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作家志望の冒険(仮)  作者: 大久保ハウキ▲
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「先生っ! 大変だよ!!」

 正確に言うならば、私に先生と呼ばれる資格はない。

医師でもなければ、教師でもないからだ。

我が家の玄関に駆け込んできたのはとなりのアパートに住む主婦で、先生が先に生まれたという意味であれば、彼女こそ先生だろう。尊敬の念を込めた言い方であるならば、私は彼女を先生とは呼ばないがね。

我が家にはセキュリティという概念が欠落しており、誰でも自由に出入りできる。つまり、玄関ドアに施錠されていない。

昨年他界した父が、よく私に言っていたものだ。

『我が家に盗むモノなどなにもない。志を盗める者がいるならば、話は別だが……』

 なんの自慢にもならんが、そういう時の父は妙に誇らしげだったのを思い出す。

 ゆえに、彼女がドアチャイムも鳴らさずに我が家に入ってくることに問題はない。

ではその回覧板に、それほど重要なことが書かれているのかね?

「そうじゃないんだよ! 先生っ!」

 彼女は手に持っていた回覧板を下駄箱の上に無造作に置き、自分の手ぶりで自分のパニックを助長しているかのように口をパクパクさせる。

滑稽だ。

 ただ、私の口元には火をつけたばかりのタバコが一本あり、高額な税金を支払っているので、何事が起きても、この至福のひと時を終えるまで、椅子から立ち上がる気は一切ない。

私の中で、歩きタバコはマナー違反に数えられるからだ。

昨年父が他界したあと、突然思い付き、家中の壁をぶち抜いたので、我が家は玄関ドアを開けるとトイレと風呂以外全てが見通せる。寝室は二階で、そこの壁も残っているが、今私は元居間だった場所のソファに座っている。

 私が先生と呼ばれる理由は彼女の勘違いである。父が4年ほど前に胃癌の手術を受け、抗癌剤治療に突入した際、私は世俗でいうところの職業というものを放棄した。父は頼りっぽいが、他人を嫌い、最も愛する人間は自分で、次がその妻である我が母。それ以外は居たかでもない。

 私は一度家を出て、出戻った経歴を持つ。ゆえにこの家で数年世話になった分を介護で返そうと思い立ったわけだ。父は働いて金で返してくれた方が余程良かったと思っただろうが、生憎と私は一人しかおらず、父の手術日には既に会社という組織から消えていた。

 なぜそうなったかというと、これは母に原因がある。母は現在も健在だが、所謂ボケが始まっている。それは父の胃癌が発覚した頃から酷くなり、今も進行中だ。その両親を残して働きに出ることなど私にはできなかった。

 他人からは立派な考えだと言われたが、私自身が物ぐさなだけであり、一度に複数のことに集中できないという欠点を持っている。世の中には働きながら老いた両親を世話するもっと立派な人間が多々存在しているのだから、私が立派なわけがない。

 そのボケた母が、近所に言いふらして回った妄言がある。

『ウチの息子は、将来立派な作家になる』

 私は父の抗癌剤点滴治療の際、待ち時間中にノートパソコンを開いて書き物をしていた。

これが勘違いの元である。

 なにを書いていた訳でもない。単純に暇つぶしが欲しかったのだ。

 最初の頃は、真面目に待合室の椅子に座って待っていた。対面の掲示板に貼ってある掲示物の隅から隅までを読みつくし、会ったこともない病院長の名前をフルネームで覚え、音の出ない文字放送のテレビでニュースを見、携帯電話でゲームをしたり、本を読んだり、次第にすることがなくなっていた。

 この4年の間に話らしきものを7作ほど書いたが、どれも芽吹くことはなく、作家になるなど夢の世界の話でしかない。しかし、ボケた母にはそれが作家を目指す心正しい息子の姿に見えたようだ。母が近所の井戸端会議内で発表したことにより、瞬く間にそれは町内に広がり、揶揄90パーセント、なんだかわからないけれど皆そう呼ぶから9パーセント、尊敬1パーセントの割合で私は先生と呼ばれるようになった。

