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作家志望の冒険(仮)  作者: 大久保ハウキ▲
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 すぐに反応できたのは母だけだった。

 リンは左腕を包帯だらけにし、肩から吊っている。

「封印の壺にヒビが入っていたようで、ゴルフボール大の奴に逃げられました……大佐が追跡中ですが、現在行方不明です」

「あらあら……」

 そう言いながら母が左上の方を見る。そっちには天井しかないが、母には別の物が見えるらしい。

「結界には引っ掛かっていないわねぇ……北海道内で逃がしたのぉ?」

「……はい。丘珠にヘリを回してもらっていたので、そこに向かう途中でした」

 市内かよ。

 それにしても、勝手に私の姿を模したのに、よくそこまで執拗になれるものだ。

「異世界から敗走した魔王級が地球に逃げた場合、十中八九、初めて見た人間の姿を模します」

 私が奴に出会ったのはいつだ? 記憶にないぞ?

「それは……私も予想しかしていませんが、あなたの姉上の結婚式ではないでしょうか?」

 姉ちゃんの……

 言われて記憶を辿れば、確かに私は異世界にその時招待されている。詳しく覚えていないのは、その時異世界の飲み物が口に合わず、具合が悪くなったからだ。

「お前はどこまで偏食なんだよ……」

 そう言われてもな。異世界の飲み物なんぞ、どれが飲料水でどれが酒なのかまったくわからん。

「君は酒に弱いからねぇ……匂いも感じられなかったのかい?」

 あんな化け物揃いの結婚式に招待されて、鼻なんぞ利かせていられるかよ。出された物を飲んだだけだ。即死しなかっただけありがたいだろ?

「……先生はやっぱりアホかも知れませんねぇ……」

「脱線はそこまでにしてください、時間があまりないのです。その時の招待客辺りに、今回の事件の本体である魔王級が混ざっていたのではないかと推測します」

 そう言えば、義兄にいつ奴と喧嘩したのか聞いていなかった。姉と結婚した際、奴の国とやらが同盟国だった可能性は充分ある。あの時人間で招待されたのは私一人だったし、具合が悪くなるという醜態を晒したお蔭で、異常に目立ってもいたからな。

「あらあら、それなら母さんが行けば良かったかしらねぇ」

 母は自宅療養中の父の介護で欠席だった。

「……過ぎたことなので、どうにもなりませんが、奴は未だにあなたに固執しています」

 向かう先がここだとすると、もう来ていてもおかしくないはずだが?

「さすがにあの状態でここの結界は破れませんね。外出時を狙うと思います」

 ニートの挙句、結界内で引き籠りにまでされるとは、どんな嫌がらせだよ?

「そう言ってもいられません。奴の好物である人間の負のオーラは、この地球上どこにでもありますので、力を戻されては困ります」

 なるほどね。しかし、ろくに動けない私を囮に使うまでは良いとして、今度はどこにおびき出す? また原発基礎工事現場を使うと、今度こそハルミンに殺されそうだが……

「ちょっと待ってください。先生を囮に使うのは決定事項ですか?」

 天寧が口をはさむ。これではどちらが騎士で、どちらがお姫様かあべこべじゃないか。

「天寧さんが奴を滅ぼす鍵を持っているような話があったと思うのですが……風船男の妄言だったのか、こちらで調べても皆目見当がつきません。そして、ゴルフボール大と化した本体は、この方を狙っています。時間を置いて、奴を元の姿に戻らせてしまっては、せっかく使った能力が無駄になりますから、この方を囮に使うのは決定事項です」

「そんな……せっかく先生は小説に集中できそうだったのに……大佐さん一人では無理なのですか?」

 リンが俯いた。

「……大佐はオーバーワークです。『右拳』で片付く相手ばかりなら、ほとんど無限の体力を有しますが、最近『左拳』を使い過ぎなのです。一昨年の知事候補防衛戦で『16発』左を使っていますし、その後、私を助ける為に『4発』その他の仕事で『8発』使用しているのです」

 先輩の能力はリスクが伴うということを言いたいのだと思う。この場でリンの発言を100パーセント理解できたのは母だけだ。

「あらあら、退治屋たちも彼に随分頼っているのねぇ……私が寝惚けている間に、そんなに彼に無理をさせていたのは心外だわ」

 どういうことなんだ?

