トオルの正体と俺の正体
あれ?悪いのは俺なのかな……?悪いのは擬態石を使って女の姿になり、俺を誘惑していたトオルじゃないのか?いや……まてよ……奴は途中まで、冷静に俺の言葉を聞いていた。それが突然……トオルが擬態石を使って、女に化けていたと言った途端に目の色を変えるようにして……。
言い方がまずかったのか?いかにもトオルに非があるような言い方をした覚えはないのだが……そこが引っかかったのか?だって……こっちは騙されていたほうで……そこを……ううむ……化けて……という表現がきついのか?……何にしてもこのままにはしておけない。トオルとの関係が崩れてしまう……。
『ドンドンドンッ』「トオルっ!俺の言い方が悪かったのなら謝る。トオルに悪気はなかったのかもしれないからな……俺が勝手に傷ついただけで、それをトオルのせいにしているのかもしれない。
だったら、それはそれでもいい!トオルにはずいぶん世話になっているし、これからだって……トオルと別れて生活するなんてこと、絶対に考えられないんだ。だから……機嫌を直してくれ……俺だって、恋焦がれていた絶世の美女が、実はトオルが化けた姿だったとわかって動揺していたんだ……。」
2階のトオルの部屋のドアを叩いて、中のトオルに呼び掛ける。
「…………………………」
「トオル……?入っていいか?謝るから……。」
「入ってこないで!」
呼びかけても返事がないので、ドアを開けて入っていこうとしたら、大声で拒否されてしまった。ヒステリックになっているのか、ずいぶんと甲高い声だ……まるで本当の女性のように……あれ?待てよ……
「トオル……いや、ダーシュといったほうがいいか?トオルというのは、俺が一緒に来た仲間に付けた名だからな。ダーシュは、本当は女だったのか?擬態石を使っていたのは、女に化けるためではなくて男に化けるため……だから、俺が酔っ払う度に出てきた絶世の美女は……ダーシュそのものだったということか?
そうなんだろ?ダーシュの家は女系家族だからな……姉が8人もいて……9人目に生まれた子供がまた女の子だったのに、親父さんは男の子として育てたというわけだ……仕えている家の跡取り息子のお付きとするがためにな……。」
もしかすると、そういうことなのか?そう思ってみると……
「今までずっと一緒に生活していたのに、気づいてやれなくて本当に悪かった。ノンフェーニ城で住んでいた時はともかく、冒険者になってずっと一緒に生活していて、気づくべき場面はいっぱいあったはずだ。
料理はうまいし、話し方や態度に母性を感じられたし、さらに擬態石のことにも最初から詳しかった。あれは忍者としての修業で知っていたということではなく、自分が使っていたからだな?
だからこそエーミを男の子の姿に化けさせることも、手際よく行えたわけだ。そうして自分で言っていたように、数日に一度は本来の姿に戻って……その時に俺の部屋へ来ていたというわけだ……あの絶世の美女は、ダーシュの真の姿なのだろ?
だとすると困ったことになってしまった……俺としては、夢の中に出てくる美女としか意識していなかった……まさかそれが、大切な仲間の一人だったなんて……知っていたら絶対に、あんな間違いを犯さなかったはずなんだ……。」
恐らく俺の推測は間違っていないはずだ……そうなのだ、擬態石を使うにしても目的は真逆で、男が女に化けていたのではなく、女が男に化けていたのだ。
『ガチャッ』「最初は……ワタルが飲み過ぎて酔っ払い、部屋を間違えてカギが合わず、私の部屋のドアを夜中に何度もノックし続けた時でした……。」
泣いていたのだろう、目の下を腫らした顔のトオルが、部屋のドアを開けてゆっくりと話し始めた。
「最初は、ワタルの部屋は向かいですから、そっちのドアならちゃんと鍵で開けられますよと言って追い返すつもりでしたが、その時に自分は本来の姿に戻っていることに気が付きました。
自分がトオルだとは言いだせず、仕方なく部屋に招き入れたのです……。そうしてワタルがベッドで寝ている間に荷物を入れ替えて、私の部屋だったのをワタルの部屋としました。
その時だけで済ませるつもりでしたが、女の喜びを知った私はどうしても我慢できず、ワタルが酔いつぶれるくらいまで酔った時だけを利用して、ワタルを誘うことにしました。ワタルは……トーマ様は……私の初恋の……いえ……命の恩人でしたから……。」
トオルが涙目のまま、考え考え話す……命の恩人……?