 現在我が家の玄関にいる主婦は井戸端会議嫌いの為、9パーセントに属する。

 タバコを吸い終わるのに3分はかかる。その間に人の生き死に以外でさほど重要な案件があるとも思えないので、パニック主婦が落ち着くのを待つ。

 主婦は私の様子を見て、まず自分が落ち着くのが先だと思ってくれたようだ。説明の手間が省けて助かる。胸に手を充て、深呼吸を5回ほどおこない、信じられないくらいデカく見える胸と腹を上下に揺らした。

「……先生の家の前で人が倒れているんだよ」

 それほどの驚きはない。

その状況は我が家の玄関先でよくあることなのだ。

 我が家は昭和の半ばに建てられた古い家で、荒れ放題の前庭が存在し、歩道から玄関まで5メートル弱ある。両親は自家用車を持たない主義であり、そこには私の車が一台無理矢理停めてある。前庭の歩道側にはこれでもかというほど育ってしまった松の木が植わっており、両隣は地所ギリギリに建てられたアパート。つまり、陽が当らないし、玄関先に来るまで人が倒れていても、寝ていても気付かない。ついでに言えば、我が家はなぜか地下鉄の延伸によってできた駅から数歩の距離にあり、酔っぱらいが明け方寝ていることもしばしばだ。

 驚きを覚えたとすれば、その時間である。

現在は午後を少し過ぎたくらいであり、酔っぱらいの出没時間には早いし、塒を求めてくる流浪者が一夜の宿に使う時間にも早い。

 死んでいるのかね? それなら警察を呼ばねばならんし、生きていても救急車くらいは呼んでやらねば寝覚めが悪い。

「ちゃんとした……多分ちゃんとした格好のお嬢さんだよ。先生の知り合いかね?」

 開け放たれた我が家の玄関ドア。段差があるので頭は見えないが、歩道側に投げ出された足は見える。タイトなスカートの一部と長そうな足が見えているくらいだ。

 私はタバコを灰皿に押し付け、携帯電話を持って立ち上がり、無駄に大きい玄関ホールを抜け、サンダルに足を突っ込み、主婦と一緒に外に出た。

 確かに、女がうつ伏せで倒れている。

 今は夏のはずだが、革ジャンパーを着て、タイトスカートにブーツという格好。

倒れているのが様になるスタイルの女だった。

 髪はロングだが、私にはウィッグとの継ぎ目が見えるので、実はショートからボブの間であろうと推察できる。

 スナック従業員か客かまでの区別はできないが、ススキノ辺りで見かける女性というイメージだ。どう見ても流浪者には見えない。

 左手にも右手にも指輪はないが、爪はいじってある。

手首にある時計もちゃんとしたブランド名の入った今時の女の子が欲しがるようなデザイン腕時計。脈を確認したあと、腕時計を手首から外してひっくり返す。電池蓋に細かい文字が彫られているのを確認し、使われている金属が18金であることも確認。メッキでないことはどこかにぶつけてできた傷で確認できる。

 手首を取って腕時計を戻し、主婦に肩をすくめて見せた。

 どうやら知り合いです。

「そ……そう? じゃあ、あとは頼んだわよ」

 まあ、嘘なんだが。

 主婦は訝しみながら帰って行った。

 正確には私が知っている女性であり、この娘が私を知っているはずがない。

母さん。お客さんだよ。酩酊しているのでちょっと手伝ってくれるかな?

