執着系彼氏
どうしてこうなったのか、よく分からない。
目の前で微笑んでいるクラスメイトの男の子を、ただ茫然と見つめ返すことしか出来なかった。
酒井 周くん。
高校二年生。
委員会には入ってなくて、部活もやってない。
成績はトップクラスだけど、人付き合いは苦手みたい。見た目は極上なのに、露骨に漂わせている『俺に近づくな』オーラのせいで、表立っては騒がれずに済んでいる。通称、冷血王子。
それが、私が同じクラスの彼について知ってることの全てだった。
そう、昨日までは――。
「今日の放課後って何か用事ある?」
「え、えっと」
ようやく自分の置かれている状況が飲みこめて、心臓の鼓動が急激に加速してくるのが分かる。
朝、登校してきて。
HRが始まるまで時間があるから、リサちゃんが来るまで音楽でも聞いてようかなってiPod touchをスクバから取り出し、イヤホンを耳にさそうとした所まではいつもと変わらない流れだったよね?
そうしたら、教室に入ってきた酒井くんが私の机の前までまっすぐやって来て、廊下のはじっこの踊り場まで連れてこられたんだった。
うん、そこ。
そこからがイレギュラー。
一歩後ずさると、酒井くんも一歩近づいてくる。
とうとう壁際に踵があたって、これ以上後がないことに気がついた。
遠巻きに眺めてた時には、頭小さいな、細いな~と感心していたのに。至近距離で向き合わされている今、やっぱり男の子なんだと、そのしっかりとした骨格に圧倒された。
「用事があるなら、待ってるから一緒に帰ろ」
酒井くんは、ふわりと微笑んだ。
クラスの女子が見たらキャーと黄色い悲鳴を上げること間違いなしの笑顔で、彼はじりじりと私を追い込んでくる。
悲しいことに、こういう時どう答えるのがスマートなやり方なのか、生まれてこの方異性と付き合ったことのない私にはさっぱり分かりません。とにかく状況を一人で整理したい。
タイム! タイムを要求します!
しどろもどろに「あー」とか「うー」とか口籠ってる私の顔のすぐ隣をかすめるように、酒井くんは壁に右手をついた。甘い柑橘系の香りが鼻をくすぐる。
いい匂いのする高校生男子なんて、この世にいたのか!
「ダメ、かな?」
「よ、用事は特にないですけど」
私、今、壁ドンされてる!
衝撃のあまり思わず敬語になった私を見て、王子様は目元を和ませた。
「良かった。帰りに話あるから、逃げないでね」
今まで聞いたことのないような、それはそれは嬉しそうな声で酒井くんは囁き、ようやく私から離れてくれた。
へなへなとその場に座り込みたかったんだけど、無情にも響くチャイムの音がそれを許してくれなかった。
そして昼休み。
ありのままに朝、自分に起こったことの一部始終を打ち明けると、目を輝かせながら食いつき気味に話を聞いていたリサちゃんが、満面の笑みで手を叩いた。
「すごいじゃん、彩。あの酒井 周でしょ? いや、これは大穴きたね!」
「大穴って……。もう、真面目に聞いてよ」
「だって、あの由佳でもなくて智美でもなくて彩を選ぶなんて、私的には見る目あるなって思うけど、皆的には大穴じゃん」
競馬好きのお父さんに連れられて、小さい頃はしょっちゅう競馬場に通っていたというリサちゃんは、何かというとすぐギャンブルに喩えてくる。
「こうなったら、彩が大駆けしてファンの子たちを黙らせるしかないよ」なんて言ってニヤニヤしている彼女に、脱力。
いつもだったら何それ、と笑って突っ込むところなんだけど、今日ばかりはそんな余裕はないんだって。
由佳ちゃんというのは、ティーンズ向けのファッション雑誌で読者モデルをやってるような垢抜けた綺麗な女の子で、智美ちゃんは男子の間で『お嫁さんにしたい女子NO1』と評判の高い清楚系の可愛い女の子だ。うちの学校でも飛びぬけてレベルの高いその二人は、どうやら酒井くんを狙っているらしく、時々勇敢にも話しかけてたりする。
誰が相手だろうとぶれない酒井くんに「なんで俺に言うの?」「知らないし」と冷たくあしらわれているみたいだけど、めげてない所がスゴイよね。
冷血王子側の一貫性にも感心してたんだよ、今までは。だって他人事だし。
酒井くんの突き抜けてる点は、女子にも男子にも態度が等しく冷たいってとこ。
結果として男子には、蛇蝎のごとく忌み嫌われている。お高くとまりやがって、という罵り言葉が酒井くん程似合う人を私は知らない。
そんな孤高の王子様が、何をトチ狂ったのか私に話しかけてきたんだよ?
