1 決意致しました
私が想いを寄せている方は、とても苦しい恋をしています。
初めは勘違いだと思っていました。けれど、あの切なそうな、苦しそうな、さびしそうな顔は、私が鏡の中で見るものと似ていたから。私があの方を想うが故に、その微妙な表情に気付き、その意味にも気付くことが出来てしまいました。とても、皮肉なものです。
あの人は、上等な家のご子息です。私は、その家で働いております。私自身、令嬢と言っても良い出自ではありますが、仕事に生きることを選び家からは縁を切られた身ですので、今は単なる使用人に過ぎません。
仕事とは、ご令嬢方のお召し物や髪結い、小物選び、お化粧など、その方に似合うものを全て、全体の塩梅を整えながら管理し、飾りたてるというものです。
これは普通、屋敷で雇っている侍女の仕事の一部でありましたが、私はその仕事を専門技術として独立させ、その為だけの侍女として個人で各屋敷を回っておりました。初めは仕事に困ってばかりいました。当たり前です。主人に忠誠を誓わない侍女など、普通は無闇に近づける訳がありません。
けれど、一つ、二つと人手に困っている屋敷や余裕と好奇心を持つ屋敷から格安で仕事を受けるにつれて、徐々に信用を得ることが出来るようになりました。今は、私が個人でやっていることは知れ渡っているため、私が信用に響くような真似をする筈がないと理解して頂いています。そして、誠にありがたいことに、この腕はお嬢様方の間で評判となっているようです。
そうして一時は休む暇もないほど引っ切り無しに続いた依頼ですが、今はもう、どこの依頼も受けておりません。稀に、以前のお得意様がいらっしゃることもありますが、全て断っております。
何故かというと、私が今居るこの屋敷に正式に雇われたからです。取り敢えず数年間という約束で、飾りたてるという仕事しか果たして居ないのに関わらず、通常の侍女と同じ給与を頂いております。勿論、他の侍女の方々はよく思われないでしょう。せめてものお詫びとして、私は無償で彼女たちにもちょっとしたお洒落のお手伝いや仕事のお手伝いをしております。今では皆さん私を屋敷の一員として受け入れてくださっていて、その寛容さには頭が下がるばかりです。
そうまでしてここに正式に雇われることを了承したのには、やはり、あの人の存在があります。
報われることなどないと、分かっておりますが、それでもその日々を見守ることぐらいはと欲を出してしまったのです。
それに、私のこの仕事の成果を、彼の妹であるお嬢様を飾りつけることで見てもらいたかった。
なにせ、私にこの道に進む決意をさせたのは、幼い頃のあの人の言葉があったからなのですから。
ふぅ、と息をつく。責任を人に負わせるのは悪い癖です。改めなくてはなりません。
決意を新たに、目の前の髪飾りの山に目を向けます。
これは私の仕事道具であり、お嬢様の大切な私物でもあります。私は1日の終わりに、必ず明日の彼女の髪飾りを選ぶことにしています。
お嬢様は控えめで、あまり欲を仰らない方です。むしろ、欲を出すことに殊更怯えているようでした。
そんな彼女にこつこつと髪飾りを送るのは、お兄様であるあの人。彼は彼女の好みをいつもぴたりと当てます。
私も、最近やっと彼女の喜ぶ組み合わせを掴んで来ました。
お嬢様は、あまり人を信用なさらない……いえ、どうしても出来ない、と言ったほうが良いのでしょうか。そういう方なので、会話を交わせるようになるまで随分かかりました。偏屈なわけでなく、むしろとても素直でお優しい方なのですが、侍女にすら気を遣い過ぎて中々上手く言葉を紡げないのです。
そんな彼女の心が、少しずつ、少しずつ花開くように綻んでいくのを、私は確かに心から嬉しいとも思っているのです。
