4年前の救出劇
4年前……
『カチャッ』目の前から垂れ下がった分厚い垂れ幕を跳ね上げ、狭い鉄棒の隙間からアルミ製の細長いトレーの上にコッペパンが一つと、ボウルが一つ。ボウルの中身は恐らく塩水だ。垂れ幕の隙間からは靴を履いた脚しか見えないが、その時差し込むわずかな光で朝がやってきたことが分かる。
日に一度だけの食事……しかも栄養価など全く考慮されていないかのような貧しい食事。たまにボウルの中に牛乳が入っていたり、パンと一緒に半分腐りかけたトマトがついていると、ごちそうと思えうれしくなる。
一体、こんな生活がどれだけ続いているのだろうか、何週間か何ヶ月間か……最初のうちは食事ごとに自分のいる木箱に小さな傷をつけて日付を数えていたのだが、百を越えてからはやめてしまった。
それもはるか昔のことのように思える。
縦横高さが60センチくらいの小さな木箱が、ナーミが生活する空間の全てだった。そのままでは足を延ばすことも、寝るときに横になることもできず、ずっと膝を折り曲げ腰をかがめ、うずくまった姿勢でいる。
たまにどうしてもつらい時には箱の対角の長さをつかって、足をかがめて上半身だけ伸びをしたり、上体を小さくかがめて足だけを何とか延ばしたりして、血流を確保しているのがやっとだ。
箱の1面だけ鉄のパイプが15センチ間隔くらいにはめ込まれていて、そこに分厚い垂れ幕がいつもかかっているのだが、そこから足先だけ出して伸びをしたら思い切り棒で叩かれ痛い思いをしたので、2度としなくなった。
そんなある日、垂れ幕が突然取り払われた。まぶしい日の光に目が慣れていないため、周りの様子はほとんど見えない。そうして自分の体がふわっと浮いた感覚にとらわれる。何とか目をこすって周りを確認すると、箱の両端を男の人が2人でもって、箱ごと自分を運んでいるのが分かった。
「あっあの……ここは……。」
かすれた声を振り絞る。
「悪いな……子供との会話は禁じられているんだ。だがよく頑張ったな……もうすぐお前さんは売られていくんだが、売られた先ではもっと広い場所で手足だって伸ばして寝られるはずだ。食事だってまともなものを食べられるはずだぞ……大事に扱ってもらえるように、それなりに我慢は必要だがな。
何でも言うことを聞いて、逆らわずいい子にしていれば、きっとやさしくしてもらえるはずだ。
それと、運ばれている最中は決して泣きわめいたりするなよ。放り出されて生き埋めにされちまうからな。
声を出さずにおとなしくじっとしているんだ。それが長生きのコツだ、忘れずに覚えておくんだな。」
男の一人は、禁じられているとは言いながらも哀れんだのか、売られていく子供の心得を教えてくれる。
売られた……そうだ、病気の母親の治療費のための借金で、母が亡くなった後、自分は借金のかたに売られたんだと、ナーミはこの時に改めて認識した。そうして薄暗く狭い空間に運び込まれる。自分と同じような箱が一緒に積まれているとわかるのだが、皆同じ方向を向いているので、中を確認することもできない。
声を出すと自分がどうされてしまうか恐ろしくて、ただじっとしているしかなかった。
男からこれから先の生活の話をされたが、ナーミは手足をのびのび伸ばして寝られるなら、辛い労働にだって耐えられると考えていた。また、3度の食事がきちんと与えられるのであれば、どんなことをされても逆らわないと決めていた。長くつらい閉鎖空間での生活が、ナーミの精神を確実に蝕んでいた。
その後ガタガタと周りがうるさく振動をはじめ、全体が動いていることを認識。自分は荷馬車の中に積まれているということを理解する。
そこからがまた長かった。食事はこれまでの半分で、水はもっと少なくなった。
うだるような暑さの中、風が吹き抜けることのない荷馬車が動いては止まるを繰り返し、それが1日が経過したことだとやがて理解する。気が遠くなるような終わりのない旅が続き、あるとき1日が終わり気温が少し下がり、眠ることができると思っていたら、さらに快適で涼しい風がナーミのいる荷台に吹き込んできた。
『ボガッ』大きな打撃音がすぐそばで鳴り響く。何事が起ったのかわからず、身を縮めて震える。
「おやおや3人か……予想よりも多いが何とかなるだろう。いや、何とかするしかないと言ったほうがいいか。
お前さんたちは今の自分の立場を理解しているか?そうだ、人買いに売られていくところだな。
それを助けに来た。だが、何もせずに助かるということはない、それなりにお前さんたちが頑張らなければ、助かる命も助からないんだ。どうする?ちょっと大変な思いはすると思うが、おじさんと一緒に逃げてみるか?