パニックにもなるでしょ!
あれから酒井くんは、「あれ、朝のって私の妄想だったのかな?」と思ってしまうくらい、普段通りの態度だった。どうしても気になって目で追ってしまうんだけど、こっちを見ることもなく淡々と授業を受け、休み時間は自分の席で突っ伏して寝ている。
さらっさらの長めの髪が、ガラス窓から差し込んでくるお陽様に反射してすごく綺麗だな、とか。睫長い、とか。
そんな風にじろじろ彼を観察していた私は、隣りの席の梶くんにとうとうチョップを食らってしまった。
「いたっ」
「お前、見すぎ。こっちが恥ずかしい」
クラスの中でも中心的グループの一員である梶くんは、バスケ部でもレギュラー取ってて、男女問わず人気のある子だ。顔はごく普通なんだけど、雰囲気イケメンっていうのかな? 振る舞いや物腰なんかが人目を引くタイプ。
席が隣同士になってから、よく話すようになった彼にあからさまに指摘され、私は真っ赤になってしまった。
「いや、ち、違うよ。これには深い理由があってですね!」
「まあまあ。酒井、イケメンだし? ついに井口もか、とは思うけどね」
わざとからかうように言ってくる梶くんのおでこを、私もペシッと叩き返した。
「いってえ」
「うるさい。もうほっといてよ」
そこからしょうもない口喧嘩に発展して言い合っていると、突然ガタンという大きな音が前から聞こえた。
びっくりして音のした方を向くと、酒井くんが不機嫌そうに立ち上がって教室から出ていくのが見える。
「……私達、うるさかったかな」
「さあ。王子が機嫌悪いの、いつものことじゃん」
梶くんの平然とした態度が憎らしくなった。
そして、放課後。
びくびくしながら机に座っていた私のところへ、酒井くんはスタスタとやってきた。
「なに、あれ」「うそでしょ!」
まだ帰り支度の途中だったクラスメイト達の間から、どよめきが起こる。
どちらかというと目立たないグループに属する私は、こういうのにホント免疫がない。手に変な汗かいてきちゃうよ。
いたたまれなくて身を縮めている私には頓着せずに、酒井くんは「行こうか」と声をかけてきた。
声色も表情も、至って普通。
あれ、これ私、自意識過剰だったんじゃないだろうか。
「は、はい」
慌ててスクールバッグをひっつかみ、酒井くんの後をついて教室から出た。
学校の近くにあるファーストフード店にでも行くのかな? と思っていたら、酒井くんは学校の門を出てすぐのところで、私を振り返って優しく微笑んだ。
普段の態度とのあまりのギャップに、目が潰れそうです!
「ゆっくり話せるところの方がいいんだけど、外でも平気?」
どうやらうちの学校の生徒が多いその店は、お気に召さない模様。
私は馬鹿みたいに、ただ頷いた。
今まで一つも接点なかった男子と2人きりってだけで、もういっぱいいっぱいなのに、相手がしかも酒井くんなんだもん。
「じゃあ、こっち」
ん、と左手を差し出されて、今度こそ私は本当に仰天してしまった。
ん、ってなに!?
食い入るように酒井くんの手を凝視する私に苦笑を浮かべ、彼はさっさと私の手を取って繋いでしまった。いったん握った手をすぐにほどいて、いわゆる恋人つなぎに変えてくる。
人って驚きすぎると、感情が麻痺するんだね。
私はスイッチの切れたロボットのように彼に手を引かれ、少し離れた公園に連れていかれた。
呆然としたままの私をベンチに座わらせ、酒井くんは「ちょっと待ってて」と言い残し、どこかへ行ってしまう。
今までの流れを俯瞰でみてみると、これってまるで恋人同士の放課後デートではないでしょうか。
酒井くんの態度に不審な点はない。
だけどそれも私と彼がただのクラスメイトでしかない、という今の状況じゃなければ、の話だ。
じっくり考えようとしたところで、酒井くんが走って戻ってきた。
酒井くんでも走るんだね!?
またもや驚き、私はポカンと口を開けた。
そりゃ体育の授業とかで走ってるのを見かけたことはあるけど、それ以外で焦ったり急いだりしてる姿を見たことなかったんだもん。イメージと違う!
