救出の果てに
近衛隊は王宮の表の警護に当たっていて、はたから見ればエリート軍団だが、実際に王族と接してその身を守る役割ではない。
そのくせ、ひとたび反乱が発生した場合は、近衛隊が率先してその反乱軍と戦うことになる……すなわち王宮に攻め込む敵軍と最初に戦う役割を担っているのだが、王族に直接言葉をかけられることはない。
しかし今日ばかりは違う……なぜなら戴冠式を迎える次期王は、王宮の離れで一夜を明かして身を清めるという儀式があるのだ。
王宮の周囲にある離れは、近衛隊の守備範囲であり、いつもなら王宮最深部で王宮守備隊に守られている王子も、今日ばかりは近衛隊が守らなければならないのだ。
なのになぜ……いろいろと考えていても始まらない……理由はどうあれ、王宮の塀の中には一人の警備兵もいないのだ、こんなところを賊に襲われ様なら、王子の身が危ない。
離れについて居間の窓から中を伺うと、締め切ったカーテンの隙間からシャンデリアの光に照らされた数人分の人影が……護衛の近衛兵かと考えたが違う、近衛隊用の真紅の軍服にブーツではなく、黒い肌に密着するつなぎを身に着け、左腕部分に赤や黄のスカーフを巻いているようだ。
目だし帽で顔も覆っているため、色違いのスカーフは個人特定用であろう、いちいち名前を口に出して確認しなくても、仕草で指示を出しやすい……一目で賊と分かるいでたちだ。
すぐに移動して離れの寝室の様子をうかがう……悲鳴や叫び声は聞こえてこない……もしや、すでに殺害されてしまったのか……カーテンの隙間から何とか中の様子をうかがうと、わずかに差し込む光に照らされベッドの上にうずくまる小さな影を確認、どうやら賊は寝室にはまだ入っていない様子だ……間に合った。
恐らく賊が侵入したことには既に気づいているのだろう……悲鳴や叫び声を上げないのはいい判断だ、賊に居場所を知られてしまうし、騒々しい者は人質に向かないため、見つかり次第殺害されてしまう公算が高い。
『コンコンッ』小さく寝室の窓を叩く……が、何の反応もない……当たり前だ、身を潜めているのだからな……『カンッコンッカンコンカン』今度は剣の柄を使ってリズミカルに叩く。
『………………ギィッ』多少ためらいながらも、窓が小さく開いた……王子が好きだったミュージカルの歌の第1小節のリズムだ、気づいてくれたらしい……が、鉄格子がはめ込んであるので、ここから寝室内に入ることは不可能だ。
「トーマです……ジュート王子でしょうか?」
窓の隙間から、鞘付きの剣の柄の部分を差し込む……王子の剣術指南役を仰せつかっているときに頂いた、褒美の宝剣で身分証変わりだ。
すると、すかさず剣を押し戻され、きらびやかに装飾された短剣の柄が窓の隙間から差し出される……王子ご愛用の短剣だ……やはり王子が中に身を潜めている様子。
「ジュート王子……すぐにお逃げください……ベッドの下の秘密通路……ご存知ですよね?」
クーデターや敵軍に攻め込まれた場合を想定して、王宮には秘密の抜け道が隠されているがこの離れにもある……と言っても寝室に賊が侵入してこようとした場合に、外へ逃げられるよう壁に抜け穴があるだけだ。
王子の剣術指南役を仰せつかっていた時に、万一の時の脱出口は聞きかじっていたのだ。
『ガンッゴンッガンッ』窓が開いたことにより、室内の音が伝わるようになり、寝室のドア付近から衝撃音が聞こえてくる。体当たりかもしくは魔法の衝撃波を当ててドアを破ろうとしているのだ、急がねばならない。
『ガサゴソ……ゴットン』足元の壁のレンガが6つほど小さな音とともに地面に落ちる。
続いて小さな手が……あれ?ずいぶんと大きな……ジュート王子のものだろうか……急いでその両手をつかんで思い切り引っ張ると見覚えがある顔が……そうだ、トーマが見知っているジュート王子は10年近く前の姿だ。その時は小さな子供だったが、立派に成長した姿があった。
『ドガッバギッ』警護の兵が誰もいないことを知っているのか、遠慮なく大きな音を立てながらドアがぶち破られた……危なかった……間一髪といったところだろう。
「いないぞ……どこへ行った?」
すぐに部屋の照明がつけられ、中から賊たちの声が聞こえてくる。
「ベッドの下か……あっ……ここに抜け穴がある!外だ……外に逃げたぞ!」
そうしてひときわ大きな叫び声が……まずい気づかれた……。
(急いで逃げましょう、ついてきてください)
小さな抜け穴から引き抜いた青年に小声で告げ、手を引っ張りながら走り出す。
「いたぞ!こっちだ……追えー!」
