10 よく分かりません
引き続きコメディ風味
柔らかな日差し。
光を跳ね返す草花の青さが、目を癒します。
「サヤナ、少し話せるか」
私は、思わずくすりと笑いました。
「……おや、私は笑わせるようなことを言ったか」
眉を上げて戯けるサトレイル様に、私は首を振ります。
「すみません、失礼なことを……なんだか、皆さん後ろから声をかけるので、兄妹だなぁと思ってしまいまして」
「ほう。なんだ、ミーフレアやアスタリドに先を越されていたか」
サトレイル様は私の前に回り込んでかがんだ状態で膝に頬杖をつきました。
お嬢様は横に座って、アスタリド様は後ろで立って、サトレイル様は前にかがんで。こういうところに性格が出るのでしょうか。
なんだか変なくらい可笑しくなって、私はくすくすと笑い続けてしまいます。
「失礼致しました。それで、何かございましたか。そろそろ休憩を終えた方が良いでしょうか?」
立ち上がろうとする私を押し留め、サトレイル様はかがんだ腰をそのまま下ろしました。
「君はきちんと休養出来ているか?」
「はい」
「…………まぁ、そう言うよなぁ」
私は、天を見上げてしまったサトレイル様をじっと見ます。
気を遣わせてしまったのでしょう。こういう時、どうすれば良いのか分かりません。休養を取っていると言っても信じて頂けない場合、休養を取っていないと言えば安心していただけるのでしょうか。
しばらく黙っていると、ぽつりと声が落とされました。
「確か、サヤナは知らなかったな」
空を見上げていた青い瞳が、私の方を向きます。
「知りたいか。ミーフレアと、アスタリドに起こったことを」
空のように真っ青な瞳が何を思うのか、私には推し量れません。
けれど、その質問にどんな意図があれ、答えは一つでした。
私は徐に、ゆるゆると首を横に振りました。
「理由を聞いても?」
「……」
私は、慎重に言葉を選んでから口を開きました。
「お嬢様からもアスタリド様からも、私は何も聞かされておりません。それは、あの方々がそのことは私が聞くべきで無い、もしくは聞く必要のないことだと判断されたからだと思います。個人的な意見ですが、自分の過去の話をするということは、相手のためというより自分のためであることが多いと思います。ですので、お嬢様やアスタリド様が自分のためにならないと思うのなら、私は無理強いをするつもりはありません。それに……」
「それに?」
「……それに、私は、ずっと側に居られるわけではありませんから」
サトレイル様は何も言わず私を見ていましたが、不意に後ろを振り向きました。
その視線の先では、お嬢様とカシャーダ様と、アスタリド様が話をしていらっしゃいました。
「私は、個人的にはあれらの過去を知らずに側に居てくれる人間が必要だと思っているから、その答えは半分希望通りで半分残念だな」
そう呟き、私をちらりと見て「だからと言って無理に引き留めようとは思わない。君の好きに行動しなさい」と苦笑しました。
「無闇に腫れ物扱いをすることだけは、しないで欲しい。あれらは不幸だがこの世で一番可哀想な人間なわけでも、哀れまれて当然な人間なわけでもない。ごく普通に人生につまづいて、今ようやく立ち上がりだした、ごく普通に誰かと笑い合える権利を持った人間だ。一方的に哀れまれて鬱々とした人生を過ごすだなんて、それこそ可哀想だ」
そう話すサトレイル様は、何かを思い出すように目を細めます。その表情は決して良いものではありませんでした。
可哀想、という言葉は、使う人の感情が顕著に現れるものだと私は思います。どんなに優しい言葉も、相手を案じる言葉も、その言葉に温度がなければなんとも薄っぺらなものに変わってしまいます。きっと、彼らは周りから、そんな薄っぺらな「可哀想」をいくつも打つけられていたのでしょう。
「……俺は過去に二人がなんの躊躇いも屈託もなく笑顔で過ごす様子を、誰よりも近くで見ていた。だから、そんな笑顔を戻してやりたい。自分を哀れむような卑屈な笑顔じゃなく、底抜けに明るい笑顔を、もう一度見たい。……勝手な話だがな」
ふ、と口を歪めたのは、笑おうとしているのでしょうか。自嘲と後悔の滲むその表情はとても笑っているとは言えないものでした。
「俺は一番大事な時に、……一番二人が保護者を必要としているときに居てやれなかった。留学は、いつか家族を支えられる人間になるためのことだというのに、肝心の家族がそのせいで崩れそうなんじゃ、本末転倒だ。
勿論、俺だけの責任だ、なんて傲慢なことを言うつもりはない。俺が偽悪ぶって悪者になっても、それで楽になるならまだしも二人は俺を責めないだろうし、寧ろ悲しませるだけだ。だから罪悪感なんて背負わない。堂々と生きる。ただ……ただ、俺……私は、今度こそ、二人の保護者として振舞う。これは負い目じゃない。そうしたいから、そうすることだ」
私はそう宣言するサトレイル様を眩しく見ていましたが、少し考えて、首を傾げました。
「どうして私にこんな話を?」
サトレイル様は私に視線を戻し、にやりと笑いました。
「保護者として、見極めてやろうと思ってな。サヤナとは今まであまり話すことも多く無かったし、折角の機会だと」
「見極める……?」
ますます分からないと眉を下げると、サトレイル様はふむ、と自分の顎を指で支えて考え込みました。
「……ところでサヤナ。ミーフレアに想い人がいると告げたそうだが、それは具体的に誰だ?」
「はい!?」
お、お嬢様!と私は内心叫びました。引きつった私の顔に、サトレイル様は苦笑なさり言葉を付け足します。
