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死んだ方がいい人間がいるとしたら、私、真野響子である。何の疑問も何のためらいもなくそれは断言できる。
それに気付いたのは、高校生の頃だった。
“私には他人の不幸を祈り、それを叶えることができる。”
私をいじめた同級生が受験した大学を全て落ちてしまい、不幸になればいい。それを強く想った。
結果、その同級生は全ての大学に落ち、将来を悲観して自宅マンションから飛び下りた。そのまま、死亡。
思い返せば、幼少の頃から大きなものから小さなものまで私が願った他人の不幸は全て叶えられてきた。
タイムラグのあるかなしかはともかくとして、全て叶えられてきた。
そのことに気付いた私は、恐ろしさのあまり、祈った。
“私なんて、壊れてしまえ。”
その祈りは、精神障害という形で叶えられた。壊れてしまえという定義の曖昧なものであったが、私の精神は確かに壊れてしまった。
そして、病院で診断がくだった直後、暴言を吐いた父親の不幸を祈った。
“こいつも同じ不幸を味わえばいいのに”
二年後、退院して地元の偏差値のとても低い大学特待生として通いだした頃、その願いは叶えられた。父親は気分障害で精神科のお世話になることとなった。
“ああ、私なんて死んでしまえばいいのに”
その願望は10年後の今、叶えられた。