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「その数人の誰かが裏切ったか、拷問でもされて口を割ったか、お前が尾行されたか」
先輩が立ち上がり、闇医者の来た方向に視線を向ける。
空調も回していない深夜の蒸し暑い建物の中、黒いダッフルコートを着た男がそこに立っていた。
「なるほど……道理で人間の部下ではここに近付けない訳だ」
そのダッフルコートの男は先輩以外を見ていなかったが、先輩の陰から飛び出してリンが放った銃弾を『素手』で掴んで握りつぶした。
「専務……」
天寧が久々に口を開く。どうやらこの男が芸能事務所の関係者であり、今回の件の黒幕であるらしい。ブラジル旅行中ではなかったのか。
「まさか、この男が絡むような場所に逃げ込む能力がお前にあるとはな、天寧」
視線は先輩から離さない。先輩の素早さを知っているようだ。
「お前の方こそ、こんな大掛かりな組織の割にはもろいじゃねぇの? 普通は女一人に逃げられたくらいで組織が潰れたりしないぜ?」
「天寧は組織の全容を知り過ぎた……我が『イチモツ』の根元から先までな」
なんて下品な表現だろう。組織を股間に例えるなど、私は考えたこともない。
「故に口を封じるつもりだったのだが、奇妙な邪魔が入った……あまりに小さ過ぎて、最初は気付かなかったくらいだ」
先輩以外の邪魔者?
「フフ……霊獣『公美』か?」
え? 公美?
私の頭から足先までが過敏に反応する。
その名は、かつて私がただ一人愛した女性と同一の名だった。
私が車の免許を取りたての頃、付き合っていた年下のカノジョであり、私が殺してしまった最初で最後の女性でもある。
「交通事故でな。あれはお前の運転ミスではなく、相手のトラック運転手の居眠りが原因だ。お前が自分を責め続けているのは知っているが、公美はお前の守護霊とも言える存在として、今もそこにいる」
「……それで銃弾が骨を避けたんだ」
闇医者が感心したように言う。
待ってくれ、それは初耳だ。
「俺も見えている訳じゃねぇさ。ただ、こういう『化物』に通じる結界が存在するのはわかる」
「天寧が偶然にも逃げ込んだ場所にどうしても近付けなかったが、ここは場所が悪く、その結界も弱い」
ダッフルコートの男が鼻で笑うような仕草で肩をすくめてみせる。なんだか妙に腹立たしい態度だ。
「だから、ここを決戦場所に選んだのさ。頭から尻尾まで、全員倒さなければ俺の仕事は終わらないからな。結界が弱れば、お前自身も出張ってくる」
「……確かに我はその誘いに乗ったが、人間風情に我を倒せるのか?」
「お前……人間ナメ過ぎだぜ」
先輩が会話をしているダッフルコートの男はどう見ても人間にしか見えないが、どうやら人外であるらしい。それにしても、こんな場面で公美の名が出ることの方が想定外も甚だしい。
胃の辺りがキリキリと痛む。彼女のことを思い出す度、私はこの胃痛に悩まされてきた。
先輩はああ言ってくれたが、居眠り運転のトラック運転手を発見し、対向車線にはみ出してくることを予測できなかった私が悪い。
そう、あれは回避できた筈なんだ。
突然正面に出現したトラックのライトにパニックを起こした私は、ハンドルを思った方向と『逆』にきった。
エアバッグは作動したが、ぶつかった勢いが強過ぎて、シートごと後部座席に吹き飛ばされ、リアウィンドウを突き破って私たちは路外に放り出された。大型トラックはベニヤ板の壁でも突き破ったような勢いを保ったまま、私と公美が倒れている草むらに突っ込んだ。
前輪に両足を轢かれ、後輪に引っ掛けられ、私の全身はあっという間にボロ雑巾のようになり、それでも撥ね飛ばされたので、運良く助かった。
積み荷は牛乳だった。
荷台から噴き出した白い液体が窪地に溜まり、その中に倒れ気を失っていた公美は溺死し、そのあと炎上したトラックの炎に焼かれた。全身の骨が砕け、溺れ、焼かれるなんて死に方は半端じゃない。
そんな死に方をさせてしまった公美が霊獣となり、私を守っているだと?
バカも休み休み言え!