「彼は左拳を使うと『体重が1キロ減る』のよ」

 は?

 全員頭の上にクエスチョンマークが出ているだろう。

「問題は減り方です……大佐の体にこれ以上『穴』が開くのを……私は見ていられません」

「単純にダイエットになる訳ではないのね。彼が誰かを殴ると、彼の肉体の一部が1キロ分どこかの世界に飛んで行き、戻ってくる時間はわからないのよ」

 リンが俯く理由がやっとわかった。愛する夫の肉体に穴が開くのを、彼女は妻として見ていられないんだ。

「大佐は50発までならば問題ないと豪語されていますが、体に50か所も穴が開き、50キロも体重が減った状態で退治屋などできるはずがありません……」

 殴ることに特化した能力者は少ない。ハルミンはそちら向きの性格だが、格闘に関しては素人同然だ。母はオールマイティになんでもこなすそうだが、北海道に張られている結界を作り出せる代理能力者がいないので、出ることができない。

 義兄は?

「昨日の一件で地球に来ていることが『上司』にバレて、今頃説教中ね……異世界の決まりごとに反しているので、それは仕方ないわ」

 じゃあ、私を囮にし、奴をおびき出すのは良いとして、誰が奴を始末するんだ?

「ゴルフボール大の分際で……大佐と同等の能力を有していると言っても、過言ではありません。かと言いまして、他の6王に動いていただくのはあまりにも危険な取引です」

 義兄の上司を含め、割と地球に関して曖昧な態度の王は6人いるらしい。しかし、異世界の王であり、我ら人類から見れば魔王級であることに変わりなく、そんなのが一度に動けば、北海道を吹き飛ばしかねない。

封印の壺というのは、沢山あるのか?

「いいえ……あの壺を作成できる陶工は地球に一人しか存在せず、現在は行方不明です。その方の作られた封印の壺は世界にあと二つ残っていますが、どちらも使用中なのです」

 つまり、おびき出す囮が私で、奴を倒すのも私に丸投げするというのだな?

「おいおい、それは無茶なんじゃねぇのか?」

「そうだよ。君は昨日までで能力を全て風船男と本体に使ってしまったじゃないか」

 まあ、昨日の夕方、ここに戻ってきて、一眠りするまではな。

「え?」

 足の痛みもストレスのひとつだぜ? 奴の能力と私の能力は似ているんだろ? 奴が昨日壺を割って脱出してからの時間、私の時間が止まっていた訳でもないからな。

 そうだろ? 母さん。

「そうねぇ……充分な充電時間とは言えないけれど……一発ぶん殴るくらいなら、充電できているかしら?」

 な。

「おいおい、な。じゃねぇよ。先輩でも追うのに苦労する奴なのに、一発かませるのか?」

 それはあまり自信がない。記憶と共に能力を返してもらってから、まだ10日くらいしか経っていないからな。

 だから、狭いところにおびき出し、逃げられないくらい接近し、ぶん殴る必要がある。

「あ……」

 天寧がなにかを思いついたように、口に手を充てた。

「その陶工って……『桜長天海』という名では?」

 誰だ?

「あの……私のおじいちゃんです……一昨年、亡くなりましたけど……」

「天寧さん。まさかとは思いますが……おじいさんの窯で焼き物をやったことがあるとか言いませんよね?」

「最後にドラマの仕事をした時に、焼き物にまつわる話だったので、おじいちゃんの工房で弟子の人に習って、見よう見まねで壺を作りました……」

 リンが天を仰いでいた。

「なんて迂闊な……そんなこと、調べればわかるはずなのに……どうして見落とすかな?」

「それは『名前』に結界が張られているのね。リンちゃんは今聞くまで、そのおじいさんの名前を忘れていたでしょう?」

「う……確かに」

「おいおい、『さくらながてん』まで一緒なのに思い出せないのかよ?」

 まあ、不思議能力についての考察は後回しだ。天寧。その壺はどこに置いてある?

「え、ええと……こちらにお世話になることが決まったので、都内のマンションから送りました……引っ越し荷物は母が梱包してくれたので、その中に入っていると思います」

 その荷物の到着予定は?

「今日の……午前中の予定です」

 リン。その壺は封印に使えると思うか?