ただし、命がけだ……。」
突然、口ひげを生やした中年の男が、ナーミの入っている箱の中を覗き込んできた。片側だけ白い布でくるまれた淡く光る発光体の光で、檻の中が照らされる。助けに来た?誰が?ナーミは突然のことに考えがまとまらず、ただただ唖然として、その男の目をじっと見つめていることしかできなかった。
「どうする?このままここにいれば命に危険はないかもしれない。自由は犠牲になるがね。自由を取り戻すには、危険に身をゆだねて、それを乗り越える必要性がある。怖ければ来なくてもいい。残るのもまた勇気だ。」
口ひげの男は、角ばったごつい顔つきをしているのだが、なぜか怖さは感じず、それどころか低音の落ち着いた口調は、やさしさすら感じさせた。
「い……い……く……。」
ナーミは何とか声を振り絞ってこたえる。
「ぼ……ぼくも……」
「ぼ……く……も……。」
横の方からも声が聞こえてくる。
「ようし、じゃあ鍵開けてあげよう。だが、すぐに動こうとしないようにね。君たちは恐らくこの箱の中で長い間じっとしていたはずだから、足の筋肉はほとんど失えてまともに歩けないだろう。食事も満足に与えられていなかっただろうしね。だから焦らなくていい、おじさんが出してあげるまでじっとしていてくれ。」
『ガチャッ……キィー』ナーミの目の前の、鉄の檻の鍵が開けられ、格子の枠が開いていく。ナーミは足を踏ん張って前に出ようとしたが、確かに言われた通り足に全く力が入らない。これでは逃げることもできない。
『ガチャッギィー』『ガチャッギィー』次々に檻の鍵を開けていく音が聞こえてきた。
「さっ……手を出して……上半身は動くだろ?握力なんか衰えていないよね?」
ナーミが両手を差し出すと、男はナーミのわきの下に両手を差し込み、体ごと檻の中から引き出してくれた。
そうして大きなマントをたくし上げ、自分の背中側に立たせた。
「君はこの位置で何とかしがみついてくれ。前は男の子2人だな……こっちはまだ小さいから君は我慢だな。
回復魔法を使いたいところだが、冒険者限定でね。小さな子供で特に体力が落ちている場合などに使うと、心臓が止まったりする危険性があるそうだ。だから何もできないが、なんとか頑張ってくれ。」
そういいながら2人の男の子を順に檻から出して、自分のおなか側にしがみつかせた。
「ようし……おじさんの腰部分……君たちのお尻の下あたりだな……そこにロープをまわしてきつく縛るから、君らはこの状態で俺の上半身にしっかりとしがみついていてくれ。」
男は膝をついた格好で、ナーミたちの周りをロープで一周させて、おなか側で縛ってから立ち上がった。ナーミのお尻の下にロープが回されているが、両手で男の背中にしがみついていなければバランスが悪く、ひっくり返って落ちてしまいそうだ。
そうして男が首周りにたくし上げていた大きなマントを下ろすと、ナーミたちの視界はゼロに……足元も何も見えないから、足まですっぽりと隠れているはずだ。
「ようし……これから荷台から降りるから、ちょっと衝撃が来るかもしれない。その後も、結構な距離を歩かなくちゃならないんだ。だが、頑張ってしがみついているように。それからおじさんがいいというまで絶対に声を出しても動いてもだめだ。ばれたら殺されてしまうからね。じっとしているんだよ……いいね……。」
ナーミは男がいっていることが理解できたので、何も言わずにこくりとうなずき男の背中を頭突きした。
これから人買いから逃げるのだ。恐らく護衛の兵士などもたくさんいるだろう。だが、外の様子からして、誰かが攻め込んできた様子はない。恐らくそっと誰にも見つからずに助け出そうとしているのだろうと思う。
だから、自分たちはじっとしていなければならない。見つかったらせっかく助けに来てくれた、この男の人も犠牲になってしまうのだ。そう感じて、なおもしがみついている手に力を込める。
「おやおや……トークじゃないか……お前もいたのか?……」
ところが予想に反して、少し歩いただけで誰かに声を掛けられた。見つかってしまったのか?どうする?