「覚えてらっしゃいますか?ノンフェーニ城の耕作地の外れの隣家との境界に小さな竹藪があり、そこに大スズメバチが巣を作っていたのを……。
知らずに早朝にタケノコを採りに行った子供の私が、スズメバチの巣を踏みつけてしまい、ハチの大群に襲われたときに、外で素振りの稽古をしてらっしゃったトーマ様が私の体に覆いかぶさるようにして、身を挺してハチから私を守ってくださいました。
今でもその時にハチに刺された跡が残ってらっしゃいますよね……抱かれるたびに、思いだしました。
幼かった私の体では、あれだけの数のハチに刺されたら、死んでしまっていたでしょう。その時から命の恩人であるトーマ様を、必ずお守りするのだと心に誓って生きておりました。幸いにも男の子として育てられた私は、父が手に入れた擬態石を使って男の姿になり、トーマ様のお付きとして仕えることになったのです。」
トオルがほほを伝う涙を右手で拭う……ほお……そんなことが……
「擬態石はとても高価で……退職金を前借りして購入してきたと父は申しておりましたが、1石のみで体しか作り替えることはできませんでしたが、学校へ上がるころには擬態石で男の子の体になることが出来ました。
ですが……やはり女なのですね……トーマ様が酔っている間だけでも女として愛されたいと、身の程もわきまえない夢を見ておりました。迷惑でしたよね……私の方こそ、申し訳ありませんでした。以後……決して女の姿に戻って誘惑などいたしません……。ですので、お側においてください……。」
トオルはそう言って頭を下げた……やっぱり……トオルは女だったのに、男として育てられたのだ……そうしてお付きとして……しかもトーマが命の恩人だったとは……確かにハチの群れに襲われた記憶がうっすらと残ってはいる……しかし、誰かをかばったという記憶はない。
トオルの記憶違いなのか、あるいはトーマとしては幼い子供をかばうのは当然のこととして、記憶に残さなかったのかもしれない……でもそれは……
「いや……そ……その……迷惑だなんて……俺としては、うれしかったというか……だってあんな美女が……だけど申し訳ない……俺はトーマではない……切腹して死んだだろ?あの時に別人が生まれ変わったんだ。だから……トオルの……じゃない……ダーシュの気持ちには、答えられない……。」
トオルがトーマのことを尊敬しているというよりも好いているであろうことは、とっくに気が付いていた。
だがトオルは男だから、知らないふりをしていた……俺もトーマも女が好きで同性には興味がないのだから、申し訳ないが気持ちには応えられない……なので、気づかぬ風を決め込んでいた。
関係をはっきりとさせてトオルが離れていくのが怖かったからだ。トオルは男なのだから、分かってくれるだろうと、勝手に判断していた。だが、トオルが……ダーシュが女だというのであれば話は別だ……。
お付きなのだから、女としての感情を押し殺して付き添えとは言えないが、その気持ちに俺は答えられない。もちろん俺は夢の中に出てきていた絶世の美女に惚れていた。それがトオルの真の姿であるなら、トオルのことを真剣に想うことだろう。ところが俺はトーマではない……彼女が好きなトーマ本人ではないのだ。
俺の正体は誰にも伝えるつもりはなかったが仕方がない、これ以上彼女を傷つけないためにも、本当のことを正直に打ち明けるしかない。たとえそれで、どうなろうとも……。
「確かにトーマ様は切腹された後、冒険者として生まれ変わって今はワタルです……ですが……呼び名は変わっても、私にとっては最愛の人……トーマ様です……。お気持ちはわかりましたから、もう平気です。」
トオルはそう言いながら、両手で涙をぬぐった。