後方から数人の人影が叫び声とともに駆け寄ってくるので、王子とともに西方向へ逃げる。
離れから王宮へ向かうには、中央の玉砂利を敷き詰めた道を使わなければいけない……西方向は高い壁があり、離れと壁の隙間は密集した生け垣がふさいでいて、それを乗り越えて回り込んだとしても更に堀があるので王宮へ逃げ込むこともままならず、かといって王子を連れているので強行突破も出来そうもない。
次第に追い詰められ、生け垣と壁を背に王子を背後に隠した状態で、十人ほどの賊に囲まれてしまった。
『キンッ……ズバッ』『ドンッ』無言のまま大上段に振りかぶって斬りつけてくる賊の剣をいったん受け止め跳ね上げると、賊の左わき腹を水平に斬りつける。賊は悲鳴を上げることすらなく、その場に倒れ伏した。
『タタタッ』『タッ』それまで詰め寄ってきていた賊たちが、背後へ数歩下がる。
お付きの剣士と高をくくって斬りつけてきたのだろうが、あっさりと一人斬り捨てられ警戒したのだろう。
王宮は1辺1キロの高く堅牢な壁に囲まれ、その周囲を幅5mの外堀が守っている。東西南北方向にそれぞれ門があるが、平和な今では中央門である南門しか使われていない。
4つ角付近にはそれぞれ離れが配置されていて、今回王子は中央門と反対側の北西の離れにこもっていた。
王宮は中央に配置されていて、その周囲は内堀に囲まれているため、北門から続く中央道路以外で王宮に達することは難しい。
大きな叫び声をあげれば、もしかすると王宮守備隊が気づいてくれる可能性はあることはあるが、賊たちが遮二無二突っ込んでくる事も考えられ、王子を守り切ることは難しいだろう。
ここは下手に騒ぎ立てずに、向こうの攻めを何とかかわし続けて時を稼ぐしかない。
『シュタッ……タッ』『キンッ……ズバッ』その後、内壁を蹴って3角蹴りのように方向を変えながら空中殺法で攻撃を仕掛けられたが冷静に対処し、体をかわして無防備な空中姿勢を一刀両断に、『キンッ……ズバッ』続けざまに正攻法で正面から斬りつけてくる賊も切り倒した。
「ぼ……僕も戦う!」
王子はけなげにも剣を構えるが、やはり実戦経験がないためか腰が引けている。トーマが指導していた時は、カルネ譲りの打ち合い稽古主体であったが王子の生傷が絶えず、トーマ失脚後は型重視の剣指導に変わったと聞いて、残念に感じていたことを覚えている。
「下がっていてください。」
トーマが前に出る王子を左手で押さえ、自分の後ろへ押し戻そうとする。
『ダッ・・・シュパッ』『キンッ・・・ザザバーンッ』一瞬早く賊が斬りつけてきて、王子の左腕から出血。
すぐにはねのけ賊の腹を水平斬りして、王子には左手で血止めの為のタオルを手渡す。この状況で、王子の手当てをしていることはできない。気にはなるが、この状況を何とかしなければ……。
「大変だ!……侵入者だ!」
ようやく9時近くになり、引継ぎを終えた当番の近衛兵たちがやってきて賊に気が付き救われた。
残念だったのは、かなりの手練れのために近衛兵にも死傷者が出たが、捕えることはできずに全員を斬り捨ててしまったことだ。これにより誰の手引きだったのかもわからないありさまだった。
「何ですって?近衛隊隊長になった当日に賊の侵入を許し、次期王である王子様にお怪我を負わせてしまったですって?その不始末の責任をどうなさるおつもりですの?
まさか、あたくしたち家族にまで罪が及ぶことはないのでしょうね?
エーミは上級学校を飛び級で卒業し、花嫁修業を始めるというのに、まさか罪人の娘にするおつもりなの?」
近衛隊に救われた後、王子のけがの具合を確認していると、沙汰があるまで自宅待機を命じられ、カンヌール国王都郊外のノンフェーニ城へ戻ってきて事情を話した途端、妻にヒステリックに責め立てられた。
自殺の原因は、家族への影響を避けるためであったのだろうが、冷たい妻の態度も追い打ちをかけたようだ。
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「せっかく士官の道を作ってやったのに、その初日から大失敗を犯し、次期王の身を危うくさせた大馬鹿のおかげで、俺の引退はなくなってしまったわけだ。
仕方なく元の近衛隊隊長に戻ったというわけだ……今日付けでな……何か問題点でもあるのかな?」
ダーネはピンと伸びた緑色の口ひげを触りながら、俺を見下すようなさげすんだ目で睨みつけ答える。
「ほう、お前はカンアツ国の王宮に誘われていて、待遇が良いのでそちらに転職するのではなかったのか?
