【無力な自分(※フレデリック視点)】
こんな思いをするのは初めてじゃない。
今までだって幾度となくあったじゃないか。
結の精霊と契約を結んだあの日。
ただ、精霊の放つ七色の光が美しく、その温かな光に彼女と包まれて、それだけで幸せだった。
あの時は、たた無邪気に彼女の事が『大好き』、それだけで良かった。
それ以上のものは必要ない、それでいいと思っていた。
でも、あれから10年。
幾度となくそれではいけないということを思い知らされてきたではないか。
自分の努力や能力だけではどうにもならない、貴族社会とは、世の中とはそういうものだということを…。
それでも、何もせずに逃げるということはしたくなかった。
その中で自分にできる最大限の努力をしてきたつもりだ。
彼女の選択は間違っていない。
彼女自身の安全の為にも、僕と約束した将来の為にも、ベストな選択だ。
なのになぜ、僕はこんな気持ちになってしまうのだろうか…。
1年数か月前、彼女は最愛の母を失った。
そこから彼女と僕の運命も大きく変わってしまったように思う。
あの日、精霊たちはこうなることが分かっていたというのだろうか?
1度は実の父親と暮らし、伯爵家の令嬢のままでいることを彼女は選んだ。
しかし、彼女が彼女らしく生きていくために、彼女は実の祖父母の養女となり、公爵家の令嬢として生きることを選んだ。
同じ貴族とはいえ、伯爵家と公爵家では重みが違う。
今、この国には公爵と呼ばれる人は1人しかいない。
この国は一夫多妻が認められてはいるが、王族はもう100年以上一夫一妻だ。
そして、これまでずっと細々とではあるがその血を絶やさず繋いできた。
その直系親族で唯一の貴族、それがテオドール・エムルードゥ・フーシェ公爵その人だ。
例え養女とはいえ、実の孫である彼女の身分は僕よりもずっと高くなってしまった。
僕自身、それを望み、そうなる手助けをしておきながら今まで以上に身分の差というものを感じて苦しんでいる。
彼女が伯爵家の娘であるのは危険すぎた。
彼女が社交の場へ出ることがなかったというのに、結婚の申し込みはいくつもあったという。
彼女の事を良く思わない継母は、彼女が本屋敷に近づけないように細工をしていた。
それに気付いた彼女の祖母は僕に彼女を連れてくるように言った。
このまま彼女があの屋敷で過ごしていたらいずれ殺されてしまうだろうと。
自分の娘のようになってしまうだろうと。
継母が好んで使っている香は、普通の人間にはまったく害がないものらしいが、精霊にとっては毒なのだという。
即効性はないが、じわじわと体を蝕み、力を奪ってゆく。
精霊の加護を受けているものは少なからずとも影響を受けるのだが、彼女の場合、その影響は計り知れないという。
それをわかって使っているのか定かではないが、彼女にとってそれが良いものであるはずがない。
実際、僕が4度ほど本屋敷を訪ねているが、何か感じるものはあった。
4度目に、彼女を連れ出す為に伺った際はそれをはっきり感じた。
1年という月日が経過し、また以前の様に明るくて優しくて元気な彼女に戻った。
そして成人した彼女はフーシェ公爵令嬢として社交界デビューした。
王子殿下と王女殿下の成人のお祝いの席で彼女も王女殿下と一緒に社交界デビューしてしまった。
それが貴族社会においてどんな意味を持つのか彼女は知らない。
そして、当日、僕の親友であるはずの彼がとった行動が、貴族たちに与えた衝撃を、その意味を彼女は知らない。
僕の親友は彼女を守るために、僕と彼女の約束を、精霊との契約を最後まで成立させるためあんな行動を起こした。
それを頭では理解しているが、僕の心は納得できていない。
彼女を自分の物にしようと悪意を持って近づいてくる者に対して容赦ない程に怒り狂う精霊たちも、彼の行動には何も反応しなかったというのに。
腑に落ちていないのはどうやら僕だけのようだ。
あっという間に、彼女は王子殿下の婚約者、しかも王子殿下の寵愛を受ける美しい姫君として認識されてしまった。
正式な婚約発表は、この秋入学する国立学校を卒業してからになるだろう、そんな憶測まで出るほどだ。
20年ぶりの特待クラスの開設も、僕たちの実力だと思う人なんてほとんどいないだろう。
王子殿下と、王女殿下と、王子殿下の婚約者の為に開設されたクラス。
士官学校を首席と次席で卒業している精霊魔術師の僕と魔術師のルイ。
僕の後見人はフーシェ公爵で、ルイの父は近衛副隊長。
僕らは完全に護衛扱い。
それだけでは体裁が悪いので、無害そうで優秀な人物を3名ほど配属しました。
これが世間の認識となるだろう。
もうすでに、在校生や入学予定者やその家族の間でそんな噂が流れているという。
それが辛いんじゃない。
言いたい奴には勝手に言わせておけばいい。
入学試験が終わった日の夜、僕は王宮にいた。
国王陛下、フローレンス様、僕の祖母に囲まれ、今後についての説明を受けていた。
「フレデリックとリラの結の精霊と契約している事、その契約の本当の意味を知っていいるわね。」
「本来結ばれないはずの運命の2人を結びつける…ですか?」
僕が答えるよりも先に、アルが答えた。
「ええ、その通りです。」
フローレンス様が肯定する。
「アルベール、お前の結婚相手に求められる条件は分かっているだろうな。」
厳しい顔で国王陛下がアルに尋ねる。
「子どもを…産むことです。」
そう答えるアルは暗い顔をしていた。
ああ、そう言うことか。
「いい機会ですから話しておきましょう。いいえ、フレデリックはもう気付いているのでしょう?」
「本来、リラが結ばれるのはアルだった…ということでしょうか。」
アルと目が合った。
先に逸らしたら負ける気がした。
「ええ、そうであったでしょうね。」
「しかし、運命は変わってしまったね。」
「リラは、アルベールの妻としての条件をもう満たしていないんだ。」
どういうことなのだろうか?