ふう、と一つ息を吐き、酒井くんは私に二本のジュースを掲げた。
自販機に飲み物買いに行ってたんだ、とようやく気付き、お財布を出そうとするとあっさり止められてしまいました。
「いいよ、俺が誘ったんだし。どっちがいい?」
「えっと、じゃあ紅茶で。……ありがとう」
こういう時は、確かあんまり固辞しない方がいいんだよね?
素直にお礼を述べて紅茶のペットボトルを受け取る。
酒井くんが買ってきたのは、無糖のコーヒーと紅茶。その紅茶は、私がお昼の時よく購買で買っているメーカーの新商品だった。
ソルティアップルティーだって。うわ、こんなのも出てたんだ!
思わず顔がほころんでしまう。
「それで大丈夫だった?」
「うん。このシリーズの紅茶、大好きなんだ」
嬉しくてつい、馴れなれしい口調になっちゃったよ。
すぐに気がつき慌ててフォローしようと思ったんだけど、酒井くんも砕けた口調で
「そっか、良かった。実は、紅茶って苦手。井口さんがコーヒーの方取ったら、どうしようかと思ってた」
なんて言うもんだから、拍子抜けした。
なんだ、普通の子じゃないですか。
「そういう時って、両方とも自分が飲めるヤツにしない?」
さっきまでの緊張が嘘のようにスルスル言葉が出てくる。
酒井くんは眩しいものでも見るように目を細め、「まあ、いいじゃん。井口さんが飲みたいものを当てられてラッキーってことで」と笑った。
学校にいる時には決して見せないそのあどけない笑みに、私の心はあっけなく掴まれてしまった。
うわ、何今の。めちゃくちゃ可愛いんですけど!
「実は、一年の時にさ。夏休みの図書室当番を代わって貰ったことあるんだけど、覚えてる?」
唐突に質問され、私はキョトンと瞬きした。
去年の夏休み、だよね。そんなことあったっけ。
「祖母の体調が悪くって、どうしてもその日は学校に行けないって説明したのに、ふざけんなって詰め寄られて困ってた。そしたら、うちのクラスにたまたま遊びに来てた井口さんがさ。いいよ、私が代わりに出るよって言ってくれたんだ」
私はサッパリ覚えていなかった。
そう云われてみればそうだったっけなあ、程度。
私の家は学校から近いので、夏休みの開放日はしょっちゅう学校の図書室に涼みに来てた覚えがある。だから多分、気軽に当番を引き受けたんだと思う。どうせ図書室行くし、みたいな。
それに当番に困ってたのは酒井くんだけじゃなかったから、特に気に留めなかったんじゃないかな。
「うーん。思い出せないけど、そのことだったらもういいよ。他にも代わってあげた子いたし。……あ、もしかして、今年も無理っぽい?」
だから誘ってくれたのか、とようやく腑に落ちた。
やばい。
とんでもなく恥ずかしい勘違いをするところだった。
「いいよ。いつ?」
来月には夏休みに入る。
スカートのポッケからスマホを取り出し、カレンダーを開こうとした私の頭を、酒井くんはぐりぐり撫でてきた。
「ちょ、やめて。髪ぐちゃぐちゃになっちゃうじゃん」
「それだけ? よく知らない男に髪を触られて、言うことってそれだけなの?」
何故か酒井くんは、怒ったようにそう言った。
「知らなくないでしょ。クラスメイトだもん」
「はあ。……うん、まあいいや」
自分を落ち着かせるように酒井くんは小さく溜息をつき、それから真剣な顔で私を見つめてきた。
さっきまでとは全然違う雰囲気に、ドキリと心臓が跳ねる。
「井口さんは覚えてなかったみたいだけど、あの時からずっと気になってた。今年、同じクラスになれてすごく嬉しかったよ」
まさに青天の霹靂。
酒井くんは、冷血な王子様なんかじゃなくて、ちょろいヒーローでした。
でもちょっと待って。そんなことくらいで誰かを好きになってたら、大変なことになるよ!
