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生体転移

 娘の父親は周囲を見回すが、娘の体はどこにもない。それも当たり前で、今の今まで娘の体は、この祭壇上に安置されていたのだが、突然中空から出現した女性の体が重なり入れ替わってしまったのだ……あれは……夢ではなかったのだ……娘の父親は、もう一度祭壇上に横たわる女性の姿を眺めまわした。


 白く薄い生地の外套は、温暖な気候のこの地域にしては厚着のようにも感じられたが、外套の袖から覗く腕を見る限り半そでシャツを着ている様子で、外套のボタンが外れて覗く腰回りのタイトスタートも、ずいぶんと短いようだ。


 わざわざ薄着の上に外套とは……雨でも降っているわけではないのにちょっと異様とも感じたが、どの道このような服装は、この世界のファッションとは全く異なる。女性は白いブラウスに、紺の丸く大きく裾が広がった足首までのロングスカートが一般的なこの世界とは、着ているものが異質だ。


「う……うーん……はっ……ここは……どこ?」


 生花で囲まれた祭壇上で目覚めたナガセカオルは、今の状況が理解できないで戸惑っていた。今の今まで大学の研究室で実験をしていたはずなのに……突然の閃光に包まれたかと思ったら、気づいたら外……しかも木立の切れ間から覗く太陽の光から察するに、ここは森の中のようだ。


 信じられないことに周りにいる人々は、まるで中世の絵画に見られるような牧歌的な服装をしている。顔立ちからして、北欧の人々なのだろうか?だが……その髪の毛の色は黄色に赤に緑に青と……染めているにしても、普通は選択しないような原色に近い色をしていた。


「Λ◇□×βΓΔδ??」

「えっ?なんですか?なんといっていますか?英語……じゃあないですよね?えーと……キャンユースピーク……。」


 自分に一番近い、黄色い髪の毛をした中年の男が何事か話しかけてきているのだが、何を言っているのか全く分からない。日本語や英語とは別の言語のようだが、取り敢えず英語が話せるかどうか確認しようとする。


「えっ……なに……?」


 その時突然、大量の情景が頭の中に飛び込んできた。それは若くして命を落とした村娘、サートラの記憶だった。森を歩いているときに、ダンジョンから出現した魔物に襲われて命を落としたのだ。当時は、時折増え過ぎた魔物がダンジョンから飛び出してきて、人々に危害を加えることもあった。


 そのため、のちにギルドが人里に近いダンジョンに関しては管理するようになり、ダンジョンの出入り口は檻で囲って施錠管理するようになった。今でも森などに生息している魔物たちは、もともとダンジョンから飛び出してきたものたちの子孫といえる。


「お前は誰だ?サートラの遺体はどこへやった?」


 サートラの記憶を引き継ぐことにより、ナガセカオルはサートラの父親が言っている言葉も理解できるようになった。そうして、ここが彼女の遺体を安置してあった場所であることも悟る。


「わっ……私は……サートラです……。」


 とりあえず、記憶を引き継いだサートラであると答えておく。異様な形をした蝙蝠系魔物や牛系魔物たちが出現するこの世界は、どう考えても自分がいた地球とは異なる世界のようだ。


 自分が地球上の別の場所に飛ばされてきたことも想定しては見たのだが、人々の髪の毛や口髭の色や顔立ちから考えても、おとぎ話の世界へ飛び込んできたような、まさに異世界へ飛ばされてきたのだと理解した。


 夢でも見ているのかもしれないが、どうせ自分が異世界からやってきたと言っても理解してはもらえないだろうから、取り敢えず今ここに安置されていたであろう、サートラという少女になり切ってみようと考えた。


「馬鹿を言うな……お前がサートラであるはずがない。死んで魔物に体を乗っ取られてしまったな?どうせ一度は死んだ身だ……そのまま黄泉の穴へ落ちていけ!」


『ドンッ……ドサッ……ゴロゴロゴロ』少女の父親は叫ぶと、ナガセカオルの体を強く押して祭壇奥へと突き落とし、ナガセカオルの体は落下した勢いのまま、地面を数mほど転がった。


「こ……ここは……?」


 そこは先ほどまでの木漏れ日あふれる森の中とは違い、ひんやりとした冷たい空気に包まれた暗闇世界だった。祭壇から穴へ突き落とされたのかとも考えたが、上を見上げても光は全く感じられない。


 落下した衝撃が軽かったことから、はるか高いところから落とされたわけでもなさそうなのにどうしてなのか……ナガセカオルは転がって来たであろう、元の位置へと数m移動して再度上を見上げてみたが、やはり光はどこにも感じられなかった。