 回覧板を持ったおとなりさんが来ても、編み物の編み針を手放さず、耳すら傾けていない母がやっと顔を上げてくれた。

 とりあえず、我が家で最もスペース的に余裕のある場所に移す。我が家は昔自営業を営んでおり、父の元仕事場兼現仏間が広い。父の仕事は歯科技工士、入れ歯を作る人だった。

 この部屋は拷問部屋に見えるかも知れない。

古い技工道具であるドリルや様々な形のナイフ、ガスバーナー等が並んでいる部屋だからだ。日曜大工では絶対に使わないであろう巨大なハンマーや、釘を打つには小さすぎる小型ハンマーも、拷問道具に見えなくもない。

結構前に、元同級生にそう評されたことがある。

 道具は古過ぎて売り払うこともできず、そういう博物館も存在せず、捨てるのにも金がかかるのでそのまま置いてあり、気が向いた時に私が整備している。

 その部屋に、使われていない三人がけのソファがひとつあるのだ。

 仰向けにして寝かせると、相当なやつれ具合だが、私の思った通りの顔が出てきた。

桜長天寧さくらながてんねい

 それが彼女の名であり、芸名である。

 私が彼女を知っている理由は簡単で、テレビで見たことがあるからだ。どこか探せばDVDや写真集も我が家のどこかに眠っている。熱狂的とは言えないが、私は彼女のファンだ。

 職業はグラビアアイドル兼女優兼声優、歌手もしていたと記憶している。

 在住は東京のはずだが、一体なんの目的で札幌にいるのかまでは知らない。

 顔を見ずに判断した理由は、彼女の首の後ろにあるホクロだ。

 ホクロに沿って線を書き込むと、実に美しいひし形になる4つのホクロ。いくつかの雑誌記事の中で当人が『体の中で好きであり嫌いである場所』という質問にかなりの確率で答えていたので覚えていた。

 公式プロフィールによると、B85W58H83、身長156、体重?となっているが、それは過去のものであり、現在の彼女はもっと細く、身長も高く見える。

 昨年の今頃、所属事務所の公式ホームページから突如名前が消え、一瞬ネット上で話題になったが、事務所の契約を更新せずに独立したものだと各々判断し、当人もブログを再開したのでファンは安心したものだった。

震災後、すっかりその手の記事から遠ざかっていたのだが、久し振りに当人のブログを覗いてみた。私はその類のゴシップ記事を見ながら、あれこれと想像するのを楽しみに生きる普通の人間だ。

更新は今年の6月で停止していた。

人物事典ページに新規の書き込みもなく、掲示板にスレも立っていない。一般人の芸能人に対する興味とはこの程度である。悲しいかな、これも現実のひとつだ。

即救急車を呼ばなかった理由は、腕時計を確認した際に見てしまった手首の傷と、本人が寝息をたてていたからだ。手首の傷は既に完治しており、本人は寝ているだけだから、救急車を呼ぶのもどうかと思った。

素人判断だがね。

母はこの珍客にすっかり喜び、苦笑いする私をよそに、土鍋をガスコンロにかけておかゆを作り始めている。多分米の量を計っていなかったので、作り過ぎて私が晩メシとして食べることになるだろう。母はボケる前からそういう人だった。

それにしても、これは一体なんの始まりだと思う?

