移送実験
『ジジジジジジッ』「電磁波をターゲットに向けて照射開始……電圧10%アップ、周波数10%アップ……ターゲット安定しています……ここから10分ごとに、電圧周波数共に1%ずつ上昇させていきます。いいですか?」
「はい、制御パターンプログラミング済みです。自動設定に切り替えます。」
『カチッ』白衣姿の若い女性の指示に従い、男性研究員が操作パネルのスイッチを押し、自動プログラムに切り替える。
「いよいよ物質電送の実証実験本番ですね……理論上は可能とされておりますが、現実に行うのは実験レベルでも恐らく世界初でしょう。成功するとはもちろん考えてはおりませんが、次のステップへつながるヒントだけでも得られるといですね。」
男性研究員が、女性研究員に対して興奮気味に声をかけた。
「最初から失敗することを期待していてはいけませんよ……どの実験でも必ず成功すると信じて行わなければ……万一失敗したときには、どこが悪かったのか徹底的に解析して、次へつなげるのはもちろんですけどね。」
ネガティブ思考の男性研究員に対し、女性研究員は笑顔で叱咤する。
「そ……そうでした……でもナガセ先輩……成功したとしてもこんな小さなサンプルを、たったの1m先へ送るだけでも莫大な電力を消費するのですよ。こんな効率の悪い輸送手段って……成功したところで実現性があるのでしょうかね?」
男性研究員は、首をかしげながら質問する。
「強電磁波を用いて時空間にワームホールを形成し、プラズマで被覆したサンプルをワームホールを通じて空間転移させ、別の場所に送り届ける。
現時点では、1mm角で厚さ0.1mmの杉板材を送付するのに10万キロワットという膨大な電力を必要としますが、ワームホール形成の手順を改良していけば、必要とする電気容量は下がっていくでしょうし、何より電送先までの距離は消費電力に影響を与えません。
時空間をゆがめてワームホールを形成してつなげることさえできれば、地球上ならどこへでも一瞬で物を届けられるようになります。いえ……電送先は地球上でなくてもいいので、例えば月面基地への物資輸送に使うとか、実用化さえできれば使い方は無限です。
物を運ぶという概念を根底から変える、偉大な発明への第一歩です。心して立ち向かいましょう。」
ナガセと呼ばれた女性研究員は、世紀の大発明に対するイメージが乏しいのか、実験の意味を全く理解していない様子の男性研究員に対して、それでも笑顔で、やさしく諭そうとする。
「ふうん……そんなもんでしょうかね……。」
ここは、とある大学の研究室。女性研究員の名はナガセカオル。大学の修士課程を終え、ドクタークラスへとこの春進学し、物質の伝送に関する実験を行っている。
肩までの黒髪にやさしげな瞳、肉厚の薄い唇は、お年頃というのに紅さえひいていない。スレンダーな体つきと柔らかな物腰は、まさに大和なでしこと大学内でも評判の美女だが、本人にはその自覚もないのか、大学のころから研究室と寮を往復するだけの生活を続けている。
後輩の研究員は修士課程の学生だが、目的は研究ではなくナガセカオルに近づきたいがため、同じ専攻を選択したという、やや不謹慎な目的で通っているため、実験内容などそっちのけで常にあこがれの先輩であるナガセの方ばかり注視している。
何度も食事や映画に誘ったりしているのだが、大学の学食以外で外食することもなく、研究以外の趣味を持たないナガセカオルは、誘いに応じることはなかった。
それでも毎日遅くまで同じ部屋の中で長い時間過ごせることは、彼にとっては至福の時間だった。
彼女が専攻しているクラスは人気が高く同級生は10名もいるのだが、他のメンバーは別のグループで異なったテーマの研究をさせられており、彼女とともに研究できるのは彼一人だけなのだ。
その優越感は相当なもので、実現性の薄い研究として、毎年の予算配分時点で常に研究収束の第1位候補に挙げられている研究にもかかわらず、わざわざ専攻する学生が後を絶たないのは、全て彼女の人気の高さからであろう。その人気の高さから、研究が継続されているともいえる。
彼女の卒業論文から4年間も継続している研究で、少しでも実現性を見出すために、半ば見切り発車的に理論的な考証を省いて実証実験に踏み切ったものだ。すなわち、成功の見通しは暗い研究と言える。