「いやいやいや。落ち着こうよ、酒井くん」
手が震えて、ペットボトルの蓋が上手く締まらない。
酒井くんはひょいと私の手から紅茶のボトルと白い蓋を奪うと、あっという間に締めて返してくれた。……どうも。
「まさか、そんなので私を好きになったとか言わないよね? 自分でいうのも何だけど、パッとしない見た目だし、成績も中の下くらいだし、家にお金もないよ?」
「ぶっ」
酒井くんは私が言い終えるなり、拳を口元にあてて肩を震わせ笑い始めた。
「……いっとくけど、お金目当てじゃないよ」
「さ、最後のは、ものの弾み!」
彼は笑い止み、ゆっくりと手を伸ばして今度はそうっと私の髪に指を差し入れた。びくっと固まるのにも気付かないふりで、自分が乱したばかりの髪を丁寧に直してくれる。
「きっかけは何でもよくない? とにかく、俺は井口さんが好きなんだ。付き合って欲しい」
まっすぐに告白され、とうとう逃げ場はなくなってしまった。
取り立てて今好きな人がいるってわけじゃないけど、ここでうん、と頷くのはどうにも負けな気がした。私はそこまでちょろくない! 多分!
「少し、考えさせて欲しい、です」
「いいよ、もちろん」
途切れ途切れに答えると、酒井くんはあっさり頷いた。
何となくその返事に物足りなさを感じてしまう。
私の表情を見て、酒井くんは整った綺麗な顔に深い笑みを浮かべた。
「でも、時間の問題だと思うから。あんまり焦らさないでね?」
◇◇◇◇◇
釈然としない表情を浮かべてみせたって無駄。
だって、頬はピンクに染まったままだから。
絶賛混乱中の彼女の手を引き、家まで送って行った。
玄関先で別れる時になって、あれ、とそれでも気がついたみたいで、小首をかしげる。
簡単に流されるように見えて、最後の砦はなかなか崩さない。
そういうところも、すごく好きだよ。
「酒井くんって、私の家の場所を知ってたの?」
あらかじめ想定していた質問に、俺は何でもないような顔で頷いてみせた。
「時々この道を通って学校に行くから。家から井口さんが出てくるのを見かけたことあるよ」
「そっかあ。……うわ、やば。その時の私、変な寝癖とかついてなかった?」
朝が弱い彼女は、慌ててそんなことを聞いてくる。
月曜の朝はいつも、右側の後ろの髪が少しだけはねてるって知ってるけど、そんなことを伝える必要はない。
君が好きな飲み物の銘柄だってもちろんちゃんと知ってたけど、上手に隠してみせただろ?
「いや、見かけたのも一回だけだったし。それに、井口さんはいつも可愛いから」
「ええっ!?……もうっ! そういうことをしらっと言うの、禁止だから!」
耳先まで赤くなって照れる君を、今すぐ食べてしまいたい。
誰も君のことをその目に映さないように、どこかに閉じ込めてしまいたい。
だけど――。
この異常なまでの執着はイケナイことだって弁えてるから、心配しないで。
君からの「待て」なら、いくらでも受け入れられる。
本当はもっとゆっくり距離を詰めようと思ってたのにな。
ちょっとずつ仲良くなって、ちょっとずつ君の心を占めていく。そんな始まりも悪くないって思ってたのに。
どうにも我慢できなくなったんだ。
リサとかいう君にべったり纏わりついているあの女にも、隣りの席になった途端、馴れ馴れしく君に触れてる梶って男にも。
印が必要だって分かった。
誰が見ても、君は俺のものって印が。
人の顔見て勝手に幻想抱いて、うるさくまとわりついてくる女には反吐が出る。勝手にライバル認定して張り合ってきたり、逆に媚びてきたりする男にもムカつく。
君だけが、俺の光。
きっかけは、本当に些細なことだった。
いい子ちゃんづらして、心の奥はどうせ計算高くて薄汚いんだろう、と観察を続けていた事だけは彼女に知られたくない。
ニュートラルで、分け隔てなく親切で。
でもそれは裏を返せば、誰にも興味がない、ということ。
そんな君を堪らなく好きになった。
この世界に俺だけいればいい。
早く、そう思ってくれるようになればいいのに。
そうだ。
檻を作ろう。鈍感な君が気がつかないくらい広い檻を。
「送ってくれてありがとう」
「どういたしまして。じゃあ」
はにかむような笑みを浮かべた彼女に軽く手を振り、踵を返す。
今、すごく我慢してるっていつか分かってね。
追いつめないように、ゆっくりと囲ってあげる。
それも全部君の為。
大好きだよ、俺の彩。
新田葉月さま主催の【君に捧ぐ愛の檻企画】参加作品です⇒「檻を作ろう。鈍感な君が気がつかないくらい広い檻を」という一文を必ず入れること