「天寧さんが天海さんの直系であるならば、封印機能を持っている可能性は高いです」

 大分話が見えてきた。風船男が天寧を抹殺するのに固執した理由もこれでわかった。

 封印作業は素人にでもできるのか?

「私にもできるくらいですから、助力能力者がいれば、可能です……ですが、修行もなしで封印作業は危険です」

 しかし、リンはその左腕が使えないのだろう?

「……はい……今の私はただの使いっ走りです」

 母さん。先輩に助力してもらうと思うけど、助力でも先輩の体に穴は開くのか?

「あら? いつの間に助力なんて覚えたのかしら? 彼の能力は殴り専門だったのにねぇ……まあ、助力くらいであれば、体重も減らないわ」

 じゃあ、私がぶん殴り、先輩の助力で壺に封印できれば、任務完了だな。

「あ、それは無理です」

 え? なんで?

「大佐は左利きです。能力も左でしか発動しません。私も左利きですから、助力が上手く行くのです。右に特化したあなたでは封印作業ができません」

 せっかく作戦がまとまりかけていたのに。

思わず全員の箸を持つ手を見る。

 いや、一人いるにはいるんだが……

「あたし、元々左利きですよぉ?」

 察したのか、麻友が手を挙げた。

お前、右で箸持っているじゃないか?

「はい。ウチの両親が『左は悪魔の使う手』だと言いましてぇ、矯正されましたぁ」

 いつの時代の人間かと思ったが、麻友の両親も熱心な新興宗教信者だ。そんなことを言い出しても不思議はない。

「いえ……元々この事件を持ち込んだのは私ですし、おじいちゃんの直系でもある私が……」

 左利きは天寧だ。

「そんなに『役立たず』って顔で俺たちを見るなよ。俺は割とお前が捕まりそうなことでも揉み消しているし、闇医者はお前の主治医だろう? 皆、できることをしているだけだぜ?」

 与えられた役割を中途半端にこなしているのは私ということだ。

 確かに今回のきっかけを北海道に持ち込んだのは天寧だが、私たち……いや、私はその天寧を受け入れた。この件の責任は私にある。

 玄関チャイムが鳴り、引っ越し業者が荷物を持ってきた。

 母を除く全員で玄関ホールに運び込み、闇医者が送料を肩代わりしてくれる。

 結構な数の段ボールだ。

 朝食の片付けを終えた母が左手をかざし、段ボールの内部を探索する。なんて便利な能力なんだろう。

「ああ、これね」

 母が取り出した壺は思ったよりも小さい。天寧の手も小さいが、ゴルフボールを握って手を突っ込めるかが心配になる。

「それは心配には及びません。封印の壺はただの壺ではありませんから」

 そうか、じゃあ、あとは先輩からの連絡待ちで、場所はそれから考えるとしよう。

 いくつかの場所を候補にし、母にハルミンへの連絡を頼む。師匠である理事長の師匠にあたる母の頼みであれば、ハルミンでも言うことを聞くだろうと推測したからだ。

 リンが天寧に封印のやりかたをレクチャーし、署長は緊急配備の為に署に戻る。闇医者は昨日我が家の結界強化の為、助力してくれた闇看護婦二人に再度の出動を要請。

 ある意味やることのない私と麻友は、荷物を使っていない二階の客間に運んでいた。

「あのぉ、先生」

 なんだ?

「あたし……なんかお役に立ててないですよねぇ?」

 ……今こうして、荷物を運んでいるではないか? 軽い物ならまだしも、私の足にかかる負担分くらいはお前がやってくれているだろ?

「うーん……もう少し……お役に立ちたいんですけどねぇ……」

 人間の形すら留めていない、ゴルフボール相手に、説得でもするか?

「そうですねぇ……先生にも言いくるめられるくらいですから、無理ですねぇ。天寧ちゃんは露出が少ないですからぁ……あたしはお色気担当ですかねぇ?」

 まあ、お前はパンツまで脱いでいるしな。

 麻友が顔を赤くして怒る。

 まあ、お前がいてくれると、どんなにシリアスな場面でも、和むのは確かだ。お前は目立っていないつもりでも、他人から見たお前は異常に目立つ存在だよ。

「いやぁ……まあ、ヒロインは無理でもぉ。サブキャラとしてはアリだと思うんですよねぇ。先生も結局超能力保有者で、天寧ちゃんも封印の壺の作り主のお孫さんでしょう? 闇医者さんもとても普通じゃないですし……署長さんが結構普通と言えば普通ですが、あたしと違って魅力薄いじゃないですかぁ……」

 まあ、署長を主役にしたドラマがあった場合、とても面白いものになるとは思えないな。それなら麻友の方が視点としては面白い。

「まあ、あたしは天寧ちゃんの引き立て役で結構ですからねぇ……」

 今回の事件を小説にした場合、麻友の出番は少ないぞ?