仏壇の写真に向かい言葉を発してみたが、笑顔の父はなにも答えてはくれない。

さて、本日の気温は25度を超えているが、東京出身の彼女にとって毛布が必要な温度なのか、それとも要らないのか。

ちなみに私は、Tシャツ一枚にハーフパンツ姿で裸足。

生まれてから北海道を出たのは中学と高校の修学旅行で、青森、京都、奈良、東京だが、どれも秋だったので、なんの参考にもならない。

一応、我が家の教え通り『どんな暑い日でも、寝る時は腹になにかをかける』を守り、バスタオルを一枚腹の上に乗せてみた。

体に目立った外傷はないが、ひどく目が落ちくぼみ、頬がこけている。

所持品のバッグを、失礼ながら開けさせてもらう。特に目的はない。

携帯電話の電池が切れているので、とりあえず充電。

財布の中身はクレジットカードが数種類と、量販店他のポイントカード数枚。小銭少々。コンビニのレシート数枚。札は一枚もない。

身分証は前に所属していた芸能事務所が発行した物を一緒にみつけたが、辞めた事務所の身分証は普段役に立つのだろうか。

一緒に持つなと約款に書いてあると思うが、印鑑と通帳と銀行のカード。失礼ながら中身を確認。最後に記帳したのは一週間前で、残金ゼロ。

ポケットティッシュとハンカチ。

化粧品ポーチがあったので、一応中身を確認。

脱毛用だろうか。剃刀の刃を見つける。

手首の傷を思い出し、申し訳ないが没収させてもらう。

化粧ポーチの中に避妊具を二個発見。

アイドルのイメージに関わる問題だろうから、それも没収。

化粧品は問題ないので元に戻し、没収品は燃えないゴミと燃えるゴミに分別し、ゴミ箱へ。

携帯を充電しながら電源を入れてみるが、料金を払っていないようで通話は不能。着信履歴確認。これも一週間前に二十件ばかり、同じ人物からだ。彼女の電話帳登録の名は『専務』となっている。前の事務所関係者だろう。

芸能人という人種やその他の関係者が携帯電話をどう扱っているかなど知らないが、誰でも見られる携帯電話というのもいかがなものだろうか? 特別なセキュリティシステムでも付いているかと思ったが、どう見ても私の携帯より前の機種だ。万が一、盗難や紛失し、数時間気付かないだけで、悪意のある人間が扱えば、彼女の知り合いの芸能人やその関係者に多大な迷がかかるということを、もう少し自覚したほうが良いと考えるがね。

自分の携帯電話を取り出し、ちょっと思い当たる場所に電話する。

 呼び出し音は正確に二回、相手はいつもその二回の呼び出し音で電話に出る。

 こいつは、もしもし或いは挨拶の言葉は使わない。

『仕事中に私用の電話は困る』

まあ、そうだろうが、ちょっと調べて欲しいことがある。

『……手短に頼むぜ』

 実は自宅の前で女性を拾ってしまったのだが、捜索願が出ているか調べて欲しい。

『お前な……まあ、良い。名前は?』

 私の記憶に間違えがなければ、桜長天寧。木の桜に社長の長に天国の天に……ウ冠に心に四に丁目の丁で、桜長天寧だ。

『変わった名前だな……本名か?』

 電話の相手は芸能関係に疎い。

 キーボードを事務的に打つ音が聞こえた。

『そういう名前の捜索願は出ていないな』

 その検索は全国規模か?

『ああ、日本人の捜索願は全て洗える。桜長……そういう名前のグラビアアイドルが存在したような……まあ、重犯罪だけは起こしてくれるなよ。今日は本部から上司が来ているんでな。切るぜ』

 素っ気はないが、知り合いにこういう奴がいるのは便利だ。

 捜索願がでていないということは、観光で北海道に遊びにきて、ススキノ辺りで羽目を外し、酔っぱらって酩酊したあと適当に捨てられたか。夏だから凍死もしないだろうが、普通は風邪くらいひくぞ。大体、未成年ではないか。

