新しい両親
「養女…ですか?」
ひと月以上『考える』ということを放棄していた私の頭には、重たすぎる話だった。
ここまでの事を整理してみる。
お母様の弔いを一通り済ませ、私はお父様の屋敷で暮らすことを決めた…というより同意した、と言った方が適切だろうか。
そして、約ひと月の間、何も考えずに、現実から逃げてひたすら寝て過ごした。
その結果、皆を心配させていたことに気付く。
このままではいけないと、まともな生活に戻ろうにも、体力の低下が激しく、体調も良いとは言えないので、まずは体調を戻すところから…そう思い、今日は庭を散歩して、読書をして、昼食後横になって…。
目を覚ますとフレッドがいて、ここまで連れてきてくれた。
おじい様とおばあ様のところへ。
おじい様とおばあ様だけではなくて、私が会いたいと思っていた人たちが皆いた。
アンヌ、アル、ローランおじ様。
アンヌもアルもハグしてくれて、2人とも私との再会を泣いて喜んでくれた。
気分は暗く沈み、私は無力で無価値で、2人を失望させるだけの存在だと思い悩んでいた日々が嘘みたいに気持ちが明るく楽になっていく。
私も2人に負けないくらい大きな声で泣いていた。
ローランおじ様は私の姿を見て、痛ましげな顔をしていたが、私がそれに気づき彼の顔を見て微笑むと直ぐに笑ってくれた。
他にも、アルフレッドおじ様や、ジュリエッタさんや、院長先生まで私の顔を見に来てくださった。
皆私がここにいることを喜んでくれた。
すっかり痩せてしまったことや、体調を崩していることなどに関してはもう十分すぎるほど心配されて、すごく申し訳ない気持ちになってしまったので、これでもかなり良くなったとはとても言えそうになかった。
此処にいると、気持ちがずいぶん楽だった。
気持ちだけでなく、体の怠さも軽減されている。
院長先生が私に回復術などを施術してくれたお蔭でもあるのだろうが、それだけではないと思う。
もっと根本的な…何か。
『みんなの笑顔だよ。それから、僕たちにとっても居心地がいいこと。』
『もうあそこはいや。怖い。嫌な感じがするの。』
『あそこには悪い人がいる。怖い人がいるの。』
『でもここは安心。みんなきみが好き。みんな優しい。』
『ここなら意地悪する人がいないよ。きみも僕らも元気になれる。』
急に頭の中にいろんな声がこだまする。
聞き取れただけでもこれだけだ。
こんなに大勢で一度に訴えてくるのは初めてだ。
どうやら、お父様のところは精霊たちには合わなかったらしい。
私の体調の怠さや気分の落ち込みは、お母様のことだけではなく、精霊たちの状態の影響を大きく受けていたらしい。
『みんな、ごめんね。あなた達のこともきちんと考えるわ…でも、わからないこともたくさんだから教えてね。』
精霊たちにきちんとお返事をする。
満足したようで、みんなニコニコしてうんうん頷いている。
「リラ、少し休んでいらっしゃい。フレデリック、連れて行ってあげて。」
私はフレッドに連れられて、2階へ行く。
連れて行かれたのは普段は入らない部屋だった。
白を基調とした部屋で、薄いグリーン、ところどころ淡い黄色やコーラルピンクがアクセントに使われていて、可愛らしい。
落ち着いていて居心地もよさそうだ。
部屋に配置された家具は、ベッド、デスク、ソファとローテーブル。
それにドレッサーもある。
色合いも、家具の種類も少女の部屋、そういった趣だ。
フレッドに手伝ってもらってベッドに横になる。
「急に驚いたよね。身体、怠くない?疲れただろう?ゆっくり休んで。…リラが眠るまで、そばにいようか?」
フレッドの優しさが嬉しかった。
気持ちが温かくなる。
「眠くないから…一緒にいて欲しい…少しお話ししたいわ。ダメかしら?」
フレッドは微笑んで頷いた。
そして、スツールをどこかから持ってきて、ベッドのそばにおいて腰掛けた。
私が手をさし出すと、手を握ってくれた。
フレッドの手は大きくて温かくて、繋いでいるととても落ち着く。
眠くないと言ったのは私なのに、フレッドの手の温かさに癒され、あっという間に眠ってしまった。
目が覚めると、外は薄暗くなっていた。
フレッドはいなかった。
少し不安になる。
でも、ここはおじい様の家だ。
不安になることなんてない。
起き上がりサロンへ向かおう、そう思った時、ドアが開いて、フレッドが立っていた。
「良く眠れた?アンヌとアルは帰ってしまったけれど…。リラの父上とジャンさんとポールさんが待っているよ。」
フレッドに手を引かれてサロンへ入ると、疲れた顔のお父様とお兄様たちがいた。
お父様は外国から、お兄様たちは国内だが地方へ出張だったそうで先ほど王都へ帰ってきたのだと言う。
3人とも、私を見ると安心したようなほっとした笑顔になった。
それから、出張中の話を聞いたり、たわいのない話をして過ごしていたのだが…。
「ところで、私がいない間、何か困ったことはなかったかな?」
すごく効きにくそうにお父様が私に尋ねた。
どうしたらいいのだろう。
困ったこと…あったようななかったような。
もし、またお父様の家に行こうと言われたらどうしよう。
そこで過ごしていた時は気付かなかったけれど、ここに来て気付いた。
あそこは精霊たちだけでなく私にとっても居心地が良い場所ではなかったようだ。
不思議なことに、もう怠さなど感じなかったし、気分も良かった。
ほんの半日でこの有様だ。
それに、精霊たちにああも訴えられては、戻るわけにはいかない。
「すまない。うちはリラにとってとても過ごしにくい環境だったようだね。セドリックやクレール、フレデリックにも聞いたよ。もう、一緒に暮らそうだなんてとても言えないよ。でも、今までのように、いや、今まで以上にリラに会いに来てもいいかな?」
「リラ、フレデリック、ノエミが迷惑をかけたそうだね。兄として代わりに謝るよ。」
「リラ、僕らも会いに来てもいいかい?」
お父様も、お兄様たちもなんだか変だ。
ノエミには迷惑かけられた覚えはない。
そもそも彼女には会っていないのだから…。
「ノエミは…元気なんですか?私、一度も会っていないから…迷惑なんて…ちっとも心当たりがありません。」
お父様とお兄様達の表情が曇った。
聞いてはいけないことだったのだろうか?