そもそも大馬鹿というのは誰のことを言っている?まさか、お前自身のことか?」
先日言っていたことと話が合わず、俺も負けじとダーネを睨みつけながら答える。
「なっ……何のことだ?でたらめを言うな……俺を愚弄する気か?おいっ……この馬鹿野郎をひっとらえろ……こいつは次期王であられるジュート王子様に重傷を負わせた、いわば犯罪者だ!」
『はっ!』すぐに詰所の周囲を囲んでいた兵士たちが駆け寄ってくる。
「おおっと、俺がジュート王子様に手を出したというのか?ジュート王子様に傷を負わせたのは王宮に忍び込んだ賊だぞ!十人もの賊が王子を取り囲んで襲ったんだ。」
先日の一件は報告書を提出してあるし、何よりここに集う近衛兵たちも一緒に戦ったのだ、知らないわけはない。
「そんなことは取り調べでわかっておる。
職務怠慢のお前が来るのが遅すぎて、このままでは戴冠式に支障をきたしてしまいかねないため、近衛兵たちが全員で手分けをしてお前を探しに行っていたわけだ。
そのすきを襲われたわけだが、お前がきちんと定時間までに出勤しておけば、警備が手薄になることもなかったはずだ。」
ダーネは俺との視線をそらさずに、睨みつけるようにまっすぐ答える。
「それは間違いだ……ト……俺は午前7時には出勤している。
お前に前夜言われたこともあり、お忍びで詰め所にもよらずに、王宮周辺の様子を確かめるべく、塀の内側をぐるりと回っていたのだが、その時に詰め所にも王宮内にも近衛兵が一人もいないことに気が付いた。
急いで王子が宿泊している離れに向かい、そこで賊と出くわしたというわけだ。
俺の出勤が遅くなって王子が襲われたなんて、とんでもない言いがかりだ。」
とりあえずダーネの真意はわからないが、真実を話しておく。
「ふざけたことを……そのような申し開き、だれが信じるものか。」
ダーネは勝ち誇ったように胸を張って俺を見下す。
「お忍びとはいえ王宮に入るのだからな……人知れず……というわけにはいかない。
当たり前の話だが、入場時の履歴は残っているぞ……午前6時58分となっている。
だがまあ……お前に助言された手前、そのままではまずいと思い、入宮記録台帳には8時30分と手書きで入れている……6時58分はタイムレコーダーの記録だ。」
俺が幅15センチほどの縦長の紙片を胸ポケットから取り出して見せる……右上に名前が記されていて、トーマ・アックランス3世となっている……トーマのタイムレコードカードだ。
近衛隊隊長も宮仕えの身であり、出退勤記録はきちんと管理されているのだ。
「当日の近衛兵たちのカードを見ると、夜勤者は全員6時30分に退出していて、日勤者は8時30分過ぎに出勤している……これはどういうことだ?」
俺はダーネから目線を外し、周りに入る兵士たちを見回す。
「はっ……恐れながら……それはトーマ隊長が我々にご挨拶を賜るために、朝の7時に別宮での待機を申し付けられたからであります。
我々はその命に従い、別宮に向かっておりました。」
すぐに一人の兵士が直立不動で敬礼をしながら答える……別宮というのは王宮から3キロほど離れた宮殿だ……主に他国からの来客の際に使用される施設であり、3日前は開いていたようだな。
「ほう……と……俺が命じて別宮に行っていた……就任のあいさつをするとでも言われたのか?
残念だがそのような指示を出した覚えはない……というよりも俺が近衛隊隊長に任命されたのは一昨日の朝になってからであり、その時点で近衛隊に指示を出す暇などなかったはずだぞ。」
「はっ……そうはおっしゃられましても……ダーネ隊長から新隊長からの命令として言付かっておりました。」
先ほどの兵士が姿勢を崩さずに答える。
「ほう……ダーネが……いつのことだ?」
「はっ……3日前の夕方の兵の交代時の引継ぎの際に命じられました。」
「それはおかしいな……ダーネが辞表を提出したのが3日前の夕方で、後任におっ……俺を推薦してくれたのだが、その時点では俺は何も聞いていない。
ダーネが勤務時間を終えたその日の夜に、俺は近衛隊隊長の話を聞いて引き受けることにしたわけだ。
だから、その前に俺が近衛隊に対して指示を出すことなどない。
ましてや、新王の戴冠式当日に警護を緩めるような指示を出すことなどありえないだろ?
たとえ誰に言われようとも、そのような命令を直接下したダーネがおかしい……王宮に賊の侵入を許したのも、ダーネの責任と言えるのではないのか?」
一度やめると言っていた近衛隊隊長にすぐさま戻ってきたことも異様に感じるし、ダーネというやつの行動は、怪しいことまみれだ。このような謎解きがらみの告発は、アニメなどで見ているから結構得意といえる。
「ははっ……。」
すぐさまその場が凍り付いた……無理もない、長年従っていた隊長が疑われているのだ。
近衛兵たちも、どう対応していいのか考えあぐねているのだろう。