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たった一人の旅立ちのはずが

「悪いが近日中にこの城を出て行ってもらう。豪商の父の元に戻れば生活に不自由はないはずだろう?」

 尊敬してやまない師匠の妻だったサートラは、師匠の死から半年間は他の男性と結婚することはできず、トーマが一生面倒を見るつもりではいたが、婚姻届けを出すことはできなかったのだ。


 それでも世間的には妻と認められたサートラは、すごい贅沢こそしなかったが、約束していた経済援助を父親に頼むことは一切しなかったし、食材などはわざわざ父親ゆかりの業者から、市場価格より高めのものをかわされていると板長も影で嘆いていたな。


 そんな状況にもかかわらず、気持ちがやさしいトーマは咎めることもなく、財産を切り売りして生活費と使用人たちの給金を作っていたのだが、約束が守られていないために、婚姻届けを出すことはためらっていた。

 もちろん、サートラに手を出すことも……一切なく……すごい美女なのにな……。


 なついてくれていたエーミだけは娘として本気で愛していたのだが、これ以上この状態を続けることはできそうもない。さすがの先祖代々の財産も尽きようとしていた。


「わかりました……このお城は我が家で引き取らせていただきます、よろしいですね?」

 上昇志向の強いサートラは、トーマのことはどうでもよく、伯爵家の居城という器が欲しかったのだろう。

 それが手に入り舞い上がってしまい、それを維持する必要性にまで気が回っていなかった。


「いや、お前が使用人たちに対する態度も、それなりに伝わってきている。はっきりとではないがね。


 それに貴族でもないお前たちに、この国の城を購入することはできないはずだ、いくら金があったとしてもね。侯爵に友達がいるから、彼にこの城と使用人たちの面倒をお願いするつもりでいる。

 先祖代々の城を手放すのは気が引けるが、借金のかたに取られるよりはいいだろうと考えているさ。」


 なるべく真顔で告げる……勝ち誇った笑みがこぼれてしまうのをこらえるのは大変だが、人のいいトーマの性格に長い間付け込んできた罰だ、きっちりと言い含めておく。会話を想定して、何度もシミュレーションしたのだ。


 根っからの商人の娘であるサートラは、事態が逼迫しない限り例え僅かでも懐から金を出すつもりはなかったのだろう。そんな勿体ぶったことをするから、足元をすくわれてしまうのだ。

 経済援助もきちっとして、伯爵夫人の座を射止めておきさえすれば、後はどうなったとしても、その地位も城でさえも確保出来たのだろうが、変にケチるから2つとも失ってしまった。


 俺はトーマの友人である侯爵の息子に連絡をして、先祖代々の居城であるノンフェーニ城売却の申し出を行ってみたところ、彼は意外そうな様子もなく使用人込みで引き受けてくれ、すべてを売り払って旅に出ると言っても、それもまた人生だと、妙にわかったようなことを言って激励してくれた。


 もしかするとトーマを取り巻く激変の裏を少しは知っているのかもしれないが、俺としてはどうでもいい。


 ダーネとの決闘の後、回復した王子からは、もう一度護衛を兼ねて剣術指南役にと誘われたのだが、安易に役職を割り当てられ、何かあるとろくに調べもせずにはく奪されるという不安定な生活には見切りをつけた。


 城を残すことと、使用人たちや小作人たちの身分保障付きを条件にしたため、販売代金は格安となってしまったが、維持費が凄まじくかかる城なんてものは、買う時は高くても売るときは安いという事情があるのだろう。整地して戸建て販売なんてことはできないわけだからな。


 滞っていた使用人たちの給金をようやく清算し、さらに一部の年老いた使用人たちは、これを機に退職すると言っていたので、退職金代わりに給金を上積みしたり、他にも出費があったため手元にあまり金は残らなかったが、節約して使えば何とかなるだろう。


 トーマが師匠から常々聞かされていた、冒険者としての血沸き肉躍る旅に出たいという気持ちが何より勝っていた。どう頑張ったところで、本当の伯爵でもない俺には、城や使用人を守っていく自信が全くなかったのだ。



数日後……・

「アックランス3世様……これからどうなさるおつもりで?」


 ミニドラゴンが引く馬車の後席から、若い男が尋ねてくる。馬車とはいっても御者席と後席しかない2人乗りの小さなもので、成獣前のミニドラゴンではこのサイズが限界だが、馬で引く場合の倍のスピードで走る。


 アックランスとかいうのが今の俺の名前で、トーマ・ノンヴェー・スピニクン・アックランス3世という長ったらしいのが正式名のようだが、カンヌール国という聞いたことがない国の伯爵の血筋らしく、ミニドラゴンなんて伝説の生き物が平気でいるところから見て、長い夢を見ているように感じている。