「これはこれは……久しぶりだな……元気にしていたか?」
あわや……と思ったら、男は冷静に会話を始めた。
「いやあ最近はな……。」
そうして世間話が始まる。
「わっはっはは……あの頃は若かったな……。」
どれだけ時間が経ったのだろうか、とりとめのない会話が続いている。
男のシャツにしがみついている両手がこわばって、感覚がなくなってきた。
『ガクン』同時に尻のあたりに衝撃が……先ほど男が巻いたロープがほどけてきたのか?体を支えるのが困難になってきたようだ……まずい、両手の力はもう限界に近い。
困り果てて、ずっとつぶっていた目を開けると、暗がりに目が慣れているせいか、マントの中もうっすらとだが確認できる。
見ると、腹側にいるはずの男の子が、意識がないのかぐったりして背中側に倒れてきてしまったため、ロープに全体重がかかり男の腰からずり落ちようとしているのだ。ナーミは必死でその男の子の体勢を立て直そうと右手で体を起こそうとした。
『ググッ』その時に、大きな手が腹に回したロープをつかんで、上に引き上げる……助かった。ナーミはそのまま右手で男の子の体をつかんで、何とかバランスを保つ事ができた。
「いやあ……最近運動不足のせいか腹回りが脂肪でね……食べた後は腹がパンパンで、少し経つとベルトが緩んでくる。今日の遠出で結構運動になったようだ。じゃああまりお邪魔しても悪いだろうからこれで。」
「おお……差し入れありがとう……またな……。」
男は腹のロープを引き上げた言い訳をさりげなくした後、会話を終えて引き上げてくれた。
そこから10分ほど男が歩く振動に耐えながら、男の子と自分の体を支え、なんとかしがみついていた。
「ようく頑張った……途中冷や冷やだったが、君のおかげだ。これでもう大丈夫だ。」
男がナーミの頭をその大きな右手でなぜて、ナーミの労をねぎらってくれる言葉を聞いた後、ナーミの意識は遠のき、気を失ってしまった。張りつめていた緊張の糸が、切れたのだ。
ナーミが意識を取り戻したのは、病院のベッドの上だった。1週間も意識不明で危ないところだったらしいが、何とか持ち直したと、医者も看護師も喜んでいた。
「大変な目にあわされたね……だがもう大丈夫だ。この病院は安全だし、この先の君の身の安全も保証されている。人買いには、人道無視の行為は取りやめるよう、通達を出してあるそうだからね。安心して治療に専念するんだよ。
この辺りは風光明媚で観光名所だから、元気になれば近場で絶景が見られる。わざわざ遠出しなくていいからお得だ。まあ、今のこの時期は雨季で天候は怪しいがね……。」
ナーミの担当医という若い医者は、ナーミを安心させるためか、来るたびにたわいもない馬鹿話をして笑わせてくれた。一緒に救出された2人の男の子の無事も確認して、ナーミはほっと安心した。
そうしてあの奇跡のような救出をしてくれたおじさんが誰か尋ねたが、病院の誰も知らないという答えしか返ってこなかった。ナーミは常に病院の大きなベッドの隅っこに、小さくうずくまって寝ていた。
味のない流動食から、人並みの食事に切り替わるまでそれから2週間。そうしてようやく歩くためのリハビリが始まった。何ヶ月間も動かしていない足の筋肉は削げ落ち関節は固まって、伸ばそうとしても曲げようとしてもぽきぽきと音がするとともに激痛が走る。
「うーん……かなり動かしていない期間が長かったね……さらに栄養失調から、骨も随分と細くなって中身もすかすかになっているだろうね。無理するとぽきっと折れる可能性もあるから、ゆっくり焦らずに続ける必要性があるよ。
毎日、カルシウムの豊富な小魚丸ごととか、あとは魚の皮とか骨とかそういった食事を多くして、骨も回復させる必要性があるね。リハビリはそれからだ。」
歩行訓練装置の手すりバーにかろうじてつかまって耐えているナーミの姿を見て、医者はまだリハビリには早いと判断したようだ。
「いえ、大丈夫です。魚も食べますけど、リハビリは続けます。やらせてください。」
医者は栄養失調の体の回復を待ってからと主張したが、ナーミは頑として聞かず、苦痛に耐えながら、歯を食いしばりリハビリをこなしていった。早く回復して動けるようになって、自分を救い出してくれたおじさんを探してお礼が言いたかったからだ。
病院がギルド管轄の病院と知り、おじさんが冒険者であったと理解する。それでも依然としておじさんの名前すら知らないのだ。さらに回復したナーミの行き先は、そこから遠く離れた孤児院だった。
人買いという最悪の経験をした3人の子供たちは、同じ施設に預けると、その子供たちだけで固まってしまい、他の子供たちとのコミュニケーションが取れなくなってしまうとの判断から、別々の施設に収容されることになったのだ。
一番年が上のナーミが最も遠い施設に移され、おじさんが様子見に来ても会えないと感じるのはショックだった。当初、孤児院の中でもナーミの居場所は、机の下や押し入れの中などの狭く薄暗い場所だけだった。
施設に移ってからのナーミは、ひたすら体を鍛え上げることに専念し、学業のほかに格闘術や狩猟などを学ばせてもらった。そうして独立できる年である15になったらすぐに冒険者になると言って孤児院を出た。
冒険者の申請料はそれまでコツコツとアルバイトでためたお金を使い、装備は何もそろえることができず、最初はハイエナ専門でやらせてもらい、ダンジョン制覇した冒険者が打倒した魔物たちの死肉を回収して、それを売って稼ぎにした。リベートは取られたが、それでも稼ぐ術がないナーミにとってはありがたかった。
そうして金を貯めて弓を買い、チームに入れてもらって稼げるようになると、最低限の装備をそろえ、後はひたすら父親の死に関する調査費用に使った。
どうしてそれまで送付されていた養育費が止まったのか、どうして母がまともな治療も受けられずに死ななければならなかったのか、どうして自分が売られてしまったのか、そのすべての元凶を突き止めようとした。
ナーミの生きる目的は父の無念を晴らすことと、自分と同じような不幸な子供がいたら、必ず助け出すこと。この2点だけと決め、後はひたすら自分の腕を磨くべくクエストをこなす日々を送ってきた。