肩の痛みを一瞬で忘れた。
「先輩っ!! どうしてその名を出すんだよっ!?」
闇医者が先輩を非難する。
「霊獣憑きは、その守護能力に守られ、己の能力を完全に発揮できない。こいつは本気で小説家になりたがっている。それにはその霊獣は邪魔な存在だ。今日でそいつから離れてもらう為に、全能力の開放をさせるのが目的だ。お前たちだって、いつまでもうだつの上がらないこいつを見ているのは嫌だろ?」
先輩の表情は見なかった。
「霊獣なんかに守られていない。生の感情を表に出すこいつにもう一度会いたくはないか?」
「そんな! それは乱暴過ぎるよ!」
私の傍で叫んでいる筈の闇医者の非難の声が、小さくなったような気がした。
「なにを言い出すかと思えば……その為の相手が我だとでも言う気か? そのような人間風情に、霊獣の能力もなしに我を倒せる能力が眠っているとでも言うのか?」
この男の声は妙にはっきり聞こえる。耳障りな声だ。
私の中で眠っていた、暴力的な感情が沸き上がってくる。
公美は私の枷となり、死に急ぐ私のリミッターとなって、守っていてくれた。
その鍵が溶け始めている。
それがわかってしまう。
そいつを、ぶっ飛ばせば! この感情は収まるんですね!?
自分の発した声までが遠くに聞こえる。聞こえるのはダッフルコートの男の声ばかり。
腹が立つ。
気弱な私が奥に引っ込み、あり得ないくらいの怒りの感情に支配されるのがわかる。
「ああ、その全能力を開放し使い果たせば、お前はキーボードを打つのに集中する、ただの小説家志望に戻れる。まあ、全能力をこいつに叩き込めれば。という、注釈つきだけどな」
……了解。
「だから、本来はお前一人で解決できるような案件だったんだが、任せておくと、永遠に芸能事務所幹部に扮したこいつに近付かなさそうだった。訳のわかんねぇ組織を潰すのは俺の仕事だし、その親玉をぶん殴るのも俺の仕事だが、調べてみれば、こいつの能力が一石二鳥で解決を導くと判断できたのさ」
随分はっきりと先輩の声が聞こえると思えば、先輩は口を開かずに喋っていた。
念話とかいうやつか。
もう限界ですが、このあとはどうすりゃいいんですか?
「おう……ぶん殴れ」
右手を振りかぶりながら、ダッフルコートに突進する。
避けられた時はまた考える。
「多分、避けないぜ?」
先輩がそう言って、実際ダッフルコートは避けなかった。
「確かに……この男の怒りの力は最高だ……だが、我の能力がその怒りを『吸収』すると知った上での愚行か?」
ダッフルコートは両腕を突き出し、嘲笑しながら私の拳を受け止めていた。
私の中にある怒りの発散を全て受け止め、吸収して自分の力にする能力の怪人だ。
奴に吸い込まれて、私の力が抜ける。
その分奴の体がどんどん大きくなっていくのだ。
「公美が死んでから、お前が体験し、我慢したストレスはそんなものか? 何年越しの怒りだと思っているんだ?」
腹の辺りからなにか沸々と湧きあがる。今、出しきったと思われた怒り、自分への怒り、世間への怒り、災害への怒り、公美の死だけではなく、世界で起きている全ての理不尽への怒りが腹の底から出て来る。
「一応説明してやるが、こいつはお前と同じく、地球に存在する全ての怒りや憎しみを吸収し、溜め込み、ついでに増長させることのできる人間だ。最後の部分だけお前にはない能力だけどな」
「な……に?」
ダッフルコートの前ボタンが弾け、先輩よりも男は巨大化していた。
その表情に驚きの色が加わる。
「お前の能力は吸い取るだけで『利子』がつかねぇが、こいつのは高金利だぜ? 果たして吸収し切れるかな?」
「数年で、これほどの怒りを溜め込み、一気に開放できるなど……あり得ない」
「そうだな。普通は精神が持たないし、体も持たない。それを抑えるには、公美という人物の霊獣が必要で、お前が先に吸い取ったのはその公美だ。自分が死んだ為に愛する男を苦しめた償いの為、霊獣となってこいつを守っていた。それを先に取り除き、更に吸い続けているのだから、お前の容量で吸収し切れるのかね? ちなみに、お前が先に吸い取った公美の霊獣は、お前を守護する能力がないぜ? そりゃそうだよな、公美にとって大事なのはこいつであって、お前じゃないもんな?」
私の拳から発せられる怒りが止まらない。一方の相手は吸収することを止められない。