 ちょっと失礼して、口の辺りの臭いをかがせて貰う。私は他人の吸うタバコの臭いは一切気にならないが、酒の臭いには敏感に反応できるという意味不明な鼻を持っている。

 甘い香りがするが、香水ではない。危険を伴う薬の臭いとも違う。単純に菓子或いはケーキ類に含まれる甘い匂い。

 これはこれで少し安心する。薬漬けにでもされていると、目覚めたあとで話もできないだろうからな。

 あいつにも知らせておくか。

 もう一件電話する。

『はいはい。院長室……って、君か』

 ああ、ちょっと調べて欲しいことがあるんだが。

『僕より彼に電話した方が早いこと以外ならね』

奴には今電話したよ。

先程の電話相手とこいつは共通の知り合いだ。簡単に言うと元同級生。

同じことをもう一度質問した。

『……君は『よく』その手の拾い物をするね。向こうの『国家組織』に捜索願が出ていないなら、僕の管轄という訳かい?』

 ああ、よく拾うという表現に問題はあるが、国家組織に捜索願が出ていなければ、お前に訊くのが早いというのは事実だ。

『まあ、頼りにされているのは嬉しいね。僕の知り合いと『ハッキング』能力で出来る限りは調べるよ。15分ほど時間をくれると嬉しいな』

 頼む。

 一人目は国家権力の中に身を置く元同級生で、我が家のある西区の署長を務める男だ。

 二人目は闇医者というわかり易い名称の無免許医師で、国際トリプルS級のハッカーでもあり、ススキノ辺りの情勢に詳しく、そちら側の勢力とも関係の深い裏の人間。

 お助けキャラクターとして、これ以上の情報を持つ人間を私は知らない。

 更にもう一人、これは先輩にあたるが、暴力的な方面で強力なお助けキャラがいるが、今回の件で今のところ出番はないだろう。

 少し彼女の情報について開示しておこう。

 昨年いきなり公式ブログを閉鎖し、数ヵ月後に個人ブログで復帰する前の彼女のことだ。

 所属事務所はあまり大きくないと記憶している。

 デビューは13歳で、子供向けとは言い難いが、世間的には子供向け特撮ヒーロー番組の主人公の同級生という役柄だった。その前に製菓メーカーのコマーシャルにも出演している。ヒロインではないというのがミソだが、一部の固定ファンに支えられ、ヒロインよりも人気を博していた。

 子供っぽい顔とは対照的に成熟しているとも言えるスタイルの良さでグラビアアイドルとなり、更にファンを増やす。15歳で歌手としてもデビューし、シングルは昨年まで毎年発売されていた筈だ。

 ただ、それほどの売上を誇った訳ではない。

 事務所の売り出し方に問題があったというネット掲示板の知ったような書き文字は見たが、それは一般人の妄想の類だ。一応、先程の闇医者に書き込んだ主の素行調査をさせたが、書き込み主は芸能事務所の関係者とは程遠い職業の人間であった。

 まあ、売り出し方というか、彼女になにをさせたいのか、彼女がなにになりたいのかがわからなかった。

ヒーロー番組で共演した俳優の所属する劇団での舞台デビュー。

深夜放映のアニメ番組の声優。

写真集、DVD発売とそれに付随するトークショーとサイン会、握手会。

時折ドラマにも出演。これはゲスト出演が多く、割と好演だが、胸を強調した露出の多い格好が多かった。私と闇医者は『微エロ要員』と呼んでいる。水戸の御老公にくっついている女忍者みたいな感じだと思ってくれるとありがたい。映画にも数本出演履歴がある。

ライブと称した個人誕生会イベント。ファン感謝祭みたいなものか。

そして、二十歳を前に彼女は突然視聴者の前から姿を消した。

ブログの更新は月に10回程度、それも個人的な趣味の話が多く、仕事の宣伝が異常に少ない。ブログを宣伝材料に考えているならば、彼女は芸能人失格と言えるだろう。

彼女を最後にテレビで見たのは、国営放送の時代劇だった。それも最終回を含むラスト二話のゲスト出演。国営放送なだけに、微エロ要員ではなかった。その後に劇場公開された小説素材の映画は、私の趣味に合わなかったのでみていないし、DVDも購入していない。

映画館は禁煙なので、二時間少々の禁煙は私にはできないというのが本当の理由だし、父の死で金もなかった。葬儀、火葬、納骨、法要、仏壇仏具、墓、坊主その他諸々。どれも金がかかったので、我が家は火の車だ。

映画は国営放送時代劇の前に撮影されたもので、彼女にとってこの二つが芸能事務所での活動の最後になる。

その後、彼女の歌手活動の全記録とも言えるベストアルバムの発売と記念ライブが行われ、個人事務所でも開くのかと思ったが、ブログに活動記録は書かれず、更新も停まった。

ここからは私も妄想に頼るしかない。

最も簡単に想像できるのは、仕事がなかったということだ。

ドラマで主役をバンバンしていたならともかく、基本的にゲスト出演か脇役である彼女に主演を持ち掛ける名プロデューサーは日本に存在しないと想像する。

そして、彼女のブログを読む限り、彼女の本当にしたいことが見えて来ないというのも事実だ。女優がやりたいならば、オーディションに行って可能性を少しでも上げるのも良いだろう。だが、素人である私にウィッグと髪の毛の境目を見極められてしまうほど、彼女は自分に手を入れていないし、今見る限りでは化粧も薄いし、痩せ過ぎている。これでは病人が主役の映画やドラマの撮影でもない限り、役が回ってくることはあるまい。