『ジジジジジジッ……ボワップシュッ』彼女たちがいる制御室の隣にある実験室の中央に設置してある、数本のボンベが接続されている縦横5mほどの巨大なステンレス製の、業務用のドラム式洗濯機を彷彿とさせる装置の、小さな覗き穴から一瞬閃光が漏れた。
「ターゲット焼損……」
パソコンのモニターを見ていた男性研究員が、残念そうに顔をしかめながら告げる。
「ふうん……予備実験ではうまくいっていたのだけど、実際にワームホールを形成させた場合、プラズマ生成が間に合わないようね。プラズマ生成用のアーム位置を調整してみようかしら……。」
『ガチャッ……ガチッ』ナガセはすぐに隣室へ駆け込み装置のドアを開け、内部に突き出たステンレス性のフレキシブルチューブの位置を調整し始めた。
「何がどう効いてくるのかは分からないけど、少しだけサンプルまでの距離を詰めてみたから、プラズマ生成までの時間が短縮されると見込めるわね。
じゃあ、再度実験しましょう。」
そう言いながらナガセは、装置前面のステンレス製テーブルの上のパーツボックスから小さな木片をピンセットでつまみ上げ、装置奥へと設置して扉をしめた。
『ガチャッ……』「じゃあ、再実験よ……電流電圧をゆっくりと上げていって……。」
「はい、了解いたしました。」
ナガセが制御室へ戻ってきて、実験が再開された。
「自動設定に切り替えます。」
『ジジジジジッ……ボップシュッ』やはり今度も、装置小窓から閃光が漏れて止まった。
「ターゲット焼損……。」
男性研究員ががっくりと肩を落としながら告げる。実験内容に興味はないのだが、あこがれの先輩の気持ちを案ずると、いくら始めたばかりの実験とはいえ、気落ちしてくる。
「うーん……予備実験と違って、簡単にはいかないようですね……いいでしょう、自動プログラムでの動作は取りやめて、とりあえずマニュアルで進めてみましょう。そのデータ取りをして、後から自動設定でプログラムしなおすのです。
プラズマ生成が間に合わないのでは、実験の初期段階にすら達していないことになってしまうから、このまま続けていても意味はないです。少なくとも実験の入り口くらいには到達しておきたいですね。」
『ガチャッ……ガツッ』そう言いながらナガセは隣の実験室へ入り、装置のドアを開けてサンプルを設置し、装置傍らの操作パネルを取り外すと、モニターを起動させた。装置の状態をモニターするための画面だが、マニュアル作業の場合は操作パネルを取り外して、有線コントローラーとしても使える仕様だ。
「では、実験を再開させてください。」
ナガセカオルは、隣室から大声で後輩研究員に指示を出した。実験室と制御室間の壁には窓ガラスが埋め込まれており、中の様子は簡単に見通せるが、その壁は厚く50センチ以上の鉄筋コンクリート製であり、壁に埋め込まれたガラス窓も厚い強化ガラス製である。
そのため開け放たれたドアから、ようやく指示する声が回り込んで聞こえてくるに過ぎない。
『タタタタッ』「だめですよ……実験の間は制御室側にいないと、何が起きるかわからないので危険ですよ!」
すぐに男性研究員が駆けていき、ドアのところから実験室内を覗き込みながら注意する。
「仕方がないでしょ……ターゲットの状態を実際に目で見ながらじゃないと、プラズマ発生のタイミングが取れないのだから……撮像カメラの映像をモニターで見ていても、よくわからないのですよ……実際に自分の目で見て確かめないと微妙なタイミングは割り出せません。
確かに世界でも初めての実験だから未知の点は多いことは多いですが、予備実験から察する限り爆発とかの危険性はないと思っているのですよ……こんな小さなターゲット以外の可燃物もないですしね。
安全性は私が保証しますから、実験を開始してください。どうせ、プラズマ発生のタイミングが割り出せたらそこで止めるつもりですので、尚更危険性はありませんよ。」
ナガセカオルは1mm角の小さな木片をピンセットでつまみながら小さく首を振り、頑として戻るつもりはなさそうだ。そうして後輩研究員に、再度実験再開を告げる。
「はいはい……分かりました……でも、ちょっとでも危険を感じたならすぐに止めますよ!さらに、うまくいきそうでもプラズマ発生が確認されたら、その時点でいったん中止でいいですね!」
男性研究員はため息をつきながら、それでもあこがれの先輩研究員の心証を悪くするわけにはいかないため、
