徒労
翌朝日の出とともに目を覚ますと、すぐに目を開けていられなくなる。長い洞窟生活で瞳が全開になったままで、調整が効かないのだろう……ナガセは急いで大木の裏側に回り込み、頭から祭壇の布をかぶり、目をつぶったままで耐えなければならなかった。
「うわあー……また魔物たちが出てくるようになっちまったのか?おらたちが毎日毎日お供え物をして、さらに死んだ村人たちを成仏させるよう、黄泉の穴送りにしていたことは、全くの無駄だったちゅうわけか?」
暫くすると、背後から人の叫び声が聞こえてきた。昨晩ナガセが出てきたことで祭壇が崩されてしまい、誰かが洞窟から脱出してきたことは丸わかりだった。村人たちには、それが魔物たちの襲撃と写るのだろう。
このまま出ていくことも考えたが、昼間の明るさでまともに目を開けられないナガセは、あの時と同様に村人たちに気味悪がられて、またもや追われることになってしまったなら、それに抵抗する事は出来そうもない。
さらにウルフやバッドがナガセを追い払おうとする村人たちに危害を加えたなら、ますます関係が悪くなってしまう。そうならないように、少なくとも目の回復を待ってから村へ行こうと決め、息を潜ませて村人たちが帰っていくのをじっと大木の陰で待っていた。
そうしてしばらくして声が聞こえなくなったころ、ようやくかぶっていた紅白の布を外した。すでに日も暮れかけていたが、薄暮の状態が今のナガセの目にはちょうどよかった。
ナガセはしばらく歩いて、サートラの記憶の中にあった森の中にある小さな池に辿り着くと、底まで見えるような澄んだ水であることに安心し、そこで体を洗うことにした。実に3年ぶり以上の入浴といえる。
やってきたときに着ていた服は、長い洞窟内での生活でボロボロになり着られなくなったので、白衣を分解してシャツとスカートを作っていた。もちろん縫い針は実験装置のステンレス板を加工して作り上げた。
「ええっ……こ……これは……」
日も暮れかかりそうな時間に池に浸かり、ふと水面を見て気が付いた……自分は黒髪であることに……。
ナガセカオルはもちろん黒髪だったが、この体の持ち主であるサートラというこの世界の少女は、あの時に見た父親であろう男と同様、黄色い髪の毛をしていたはずだ。大きな瞳にすっきりと高い鼻。魅惑的な唇と、村の中でも評判の美少女だった……ところが今の自分は黒髪だ。
屈んで自分の顔も池の水に映してみると、それは見慣れたナガセカオル自身の姿であった。そうなのだ……魔物に命を奪われたサートラの体に乗り移ったとばかり考えていたのだが、実はナガセカオルの体のまま、この世界へ飛ばされてきてしまったのだ。
ちょうどその場所が、死んだサートラの葬儀の場であったために、サートラの遺体と飛ばされてきた自分の体が重なり、融合したような形となったのであろう。この世界では見たことがない、闇に通じる不吉な色と評される黒……その黒髪を持つ者に、突然入れ替わってしまったのだ。
だからこそサートラの父親はこの姿を忌み嫌い、祭壇から突き落としたのだろう……ようやくあの時の忌まわしいいきさつが自分でも納得出来た。考えてみれば、着ている服装もナガセカオルの時のままの白衣姿であり、牧歌的な服装のサートラのものではない。ナガセカオルの体のまま、この世界へやってきたのだ。
だが……転移してきてすぐに、頭の中に死んだサートラの記憶が流れてきたこともあり、自分は彼女の体に乗り移ってきたのだと……そう思い込んでいたのだ。
再び絶望が襲ってきた……この姿のままでは、村へ行くことはできない。自分はこれからずっと、この森の中で隠れて過ごすしかないのだと、涙が後から後から出てきて止まらなかった。