「ああ、元気だ…でも、しばらく会わない方がいいだろう…。」
これ以上聞いたらお父様を困らせてしまいそうだ。
そういえばノエミから手紙の返事をもらっていない。
もしかしたら、私が彼女を怒らせてしまっているのかもしれない。
だから、きっと同じ家にいても会いに来てくれなかったのだろう。
会わない方がいい、そういう以上、今は会って謝ることも出来なそうだ。
もう少し、時間を置いて謝ろう。
「あの、私はこれからどうしたらいいのでしょうか?」
お父様と、一緒に暮らさなくて良いと言うことは私はどこで暮らすのだろうか?
出来たら、以前の様に毎日ではなくとも森へは頻繁に出かけたいし、アンヌやアルとも勉強したい。
院長先生のところのお手伝いだって楽しかった。
「あのね、リラ、そのことで私達から大切な話があるのよ。」
私の疑問に答えてくれたのはおばあ様だった。
「私たちの娘になって欲しいの。」
娘…私はおじい様とおばあ様の孫だ。
「私たちは、あなたを養女として迎えたいの。」
「養女…ですか?」
養女とは…つまり、おじい様とおばあ様の戸籍に入り、おじい様とおばあ様が私の両親になると言うことで…ローランおじ様が私のお兄様になると言うことで…それ以外は何か変わるのだろうか?
お父様は…どう思うのだろうか?
お兄様達は…私のお兄様ではなくなるのだろうか?
分からない。
このままでは再び、考えることから逃げてしまいそうだ。
「私たちの養女になると言っても、今までと大きくは変わりませんよ。あなたが望むなら、この屋敷でなく、今まで暮らした家に住んでも構わないわ。変わるのはあなたの名前と、人前で私たちのことを父母と呼ぶことくらいかしらね?ジェラールは戸籍上は父ではなくなってしまうけれど、あなたの実父であることには変わりありません。ジャンとポールについても同様です。あなたが会いたいとき、彼らが会いたいときは自由に会って構わないし、今までと何も変わることはありませんよ。」
それで、先ほどお父様とお兄様が「今までのように会いたい」、そう言ったのだった。
お母様との約束だって、戸籍上の娘でなくても守ることは十分可能だ。
『きみが笑っている事が彼にとっての支えだよ。一緒に暮らしても、きみがあんなんじゃ彼も辛いだけ。』
精霊の後押しもあり、私は決意する。
おじい様とおばあ様の「娘」になることを。
「あなたは、これからどうやって過ごしたいの?それを考えてから、私たちの娘になるかどうするか決めなさい。答えは急がないわ。」
おばあ様はそう言ってくれたけれど、私の答えは決まっていた。
先程、私が休ませてもらった部屋も、私のために用意された部屋なんだ。
「私は、以前の様に、緑の森へ出掛けたり、アンヌやアルと一緒に勉強したいです。院長先生の所へもお手伝いに行きたいし、国立学校で勉強したので、そのための勉強も再開したいです。アンヌ達よりも、ずいぶん遅れているはずだから…精一杯頑張ります。フレッドにも…会いたいです。
だから、私は、おじい様とおばあ様と一緒に暮らしたいです。お父様やお兄様にも今まで以上に会いたいです。だから…それが叶うなら、喜んで私はおじい様とおばあ様の娘になります。おじい様とおばあ様の娘にしてください。よろしくお願いします。」
深々と頭を下げる。
意識したわけではないけれど、ごく自然に、無意識にそうなってしまった。
皆がこうなることを予想していたのだろうか?
それとも望んていたのだろうか?
おじい様、おばあ様はもちろん、お父様やお兄様も和やかな表情で受け入れてくれた。
フレッドも、いつの間にかここへきていたクレールも、セドリックさんも、ローランおじ様もみな穏やかな顔をしていた。
その後、皆で夕食を食べることになった。
「やはり食事は大勢でいただいた方が美味しいですね。」
クレールが私に微笑んでくれた。
普通の貴族は使用人と一緒に食卓をかこむことはないそうだが、うちでも、ここでも皆で食卓を囲むことは珍しいことではなかった。
お父様はもちろん、お兄様達もそれを当たり前のように受け入れていた。
クレールの言うとおり、大勢で食べる、にこやかに食卓を囲む食事は美味しかった。
味の感じる、美味しい食事は久しぶりだった。
クレールが作ってくれる食事は美味しかったはずなのに、今朝までの私は美味しく食べることが出来なかった。
ただ、食べなくてはという義務感だけで食べていたようにも思う。
本当に失礼なことをしていた。
「クレール、せっかく心を込めて作っていてくれたのに…ごめんなさい。」
「いいんですよ。私だって、あの雰囲気では味も感じませんし、食事は愉しいものだと言うのをすっかり忘れていましたから。」