「サヤナ。決まったかい」
不意に、低く艶めいた声が聞こえて、私は思わずびくりと震えてしまいました。
振り返った先には、案の定、私の反応を可笑しそうに見るお方が。
「……そうやって無闇に驚かすのを辞めてくださいと、何度言ったら聞いていただけるのです?もしお嬢様の髪飾りに傷をつけてしまったらどうします」
「ごめんごめん。あんまり反応が良いものだからつい、ね。傷がついたら買い直せば良いのさ。あの子はそれ程髪飾りに執着は無いようだし、サヤナが怪我さえしなければ問題無いよ」
楽しそうに唇の端を釣り上げるその顔は、紛れもなく私をからかっていらっしゃいます。私はつい動揺してしまう顔を必死に隠し、じっとりと彼を睨め付けました。
男性にしては長めな美しい藍の髪を軽く束ね、後ろに流し、涼しげな瞳のその下に、ぽつりと小さな黒子がひとつ。なんとも言えない色気を滲ませた彼は、謎に包まれた美貌の人として社交界でも独特の人気を集めています。
そう、彼が、私の密かな想い人であり、その辛く悲しい心を読めない笑みに隠す、この屋敷の次男にあたる方でございます。名は、アスタリド・ロウリエル。跡継ぎ争いは無かったようで、彼は上の兄の補佐をしているようです。
「そうやって、女性の心を弄ぶ方は女の敵だと、ご令嬢方の間で話題の本に載っておりましたよ」
こうして私が生意気な口を叩いても、彼は気分を害した様子もなく、微笑んだまま軽く眉をあげるのみ。こうした余裕にもまた、ご令嬢方は魅力を感じるのでしょう。私は彼の気持ちに気付くまで、彼が未婚なことにつくづく疑問で仕方ありませんでした。
「弄ぶつもりはないがね。サヤナに敵だと思われるのは心外だ。もし僕が敵だとそこに記してあるなら、そんな本は読まない方がいいね」
「はぁ、全く。調子の良い方ですね、坊っちゃまは」
そこで初めて、彼の表情が崩れました。
「坊っちゃまはやめてくれと言ったじゃないか」
「からかうのをやめてくださいと言った私の頼みを聞いてくださらないなら、私もやめません」
「……まいったな。サヤナの口には勝てそうもない」
私の不敬な態度に、彼はいつも最後には自分を引いてくださります。寛容な方です。冗談を言うお茶目さもあります。私はこうした彼を見つけるたび、他のご令嬢方にもこうした面を見せればいいのにというような、かといって見せないで欲しいような複雑な感情を持ちます。
彼は大変人気がありますが、ご令嬢方は彼の独特の艶やかさとあまり多くを語らない謎の多さにばかり惹かれて、彼自身を見ていないような気がします。彼を本当に理解してあげられるのは、彼女くらいのものでしょう。
「……ふたりとも、なにしてるの?」
「ミーフレア。起こしてしまったか」
振り返ると、彼の妹であるお嬢さまが、眼をこすりながら寝巻きのまま扉の近くに立っていらっしゃいました。
「いいえ、少し眠れなかったの。そうしたら、ふたりが楽しそうにしているから……その、お邪魔してしまった?」
「滅相もありません!いつものようにからかわれて居ただけですよ。お嬢様がいらっしゃって救われました」
そう言って笑うと、お嬢様は包み込むような笑顔で微笑みました。たまらなく可愛らしいそのお姿に、見惚れずにはおれません。深い闇色、夜の海のような静かで美しい波打つ髪に、整った目鼻、小さな唇。普段は怯えて曇ってしまうその瞳は、一度晴れれば吸い込まれそうに澄んでいます。
やっとその笑顔を見せていただけるほどになれたことが、とても嬉しく誇らしく、同時に、少し不安です。
「おいおいサヤナ。それじゃあ僕が悪者じゃないか。さっき僕を言い負かしたのは誰だい?」
「さぁ、そんな方いらっしゃいましたか?」
私たちの会話に、お嬢様はくすくすと肩を揺らしました。