サートラの姿になれたのなら……村へ戻って彼女の父親たち家族と一緒に暮らせるはずなのに、それは出来そうもない……。洞窟から外へ出ることさえできれば、村へ戻って平和な暮らしができると信じて、辛い洞窟内でも気を奮い立たせて何とか頑張ってきたというのに、無駄だった。
こんなことなら、洞窟内にいたほうがまだましだった。洞窟にいさえすれば、毎日の村人たちの供物や水飲み場の食料はあるし、何より洞窟内では強者側であったナガセ達は、結構楽に暮らしていた。ウルフとバッドを従え、強力な刃物を持っていたナガセに、刃向かってくるような魔物たちはいなかったのだ。
サートラの外観のままであったならば……あの美しい体になりたい……心の底から思うが、無理なことだ。意気消沈しながらも、いつまでも水に浸かってもいられないので、体をふいて池から出た。そうしてほぼ手作りの服を着てしばらくしたころ、自分の体の変化に気が付いた。
なぜか服がきついのだ……胸や腹回りがパンパンで、両肩の部分がはちきれそうになってきた。もちろん、ステンレス板で作った鎧の胴もヘルメットも身に付けてはいない。
それなのになぜか着ている服がパンパンなのだ……ふと自分の両腕を見ると、いつもよりもすらりと長いように感じる。さらに両足も長く伸びているのだ。おまけに胸のふくらみまでもが、自分で触ってもはっきりと違いを感じる。
まさか……突然自分の体がサートラのものに切り替わったのか……?頭を触って髪の毛を引っ張って目の前に先端を持ってきてみたが、髪の毛の色は黒髪のまま……それでも体は明らかにサートラのものと思われる体形に変わっていた。
身長150センチのナガセカオルは、日本人女性としても小柄な方だったが、サートラの記憶では彼女は村の中でも身長は高い方だった。すらりと長い手足と黄色の長い髪の毛が自慢で、その美しさから村の若者たちから、いつも言い寄られていた。
もう一度池に行って岸辺から顔を映してみると、髪の毛と顔はナガセカオルのもので、体だけがサートラに変わったようだ。これでは意味がない。あの美しい顔にならなければ、村には戻れない。
そう考えた瞬間、きちきちだった服の抵抗がなくなり、呼吸も楽になった。ハッとして体に触ってみたが、両手足共に短く縮まり、元のナガセカオルの体に戻ってしまったようだ。
ショックを受けてもう一度池を見てみると、そこには美しい顔立ちの少女がいた。そうだ……今度は顔だけがサートラに切り替わったのだ。髪の毛の色は相変わらず黒いままなのだが、顔立ちは明らかに異なる。
この現象に対して、ナガセは洞窟から持ち帰った2つの石が関係するのではないかと推定した。理由は釈然としないが、このおとぎ話のような世界では、願いをかなえてくれる石があるのではないのかと考えた。持ち帰った石のうち一つは精霊石で、もう一つは擬態石であったことがのちにわかる。
折角サートラの姿になることができても、体形だけとか顔だけ……しかも髪の毛は黒いままでは意味をなさない。それでもナガセは気を取り直して、自分の服の手直しにかかった。
手作りの服の肩幅と胴回りを手直しすると一晩寝て、翌日も目が辛いので日中は木陰で過ごし、、再度サートラのような体形になれるよう祈った。髪の毛を後ろで丸めて結び、ステンレス板のヘルメットをかぶり、はたからは見えないようにする。そうして日が落ちて薄暗くなってから村の方へと歩き始めた。
この状態であれば、サートラが歩いているような印象を与えられるであろうことを祈りながら……魔物たちを警戒しているのであろうか、森から村へ向かう道筋には、村人たちの姿は一切見られなかった。
そういえば今朝がた数人の村人たちがお供えを持ってきて、すぐに逃げるようにして走り去って行った。
やはり、魔物たちに襲われるのが恐ろしいのであろう。獰猛で鋭い牙を持つ魔物たちは、村人たちにとっては恐怖の対象でしかない。