「いや……呼び名がどうこうといっているわけじゃない……俺の名は上ノ宮 航といって、魔法が使えてダンジョンがあって冒険者がいるような、こんな世界ではなく別の世界で生まれて生きていた。
俺が生きていた世界は、もっと科学が発達していて、人も多くてごみごみしていて、普通に電気が使えてテレビとかパソコンなんて言う便利な装置があって……それでネットゲームをしていた……と、言っても何のことかわからないだろうが……とりあえず聞いてくれ。
そんなある日、一人の老婆を助けようとして車に轢かれた……車というのはエンジン……と言っても分からないからな……馬車があるだろ?馬は引いていないのだが勝手に走る……そうそう……装甲車……俺が作った……あの荷台部分だけがすごく速く走ってきて俺にぶつかって……それで俺は死んだ。
ところが死んだはずの俺は生き返って……だけど元の体とは違う……そう……トーマがジュート王子様襲撃事件の責任を取らされて、切腹して果てただろ?トーマという中世の貴族のような男の体に転生していた……ちょうどその葬式を、教会であげているときに目覚めたわけだ。」
こうなりゃ仕方がない……俺がトーマではないことを打ち明けよう……これ以上、トオルをだまし続けることは出来そうもない……。
「俺がこの世界に転生してすぐに、トーマというこの体の前の持ち主だった男の記憶が、俺の頭の中に流れてきた。だからトーマとして振舞うことに、不自由は感じていないわけだ。
そうして第3者として考えることができた俺は、トーマ一人の責任のように作り上げていた疑惑を晴らし、真の首謀者を明らかにすることはできたが、もともと全然違う世界のしかも一般市民だった俺は、貴族のしきたりや重みには耐えられないと考え、冒険者になるといって城を売り払い、ダーシュというお付きを伴って旅に出た。
なにせトーマの記憶の中には、カルネという超1流の冒険者から聞いた冒険の、わくわくするような気持ちがあったからな。
そうしてナーミと出会いエーミを人買いから救出し、サーケヒヤーとの戦争は未然に防ぎ、ジュート王子様の部隊も300年ダンジョンから救出したりと……色々とあって現在に至っているわけだ。
だが俺はトーマではない……今までだましていて悪かった……。」
深く深ーく頭を下げる。トーマ様だと思っていたのに……と言って、一突きにされてしまうかもしれないが仕方がない……それだけのひどいことをしていたのだからな……。
「と……トーマ様じゃない……?だって……間違いなくトーマ様……私が間違うはずは……。」
俺の言っていることが理解できないのか、トオルは俺の体を何度も見直しながら首を横に振る。
「いや……この体は、トーマの体だ……そうだ……魂……体はトーマの体なんだが、それに俺、ワタルの魂が乗り移ってしまったんだ……だから、見かけ上はトーマでも、中身はトーマではない。中身はワタルなんだ……。」
「じゃあ……トーマ様は……トーマ様の魂はどこに……?」
「わからない……本当に死んでしまったのかもしれないし、俺みたいに死んで別の体に転生しているのかもしれない。もしかしたら、またいつかこの体にトーマの魂が戻ってくるかもしれないと思って、俺はトーマという名に恥じない行動をしようと常に心掛けている。」
非常に説明が難しいのだが、何とか理解してもらおうと努力する。変に勘繰られても困るので、極力正直に何もかも包み隠さずに、俺の知識全てを振り絞って説明しよう。
「そんなことが……本当に……?」
「俺だって信じられないさ……だが、これは紛れもない事実なんだ。俺は別人の体……しかも全く別の次元の世界に転生しているんだ。しかも、その理由も何も知らない。信じてくれ……。」