声優としての活動も基本はオーディションによるものだと想像するが、その活動記録もない。

歌手活動も、やろうと思えば駅前で許可をとってパフォーマンスすることくらいは個人でも可能だろうが、これもやっていないと想像できる。

では、彼女は一体この数カ月なにをしていたのだろうか。

確か高校に進学はしていない。最終学歴は中卒。

このご時世、若いというだけで雇ってくれるアルバイトも少ない。まあ、4年も介護に費やしたお陰で私も無職だ。人のことをとやかく言える立場ではない。

短期で卒業し資格を取れる専門学校に行く。

多分していない。

していれば、札幌には来ないだろう。

人生をリセットする為に北海道に渡ってくる者は多いが、自殺志望者ならば、適当なサイトで志願者を募ってレンタカーでも借りるだろう。もちろん、私はそんなことを推奨しない。正直言って、北海道の大自然に囲まれて死ぬのは願望者にとってある種の理想なのかも知れないが、北海道の住民としては迷惑この上ない。彼らにとって自然豊かな原野に見える場所でも、そこは誰かの所有地であり、その敷地内で自殺なんてされると、発見者が嫌な思いをするくらいのことは考えて欲しいものだ。更に、この4年で自殺した日本人が何人いるかは知らないが、捨てる命があるならば、私の父に与えて欲しかったね。父は100年でも200年でも生きたいという人だったからな。

私はそんな理由で自殺願望は否定しているし、どれだけ貧乏でも死ぬ気は一切ない。

自殺するのに使うエネルギーを有しているなら、生きていられる筈だ。当人が絶望的だと思っていても、他人から見た場合、その理由は実にくだらなく、そんな程度のことと思われている。よく考えもせず、衝動的に自殺するなどもってのほかだ。

仕事を干された芸能人が絶望に苛まれ、自殺に至るという筋書きは、いかにもナンセンスで、センスを売りにしている人間のすることではない。

傷心旅行の方がしっくりくる。

なにに傷付いたかだが、それは仕事がないということだろうか。それくらいのことでわざわざ札幌まで来るだろうか。それも、西区にだ。

本州在住の国内旅行好きの人間がいたとしても、札幌の西区に用のある人間はほぼ皆無だと私は考えている。飛行機に乗って新千歳空港に着いたとして、基本的に旅行者が来るのは札幌駅かその手前であり、その次の駅である桑園でもマイナーと言えるからだ。ちなみに桑園駅は中央区だがね。何を見に来るかにもよるが、西区に観光で来るという話は聞いたことがない。

土地勘のない方に説明するならば、札幌市西区は小樽寄りであり、高速道路で小樽に行く際の通過場所くらいにしか考えられていないのだ。これは手稲区と北区も同じ表現が使える。郊外型のスーパーやホームセンター、1と2を行ったり来たりのプロサッカーチームの練習場程度のものがあっても、それは観光資源にはならない。手稲区にはまだスキー場があるので、西区ほどひどくはないかも知れないが、私見として、札幌国際スキー場やニセコ方面の雪質の方が格段に良い気はする。

まあ、スキーやスノーボードもすっかりやらなくなった.

