王都での生活
ただでさえおぼろげな記憶しか無いのに、この後の事はほとんど覚えていなかった。
どうやって、父の暮らす王都の家にやって来たのか。
私の荷物はいつ誰が用意したのか。
そして、父の家に着いて誰と会ったのか、挨拶をしたのかなども記憶が無い。
もしかしたら挨拶など一切していなかったのかもしれない。
ここで何日過ごしているのかもわからなかった。
身体も常に怠くて気分も重かった。
ひたすら寝て過ごしていた様にも思う。
ここは本邸ではなさそうだと言うことに気付いたのは、随分と日数が経ってからだった。
おそらく離れなのだろう。
主寝室と、ダイニング兼リビング、浴室とお手洗いがコンパクトにまとめられていて、長期滞在も気兼ねなく出来るゲストルームと言った雰囲気だった。
私が会うのは、身の回りの世話をしてくれるクレールと、お父様、たまに私を訪ねて来てくれるおじい様やおばあ様、お兄様達位だったが、寝たふりをしたりして、会わない事もしばしばあった。
会いたい気持ちはあるのに、会いたくない…そんな葛藤を繰り返していた。
この家の使用人やノエミがここに来ることは決して無かった。
なるべく人に会いたくないので有難かった。
この調子では皆に心配をかけるだけで、このままで良いわけがない事は分かっていたが、どうしたら良いのかわからなかった。
アンヌやアル、そしてフレッドにはすごく会いたかった。
でもこんな状態で会ったら、彼らを失望させてしまうのではないかと思うと恐ろしくて、会いたいと思うことさえも罪であるかの様に感じられた。
ある時、ここに来てからどの位経ったのかクレールに尋ねた。
お母様が亡くなってからおおよそひと月が経過したそうだ。
彼女はカレンダーを用意し、朝起きると印をつけてくれる様になったため、それ以来私は時間の流れを把握出来る様になった。
私が考えることから逃げている間にも、私は14歳になっていた。
「いつの間にか誕生日さえ過ぎていたのね。」
そうクレールに言うと、彼女は呆れた様な顔でテーブルの上に置かれたプレゼントを指差しこう言った。
「奥様も旦那様も、ローラン様もいらっしゃったのに覚えていないのですか?」
覚えていなかった。
私が小さく頷くとクレールはため息をつき、続けた。
「皆様、リラお嬢様のことを心配していらっしゃるのですよ。お気持ちはわかりますが、もういい加減になさってください。お辛いのはあなただけではありません。親が子どもよりも早く逝くのは自然の摂理です。これがどういうことかあなたなら理解できるはずです。厳しいようですが、そろそろ逃げるのをやめて向き合うべきではありませんか。」
クレールの言葉は嫌というほど胸に刺さり、私の心をえぐっていった。
それが正論であるだけに、何も言い返せなかった。
クレール自身だって辛いはずだ。
彼女は、おばあ様がおじい様と結婚した時から侍女として働いてくれている。
お母様のことは生まれる前、おばあ様のお腹の中にいる時から知っていて、私よりもずっと長い付き合いなのだ。
エルフで、見た目では10代後半にしか見えないが、150年ほど生きている彼女の言葉には重みがあった。
彼女が言いたいのは、辛いのは私だけではないと言うこと。
おじい様やおばあ様――人間と結婚した時点で、自分よりも子供の方が先に逝くと覚悟はしていたとしても――の方が口には出さないがずっと辛いのだ、そういうことなのだろう。
「ごめんなさい。急には無理だけれど、努力はします。」
私は自分が恥ずかしかった。
とても厳しい言葉だったが、クレールの愛のある言葉が嬉しかった。
「それでは、まずはあなたを加護している精霊達を少し自由に遊ばせてあげてはいかがですか?そうすれば、リラお嬢様の気分も少しは明るくなる筈ですよ。」
精霊たちのこともすっかり忘れていた。
弱っている気配はあったが、自分のことばかりで見て見ぬふりをしていたのだから。
そう言えば、3度ほど、やたらと落ち着かず、騒いでいる日があったことを思い出した。
あれはなんだったのだろう?