ダッフルコートは遂に破れ、勿論中の服も破れ飛ぶ。腕は電柱よりも太くなり、体は巨大バルーンのように膨らみ始める。
先輩がリンから拳銃を受け取った。
「人間という生物はな。お前が考えているよりずっとストレスを溜めている。夢に破れたアイドルの卵たちからストレスと怒りと憤りを吸収するなんてお手軽能力と、こいつの精神状態を一緒にしてやるなよ?」
怪人は風船と化し、天井にぶつかって跳ね返り、吹き抜けを全て埋めて一階の床に足がついていた。
「結構溜められるようだが、力に変換できなければ、お前はただの風船男だ。とりあえず死んで今までの罪を詫びろ」
先輩が銃弾を発射し、風船に穴が開くと、男は一気に萎み始めた。
壁に何度もぶつかった奴が、私の目の前に、穴の開いた風船として戻ってきたのは偶然だろう。
萎み過ぎて、なんとも憐れな小人と化している。
皺だらけのクチャクチャ人形のようだ。クチャクチャ人形という日本語は存在しないな。これは今私が作った言葉だ。
その大きさは、弾け飛んだダッフルコートのボタンと同じくらいだった。
「リン。封印の壺は持ってきていたか?」
「……大佐が出発前に必要ないと判断され、自宅に置いてきたのではありませんでしたか?」
先輩が悪そうな顔で楽しそうに笑い、小人を軍靴で思い切り踏んだ。
私は体の力が抜け、今にも倒れそうだったが、天寧を傷付けた張本人の最期だけは見逃さないように精神に気合いを入れ直す。
先輩が足を避けると、そこに残ったのは黒い染みだけだ。
「お? 本体と魂を分離していたのか……どっかの魔法ファンタジーの悪役みたいな真似しやがって……まあ、魂だけ残っても、生き返ることはできないし、行き先は同じなんだけどな」
それで? そいつの処理は終わったんですか?
「ああ、普通に死んだぜ」
先輩の返事を確認し、私は無様にぶっ倒れる。
気絶寸前の私の耳に、先輩の呆れ声がなんとなく聞こえた。
「……お前もあの理事長の弟子だろうに……まあ、普通に幸せ掴むなら、あの婆さんから授かった能力は要らんけどな。俺としては能力者が減るのは俺の仕事が増えるんで、遠慮したいところなんだが……」
それ以上は聞き取れなかったが、結構重要な部分まで聞き取れたと、自分を褒めていいよな?
目が覚めると、朝になっていた。
いつの朝だろう?
枕元の携帯に手を伸ばそうとすると、左肩に鈍痛。
どうやら夢ではなかったようだ。
闇医者の奴、鎮痛剤をケチったんじゃないか?
なんてことだ。ぶっ倒れてから丸二日経過している。
携帯ゲームの連続ログイン記録が途絶えてしまったじゃないか。
「それが生死の境を彷徨った奴が目覚めて最初に言うことかよ?」
場所は私の寝室で、腹の上に天寧が頭を乗せて寝ている。言葉を発したのは署長のようだが、目がよく見えない。直近は見えるが、部屋の中は暗く感じ、ベッドの傍にいる署長がぼやけている。
「出血が多かったからね。丸二日飲まず食わずな訳だし、目覚めても目眩がするのはしかたないかな?」
メシも水も欲しいが……それよりも、タバコが吸いたい。
「それもどうかと思うけどね。それから、少しは部屋を片付けることを勧めるよ」
呆れ口調の闇医者が私の口元にタバコを差し出し、咥えると火がつけられる。
私の部屋に3人は狭い。
「ああ、麻友はとなりの部屋で寝ている。俺と闇医者は居間でふた晩も過ごしちまったぜ」
先輩は?
「知事との約束通り、三日で北海道から退去したさ。事後処理で出掛けたリン夫人は今日も帰らずだ。このままフェードアウトじゃねぇか?」
そうか、お礼も言えなかった。
「まあ、出来の良い作品作りの参考にしろ。との伝言は預かったけどな。記憶力は大丈夫か?」
気を失っていた間の記憶はさすがにないが、その前までの記憶ははっきりしている。
ついでに、あの事故の前の記憶まで蘇った。
「それはご愁傷様。折角の記憶封印も、鍵になっていた公美さんが消えた今では役立たずかい?」
私が生徒会長で、理事長の弟子の一人で、先輩と肩を並べるほどの人外退治屋の一人だったなど、にわかには信じられないが、私の今の記憶はそうなっている。
「精神付加を軽減する為にした処置だったのだけれどね。君の仕事上パートナーでもあった公美さんと君が、公私混同してしまったから、ややこしい術を施す羽目になったんだよ」
お前が?