「ううぅ……」「きぃーきぃー……」

 冷静になって周囲を見回すと、そこかしこから獣のうねり声や叫び声が聞こえてくるのに気が付く。


 また、見上げた先にも無数の光る点が存在し、さらに視線を落としても数個の光の点の確認ができる。うねり声や叫び声は、どうやらその光のあたりから聞こえてくるようで、日のささない暗い環境で見通しはきかないのだが、恐らくその光は獣かもしくはサートラの記憶にあった魔物のもの……目の光であろうと理解する。


 襲われる……湿った土の上に所々ごつごつと岩が突き出ているような地面の上に、4つんばいになっていたナガセだったが、身の危険を感じすぐに後ろへ数歩後ずさりして、体を縮めて両ひざを抱え丸くなった。


 体の震えが止まらない……状況はよくわからないが、突き落とされた先は魔物たちの巣窟……自分はいけにえにされたのだ。ナガセの心は絶望感で地に落ちていった。


「ううぅぅ……。」


『タッタッタッ……』『バサバサバサバサッ』ところが獣たちの足音や羽音は聞こえるのだが、一向に彼女を襲ってくる獣はいなかった。どれもすぐ目と鼻の先の地面へ達すると、そのままUターンしてナガセの目の前を通り過ぎて戻って行っているようだ。


 暗闇が深すぎて、ナガセの姿を向こうは認めていないのか?いや……先ほどまでのうねり声や叫び声は、突然現れた異敵に対して向けられていたものだと感じられた……では一体どうして……?


 そんなこと考えていても、一向に考えはまとまらない……なにせ物理学者であるナガセには、野生動物の生態など全く知識がないし、ましてやこの世界の魔物と称される野生動物に至っては、地球上に存在しない生物なのだから、分かるはずもなかった。


 一体どれくらい時間が経過しただろうか……いつ襲ってこられるかびくびくしながら、冷たく硬い地面の上でじっと動かずに、同じ姿勢のまま耐えていたのだが、段々と目が慣れてきて周囲の様子もおぼろげながら見えてきた。


 どうやらここは洞窟の中であろうと理解できたのだが、しかしどこにも自分が入って来たであろう入り口は見当たらなかった。そうして、先ほど自分が落ちてきたであろう場所に、獣たちが群がって行っては戻っていくことも、影の動きから見えてきた。


 あそこに何があるのか……自分は実は死んでしまって落ちてきた場所に死体が横たわっていて、魂だけが遊離して俯瞰視しているのではないのか……という恐ろしい考えが頭を横切り、冷や水を頭から浴びせられたかのように全身が凍り付くほど凍えた……震えが止まらない……。


『パタパタパタ……』なるべく音をたてないように、それでも力強く両手で腕や背中や太ももなどを触り、暖かな体温とともに肉体を感じることができてほっとする……自分はまだ生きている……。


 やがて魔物たちの姿はどこにも見えなくなったので、ゆっくりと4つんばいになりながら魔物たちが群がっていた先へと移動してみる。


 そこは少し地面が窪んだだけで、とりわけ何があるというわけではないが、甘い香りが漂っている。指先に当たった小さな破片の臭いを嗅いでみると……柑橘系の香りがする……果物なのか?目が慣れてきたとはいえ依然として日も差さない暗闇の中、手探りで地面を触ると、またもや別の破片に指先がふれる。


「これは……バナナ……?」


 指先がヌルヌルする感触とその匂いから恐らくバナナの皮であろう……実験が佳境に入ると学内の食堂へ行く時間も惜しまれて、バナナをひと房持ち込んで食べながら一晩中でも実験をしていたナガセは、バナナには少しうるさい……十分に熟成して甘みが増した食べごろの……恐らく供物であろう。


 若くして死んだ村娘サートラの葬式を行っていたのだろうからな……突き落とされたときに一緒に落ちてきたのだ。そうして先ほどまで群がっていた獣たちや魔物たちは、供物目当てであったのだろう。柑橘類やバナナなどの果物で満足して、ナガセには目もくれなかったというわけだ。


 おかげで助かったわけだが……すべて食い散らかされた後で、ナガセの分は残っていそうもなかった。だが、いま必要なものは食べ物ではない……逃げ道だ……この魔物たちが潜む洞窟から脱出せねば……先ほど魔物たちが去って行った反対方向へ進もうとしたが、その先は行き止まりで岩壁に閉ざされていた。


 ……いや……岩ではない……金属光沢のある……『コンコンッ』こぶしを握り中指の関節を少し当てるようにして叩くと金属音が返ってきた……指で触ると表面はなめらかで、人工的に加工された感が認められる。


 もしや……『ザッザッザッ』金属の壁が途切れたあたりの土を、遮二無二指で削ってみると、少しRを描きながら奥へと続く金属の壁が現れた……やはり……これは先ほどまで彼女が行っていた実験装置の一部であろうと理解できる。