「いやぁ、皆さんと同列で出してもらえるだけでも嬉しいですからぁ……でも、パンツの件はできれば……」

 それ無くすと、お前の出番は序盤の警官に扮したチンピラ3人を倒すくらいで終わりだぞ?

「……あんまりえげつない表現にしないでくださいよぉ? あ、天寧ちゃんの下着発見ですぅ」

段ボールの中から結構エロい感じのブラを引っ張り出し、麻友がひらひらさせる。こいつは下ネタキャラ確定だな。

しかし、麻友の優しさはこういうところにあり、少しでも私の意識を足首から離す為、わざとやっているように思える。大事な会話の最中には絶対口をはさまないし、腹痛で苦しんでいる人間を笑わせたりもしない。時折空気を読まないような発言をしているようにも見えるが、それも計算がされており、黙って座っていれば、見栄えだけはかなり好印象を持っている。

実際、今の私は足首の痛みを少しの間忘れることに成功していた。

 そんなくだらない会話の最中に、我が家の電話が鳴る。

 先輩がハルミンに許可を取った場所への誘導を完了した旨の内容だった。

 それじゃあ、行ってくるわ。

 私の車に天寧を乗せ、母と麻友に荷物の片付けを依頼し出発する。リンは別行動で先輩と合流するそうだ。

「運転……大丈夫なんですか?」

 私の右足を気遣っての言葉だが、当然痛い。天寧も私の足を心配してくれているが、麻友の気遣いとは別の心配から出た言葉だ。その辺りは、麻友の無償の愛と天寧の打算の差を感じる。

 まあ、これもリハビリのひとつだと思えば、問題ないさ。

「そうですか……大佐さんの指定した場所までどのくらいですか?」

 そうだな……この時間帯なら渋滞もないだろうし、20分から30分の間くらいだろう。

「あの……その時間を利用して、私の話を少ししても良いですか?」

 ああ、構わないよ。なにか話すのであれば、カーラジオを切ってくれるとありがたい。

 天寧がカーラジオのスイッチを切る。

「私……公式プロフィールより身長が高いんです」

 ああ、それは麻友と並べばすぐにわかるよ。

「背が伸びるのと、胸が大きくなるのは別の話ですよね?」

 小学校高学年から中学まで、巨乳で通っていた女子が、大学生になるまでに体型が別物になるのはよくあることだと思う。

「はい、最初は女優業とグラビアを同一のものだと考えていました」

 どちらも芸能活動ではあるね。

「それが……いつのころからか、グラビア撮影が苦痛になってきたのです」

 ネットの掲示板で『胸が萎んだ』とか書かれたころかな?

「よく……ご存知ですね……」

 私と闇医者は普段相当な暇人なのでね。それに、私は天寧のファンでもある。

「それで……事務所とも相談し、女優になることを目指したんですけれど……私、声が低いですし、気管支喘息も持っているので、なかなか使ってくれるところがありませんでした」

 そうかな……私は天寧の声は特徴的だとは思うが、聞き難いとは思わない。演技が駄目だとも思わない。ただ、ブログを読んでいる限りの情報では、天寧がなにになりたいのか伝わって来ない。

「そうですか……先生のように一本に絞る時期になったということですね?」

 女優でグラビアアイドルで、歌手で声優なんて、デビューすらできていない私の言えることではないかも知れないが、私から見れば欲張りすぎかな。

 まあ、私が偉そうに言える立場でないことは承知している。朝昼晩の食事が出てくるのを良いことに、母親に寄生するニートだからな。

「……枕営業の目的があったのは事実ですが、私の話を真剣に聞いてくれるのは専務さんだけでした……あの……枕営業と言っても……その……肉体関係は……」

 それは言わなくても良いよ。特にファンの前ではね。つまり、天寧の話を真剣に聞くまともな人間がいなかった……それだけで良い。

「はい……」

枕営業もハニートラップも、言葉としてイメージが悪い。実際には酒を注ぐだけで枕営業という隠語を使うのかも知れない。ただ、性交渉があったとして、天寧がススキノの風俗店に売り飛ばされなかったという事実があり、風船男が天寧はその方面に向かないと判断していたのだと推測できる。

 それで? 天寧はなにを真剣に取り組みたいと思っているんだ?