万が一、私の書く小説もどきの文章が実写化或いはアニメ化されても、いわゆる『聖地巡礼』の対象にはならないだろう。我が家の周囲が見渡す限りの畑や牧草地帯であれば、自然大好き人間にはたまらないかも知れないが、生憎と我が家の周囲は駐車場以外の空き地を探すのもままならないような住宅地だ。

そんな場所に彼女は一体何の為に現れ、そして我が家の玄関先で倒れたのか。

 彼女は未成年なので、ススキノで酒に溺れたと表現して良いかは知らないが、どう地下鉄を乗り間違えても、我が家の前にある駅に着くのは不自然なのだ。ススキノから南北線で札幌まで二つの駅しかないのに、わざわざ大通駅で東西線に乗り換える旅行者などありえない。

傷心と言えば失恋も傷心に入る。

確かに若い頃はフラれる度にいちいち死にたくもなるかも知れん。

手首の『かまって傷』なんていうのはバカバカしい限りだが、当人は本気だと思っているか。

この奇妙な出会いが小説のネタにでもなるかと思ったが、ここから学園バトルだの異能バトルだの、剣と魔法のファンタジーに持っていくのは難しそうだ。

私はこれでも子供たちに夢を与える作家になることを目指している。

まあ、奇麗な女の子が玄関に転がっていただけで、話が出来上がるなんてことはほぼないだろうな。そこに一体どんな脚色を加えれば、皆の喜ぶ作品が作れるだろう。

目の前で眠っている彼女が精巧に作られた天寧のアンドロイドで……それなら眠る必要も避妊具も必要ないだろう。アンドロイドが手首を切って自殺できるとも思えんし、この時点で子供向きじゃないしな。

核戦争後の未来からタイムマシンで過去に乗り付け、未来を変えるか?

陰陽師の末裔で、悪霊と戦って倒されたのを私が救ったか?

宇宙人の侵略を食い止める為にやってきた宇宙パトロールの女戦士か?

どれもこれも陳腐過ぎて、私の想像力のなさを嘆くよ。

ここはやはり、現実に戻って救急車を呼ぶべきだろうか。

考えている間に、彼女が目を覚ましてしまった。

「……」

 無言で見つめられる。

 悪い気分ではないが、それは私の気分であって、彼女はどう思っているのか。

 状況を理解していないのはお互い様というところだろう。

 母が落とす卵の分量を間違えたようで、おかゆが卵とじになりつつあるが、それも我が家の味なので、私は構わない。彼女は構うだろうか。

 知っているようで、私は彼女のことを何一つ知らない。他人とはそんなものか。

 とりあえず状況を説明してみた。

「……」

 無反応というか、心がここに存在していない自失状態。

 聞いてはいるようだが、説明が終わっても頷き続け、続きを要求している。

 なにを話そうかと悩んでいるところに、先程の闇医者から連絡が入る。良いタイミングだ。

『元事務所の役員が『裏』の情報屋に連絡しているね。彼女も生活の糧を得る為にその人物に接触しているよ。君も4年間の無職生活で骨身にしみているとは思うけれど、彼女はこの半年ほど仕事をしていない。ブログの更新は職業とは言えないし、実際金にはならないからね。僕のやっている闇医者という職業から見た場合、ブログの更新回数が多いのは軽い病気と判断できるし、つぶやきを四六始終行なっているのは重いネット依存症と診断できる。彼女はそのどちらにもまだ足を踏み入れているとは言い難いので、その方面の病気ではないね』

 私は想像力が貧困で、裏の情報屋のイメージが沸かないのだが?

『言葉のままだよ。表の情報なら新聞記者や雑誌記者を使う。裏の情報はそちらを専門にしている情報屋に聞く。君が拾った天寧ちゃんは、元事務所役員とただならぬ関係のようだね。ちなみにその役員には妻子も居るよ』

 愛人関係になって仕事を貰おうとしたということか。

『それをネタに『ゆする』という手法もあるよ』

 この可愛い顔の娘がそんな悪いことをするのか。恐ろしい時代だな。

『……君の意見には大いに同調したいところだが、世の中にそんな聖人君主はほとんど存在しないさ。ただでさえ、黒い噂は芸能界やプロスポーツ界には多いから、大半はゴシップ記事だけれど、中には本当のことを書いてある記事も存在するしね。まあ、落ち着いたようなら一度ウチに連れてきなよ。僕の手に負えるようなら治療もできるし、余るようなら本当の医者も紹介くらいはできるよ。信頼できるかは別の話だけれどね』