こんなこと信じてくれと言われても、ドッキリじゃないの?なんていって、元の俺は絶対に信じないタイプだった……当たり前だわな……信じる方がおかしい。だが、なんでも話して説明すれば、俺がトーマではないということくらいは、わかってくれるはずだ。
「確かに……トーマ様だったら……あのような深酒をするはずもなく……おかしいと思うべきでした……。
先祖伝来の城を簡単に売り払ってしまった時は、陰謀に巻き込まれてすべての責任を押し付けられる形になった経緯を嘆かれて、自暴自棄になられて冒険者として果てるおつもりと考え、その身を案じてお守りせねばと、決して離れない決意で付き添わさせていただきました。
それもこれも、別人が乗り移ったからとは……ショックです……忍びの修業で、一番重要なのは人物観察だといわれております。その人の弱点などをいち早く見抜いて、戦いを優位に進めるために、あらゆる人の性格判断、仕草や感情の動きなどを的確にとらえるよう訓練されておりました。
ですが……やはりお慕い申し上げていたトーマ様ゆえ、その目が曇っていたようです……反省しなければ……ナーミさんもそうですが、絶対に守らなければならないエーミちゃんまでもを、得体のしれない輩のそばに置いてしまいました……今後は……」
トオルが俺を見る目つきが、いつもと違い段々と厳しいものに変わって来たようだ……。
「まっ……待ってくれ……エーミは……エーミにだけは、このことは伝えないでほしい。エーミは実の母親に裏切られて、人買いに売られてしまった身の上だからな……信じていたパパが実は別人だったなんて知ったら、どうなってしまうか……。
俺はトーマではないが、今では本当の娘としてエーミのことを愛している。どんなことがあっても守ってやりたいと思っているんだ……だから頼む……。
これまでだって、俺は変なことをしようとしたか?エーミを不幸にするようなことは、何一つしていないだろ?あの子はいずれ、成長して彼氏を作って嫁に行くだろう……せめてそれまでは、エーミのパパでいさせてほしい。頼む……。」
エーミが大好きなトーマが別人だったなんて知られて、あの子を絶望の淵に追いやりたくはない。打ち明けるにしても今はだめだ……もっと大人になってからでなくては……。
「確かに……ワタルはエーミちゃんのことを本当に愛して、常に気にかけていますからね……ちょっと妬けてしまうくらいに……。変なことをするような面も見られませんでしたし……そうですね……トーマ様の魂が、この体に戻ってくる可能性もあるわけですよね?」
トオルが、ふと思いついたように尋ねてくる。
「そ……その可能性については何とも言えない……さっきはそう言ってはみたが……そもそも俺がどうしてこの体に転生したのか分からないのだからね。この世界の俺が死ねば、元の体に戻るのではないかと考えたこともあるが、そんなこと試してみるわけにもいかない……何せ普通は死んだらそれで終わりだからね。
どうなるかわからないから、出来るだけこの体のままで生き抜いてやろうとは思っている。そうして、いつトーマ本人に戻っても構わないように、常にトーマだったらこんな時はどうするだろうかと考えながら行動するようにしている。」
正直にありのままを答える。
「わかりました………………トーマ様の体を預かっていただき、ありがとうございます。引き続き、トーマ様がいつ戻ってこられてもいいように、大事に扱ってください。私も出来るだけサポートいたします。
この件は、ナーミさんにもエーミちゃんにも秘密にしておきます。」
少し間があった後、トオルは決心したように神妙な顔つきで答えた……。本当に好きなのは、以前のトーマではなく冒険者になってからのワタルだと言ってくれれば俺だって……という淡い期待を抱かなかったわけではなかったが、はかなく散った……。だがいいさ、これ以上だまし続けることは、俺にはできなかった。