「女優です……演技が好きなんです」

 そうか……

 私にしてやれることはない。そういう意味で私は風船男に劣る。

 麻友は元々新興宗教勧誘業をしていて、飛び込み営業は得意技だ。マネージャーにするなら今だと思うぞ?

「そんな話を麻友さんともしましたが、やんわりと断られました。行動は一人で起こすのが良いと諭されてしまいましたよ。麻友さんは芯の強い人です」

 麻友の考えることをひとつひとつ丁寧に潰して行けば、割ともろいんだがな。

 まあ、行動力は認める。私のようにプロットで悪戦苦闘しているのに比べれば、昨日は朝から面接に行っていた訳だからな。

 ん? そう言えば、面接はどうだったんだ?

 就職活動というものをしたことのない私には、面接というものがイマイチわからない。初対面の人間に会い、なにを聞けば納得して採用するのだろう。人間とはそんな簡単に測れるものだろうか。

「感触は……良かったと思います。社長さんにはお会いできませんでしたが、副社長さんとは携帯番号まで交換させていただけました」

 少々元気は足りないが、ここに来て初めて天寧は得意そうな顔をした。なかなかレアな表情だと言わねばなるまい。

 ポケットから取り出した名刺の裏に、携帯番号が手書きで書かれている。表に反して、その名を見た瞬間、天寧を少し見直した。

 副社長ね……北海道の中で知らない人間はいないだろうな。伝説と化した『夫婦ラッパー』の名が書かれている。夫が社長で妻が副社長の芸能事務所。構成人数は少ないが、全国区の俳優を抱えている。

「はい。その俳優さんの演劇を東京で観て決めました」

 しかし……あの事務所は基本的にお笑い事務所扱いだぞ?

「マルチであることも演技のひとつです」

 まあ、テレビカメラの回っているところで喋るということは、演技をしているということに分類できるか。映画やドラマでなくとも、台本は存在するようだからな。

 それにしても、あの『もじゃもじゃ頭』のなにが気に入ったのだろうな。今度そいつの出演している演劇のDVDでも購入してみよう。

「リンさんに教えていただいた封印方法も、演技の範囲内で覚えられました……そんなに頻繁に使いたいとは思いませんでしたけど……」

 そりゃあ、そんな相手がわんさか私と天寧を狙って来てくれても困るよ。

「ふう……」

 深いため息だが、天寧の表情はなにか心につかえていた物を吐き出せたように晴れやかだ。

「胸がないのはそんなに気になりませんか?」

 自称おっぱい星人とかならまだしも、私は気にならん。

「麻友さんは大きいですよ?」

 あいつを傍に置いているのは『面白い』からであって、性的欲求を満たす為に置いている訳ではないし、胸のでかさだけなら、母や姉、先輩の妹であるかなみの方がよほど大きい。女性の価値を胸で判断するほど、私は見る目がないとは思っていないがね。

「そう言っていただけると……嬉しいです」

 天寧がそのあとなにか喋りたそうにしていたが、私から促すことはしなかった。そろそろ目的地が近づいていたからだ。

「よお。来たか……」

 先輩が出迎えてくれる。

「悪いな……俺がヘマした為に、お前たちに再出動願うことになるとは思わなかった」

 公美が死んでからの数年、先輩に任せきりだったのですから、たまには呼んでくれて結構ですよ。今回の件をまとめてみても、ページ数が足りなかったのも事実ですからね。

「そうか……なるべくお前には小説家志望でいてもらおうと思ったのだが……相手が魔王級だと、どうしても人手が要る。奴をとっちめたなら、しばらくそういう依頼は起きねぇはずだから、二人ともやりたいことをやってくれ」

 先輩がハルミンに許可を取った場所は、学園の側にある個人商店だった。私も学生だった頃にお世話になっていたことがある。現在は営業もしておらず、シャッターが閉まっている。

 どうしてここなんですか?