 電話が切れた向こうで、闇医者が『さぁて、彼がどんなナイトぶりを見せてくれるか楽しみだね』という独り言を呟いたのを、私は当然知らない。

 電話の会話は聞こえないだろうが、私の発言は耳に入っていてもおかしくはない。だが、彼女は不思議な生き物を見るような視線を私に向かって発し続けるだけだった。

「あ、お母さんに電話しなきゃ」

 これが彼女の最初に発した言葉で、充電器の上に乗ったままだった自分の携帯を手に取り、ダイヤルして喋り始めた。

 料金未払いで止まっている携帯に向かってだ。

 よく帰りの遅くなった女性会社員が帰宅最中、街灯の少ない路地で、後ろからついてくるなんの罪もない、たまたま同方向に帰るだけの男性に対し疑念を持ち、誰かと繋がっているから襲うなよ的な行動として、マンガやドラマで見かけるが、実在人物が目の前の私を見ながらそれをやるのにちょっと幻滅だ。

 私はそんなに怪しいか?

 女優は演技を続けている。私の問いかけは無視だ。

 そうかそうか。

 苦笑いしながら椅子を回転させて彼女に背中を見せ、痛いほどの視線を感じながら、携帯のボタンを三つ押し、通話ボタンを押した。

 もしもし、警察ですか? 今自宅の前で女の子を拾ったのですが、保護をお願いいたします。

 凄い勢いで彼女の手が伸びて来て、私の手から携帯を叩き落とした。

 ふう……やっと反応してくれたか。

 携帯を壊されてはかなわないので、ポケットに入っていたおもちゃの携帯を使ったのだがね。床に落ちたおもちゃの携帯は見事に壊れた。本物を使わなくて正解だ。

 警察への電話は嘘だが、言ったことは本当だ。君は我が家の玄関先で寝ていたところを私が保護した。警戒感があるならば、眠くても外で寝たりしないことだ。疑念が拭えないのであれば、母が作ったかゆを食べてから出て行ってくれると助かる。これは私見だが、今日の晩飯がおかゆになるのは避けたいからな。

 第一発見者を疑え的な反応をされると、私は一気に熱が醒めた気分になる。

 そもそも、彼女を助ける理由はないし、なにかの暴力的な事件に巻き込まれるのも御免こうむりたい。

 私は作家を夢見るだけのただのオッサンだからな。小学校の頃に所属していたサッカー少年団のキック力が現在残っているわけもなく、暴力からは足を洗った身だと自分で思っている。これが桜長天寧ではなく、他のもっとメジャーなアイドルの一人だったとしても、私に助ける義務があるのかは疑問だ。

 保護してもらうならば、日本でこれ以上安全とされる組織は一応存在しないから、彼女が警察を嫌う理由はよくわからない。

 少なくとも、私に保護されるよりは安全だと思うが?

 そう言うと、彼女は首を横に振った。

 この家に逗留したいというのか?

 首を縦に振られ、私は腕組みして考え込むポーズになってしまう。

「仕事が……欲しい……で……す」

 ソファから立ち上がった彼女がいきなり手を伸ばし、私のハーフパンツのチャックを下げようとする。

 私は椅子を引いてそれをかわした。

 そういう風俗店の面接官に、そういう行為を求めるバカがいるという話は闇医者に聞いたことがあるが、私は生憎そういう趣味も主義も持っていない。世間的に無職である私が彼女に与えられる仕事はひとつしかなかった。それにこんな行為は必要ないし、給料も発生しない。

『私が家に戻るまで、君は母の話に頷いていてくれ』

 これが彼女に与えた仕事だ。

 これは根気を要する。私が黙って頷いていれば、母は一日に150回は同じ話を繰り返す。

 まだ今日は調子の良い方だから、100回くらいで済むかも知れない。

 私の代わりにその役目を引き受けてくれ。

 膝にすがりつく格好になった彼女が、私の股間を見つめながら頷いた。


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