 日に焼けて褐色の肌に紫色の瞳に紫の髪……今の体の特徴を言い始めると言葉に尽きないが、どうやら俺が生きていた現世ではなさそうだ。この世界は魔物が横行し魔法が実在する、おとぎ話のような世界なのだ。


 トーマは没落貴族のようで、任務に失敗して自害したのだが生き返った……というか、俺が乗り移ったと言おうか転生してしまったのかもしれない。


 引きこもり男が突然貴族となって生まれ変わり、当初はどうしたものか考えあぐねていたが、トーマはトーマなりの事情を抱えていて、そのままの生活を続けることは難しく、しがらみのない俺は全てを捨ててフリーの生活をすることに決めた。フリーといっても今度は冒険者という肩書付きだが。


 後席の若者はダーシュ・シュプレンサーといってトーマのお付きのようで、使用人を全て解雇し、身一つで冒険の旅に出ようとした俺に対し、何が何でもついていくと言って引かなかったため、しぶしぶ同行を許した。


 居城を売り払い借金を返し、使用人たちに手当てをはずんだ残りの路銀は乏しく、当然給金など払えるはずもないと告げたのだが、自分で何とか稼いでお役に立つと言って離れなかったのだ。

そのため対等な立場の仲間としてなら連れて行ってやるとした訳だ……一人じゃ心細かったしな。


 お付きというのは、恐らく日本の戦国時代のお小姓のようなものなのだろうと思う。

 戦国武将が戦地に出向く時に奥方や側室など連れていけるはずもなく、かといって戦地でどうするのかというと、お小姓に夜伽をさせるケースもあったと聞いている。


 男であるお小姓を使うのは他のメリットもある……奥方や側室の場合は子供ができる可能性が高いが、世継ぎが一人いれば、それだけで足るのだ。子供が多いと城を開けているときにさらわれて、人質に取られてしまう危険性も多くなるし、お世継ぎ争いも起こるかもしれない。


 その点、避妊しなくても子供の心配がないお小姓は便利といえる……中にはお小姓に入れあげてしまう武将もいたと聞いたことがあるが、諸説ありということになっていて真偽のほどは定かではない。


 伯爵という位の高い貴族の血筋なため、間違って外に子供を作らないよう、独身時代が長かったトーマにはお付きが常に付き添っていて、もはや離れられないのだろうと当初は理解したのだが、思い出そうとしてもこの体の記憶では、ダーシュに手をかけたというシーンはよみがえってこない。


 どちらにしても俺は男に興味がない(女性も2次元限定ではあるが)し、連れていくつもりはなかったのだが、どうやっても離れないのであきらめたのだ。


「堅苦しい言い方でなく、とっ……トーマでいいよ。」

「はっ……では……トーマ様。」


「いや、だから様はつけなくていい、もう伯爵などという肩書は捨てたのだからな。」

 そもそも俺はトーマではない……ただの引きこもりの日本人だ。


「恐れ多い……私にとってあなた様はご主人様であり、アックランス3世様以外にありません。

 お名前をお呼びするほうがよろしいとしても、とても呼び捨てになどできるはずもございません。」

 振り向くと、後席のダーシュが滅相もないとばかりに両手を前に振り続ける。


「わかったわかった、伯爵という肩書を捨てて冒険者として旅立つわけだからな、この名も捨てたほうがいい。

 これからはワタルと呼んでくれ。」


 トーマには申し訳ないが俺の名にさせてもらう……今後何か不祥事を起こした時にも、伯爵家の名を汚さないで済むからこのほうがいいだろう。


「ワタル……ですか?これはまた奇怪な響き……その言葉にはいかなる意味があるのでしょうか?」


「意味も何も……まあ、無理に説明するとすれば、道を渡るとかかな?

 漢字からして船で出港するとか、旅立つみたいな意味があるともいえるが。」


 俺の前世の名は上ノかみのみや わたるだが、名前にどのような意味を持たせたのか、親に聞いたことはない。一緒に住んでいた時でも家庭内絶縁だったからな。


 ちなみにこの体の記憶では、トーマというのは伝説の昇竜トーマニアスドラゴンからとったようで、長ったらしい名前のノンヴェーは伯爵家が所有していた土地の名称で、スピニクンは何代か前の偉大なご先祖様の名前を頂き、アックランスは伝統ある伯爵家の姓だ。


 どこの親でもそうなのだろうが、アックランス家では名前というものに特に思い入れが深く、その言葉の持つ意味に願いを込めて名付ける風習があったようなので、面倒だが取ってつけたような意味を説明しておく。