「僕は闇医者だからね。言葉通りの意味だけれど、闇の術も少々心得ているよ?」
無免許医師では格好悪いからだと思っていた。
「それもあるかな。まあ、日本の医師免許と国際医師免許で良ければ、取得済みなんだよ。実際に持っていないのは、闇医者の免許くらいかな? 試験会場が地球上にないらしいから、行けた試しがないんだ」
私の友人は皆、普通の人間ではないようだ。
「お前も普通じゃなかったのに、よく言うぜ」
あの変な能力、世界中の怒りとか憤りとか溜め込んで、倍増して放出する馬鹿げた能力のことだが、あれが私の与えられた能力なのか? その辺りは思い出せない。
そう言うと、闇医者と署長は顔を見合わせた。目がまだ霞んでいるが、一服したので大分調子がよくなった。
「まあ、俺たちが知り合った頃には、既に持っていたよな?」
「うん。僕もそう記憶しているけれど、裏の仕事はそれぞれ分担が違ったから、一昨日に初めて実際の能力を見たというのが正しいかな?」
私は天寧を起こさないように静かに起き上がり、タバコの灰を灰皿に落とした。
公美と一緒にいくつかの裏仕事をこなしたことを思い出したが、脳裏に霧がかかり、それ以上を思い出させない。
闇医者が施した術以上の術を、別の誰かにかけられているようだ。
「俺はそんな術者じゃねぇし、先輩も『殴り』専門だし、麻友や天寧がその手の術者とは思えん。闇医者の記憶まで改竄できる術者に知り合いはいねぇだろ?」
理事長か。
「それもないかな。理事長は僕に近い超能力者かも知れないけれど、僕以上ではないし、それも誰かに二次大戦時に授かったという話は有名だからね」
あまり詮索はなしにしろという警告か。
今の私は公美の守護も失い、ダッフルコートの専務にその能力の全てを注ぎ込んだ抜け殻だ。
「まあ、そうなるな……」
この時、一切話に登らなかった人物は、今頃どこかでくしゃみでもしているに違いない。3人とも思い浮かべた人物は同じだったはずだからな。
「へくしっ! あらあら、夏風邪かしら?」
私の部屋の外で、お盆に小型土鍋を乗せた母がそれに該当した。
どうしてこの人が私の母なのか、時折理解に苦しむ時がある。
私たち3人はおろか、麻友や天寧よりも年下に見える見た目を持っているのだからな。ちなみに私は母の年齢を知らない。
「あ、おばさん。こいつの目も醒めたみたいだし、俺そろそろ署に戻るわ」
勿論署長も闇医者も母の特異性に気付いているのだが、先輩でさえ幼少時から母のことをそう呼んでおり、今更変えられなくなっているという現状がある。
「あらあら、今晩はジンギスカンよ」
「ああ、じゃあ、また夜来るよ。大根は少なめで頼みますよ」
「あらあら、我が家のジンギスカンからメインを除くなんて……」
署長が手を挙げて返答の代わりとし、闇医者も一緒に出て行く。
ここからは親子で話せということだろう。
理事長の体内に眠っていた能力を引き出した人。先輩の親父さんに稽古をつけた人。知事に世界の秘密のいくつかを教えた人。
通称『永遠の女子高生』
二次大戦中に知り合った理事長が、不死ながらも齢を重ね、老婆であるのに対し、母はその時の姿から2歳しか年齢を重ねていない。姉と私を体内で育てた期間以外、彼女の時は停まっていると言って差し支えない。
「その娘さんが、公美さんの代わりかしら?」
公美は公美であって、彼女の代わりなど存在しないよ。天寧とはまだそういう仲にもなっていないし、私より彼女はかなり若い。
「言い回しがお父さんに似てきたわねぇ。あなたが風船男を倒し、全精力を使い果たして倒れた時、麻友さんよりも動揺し、ふた晩そこであなたを枕にして看病し続けた子よ?」
それはそうだが、天寧を養っていく自信が私にない。ニートだからな。
「あら、お父さんも貧乏だったし、お姉ちゃんもお金とは無縁のところに嫁いだわよ?」
この人はボケているのだか、ふざけているのだかが、時々わからなくなる。
「私は貧乏なんてしていませんよ、お母さん。まったく、私が来る前に全部片付けるなんて、私なにしに来たのかわからないじゃない?」
姉が部屋に入って来ながら、私の太腿辺りを枕に眠っている天寧を一瞥する。
姉ちゃん、いつ札幌に?