「いや、ミーフレアが嬉々として話したわけじゃない。少し誘導して無理に話させたんだ。妹を責めないでやってくれ」
いよいよもってよく分からない話になってきました。サトレイル様が無理に聞き出してまで、どうして私の想い人を探るのでしょう。
「それで、誰なんだ?そいつとは既に恋人関係にあるのか?」
「こっ恋人だなんて!わ、私が勝手に想っていると言いますか……って、ど、どうしてそんなに気になさるのですか!?」
「まあまあ、良いから少し教えてくれ。なに、悪いようにはしない。相手によっては取り持ってやろう。君には弟妹が世話になっているからな」
そう言う顔には先程の誠実そうな色はなく、寧ろ明らかに何か企んでいますと書かれていました。
「し、私的なことですので……!」
「まあまあまあまあ、いいからいいから」
何一つ良くありません。強く断るわけにもいかず、これが世に言うパワーハラスメントか、と若干涙目になっていると。
「何してるの、兄さん」
振り返れば、いつの間にか後ろに眉をしかめたアスタリド様が立っていらっしゃいました。私は思わずびくりと震えてしまいます。ここまであからさまに不機嫌そうな顔をなさるのを初めて見ました。
「使用人に無理矢理手を出すなんて、まさかそんな貴人として最低なことを兄さんがするわけはないよね?見たところ、サヤナは嫌がっているようだし、合意の上でもなさそうだ」
その言葉に、私はわが身を振り返って焦りました。サトレイル様は身を乗り出して、座った私の膝の横あたりに両手をついています。話の内容に気を取られて気付きませんでしたが、恋人同士にしかなかなかない距離感です。
いえ、そういえば私は先程、これ以上の距離でアスタリド様と話しましたし、なにより、だ、だ、抱きしめ……っ
今思い出すべきことではありませんでした。顔に血が集まります。何をやっているのでしょう。アスタリド様は元々女性との距離感が少々近い傾向にあります。恐らく、妹であるお嬢様の影響でしょう。あれもお嬢様を慰めるのと同じことをしてくださっただけで、深い意味はないのです。それに、今はそれどころではありません。
「い、いえ、サトレイル様は決してそういう意図を持っていたわけではなく……!ただ、質問の答えを私がなかなか言わなかったので、気になっただけでしょう。使用人に手を出そうとするだなんて、そ、そんな低劣な方ではありません!」
「……」
「……絶望的だな」
サトレイル様の呟きを皮切りに、二人が同時に同じ方向を向きました。そちらに何かあるのでしょうか。アスタリド様の今にも人を斬りそうな表情と、サトレイル様の冷や汗でもかいていそうな引きつった笑顔が気にかかります。
アスタリド様はしばらくサトレイル様のいるあたりを見ていたようでしたが、やがて一呼吸つくと、私の方へ視線を流しました。
「……それで?違うと言うなら何をしていたのかな」
私の二の腕あたりを掴み、サトレイル様から引き離しながらアスタリド様が訊ねます。例の仮面のような笑顔でしたが、声も低く、あからさまに不機嫌そうな雰囲気をまとっていらっしゃいます。
「え、いえ、あの」
「人には言えないことを?」
「ち、違います!」
徐々に近づいて来る物騒な雰囲気を持った笑顔に、恐怖からなのかそれ以外の理由なのか分からない動悸が心臓を震わせます。やはり、アスタリド様は人との距離が近すぎると思います。頭に血が送られ過ぎて、全く思考が働きません。
「……こんなに顔を赤くして、一体兄さんはどんな大胆な方法で君を口説いていたのか」
「おい、濡れ衣だ」
「濡れた衣で何を」
「……あ、さてはこいつ頭働いてねえな」
サトレイル様が呆れたような声を出されました。先程から少し口調が乱雑になっているように感じますが、これが本来の彼なのでしょうか。そういえば、アスタリド様もカシャーダ様やサトレイル様と接している時は崩れた口調になられていた気がします。そんな時のアスタリド様はいつもより心なしか幼く感ぜられて可愛らし……現実逃避をしている場合ではありません。今はとにかく、あらぬ誤解を解かなくては。
「あ、アスタリド様!」
「!」
「私は、サトレイル様に、なにもされておりません!」
しっかりと目を見て言い切ります。アスタリド様はぽかんと小さく口を開いたまま固まりました。
「……?あの、分かって頂けましたか?」
顔の前で手を振ると、アスタリド様の目に意思が戻りました。
「あ、う、ああ、わ、分かった……」
「あの……?」
「ああ、うん、手は出さない。使用人に手は出さない」
「え?いえ、私はアスタリド様のことを言ったわけではなく……」
「う!!」
アスタリド様は突然両手のひらで耳を塞ぎ、立ち上がりました。
「み、耳が死ぬ……」と謎の呟きを残し、ふらふらとその場を離れて行かれました。
何はともあれ、サトレイル様の不名誉な疑いは晴れたようです。安堵してサトレイル様の方を見ると、笑うのをこらえているような憐れんでいるような、なんとも微妙な表情になっておられました。
「……名前だけであの反応とか……なあサヤナ。あいつを可哀想だとは思わないか?」
「可哀想……?」
「……いや、同情で一緒に居られる方が可哀想だと言ったばかりだったな。忘れてくれ」
そう言うと、サトレイル様は大きなため息をついてアスタリド様の後を追われました。
可哀想とは、どういう意味でしょう。サトレイル様はアスタリド様のお気持ちに気付いていらっしゃるのでしょうか。いえ、それにしては深刻さが少なかったような……。
私は首を傾げながらも、仕事に戻るべく腰を上げたのでした。
頑張れアスタリド氏!




