最終話 綺羅星るりりにとっての古畑寝屋
「私は――
「私は、あんまり小さい頃から両親が家にいなくて、そのせいかあんまり仲良しな家庭じゃなかった。
「でも保育園に友達がいたから、一日中ずっと寂しいってわけでもなかった。
「私が仲間はずれのターゲットにされて、友達がみんな私から離れていった日までは。
「首謀者の子はガキ大将みたいな子だった。自分は一番偉くて、自分より立場の弱い奴には何をしてもよくて、みんな自分を讃えるべきだって本気で思っているような。
「だから自分より頭もよくて運動もできる私が許せなかったんだと思う。きっと、あいつからしたら私に私刑を下したみたいな気持ちだったんだろうと思う。
「友達は誰も私を庇ったりはしてくれなかった。
「怖かったんだろうね。
「ひとりぼっちになった私は家に帰ってもお母さんに甘えられるわけでもないし、ひとりで泣いてるだけだった。
「そのとき――かな。なんでこうなっちゃったのかなあって考えて、自分なりに答えを出したのは。
「だから――でも――
「その答えは、きっと間違ってた。
「一番偉いってことは、誰かの一番になれるってことではないんだって、気づかなかった。
「今まで、知らなかったんだ。
「今の私になってからの私は、私が王であるってことを下地においてしか考えられなくなってる。だからいくら友達がいても、私は自分を見られてるって感じが全然しなかった。
「だから――だと思う。
「寝屋は、私だけを、見てくれたから。
「寝屋なら、私しかいないって思ったから。
「寝屋が私を気に入ってくれて嬉しかった。
「私が王になってまで欲しかったものがやっとわかった。やっと、手に入った。
「私は、友達が欲しかったんだ」
昔の記憶を、掘り起こすように――ではない。
積まれた記憶を指さしたように。
ここにこんな理由があるぞって、今まで見て見ぬふりをしてきた記憶を晒しただけ。
私が勝手に見ないようにしていただけだ。
記憶も、感情も。
これが嘘偽りのない、私の気持ちだ。
王たる私が全部吐き出した、王たる理由だ。
一方そのころひとり感傷に浸る私の話の唯一の聞き手はというと――
「…………」
無言、だった。
さっきまでの笑顔を崩さないまでも、困ったように微笑んでいた。
そりゃあまあ、そうだよねえ。
逆の立場からしてみればなんだかんだでよく知らない奴の思い出話聞かされても、って感じなんだろうけどさ。
まあ私はなんかすっきりしたし、いいんだけれど。
じゃあまあ、服もだいぶ乾いてきたし。
帰ろうか。
「じゃあ私はこれで――」
と。
立ち上がろうとした私は、立ち上がることができなかった。
中腰と座った姿勢の間で、私の思考と身体はストップを決められた。
精神的なものでなく物理的に。
「……なに、してる、の?」
寝屋は依然何も言わないままに、無言で私を抑え込んでいた。
いやもっとありていに言うなら――ハグ。
私は古畑寝屋に抱きしめられていた。
「……ごめんね、何を言えばいいか、わからなかったから」
だからといってなぜ抱きしめる。
だいぶ乾いてるとは言ってもまだ湿ってはいるから、寝屋の服まで濡れるぞ。
生乾きの服が肌にあたって冷たいし――もう。
あったかいなあ。
「ありがと」
私も、抱きしめ返す。
なんのためのありがとうで、なんのための抱擁かはまったくわからないけど。
それでも、たぶんこの行動が正解だ。
そのまま――
数分くらい私たちは抱き合っていた。
先に手と体を離したのは寝屋の方だった。
彼女の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
「……恥ずかしいね」
「ほんともう――なんでこんなことやってるんだか」
きっと私も同じような顔なんだろう。
あまり顔を見せたくない。
「…………」
「…………」
お互い照れて向かい合った状態で床や壁を見つめ合う時間が続き、言葉も出てこない。
まだ私の体には彼女の体温が残っている。
それを意識するとよけい恥ずかしい。
「じゃあ私、帰るから」
こんな場所にもう一秒だっていられるか。
さっさと帰ってシャワーでも浴びよう。
「あ……」
今度は無事立ち上がることができた。