「力加減のできないお前が繰り出す攻撃に耐えられる構造なのは、もうここくらいしか残っていなかった。学園内も考えたんだが、それはさすがに知事が嫌がったからな」

「この個人商店に、先生の一撃を耐えきる結界があるのですか?」

 まあ、ここは公美の実家だからな。

「スマンな……」

 天寧は驚いたが、私は特に驚くことでもない。電話で場所を聞いた時『やっぱりここか』と思ったくらいだ。公美が死ぬまでの十数年を過ごした実家兼店舗。ご両親と姉兄はすでに別の家に引っ越し、店はたたんでいる。

 残留思念により、店は見た目より頑丈にできている。ここでなら、私の全力攻撃も吸収できるだろう。

「場所は店内限定に願いますよ。両先輩方」

 今日は最初からハルミンが出張ってきていた。気づけば国道までの道はすべて封鎖され、署長とその部下たちが一町角を固め、その内側には学園から選抜された精鋭の退治屋と助力者が店を取り囲んでいた。

 また『不発弾処理』とか言って住民を避難させたのか?

「いいえ。札幌にそんなに不発弾なんて埋まっていませんから、今回はガス漏れです。昨日の大停電の後ですから、住民も素直に信じてくれました」

 まあ、そうだろうな……

「先生……大丈夫ですか?」

 私は心配要らないよ。記憶を戻してもらった瞬間くらいはキツかったが、過去は過去、現在は現在だ。状況は好転していると思っているからね。

「本当なら、俺一人で片付けられるはずなんだがな」

 先輩が助力に回らねばならない理由は聞いたので、それ以上突っ込んでも仕方ない。

「あの……大佐さんは大丈夫ですか?」

「ん? ああ、体の穴のことをリンに聞いたのだな? それなら心配は不要だ。28個の穴のうち、半分は既に治っているのでな。ただ、左腕に開いた二つがちょっと厄介だ」

 その穴はランダムに開くんですか?

「ああ、まあ、見えないだけで、どこかに飛んで行くらしいんだが、一発殴ると体のどこかに穴が開いたように見える。穴のある間は無理をすると痛む。昨日能力を行使しようとしたら痛んだから、リンが心配してしまってな……追い詰める最中に右でぶん殴ってみたんだが、奴には通じないようだ」

 奴はゴルフボールのままですか?

「ああ……見た目はゴルフボールのままだな。能力は結構回復しているはずだが、人型はやめたのかも知れん」

 自分で私の姿をした奴をぶん殴るより気は楽だ。

 ここに追い詰められたのは、奴にとって不運だと思わせてやりましょう。

 そう言って、私は一人で通い慣れた商店のシャッターを開けた。

 店構えは残っているが、商品はもうない。空の商品ケース、空の商品棚。懐かしさはあるが、それほどの思い入れはもうない。

 一階は店舗と倉庫、居間、台所と洗濯場があるが、ゴルフボールの姿は見当たらない。

 二階に公美の部屋と姉兄の部屋、ご両親の寝室、トイレ、風呂があるはずだ。我が家と対をなすくらい古い建物なので、階段がギシギシ音をたてる。

 右足の痛みは忘れている。これは左肩も同様だ。奴がここに立て籠もったことで、私は結構怒っていて、その怒りで痛みを吹き飛ばしているようだ。まあ、先輩の体の穴と違い、実際右足首に穴が開いているのだから、本来はベッドで静養せねばならないのだが、闇医者の手当ては完璧で、今のところ血の一滴も流れておらず、これには感謝せねばなるまい。

 階段を登り、正面の部屋が公美の部屋だ。そのドアを開け、空っぽの部屋に浮かぶ奴を見つけた。ドアは左手で開け、右手は半身に構えた体の後ろに隠す。

 ネタはバレているので、意味はないんだが、私はこの体勢でしか攻撃できない。

 待たせたな。

「地球人ごときに、ここまで私が追い詰められるとはな。どこで作戦を間違えたのか、未だにわからんよ」

 銀色のゴルフボールから声が聞こえる。大きさはゴルフボールだが、気配はススキノの地下で出会った時と大差ない。

 札幌に寄生していたのに、札幌の退治屋を知らなさ過ぎたんじゃないか?