 何らかの衝撃を伴い、実験装置ともどもナガセカオルはこの世界へ飛ばされてきたのだ。もしかするとプラズマ発生のタイミングが悪く、電磁場と共鳴して暴発したのかもしれない……そう考えると、ここは死後の世界とも感じられるのだが……胸に手を当てると心臓の鼓動は感じられるし、息もできている。


 死後の世界などではない……いうなれば生体転移……いや、転生ともいえる現象だ。


 生きているのだ……科学的根拠は全くないが、物質転送の実験をしていて何らかの不具合が発生し、形成したワームホールに実験装置ごと巻き込まれて飛ばされてきたと推定できる。そうなると、この辺りがワームホールの接続先ということになるが、この場所に何らかの特異点があるということだろう。


 元の世界とワームホールを接続する、架け橋ができている可能性が高い。うまく実験装置を掘り起こして起動させることができれば、元の世界に戻ることも可能かもしれない。実験装置を掘り出すための、硬いシャベル状のものが欲しい。


 ナガセはようやく立ち上がり、魔物たちが去って行った洞窟の奥へと、壁に手をつきながらまさに手探り状態で歩いていった。


 だがその先は……いくつもの分岐に分かれていて、明かりもないし道筋をメモる筆記具もないナガセは、仕方なくあきらめ実験装置のところまで戻ってきた。この実験装置だけが、自分がこの異世界へ飛ばされてきたということを実感できる存在なのだ。その日は実験装置に背を持たれかけてそのまま眠りについた。


 翌日から、分岐をいくつかずつ先まで見て回ることに決めた。何度も往復していれば、ある程度の道筋は覚えられる……まずはひたすら右へ分岐を繰り返すことから始め、行き止まりであれば一旦戻って左へ進むという方法で、少しずつ洞窟の様子を頭の中に入れていった。


 幸いだったのは、あの場所が村の斎場であったのか、供物はほぼ毎日備えられ洞窟内に落ちていた。どれだけ目を凝らして見上げても、地上とつながる穴など確認できないのだが、なぜかその場所へと物が落ちてきた。


 そのうちに人の遺体も落ちてくることがあった……いや、人であろうということはその大きさやおおよその形状から判断しただけで、さすがに遺体に近づくことはためらわれ、暗闇なので性別すらもほとんど判定できず、遺体が落ちてきた日はナガセはじっと洞窟の隅で震えていた。


 そのうちに遺体も魔物たちに骨までしゃぶりつくされ跡形もなくなるようで、ようやくナガセも落ちてくる供物を採りに行けるようになる。


 大抵は果物が多かったが、笹の葉に包まれた餅や炊いた米なども落ちてくることがあった。ナガセは一番に必要最低限だけ確保すると、洞窟の隅の方にうずくまって動かないでいた。


 じっと動かないでさえいれば、やってきた魔物たちは供物を食べ散らかしては、また戻って行くを繰り返し、ナガセには目もくれなかった。十分に腹が満たされていれば、別の生き物に襲い掛かることもないのだろう。


 たまに供物の中に本やアクセサリーのようなものが混じってくることがあった。装丁のしっかりした本は、もったいないが表紙部分を使って実験装置の掘り出しに利用させてもらったが、大抵の場合幾らも掘れずに終わった。


 そのうちに目が暗闇に少しずつ慣れてきたのか、周りの状況が1m先程度であれば見えるようになると、掘り出し作業もピッチが上がった。


 手のひらサイズの金属板が落ちてくる時があり、恐らくは金属鏡であろうが、地面を掘りすすむのに大いに役立った……モニターのパネルやスイッチ類が見え始めたころは、暗い洞窟内の生活でもそれなりに充実していた……だがやがてそれは……ナガセに大きな失望を与えることとなった。


 ある程度掘り進み、見えていた部分が装置上部の側面であることが分かってきた。途中、装置に紐でかけていた実験ノートとペンを発見……だがすぐに衝撃的なことが判明。掘り進んだ先に装置の続きがなかったのだ……。


 装置は恐らく上方の半分くらいをえぐり取った様な形で、洞窟入り口に埋まっていた。掘り起こしたところで、どうやっても起動できないのは明白だ……そうして、どの道起動させるための電源すらここにはないことに改めて気が付く。


 そのままその場にうずくまって、供物の果物も食べずに何日も蹲っていた。

『ぐぅー……』腹の虫がなく音で意識がつながった……。このまま果てるのは嫌だ……ナガセは落ちてきた供物を手にすると、魔物たちをやり過ごしてから、掘り進んだ実験装置へ向かった。


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