食べ物が潤沢だった洞窟内ですごし、腹が満ちてさえいれば魔物たちも襲ってくることはないと理解し、ウルフとバッドという仲間を得てからは、洞窟内の生存競争でも完全に優位に立ったナガセは、魔物たちへの恐怖心など持ってはいないが、一般の村人たちでは、成人男性ですらも魔物には恐怖を感じることだろう。
ナガセはウルフとバッドにはついてこないよう命じ、自分だけ村へやってきた。そうしてサートラの記憶にあるとおりに辻を曲がり懐かしい我が家へ帰っていく……村の家々は木造のログハウスのような造りをしていて、大きな三角屋根と煉瓦でできた四角い煙突が特徴のようだ。
だが、明かりが漏れてくるはずのサートラの家の窓は暗いままで、玄関の扉も閉ざされていた。
そうして扉にはいくつもの貼り紙が……娘の体を悪魔に乗っ取られた一家は村から出ていけ。留まるなら殺す。生かしておかない、処刑だ……などと物騒なことを書かれた貼り紙が、玄関の扉にも窓にも、無数に貼られていた。
サートラの両親と兄弟は、自分の体がサートラのものと入れ替わったことで、悪魔に体を乗っ取られたのだと勘違いされ迫害を受け、村から追い出されてしまったのだ。もしかすると、すでに殺されて、黄泉の穴から落とされていたのかもしれない。
ナガセは自分があの洞窟に落とされてから数日後に、数人の人間の遺体が落ちてきたことを思い出していた。
あれは、サートラの家族だったのかもしれない……ナガセは温かな明かりが窓から漏れてくる家々を、うらやましそうに眺めながらも、森へ引き返していった。
苦労して広い洞窟内を探索してボスステージまでたどり着き、さらに強力なボス魔物を倒してようやく脱出した全てが徒労と化したのだ。
先ほどおいていったステンレス製の鎧の胴と槍を体に括り付け、熊の肉を乗せたステンレストレイを手に持つと、村人たちの手で直された祭壇のあたりをくまなく調べ始める。あの時祭壇の後ろ側へと突き落とされて、ナガセの体はいつの間にか洞窟の中にいたのだ……どこかに通じる穴があるのかもしれない。
森の中へ入るとウルフとバッドも寄って来たので、彼らとともに祭壇の後ろ側を手探りで調べ始めた。
「うん?」
すると次の瞬間、どんよりと濁った冷たい空気の中にナガセはいた。明らかに先ほどまでの解放された雰囲気とは異なり、空気は湿って澱んでいた。
戻ってきたのだ洞窟に……上を見上げたがやはり穴は見当たらない……何かわからないが、それこそワームホールで別の空間とつながっているのか……それを視覚できないだけで、間違い無く森の祭壇の裏側と、この洞窟内はつながっていた。
「くぅーんくーん……」
『パタパタパタッ』突然の環境変化に、ウルフもバッドも落ち着きなくナガセの体にまとわりついてきた。
長く生活していた洞窟ではあるのだが、開放的で空気が新鮮な外の世界から、またもや閉塞空間に戻ってきてしまったことに、不安を抱いているのであろう。
「よしよし……。」
ナガセはウルフとバッドの頭をなぜてやり落ち着かせると、洞窟奥へと歩き始める。長年住んで道順もしっかりと頭の中に入っている。半日ほどでナガセはボスステージに辿り着いていた。
そうしてボス魔物が寝床にしていたのであろう、藁が敷かれた真っ赤な石でできた台座の上で眠りについた。
それから何日くらい経過したであろうか、すでに千回は眠りについたことを、洞窟壁面の傷の数が物語っていた。それでも千日かどうかまでは分からない。この台座で寝ていると、起きている時間も腹も減らないのだ。
つまり3食食べて寝て……と言ったリズムではなく、なんとなく目覚めドーム内を歩き回って疲れたら休む。眠くなったら眠る……時たま槍やナイフを使って、格闘の訓練をウルフやバッド相手に行った。