彼はお嬢様の笑顔に仕方なさそうに肩を竦めます。彼はお嬢様にはとても甘いのです。
「……はぁ、ミーフレア。そんな薄着でこのまま居たら、病気になってしまう。さぁ、ベッドに戻ろう。眠れないのなら僕がホットミルクを作ってあげよう」
「あら、ホットミルクでしたら私が……」
「いいさ。君は仕事に集中して。邪魔してすまなかったね」
「アスタリドお兄様、私、もう少しお話したいわ……」
「だあめ。滅多にないお願いだから叶えてあげたいけど、話なら明日でも出来るだろう?ミーフレアが病気にならないということの方が重要だ」
そう言ってお嬢様の華奢な背を押すその横顔は、この上なく甘く、こちらまで蕩けそうです。
お二人は、とても仲が良い兄妹です。一番上のお兄様とも仲が良いのですが、この二人の関係はある種特別です。
人によっては、異常だと思うほどに。
共依存関係。そう言えば正しいのでしょうか。いえ、少し違う気もします。共に落ちていく類ではなく、むしろ、欠けた部分を補い合う、支え合う関係であるように思えます。それは、本来ならば将来、伴侶となる方と築くべき関係。兄妹で築くには、少し重たい関係です。
しかし、彼らには将来では遅かったのでしょう。彼らにはその瞬間に支えが必要だった。無ければ崩れてしまっていた。だからこそ、お互いを支えとした。
それが、いつの間にか形を変えてしまったのはいつだったのでしょうか。これまでのお二人の側に居なかった私には、何もわかりません。
ただ、お嬢様の想いが変わらず「依存、信頼」であるのに対して、彼の想いが変わってしまった。
私は、何度、どうして彼らは兄妹なのかと思ったか知れません。
何度、苦しそうな彼の姿に苦しくなったか知れません。
お嬢様を愛らしいと、素敵な方だと思えども、彼女が心を開いてくれる度、心の隅にある憎らしいと思う気持ちがいつか彼女を傷つけてしまいやしないかと不安に思います。心を無防備に私に晒して、その柔らかな肉に鋭い刃を突き立てないとは、私にはとても言えないのです。
もしそんなことになれば、彼女は二度と、家族以外の人間を信用しなくなるでしょう。そんなことには決してしたくはありません。私は、彼を想う自分勝手な気持ちを持ちますが、同時にお嬢様も、上のお兄様も、段々と私を受け入れてくださるようになった使用人の方々も、この屋敷の方々全てを、大切に思っているのです。
そろそろ、潮時なのかもしれません。
恋に病んでいく彼を見ていると、お嬢様への苦しい感情が激しい怒りに繋がってしまいそうです。
彼らの問題は、部外者が口出しすべき問題では無いのです。
いつか彼も、自分でその気持ちに折り合いをつけて行くでしょう。むしろ、折り合いをつけようと決意したからこそのあの苦しい顔なのでしょう。
けれど私は、それほど長い間それに耐えることが出来る自信がありません。堪え性がないのです。
かと言って、仮にお嬢様と彼が上手くいっても、素直に祝福出来るかは微妙なところです。
いつか必ず、お嬢様を、この屋敷の方々を傷つける。
それが分かっている以上、私は自分自身の気持ちが収まるまでは、この屋敷に近づくわけにはいきません。
本来、私は一つ所に仕えられるような万能さも殊勝さもありません。ただ、ご令嬢方を飾り立てるしか能のない、小さな人間なのです。美しくなった令嬢の出来に満足し、感謝の言葉を述べられることに喜びを見出す。そんな今までの生活に戻るだけ。
それに、今まで一つに仕えることのなかった私の突然の贔屓に、下世話な勘ぐりをなさる方も居るようです。
やはり、私はこの屋敷に居るべきではない。
願わくは、私が消えた後にでも。
彼らの傷が癒され、穏やかな日々を過ごせるようになっていますように……。




