第4話 夢の中での五里霧中
私は席に座ってしばらく無言でドーナツをむさぼっていた。ドーナツの甘味とベーコンの塩分、それにチーズのねっとりした感じが混ざり合い甘じょっぱくて美味しい。
「るりりってさあ……」
「ん?」
その間、夜桜も木場も無言でドーナツをかじったりコーヒーを飲んだりしていた。しかし私のようにドーナツに没頭していたというわけではなく私のほうをちらちらと見ていたので、あまりに言いたいことが多すぎて何も言えなかったのだろう。
ただあまりの無言に耐え切れなくなったのか、夜桜が私に話しかける。
「あの……古畑さんと、仲いいの?」
「ん――え――え、いや、違う、全然」
喉の奥にあるドーナツを、コーヒーで流し込む。まだミルクも砂糖も一切入れていなかったので苦さでむせそうになる。しかしそんな些細なことよりも、目の前にもっと重要な問題が横たわっていた。
「いや、なんか、困ってたから」
「ああ……そうなの」
夜桜も木場も不思議そうに私を見ている。そんな目で見るな、だから私もわかんないんだって。
「いきなり立ち上がって出て行った時は驚いたぞ」
「うんうん、そんで急に店の外に走り出していっちゃうしさー」
木場も夜桜も追撃の手を緩めない。やめろ。本当にやめろ。
「あ、あれは――なんか、逃げられたから、追いかけて」
「なんで?」
「……さあ」
……そこに関しては未だにわからない。
考えても答えは出なさそうだなと諦めながら、引き続きドーナツを口に含む。わからないと一蹴できる問題を前にして、やっとさっきまでの不安定な精神状態を落ち着かせることに成功した。口の中に未だ残るコーヒーの苦さもドーナツの甘さで落ち着いてきている。そうだ、こうして動揺せず冷静沈着で常に大人な雰囲気を保っているのが私なのだ。
「でもさー、帰ってきた時手繋いでたよね?」
「…………!」
――。
夜桜の言葉を受け、目の前にその時の客観的な絵面が浮かんでくる。
そのあまりにあまりな不意打ちにドーナツが逆流しそうになる。やっとのことで飲み込むも、言葉の意味が飲み込めない。思わず言葉を出さずに叫んでしまった。なるほど、こうするのか。
「いや、違、あれは――」
無理やり引っ張ってきただけで。
そう言いたいのに、口をぱくぱくと動かすだけで、声が出ない。どう言えばいいのかわからないし、何が言いたいのかすらも実際のところよくわからない。なぜだか全身が熱い。なんでだ、手くらい普通に……私は幼稚園のころまで遡るけど繋いだりもするだろ。なんで私はこんなことで動揺してるんだ、意味がわからない。くそ、あんな奴助けるんじゃなかった。
「う、うるさい! 黙れ!」
本日二度目の教室では絶対に出さない口調を使って声を張り上げ、私は顔を隠すようにドーナツを持ち上げた。ひとしきりかぶりついた後は咀嚼もそこそこに、コーヒーで流し込む。そういえばまだブラックのままだったなと思いつつも、味がよくわからない。
いったいぜんたい――
私はどうしてこんなことになっているのだろう。
ドーナツとコーヒーを無理やり腹に押し込んだ後、私はさっきのように店を飛び出した。料金は払わなかった。私にこんなことをさせた罰だ、お前が払え夜桜。
その夜私は夢を見た。
いや、内容はほとんど覚えていない。だが昨日の放課後のことを受けて、夢にまで夜桜や木場、ましてや古畑なんかが出てきたなんていうことは全くなかったことは確かだ。
夢の途中で目が覚めた私は眠たい目をこすりながら時計の目覚ましを止める。夢の内容を思い出そうとするも、やっぱり思い出せない。
おぼろげに覚えているのは誰かと別れるような内容だったということだけで、あまりいい夢じゃなかったような気がする。
「またこんな夢か……」
誰かと別れる夢、よく見るんだよな私。
追いかけられる夢とかは一度も見たことがないんだけどな。
まあ夢なんかにそこまで引っ張られることはない。いつも通りに朝食を食べて着替えていろいろ整えて家を出て、学校へと向かう。
「よっ、おはよ」
「あ、雑賀」
その途中、大通りで野球部の雑賀真咲と出会う。歩きながら偶然に出会ったという感じではなく、雑賀は信号機の下で鞄を下ろし、誰かを待つように立っていた。
「誰か待ってたの?」
「そりゃ綺羅星を待ってたに決まってんじゃん」
「えー、照れるなー」
雑賀の身分はサッカーで言えばゴールキーパーだ。木場もゴールキーパーなのでサッカー的にはいびつなことになってしまいそうだが、まあつまりは昨日の木場と並ぶ身分を持つ男子であり、男子の中では木場とこの雑賀が最高身分を持っている。
「おぃーっす……って、綺羅星も一緒なのか」
「よ、木場」
もう一人のゴールキーパーがやってきた。昨日のアレがあるので少し顔を合わせづらいが、ここで一人逃げるのもなんというかばつが悪い。
「綺羅星がこんな時間にいるなんて珍しいな、俺たちこれから朝練行くんだけど」
「え、朝錬って……え?」
思わず左手首を見ると、私の腕時計はいつもの登校時刻よりも一時間ほど早い時刻を指していた。
「あー……あれか」
あの夢のせいで、どうやら目覚ましよりだいぶ早く目が覚めてしまったらしい。時計を見ることも今の今まで忘れていた。
「じゃ、俺たち部活だから」
「また教室でな」
雑賀と木場は手を振りながら、二人学校への坂道を駆け上がっていった。いつもならまだ寝ているであろう時間に登校してしまった自分への馬鹿らしさに追おうとも思わない。
もうそろそろ晩春というところだが、さすがにこんな時間は空気が冷たい。肌寒さを感じる中、私は一人取り残されてしまった。
「教室でも行こうかな……」
ため息をついて私は通行人もほとんどいない道を学校に向かってひとりで歩く。ぼうっとしながら歩いていると夢の内容が蘇ってくるような、こないような。
「ていうか、雑賀の私を待ってたって嘘じゃん」
つぶやきながら二人のゴールキーパー達が駆け上がった坂道を私も駆け上がろうとしてみるが、昨日ほどのスピードは出なかった。