「……なるほど、真理だな」

 今回の奴は避ける可能性があるので、用心しながら前に一歩進む。絶対に当てられる距離にはもう一歩踏み込まねばならないが、それは奴の攻撃範囲も同様だろう。

「異世界の生物を殺すかね?」

 そうしなければ、私に未来がないならば、私が躊躇する理由はどこにもない。

「地球にとっての私は、希少な生物だが?」

 絶滅危惧種にでも認定して欲しければ、そういう類の団体にでも言えば良かったんだ。生憎と私はその種の知り合いもいない。

「それもそうだな……」

 諦めろ。お前の居場所は地球にはもうない。

 私は天寧が作った綺麗な色の壺にこいつを封印する気は一切ない。先輩の負担軽減の為でもあるが、天寧を守ると決めたからには、ここでこいつを倒さねばならない。天寧は女優になると決めたのだから、その目標に向かってのみ集中させたい。退治屋もどきになどさせてなるものか。

「フム……できれば、お前とは我が世界にて堂々と一騎打ちをしてみたかった」

 私は仲間に助けてもらわねば、お前をここに追い込むこともできないのだからな。逆であれば、お前の仲間や部下……国民か……に追い回され、地球に戻ることもできずに果てていたさ。ここが札幌でなければ、お前の勝機はあったと思うが、それは言っても仕方ない。

「私も全力で生き残る為、攻撃にでる。相打ちでもお前の勝ちだ」

 ゴルフボールがゆっくりと広がり始める。奴は受け止めるのでも逃げるのでもなく、私への攻撃を選択した。相打ち覚悟の攻撃とは、自分が傷ついても良いという覚悟だ。一撃で決めなければ、私が死ぬ。

 一旦円形の紙のように広がり、厚さをほとんどなくしてから、人型になる。色は銀色のままで、顔もないペラペラの人形。私の姿を模するという能力さえ、攻撃に回すつもりなのは明らかだ。

 奴も私と同じく、右腕を後ろに引く。体の厚みがほとんどないので丸見えだが、フェイントもなく叩き込まれる一撃は、どのような小細工も必要としない。しかも、奴の体はペラペラなので、どんな刃物より鋭利なパンチが繰り出されるだろう。

 私の防御は左腕一本と、前に出した左足。千切れても、必ず右を叩き込む。

 じりじりとにじり寄り、奴の刃物みたいな左拳と私の左拳が交差する寸前まで来る。これが叩き込むベストポジションで、それは向こうも同じ。あとはその速さと重さで勝敗は決する。

 !!

「!!」

 無言で気合だけが先走り、振りかぶった拳が別の軌道を進む。奴の拳は私の顔面を狙い、私の拳は腹から胸に向かう。

 私は右足首が悲鳴を上げるのを無視し、膝を落とし、頭を低くして奴の一撃をかわす。

 左の耳を掠めたが、それも無視する。

 奴が私の顔以外を狙っていたならば、避けることは不可能だった。少なくとも左腕一本は犠牲になっていただろう。

 私の一撃は奴の左わき腹を狙い、アッパースイング気味に左胸へと向かい、その二点を巻き込みながら、左の顎まで弧を描く。

 顎から頭を貫いた。

 繰り出したのと同じ速さで拳を右わき腹に戻し、右足を一歩引く。足首の縫合部分が弾け、血が噴き出したが、無視。

 こいつがこれで死ななければ、痛いなどと騒いでいられない。

 体の厚みがあれば、ボディブロー一発で済んだかも知れないが、奴の体に厚みはなく、簡単に貫けた為、左上半身が吹き飛んだ。

「フフ……人の子よ…………完敗だ……お前が私の兵士の一人であれば、お前の義兄に敗れることもなかっただろうな……それほどの一撃だ……誇りに思って良いぞ……」

 文章を褒められるならまだしも、こんな普通の人間から感謝されないことで褒められてもな。私には一文の価値もない。

「ハハハ……文章で虚構をいくら作り出しても、お前の価値は誰にも伝わらぬさ……お前は退治屋の方が向いている……」

 うるさい……

 そう言おうとしたが、奴の体が砕け始め、粉々に分解されていく。

「私が転生することがあれば……また会おう……我が好敵手……」

 そこまでは聞き取れたが、あとは雑音になった。


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