窓を開け、精霊に声をかける。
『ずっと放っておいてごめんなさい。このお庭で遊んでいらっしゃい。もう少し気持ちに余裕が出来たら、森へ行くから…それまではここで我慢してもらえないかしら?』
皆が一斉に庭へ出かけて行った。
シャルロワ伯爵邸――つまり、私が今住んでいるお父様のおうち――のお庭はきれいに整えられていた。
ここは裏庭だそうで、メインの中庭や正面の庭とは趣が違うらしい。
クレールの話によると、お母様が住んでいたころと同じ庭師が毎日手入れをしているそうで、この裏庭はお母様の好みに合せて作られたものらしい。
そのせいなのか、精霊たちも大変気に入ったようで、元気に飛び回っている。
そんな彼らの姿を見ていたら少しだけ気持ちが楽になった。
私がすごしているこの場所は、かつてお母様がこの家で過ごしていた場所らしい。
あまり違和感なく過ごせいていたのは、随所にお母様の好みのものがちりばめられていたからかもしれない。
今日初めて、私の食事はクレール自らが、私のためにわざわざ作ってくれていることを知った。
それなのに、私は今までほとんど口にしていなかった。
せいぜい、果物をほんの少しつまんだり、ジュースを少し飲む程度の食事と言えない食生活を送っていたのだ。
この屋敷にもコックがいるが、彼らの作る食事は普通に肉や魚、卵や乳製品が使われているため、私には食べられないだろうとクレールが作ってくれていたのだった。
彼女に今までのことを謝ると、
「いいんですよ。私もこちらで用意してくださるものは食べられないのでお断りしていたんです。リラお嬢様が召し上がらない分は私がいただいたので、私の食事を作る手間が省けましたし。」
そう、にっこり笑ってくれた。
今日からは、私も食事をとるから一緒に食べてほしいとお願いする。
久しぶりにお料理でもしようかしら?そう呟くと、彼女は嬉しそうにうなずいてくれた。
こうして、食事を少しずつではあるが摂れるようになり、精霊たちが毎日裏庭で遊ぶようになると、私の体の怠さも、気持ちの重さも少しづつ解消していった。
「そう言えば、最近お父様もおじい様もおばあ様もおじ様もいらっしゃらないのね?」
私がクレールに厳しく諭された日以降10日が経つが、誰も姿を見せていなかった。
皆にプレゼントのお礼を言いたいのに、言えずじまいなのだ。
「ジェラール様は、お仕事でしばらく外国に出かけていらっしゃいます。もう数日もすればお戻りになると思います。旦那様と奥さまは…おかしいのですよね。ジェラール様が出かけて以来いらっしゃらないのです。お仕事がお忙しいのかもしれませんが…私も不思議に思っておりました。昨日家令に伺ったのですが、いらっしゃった記録がないそうです。彼も数日家を空けていたそうですので、再度確認してくださるとのことですが…。」
おじい様とおばあ様を怒らせてしまって会いに来てくれないのではないか?そんな気がして少し怖かった。
見捨てられたらどうしよう?自分から避けていたのに、こんな風に思ってしまうなんてそんな自分が嫌だった。
おじい様、おばあ様にも会いたい。
「ねぇ、私が会いに行くのはダメなのかしら?」
「一応、外出はジェラール様の許可を取ってからとお約束しておりますので…。」
もう数日でお父様が帰ってくるのであればそれまで我慢しよう。
その時に、今よりも元気な姿を見せよう。
ひと月ほどまともな食事をとっていなかったせいで、私の体力はかなり落ちていた。
もちろん体重も…この数日で多少戻ったとはいえ、以前よりもまだ4kgほど少なく、ずいぶん貧相な見た目になってしまっていた。
徐々に体力を戻そうと少し裏庭を散歩したりしているが、すぐに疲れてしまう。
昼食後、1時間ほどの昼寝がここ10日ほどの間の日課となっていた。
「失礼いたします。」
ノックの音と共に、初老の紳士が部屋へ入ってきた。
初めて見る人だった。
「リラお嬢様、ご挨拶が遅れ申し訳ございません。私はこの家の家令のセドリックと申します。」
セドリックさんは、お父様が子どもの頃からこの家に勤めているそうで、彼の父の跡を継ぎ家令になったそうだ。
もちろん、私のお母様のことも知っていて、私を見るとにこやかに「奥様の若いころを思い出します。」と仰って、お願いするとお母様の話を少ししてくれた。
それから、クレールと2人で部屋を出て行った。
なにか話があるようだった。
翌日のことだった。
クレールに起こされて起きると、とても良い天気だった。
朝食を2人で摂り、裏庭で少し散歩して疲れたら本を読むことにした。
10日前には気付かなかったが、この庭に植えられている花や木は、緑の森に生えているものが多いようだ。
派手派手しい花は少なく、淡い色の可憐な花が多かった。
お母様の好みで作られたと言っていたが、それを14年たった今でもそのままに保っているのは大変だった事だろう。
以前の庭を知るクレールでさえ、あんなに驚き感心していたのだから。
彼女が庭師に聞いた話によると、毎年花から種を取り、それを翌年育てて庭を作っているそうだ。
お父様は、本当にお母様のことを愛していたのだ…そう思うと、少し幸せな気持ちになれた。
私の体調が良くなればなるほど、精霊たちも元気になっていった。
もしかしたら逆なのかもしれない…以前、私の体調は精霊たちの影響を受けやすいとおばあ様が授業で言っていたような気がする。
昼食もクレールと2人で摂り、日課のお昼寝をすることにする。
ベッドに入ると、精霊たちがざわついて落ち着かない様子だった。
ここにきて、4度目だ。
『ごめんね、疲れているから少し横になりたいの。寝ている間、窓を開けておくから出かけてきてもかなわないわ。』
そう告げて、私は横になった。
精霊たちはいっせいに窓の外へ飛び出していった。
心なしか、結の精霊が張り切っている気がした。




