転生してから友達とかできるわけないのだが)、そんな気がした。気のせいだと思うけど。
すると、文もはっとしたような顔を一瞬したように見えたような気がした。しかし、次の瞬間には普通の顔に戻っていた。
二階。佐一郎氏の部屋。和宏の話に佐一郎は食い入るように聞いていた。
「7月のな、下旬ごろ、和也と晶子が退院して1週間くらい経った日の事なんだけど。和也が、俺が読んでる新聞にやけに興味を示したんだよ。」
「ほう、それは賢い子だな。将来は帝大教授か?」
「いや、それだけじゃなかったんだよ。俺が煙草ふかしに外に出ている間に、新聞にこんなのが書いてあったんだよ。」
そう言って、和宏は藁半紙の束を佐一郎に渡した。それを見るや否や、佐一郎は目玉が飛び出さんばかりに驚いていた。無理もないことだ。
「お、おまっ、お前、これ。政府が持ってる地図と同じものじゃねーか!しかも、この線。もしかして、対露戦用の海軍の作戦図じゃないのか?これ、流石に機密だろ?やだよ、俺、憲兵にしょっ引かれるなんて。」
「いや、これを書いたのは、うちの参謀連中でもなければ、ましてや俺なはずがない。俺はただの水雷戦隊の駆逐艦副長だ。じゃあ、誰が書いたんだって思って、晶子を見たら、彼女は夕飯の買い出しでそもそも居なかった。てことは、これを書いたのは…」
「和也くんか?」
「そうなるな」
「いや、それは、ありえないだろ。」
「ペンを持ってたんだよ。」
「じゃあ、本当に………。で、どうしたんだ?まさか、海軍士官としてこれを放って置くわけないよな?」
「ああ、もちろん横須賀の軍令部に持ってった。俺は詳細まで知ってたわけじゃなかったが、海軍が当初作戦として立案しているものとほぼ同じものだということが分かった。最初、参謀長の大佐に詰め寄られて『よもや、スパイということはなかろうな?』って言われて。俺の生後数週の赤子の落書きなんですが、あまりに精巧なので持ってきたと正直に言ったよ。」
「まあ、お前がここに来てる時点で、なんの咎もなかったんだろうなあ〜」
「そうだ。実は、描かれてたのは地図だけじゃなくて、むしろ、そのもう一つの『絵』の方に参謀軍団の関心が向いたんだよ。」
「それってどんな?」
「こんなに詳しいことを話してるんだ、巻き込まれるのは覚悟しているな?」
「まあ、一応。昔からカズの無茶振りに付き合うのが俺の仕事だったからな。」
「取り敢えず、この絵を見て欲しいんだよ。」
和宏が2人の目の前に広げた『絵』というのは、まるで設計図のようなものであった。
「海軍工廠の研究者の連中は、アメリカが開発しようとしている『飛行機』なるものだという話だ。」
「飛行機?それで何故俺が必要なんだ?」
「外務省の伝手で、イギリスの技術者を海軍に招聘したい。」
「そーいうことで、あー、なるほど。探ってみるよ。」
「よろしく頼む。ちなみに、軍機だが、今、承諾をもらったから一応お前だけには言っておくが、駆逐艦の副長は解任されて、今は、海軍軍令部付き試験航空戦隊所属の少佐になったんだ。この間は戦艦を回航していた事になってたらしいが、実は横須賀の基地で一部屋と部下数人与えられて、和也の描いたものたちの解析をさせられてたんだよ。まあ、そういうことだと。飛行機のことは以後よろしくな。」
そのあと、2人は夕飯も断って、『飛行機』なるものの、開発などについて夜更けまで語り合っていた。
二本同時投稿です。どちらかというと、こちらが本編です。