アルの顔がさらに暗くなり、俯いてしまった。
「結の精霊と契約したリラは、フレデリック以外の男の子どもを産むことは出来ない。アルベールがリラを妻に迎えた時点で血が途絶える。」
「血、というだけの問題なら、ローランとアンヌがくっつけばどうにかならないこともないがね。」
「王子と結婚して子供が産めない女…しかも彼女が本当に愛しているのは王子の親友だなんてシャレにならないでしょう?」
「アルベール、結婚相手は自分で選ぶことを認める。」
複雑だった。
今までも、アルがリラへ恋愛感情としての好意を抱いているということに僕は気付いていた。
彼は僕が思っていたよりも彼女の事を…。
後ろめたさがあるのか、アルは僕とは目を合わせてくれなかった。
「そこで提案があるのよ。」
利害関係の一致。
フローレンス様はそう言った。
リラは僕と結婚するまで、アルは結婚相手を見つけるまで、無駄な縁談は避けたい。
そこで、アルとリラがまるで婚約をしているかのようにして、そういった申し込みを突っぱねるというのだ。
アルにとって、リラは国内においてはこの上ない条件なのだという。
それは僕だって理解できる。
そして、同じようにリラにとっても同じことが言える。
2人の間に手を出すということは、すなわち国王および宰相を敵に回すということだ。
リラに手出しをしてきそうな相手を考えてもこれが最善だ。
僕ではどうしても太刀打ちできないが、アルにはそれが可能だ。
どんなに努力して、魔術や精霊術を身に着けても、剣や槍や弓を鍛錬して腕っぷしが強くなっても、僕には彼女を守ることが出来ない。
アルに頼るしかないのだ。
複雑なのは僕だけではないはずだ。
アルからしたら、僕さえいなければ、自分の望む相手と結婚することが出来たのだから。
それなのに、僕を親友だと言って慕ってくれる。
彼ならば、アルならばリラを守ってくれるだろう。
「アル、悪いがリラをよろしく頼む。」
「フレッド、もちろんだ。気を悪くしただろう。ずっと黙っていて悪かった。」
「いいんだ。これからも親友でいてくれるか?」
「ああ、こちらこそよろしく頼む。」
僕とアルは固く握手を交わした。
僕の目の前で、アルはリラを抱きしめた。
いや、僕だけではない。
大勢の貴族の前で、だ。
それまでざわついていた大広間が静けさで包まれた。
ところどころから聞こえるどこぞのご令嬢の悲鳴。
それだけでない。
アルはリラの前に跪きリラを見上げて手を差し伸べた。
この一連の行動が意味すること。
王子からの求婚
それ以外の何物でもない。
これだけ大勢の前でそんなことされたら王子に恥をかかせてしまうため拒否など出来るはずもない。
直後はそう思ったものも少なくなかったようだが、その後のアルとリラの様子を目の当たりにして、それが間違いだと皆が思い知らされていた。
リラにその気はなくとも、アルは本気だ。
決して演技などではない。
そんなアルがリラに寄り添い、リラを見つめ、彼女をエスコートしたら真実味が増すだけだ。
それを黙って見ているだけの僕。
要注意人物であるデュラン侯爵親子に絡まれているのに何もできない僕。
僕が出来るのは、人のいないところで彼女を楽にしてあげることだけ。
治療と称して自分の欲望を、やるせない気持ちを満たそうとしていた卑劣な男。
この日はまだよかったんだ。
同じ夜会に僕も出席することは出来たんだから。
この次にリラが出席した夜会に僕は出席することさえできなかった。
少しでも近くにいて、何かあったときすぐに彼女を楽にしてあげたかった僕は、母と祖母に頼み込み、さらにフーシェ公爵に口添えしてもらい、王宮の警護の仕事に同行させてもらった。
今日は何もなさそうだ、そう安心したとき、僕の精霊たちが騒ぎ出した。
持ち場を勝手に離れるわけにもいかず、祖母に相談して抜けさせてもらい駆け付けた時にはもうアルに助けられた後で、リラは彼の腕をぎゅっと掴んでいた。
胸が締め付けられた。
押しつぶされそうだった。
夜会を抜けられないというアルに代わってリラを家まで送る。
ふらつくリラを支えてあげたかったのだが、人の目があるため僕がそうするわけにもいかず、リラはローラン様に支えられて彼の執務室まで向かった。
そこからリラの家へは僕が連れて行く。
分かっていたことだが、堂々とエスコートする事さえ出来ない。
もどかしくて、悔しくて、苦しくて、泣いてしまいそうだった。
それでも、リラが僕を求めていてくれるだけで心が温かくなった。
リラの気持ちはちゃんと僕の方を向いてくれている。
ううん、違うんだ。
彼女は僕だけを見ていてくれていた。
アルに対する彼女の好意と、僕に対する彼女の好意は全くの別物だ。
それだけで十分じゃないか。
リラと結ばれるため、僕は陰ながら彼女を支えることを改めて決意した。
その後、妹が可愛くて仕方がないローラン様に絡まれるが、彼もリラを守りたいと思っていることには変わりはない。
きっと方向性が間違っているだけだ。
無力な自分でも彼女に必要とされている。
それが僕にとっての支え。




