第9話 ぽろぽろおちる
「落ち着いた?」
「……うん」
その場から動けなくなってしまった私は、寝屋に手を引かれて彼女の家に連れ込まれた。彼女も困惑していたようだが私ほどではなく、とりあえずこっち来て! と私の家を通り越し、そのまま小走りでここに連れ込まれたたのをなんとなく覚えている。
雨やなんやかんやでびしょぬれになっていた私はわけもわからぬままに、さながら犬のようにタオルで全身を拭かれ彼女の部屋に座らされ、温かいお茶をすすっていた。
だんだんと落ち着いてくる。お茶の温かみが全身に沁みて、抑えていた涙がまた出てきそうになる。
でも、そんな私を、寝屋は慰んでくれた。
「お茶菓子でも出そうか?」
「……いや、いらない、お茶で十分」
これ以上施しを受けたくない。
また、限界を超えてしまいそうだ。
「そう、じゃあ、もう少しここにいるね」
「好きにすれば」
涙の跡がついた真っ赤な目で言っても強がりにすらならない。
今更すぎるだろう、私。
自虐的に笑みを浮かべると、彼女もそれに合わせるように笑った。
――私に気を使っているつもりか。
それとも私に優しくしているつもりか?
「昨日まで、教室であっちこっちえっちらおっちらしてるだけだった癖に」
悪態をつく。
二人っきりになった瞬間饒舌になるタイプの奴かよお前は。
「あはは、恥ずかしいなあ――でも、きっとね」
きっと明日からも、こんなふうになれるのは綺羅星さんの前だけだよ。
彼女はそう言った。
笑顔は崩さなかった。
私は――
また、やっぱり、駄目だった。
ぽろぽろと。
はらはらと。
どこから来るのかわからない――いやわかってはいるけれど――私の意志に関係なく、また涙が勝手に出てきてしまった。
それを見て彼女は、やっぱり笑顔を崩さないままに、私の横に置いておいたタオルを手にとった。
「ほら、髪上げて」
「あ、あり、がと」
他人に涙を拭われたことなんて何年ぶりだろうか。
いや、もしかしたら――私は今まで一度もそんな経験がなかったかもしれない。
きっと本当にないのだと思う。これはだからこその涙だろうから。
「理由、聞いてもいいかな」
寝屋は依然、笑顔のままで遠慮がちにそう言った。
私は少し悩む――こともしなかった。
何かふんぎりがついたとか、決断したとか、この人なら信用していいとか、そんな打算的なものとか心情的なものとかは一切なく、この行為が私の中で何か大事な転換点になりこの時私は彼女に恋をしたとかそういう重要さをもった場面でもない。
ただそうするのがすごく自然なことに思えたから。
蛇口を捻ったから水が出たというような、どうということもないごくふつうのことだ。
つっかえはとうに外れている。
口を開く。
開かれた水門から水が流れ出るように、記憶が流れ出る。
私自身が忘れていたことも、ぜんぶぜんぶ。
「私が今みたいになったのは、小学校に入る前のことだった」