「へえ……そうですか……それはまた、、新しい旅立ちにぴったりの名前ですね。

 ぜっ……ぜひとも私にも新しい名前を付けていただけないでしょうか?」

 ダーシュが突然ひらめいたように叫ぶ。


 ダーシュというのは数世紀前に活躍した、これまた伝説の忍びダーシュプレッヒから頂いたと、奴の親から聞いたことがある。

 代々伯爵家につかえる家柄で、生まれた時からトーマのお小姓に任命され、少しでもお役に立てるようにと、忍びの技を取得させようとしたらしい。


「いや……別にダーシュでいいのではないか?そんな悪くはないような……。」

 面倒なので断る……人に名をつけてやるような柄ではない。


「そんなあ……何とかお願いしますよ……。」

 ダーシュは本当に悲しそうに、顔をゆがめる。


 眉毛が太く大きな瞳に長いまつ毛にすっきりと通った鼻筋、青年というよりも少女といったほうがいいくらいの美しい顔立ちをしているので、顔を見る限り女の子の名前しか浮かんでこない。


「わかった……おいおい考えておいてやろう。」

 このまま不毛な議論を続けていても仕方がないので、先延ばしにする。


「やったぁ……絶対ですよ!」

 ダーシュはうれしそうな笑顔を見せる……ううむ……何か考えておいてやらないといけなそうだ。


「それで……これから、どうなさるおつもりですか?」


「だから……冒険者になるのさ、顔の知られたカンヌール国では自由に振るまえないから、お隣のカンアツ国へ向かってギルド登録しようと考えている。だがしかし冒険者になるといっても、もういいおっさんだ。こんな年で新人冒険者だといっても笑われるだけだし、誰も仲間に入れてはくれないだろう。


 しかし、冒険者として生きていくには仲間が必須だ。一人では果たせない能力を、仲間たちが補ってくれる。

 ダーシュがいるとしても、2人だけのチームではつらい、もう2,3人は最低でも欲しいところだ。


 かといって大金を積んでスカウトということもできないから、それなりに有用という長所を作っておく必要性がある。だから、そのための必要アイテムを手に入れようと考えているわけだ。」


「はあ……必要アイテム……ですか……。」

 ダーシュが首をかしげる……かつてトーマが剣の師匠に何度も聞かされた冒険者時代の話……その中に有益なアイテムにまつわる話があった。



 カルネというのは流れ者の冒険者であり、トーマが住むカンヌール国の王都へやってきて、そこで街の豪商の娘に一目ぼれをして仲間と別れ、トーマの剣術指南役を引き受けて定住した。

 Sクラス冒険者で、超が付くような一流の冒険者だったらしい。


 トーマより7つ年上で、弟のようにトーマをかわいがり、剣の指導は厳しかったが余暇の時間は冒険者時代の話をよく聞かせてくれた。

 カルネが事あるごとに話してくれたこと……それは魔法の取得方法。


 魔法を覚えるには魔法学校に通ったり、魔法使いに弟子入りするのだとばかり思っていたのだがそうではなく、実は精霊球というアイテムがあり、それを手に入れることにより精霊が力を貸してくれて魔法が使える。


 精霊には土、水、風、火の4種類の属性があり、それぞれ対応する精霊球を所持する必要性があり、また、精霊球の大きさや輝きにより発生する魔法の威力が変わり、大きな魔力を生み出すような精霊球は高値で取引されるようだ。


 精霊球を手に入れるには、その精霊球が存在するダンジョン深く潜って取得する必要性があり、ほかに雷の属性があるが、その精霊球が存在するダンジョンというのは知られていない。


 とはいっても普通のダンジョンはすでに管理されており、いくら魔物や精霊が自然発生するとは言っても、一般に知られているダンジョンに冒険者でもない一般人は足を踏み入れることもできない、と聞かされた。

 それでもカルネは穴場のダンジョンを知り尽くしていたようで、各地に点在する人に知られていないダンジョンの所在地を教えてくれたので、トーマは律儀にも地図に一つ一つ印をつけていった。


 冒険者家業から引退を表明していたカルネには隠すつもりなどなかったのか、さらに自分が挑戦したダンジョンの構造図ですらもトーマに見せてくれ、そうしてどこそこで危うく罠にひっかりそうになっただの、ここで出た魔物には肝を冷やされただのと、明るく冒険話を披露してくれたものだった。


 伯爵家の御曹司であるトーマが、冒険者になることなどありえない別世界の人間として考えていたのか、あるいは自分が戻ることはないと悟っていたのか、惜しみなく情報を与えてくれ、それらを一つ一つ逃さずにトーマは記録していった。


 そのダンジョンの一つが近くにあるので、そこに行ってみることにした。

 初心者向きではないようだが、せいぜい中の下程度の難易度であり、トーマであれば楽勝とカルネは評していたダンジョンだ。ついでにダーシュが取得した忍びの技というのを見てみたいとも思っているしな。


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