「大変だったのよ。ウチの旦那様はそりゃあ良い男だけれど、私が『地球』に行くのをなかなか許可してくれないのよね!」
姉は遠い世界に嫁いでいる。旦那は背中に漆黒の羽を持つ堕天使で、現在の職業は魔王だったと思う。記憶改竄後の私はすっかり外国に嫁いだと思い込まされていたが、思い出した。
「あらあら、愛されているのねぇ。お父さんも私が外に出るのを嫌ったわよ」
「お母さんの場合は問題行動を起こすからでしょ? 出掛ける度に死闘を繰り返し、生死の境を彷徨うような真似をされれば、あのお父さんだって心配するわよ?」
私に言う権利があるならば、この母娘は実によく似ている。
その感想を持った頃に、となりの部屋の壁から旦那の方が現れた。部屋の狭さを考慮したのか、壁から体半分出した状態だ。
「フム……我が義弟は相変わらずのようだな」
この状況で寝ていられる天寧に感心するよ。
「その娘は少々『奴』に毒されているようだが、あいつはそれでも『人間の形』を最後まで貫いたからな。『頭に輪を持ち、背に羽を持つ』俺と同族と言っても信じられまい」
あのダッフルコートが義兄の同族?
「地球の人間から見れば、異世界人も宇宙人も魔人も、大差あるまい? 俺が中国人と韓国人と北朝鮮人と日本人の区別がほぼできないのと同じだ」
なるほど、義兄の説明はわかり易い。
「私たちは人間に近いけれど、人間ではないことが天寧ちゃんに知られるのは得策ではないかなぁっと、母親として気を遣っているつもりだけれど?」
この人を母親だと紹介した時点で、天寧は違和感くらい持ったと思うが。それに、母さんと姉ちゃんに比べると、私は普通よりも普通の人間だと思うのだが?
「潜在能力という意味では、お姉ちゃんよりあなたの方が上だったのだけれどね」
公美の件で、一旦休みを貰った私は質が落ちたということか?
「一昨日の夜、ほぼ全ての能力を使い果たした。溜め込んでいた分、記憶操作前よりも強力な放出だったぜ?」
その辺りは少々曖昧だ。
「じゃあ、元気みたいだから、私と旦那は帰るわね。今度なにか起きた時はさっさと呼びなさいよ? 一昨日レベルの『魔王』は本来あの傭兵くんか母さんくらいしか相手にできないんだからね?」
あのダッフルコートが魔王? 姉ちゃんの旦那さんが魔王なんじゃないのか?
「あのな……どうして人間の都合に合わせて、魔王が一人なんて決めなきゃならんのよ? 俺たちの住む世界はお前たちの地球より広く、国の数も人間レベルの種族数も結構な数がある。俺はその中の一国の王ではあるが、魔王と名乗ったことは一度もねぇぞ? 確かに普通の地球人から見た場合、俺は魔王なのかも知れんがな」
ああ、そうか。これは私の勘違いでした。
「人間以上の能力を持つ者を見た人間が、その生物を神か悪魔だと思う癖は直した方が良いと思うぜ? 異世界でなくとも、宇宙にも人間より高度な種族は結構な数がいるんだからな。この星だけが奇跡の惑星だというのは思いあがりも甚だしいぜ? 言葉の意味も本来の奇跡の星とは違うしな」
え?
「地球の場合に限って言えば『奇跡的なバランスを保った星』くらいが正しい。惑星に生物が生まれることに不思議はねぇし、その生物の一部が突出して成長するのもよくあることだ。この星の奇跡は『同種族で数千年も戦争とかしているくせに、滅びない』ってことだ。異世界から見ても小さ過ぎる勢力だし、星の大きさが倍あれば、異星人も攻めて来たかも知れないが、宇宙から見ても塵みたいなものだから、誰からも攻められない。この強運を奇跡と呼ぶんだ」
「あなた、弟の頭がパンクしますから……折角『半分』治ったのに……あ、これは失言ね。忘れて」
私が質問を継ごうとするのを察し、姉と旦那は文字通り消えてみせた。
「あらあら、せわしないわねぇ」
それは同感だ。
姉ちゃんが最後に言った半分とは一体どういうことなんだ?
「普通に生きて行くのにあとの半分は要らない能力だから、母さんが預かっているのよ」
そう言えば、母が私の部屋に入ってから、一度も同じ話を繰り返していないことに気付いた。
母は苦笑いしながら、土鍋の蓋を開け、おかゆをよそってくれる。
「公美さんの死の悲しみの記憶を預かるだけならまだしも、お父さんの死の悲しみも増えたでしょう? 悲しみの記憶を預かるのは、結構頭に負担がかかるのね。母さんが寝惚けた女に見えていたのも、そのせいなのよ。一昨日の夜に公美さんがその記憶ごと消滅してくれたので、頭への負担が軽減されたのねぇ」
この数年、私は随分母に迷惑をかけていたようだ。
そして、これからまた迷惑なお願いをしようとしている。
今回の事件を文章化するにあたって、私は母さんのことを書かなければならない。
「構わないわよ?」
簡単に許可が下りた。