寝屋が何か言いたげにしていたが、立ち上がりをまたハグで潰される無限ループなんてされたらたまったもんじゃない。
そのまま部屋の扉まですたすたと歩く。
「綺羅星さん」
「……」
扉に手をかける直前に名を呼ばれる。
私は無視した。
「ねえ、綺羅星さん」
「……寝屋」
ドアノブをわざとゆっくりと回す。
「……るりり」
「なに?」
ドアノブを元の位置に戻す。
振り返った先には、彼女の笑顔があった。
「きっと、御両親も忙しかっただけで、るりりのこときっと想ってくれてると思う」
「……何を言い出すの、突然」
私のこれまでの10年間を評して――
どうしようもなく低俗で、愚にもつかないそれっぽいことを彼女は言う。
そんなものでいい話にできるとでも思っているのか。
いくら友達だったとしても家庭の事情に首を突っ込むのは間違っているし――
「ちょっと話したくらいでわかったような口きかないでくれる?」
他人の気持ちをわかったように語るのは、もっと間違っているだろう。
私は彼女の返答を待たず、ドアノブを回す。
「ち、ちがうの――だって、それじゃ」
扉を開ける。
「そんなんじゃ、悲しすぎるじゃない!」
――。
「悲しすぎる、だあ?」
あまりの彼女の言葉に――
私の思考回路は止まる。
「ああそうだよ! 悲しすぎるんだよ、私の人生は!」
「お前も知ってんだろ! さっき聞いただろうが! 私は誰にも愛されずに生きてきて、仲間はずれにされたあげく、わけのわからない変な考え持っちゃってこの年までそのいかれた考えに従って生きてきたんだよ!」
「その考えのせいで誰のことも純粋な友達に見れなくなっちまってよお! お前のことも心の中で歩兵って呼んでたんだよ! 笑えよ! 蔑めよ! 見下せよお!」
「私は王で! まわりにいる奴らはただの駒! 私はそういうふうに生きてきたし、もうそういう生き方しかできねえんだよ! 私はずっと、ひとりぼっちでいるしかねえの!」
「私に友達なんか、誰ひとり、いねえんだから――」
お前の言う通りだよ。
悲しすぎるんだよ。
取り返しつかねえんだよ、私は。
……それなのによお。
なんで、お前は、まだ笑ってんだよ。
友達みてーなツラしてよお。
「そんなことないよ」
また――お前はそれかよ。
それしか行動パターンねえのかよ。
「私の財布見て懐かしがってた時のるりりは、笑ってたから」
寝屋の体温を再び感じながら、彼女の声を聞く。
「つらかった10年を、わかったみたいに言っちゃって、ごめん」
抱きしめ返すことも言葉を返すことも涙を拭うことすらできずに、ただただ聞くことしかできない。
「でも、11年前は――何かいい思い出、きっとあると思うから」
私が。
王になる、前。
仲間はずれにされるのよりもさらに前。
「それに――私が好きになった人に、いい思い出が何もないなんて嫌だから」
だからこれは、私のわがまま。
私の耳元でそう囁いた。
そう、囁かれても――
なんかあるかなあ。
いい思い出のひとつやふたつ、ないような気もする。
そうやって半ば諦めかけている私を尻目に、寝屋は私を抱く手をぎゅうっと強めてきた。
私を抱きしめるその体の後ろには、鞄からこぼれ出た彼女の財布が見える。
――あ。
「寝屋」
彼女の手を外し、向き合う。
「ありがと」
今度は、礼の理由がはっきりしている。
抱きしめてくれたことに対して。
そして――思い出せたことに対して。
「そうだよね――『懐かしい』ってさ、やっぱいい思い出がないと成立しない感情だよね」
あの財布を見たとき私が懐かしがっていたのは、10年以上前の思い出だ。
そうだよなあ――今の私の人生は最悪だけど。
最悪じゃなかったころも、きっとある。
「ある、かな」
感情を爆発させた私が泣いているのは当然だけど――なぜだか彼女まで涙を流したまま答える。
顔は笑っているんだけれど、涙はなみなみと止まることなく流れている。
まあそれは私も同じだけど。
自分の顔は見れないし、本当に笑っていいシチュエーションなのかどうかわからないけど、とにかく私は笑っている。
そうか――私って。
こんなふうに笑う奴だったんだな。
私は寝屋の顔を見据えて言う。
きっとそれは彼女にではなく、自分自身に。
「私が好きになった人が好きな人に、いい思い出、きっとあるよ」
彼女のわがままも、かなえられた。