毎日ドーム内では魔物たちが生まれるようだが、幼い魔物たちはそのまま洞窟内へ入っていき戻ってくることはない。だが、そのうちに成獣の魔物がドームへやってきて、この台座を争うことになるかもしれないのだ。
恐らく、争いに勝った魔物がボスとなってこの広いドームを手に入れるのだ。
いつでも戦えるように……そうして勝てるように訓練しておかなければならない。ナガセはついでに、洞窟入り口にある実験装置の掘り出しも行った。洞窟入り口で泊まりこみになるが、こちらはこちらで村人たちがささげる供物があるので、食べ物には困らなかった。
それでもドームを長く開けると、寝心地のいい真っ赤な台座を魔物に占領されていることがあるので、いちいち戦って打倒すのも面倒なため、ドームを開けるのは最長3日と決めていた。
壁に刻んだ傷の数が3千を超えたころ、ようやく実験装置の掘り出しが終わり、分解した実験装置をボスステージのドームへ運び入れることができた。だが、それができたところで、ナガセが元の世界へ帰るための足掛かりができたわけではない。
実験装置の上方半分程度えぐり取られた格好の実験装置は、そのままでは起動できないし、何より起動のための電源も必要だった。何もない状態で一から始めるのと、さほど違いはない。
それでも自分が別世界からやってきたことを物語る、実験装置の存在はありがたかった。切り取ったステンレス板の表面を磨いて鏡にして、自分を映し出すが、なぜか来た時とほとんどその容姿は変わっていない。
この世界がおとぎ話の世界だから、歳を取らないのか……?とも考えたが、それはあまりにも不自然だ。
考えられるのは、いつも使っている寝床……この寝床以外で入り口辺りで寝ているときは、村人たちの供物を食べなければ、腹が減って動けなくなってしまうほどなのだが、なぜかこのドーム内にいてこの台座で寝ていると、腹が減ることはなかった。
それは、このドームを出て一番近い水飲み場へ行っても同じだった。たまには洞窟内の野菜でも食そうと、キノコや野菜を採りに向かうのだが、戻ってきても腹も減らないので食べる気にもなれない。
そのまま自分の体と一緒に台座の上に置いておくと、持ち帰った野菜もキノコも腐らずに、ずっとそのまま新鮮な状態が保たれているのだ。まるで、この台座の上では時間が止まっているかのように……。
試しに台座以外の地べたに眠ると、翌日には腹が減って野菜を食べることができたので、ドーム環境のせいではなくて台座に秘密があることは明確だった。
血の色を連想させるような黒みがかった赤色の台座で眠ることにより、翌日はエネルギー消費はなくなり、細胞の劣化も進まない……恐らく細胞分裂もしないのではないか……つまり老化が止まるということだろうと推測された。
こうなるといくらでも時間はあるので、ナガセは如何にして元の世界へ戻るのか……その前に、この世界の住民に混じって、普通の生活ができないものかと日々考え始めた。
何度も試行錯誤を繰り返し人型の石に願うと、体のスタイルかもしくは顔の形、どちらかなら自由にサートラのものでなくても想像通りに変えられることを知る。ナガセの想像上のものではあるが、男の姿になることもできた。願いがかなう石というより、体の形状を変えられる石であろうと推察できた。
それでもどちらか一方しか変えることはできず、さらに髪の毛の色は変えられないのは不自由であった。顔や体形よりも、この世界では不吉とされる髪の毛の色を変えたいのだ……そのうちに、この石を砕いて粉にして飲んでみたらどうだろうか思いついた。
いつも応援ありがとうございます。この小説への評価やブックマーク設定などは、連載を続けていく上の励みになりますので、お手数ですがよろしかったらご協力お願いいたします。また、感想も作品展開へのヒントとなりえますし励みにもなりますので、お手数ですがよろしければお願いいたします。