暫定的な実験再開を了承した。
「プラズマ発生が確認された時点で、いったん止めていただいて構いません。そのタイミングを検証して、自動プログラムを修正したら、本格的に実験を再開しましょう。
では、お願いいたします。」
聞き分けのいい後輩研究員に感謝しながら、ナガセカオルは笑顔を見せた。
「仕方がないなあ……ナガセ先輩は、一度言い出したら聞かないから……電源ON……電圧を上げていって……ここからは1%刻み……。」
男性研究員は装置を稼働させ、自動プログラムをやめてマニュアルですべて動作させると、小刻みに電圧と周波数を上げていった。そうして、数分後……立ち上がって大きく手を振る。
それは、実験室側にいるナガセカオルへの合図だった。自動設定プログラムでプラズマ発生がコントロールされ始めるタイミングまで、あと数分というタイミングで、合図を行ったのだ。
彼女がここからターゲットの状態を確認しながら、慎重にプラズマ発生手順を操作していけばいい。その様子をモニターしておいて、後から自動設定プログラムに落とし込めれば一歩前進と言える。
『ジジジジジッ』実験室内ではナガセカオルが装置の覗き窓から中の様子を確認し、都度操作パネルを操作している様子がうかがえる。縦横5m角の装置といえど、実験を行っているチャンバーの大きさは、その中央付近の15センチ角程度でしかない。
加熱ヒーターや高真空に耐えるだけの頑丈な構造をしているとはいえ、装置というよりもほぼ鉄とステンレスの塊ともいえる実験器具は、たとえ大砲で撃ち抜かれても平気でいるようにすら感じていた。
頑丈な装置を実験室側に置き、さらに分厚い隔壁で仕切られた制御室側でのみ実験を行うよう、常に教授からはしつこく言われているのだが、特に放射性物質を扱っているわけでも、爆発物を扱っているわけでもない彼らの実験内容では、そこまでの過剰な対応は、実験の進捗を遅らせるための枷でしかなかった。
当たり前のように日常的に破られている、形だけの安全対策……だが、今回ばかりはいつもとは異なった。
『バリバリバリバリバリッ』突如実験室内に、稲光ともとれる雷撃が多数発生し、実験装置が白く輝き始めた。
「なっ……なに?どうしちゃったの?」
『バリバリバリッ……ドーンッ』次の瞬間、ナガセカオルの体は閃光に包まれ、彼女は失神した。
「せっ……先輩……?」
白煙に包まれた実験装置を強化ガラスの窓ガラス越しに眺めながら、制御室内の男性研究員は、言葉を失いただ立ちすくんでいた……。
どれくらい時間が経過しただろうか……それほど長い時間ではなく恐らくは10分程度……霧が晴れるように見通しがよくなった窓からの光景……それは驚くべきものだった。
5m角の巨大な実験装置は、何か大きな力でもぎ取ったように、分厚いステンレス鋼の外装が変形し、装置上方のおおよそ半分くらいがえぐり取られていた。
そうして肝心の先輩研究員の姿は、どこにも見られなかった……実験室へのドアは制御室側にある1つだけで、ほかに非常口も存在しない。つまり、ナガセカオルは実験室内からどこへも出ることなく、忽然とその姿を消したのだ。
「うおー……サートラ……サートラ……なぜ死んだー……。」
一方こちらは、千年前のシュブドー大陸のとある村。若くして死んだ村娘の葬儀には、多くの村人が参列していて、中でもその父親が、あまりにも早い娘の死を誰よりも嘆き悲しんでいた。
娘の遺体は、村の奥の森の中の広場にある祭壇に祭られており、死に化粧を施した若い娘の遺体がそっと横たえられていた。
『バリバリバリバリバリッ』その時、わずか数mの高さからいくつもの青白い稲光が連続的に発生し、何もない空間から突如、白く半透明の繭のようなものに包まれた女性の体が出現し、ゆっくりと降下を始めた……そうしてその体は、やがて祭壇上の村娘の体と重なり、一つとなり実体化した。
「なっ……なんだ……?」
一瞬の出来事で、何事が起ったのか誰も分からない状況で、娘の父親は立ち上がるとすぐに駆けよっていき、娘の体を確かめるが、それは先ほどまでとは似ても似つかない姿かたちをしていた。
しかも信じられないことに、この世界では見たことがない髪の色をしていた……その色はまさに闇に通じるかのように、深く冷たい黒色をしていた。
「ばっ……馬鹿な……サートラ……サートラは一体どこへ行ったのだ?」