エルフバター時々赤面、そしてドキドキ
「来週の授業は5日間すべて森で行います。ここへ来てはいけませんよ。ではこれで今日の授業はおしまいです。お疲れ様でした。」
すっかり秋めいてきた日、授業の終わりにおばあ様はそういうと、部屋を出て行った。
「ってことはずっとエルフ語よね。エルフ語強化週間かしら?確かに、そうすれば早く習得できるっていうのは理解できてるつもりだけど…わかっていても辛いものは辛いのよね。はぁ…。」
アンヌがウンザリ…といった顔でため息をつく。
アンヌもアルも、夏休み中にも頑張って勉強していたはずだ。
もうほとんどペラペラだし、会話していてわからない単語があればその意味をエルフ語で聞いたりしてるくらいだもの。
「別に休憩時間はエルフ語じゃなくても良いだろう?そんなに嘆くことないじゃないか。」
アルがさらりと言うが、アンヌだってそのくらいわかっている。
「まったくアルはわかってないわね…こうやって気持ちの整理をしているんだから邪魔しないでくれる?」
フレッドと私はアンヌとアルのやり取りを見て苦笑いした。
2人はいつもこうだ。
思ったことを言わずにはいられない(本人はこれでもかなり我慢しているそうだが)アンヌのボヤキに、毎度アルが正論で返す。
アンヌは言葉に出すことでストレス解消しているタイプなのは一緒に過ごしてきた2年ですっかり私とフレッドの中では当たり前のことになっていたし、あぁまた言ってる(笑)という程度の認識なのに対し、アンヌが生まれてからずっと一緒に暮らしているはずのアルが未だそれを理解できていないのが全く不思議で仕方ない。
もしかして知っていて言い返しているのかもしれない。
どちらにしても、毎回真面目に言い返しているので、もうそれがアルの個性というか性分である事も私とフレッドは理解していたのだが、ほっとけばいいのに、と毎回思わずにはいられなかった。
そして翌週、森での授業。
私とフレッドには、なぜ今週ずっと森で授業をするのか何となくわかっていた。
もしかして、と思って精霊さんに聞いてみたらやっぱりそうだった。
フレッドも同じだったようで、精霊さんに『正解!』という答えをもらっていたのだった。
今日はまず、農場を訪れ食材を収穫させてもらう。
私がエルフの農家さんだと思っていた人は、正確には農家さんではなく、お城で消費される食材を調達する部署の人だった。
この農場でももちろん野菜など作物を栽培しているが、森の木の実や果物の収穫や採集、そして加工まで手がけている部署だそうで、今日は森のバターの実の収穫のほかに、エルフバターの製造のお手伝いをさせてもらった。
エルフバターは、森のバターの木からとれる実から作られる。
バターの木は寒さに弱いそうで、火の精霊がたくさんいる温室で育てられていた。
その実は大きく、子供の頭ほどの大きさで、熟すと皮が黒くなり、自然に落ちるので、ある程度の大きさになると落下防止のネットに入れられる。
頭上から落ちてきたらすごく危ないからだ。
木から離れネットに入った黒い実を二つに割って、種を取り出し、皮をむく。
黒い皮からは想像できないくらい中は鮮やかなグリーンで、そのグリーンの実を細かくカットし、鍋に入れ低温でじっくり火にかける。
すると、実から脂肪分がゆっくりと溶け出す。
これを漉して不純物を取り除き、冷やし固めたらエルフバターだ。
塩で味付けしたものや、刻んだハーブを加えたものなどいろいろなバリエーションがあるが、今日は無塩のエルフバターを作る。
「エルフバターがほんのり緑色なのは、この実の色の影響だったのね。」
「まさかあんなにきれいなグリーンだとは思わなかったよ。」
私が目の細かい漉し器を押さえ、フレッドが重い鍋から液状に染み出た油脂を流しいれる。
私の力では鍋は持ち上がらないし、ましてやこぼさずに流しいれるのは無理だ。
腕まくりをしている腕は程よく筋肉が付き、逞しい。
フレッドとは一緒にいることが多くてずっと気付かなかったけれど、夏休みの終わり頃に会った時驚いた。
ものすごく背が高くなってたし、体つきもなんだか違う。
今までのイメージというか認識は、『スレンダーで少し背が高い』だった。
今でも、スレンダーであるのは変わらないんだけれど意外と筋肉質というか、肩幅も少し広くなってるし、胸板も厚くなった気がする。
久しぶりに会った時、ついついフレッドに抱きついてしまったんだけど、その時の抱きつき心地が以前とは全然違って確信した。
前とは違う、いわゆる細マッチョだ。
ローランおじ様に、むやみに男に抱きつくな(ローランおじ様には抱きついてOK)と日頃から注意されているのに抱きついてしまったので、あっという間におじ様に引きはがされてしまったけれど、そんな短い時間でも全然違うってわかるくらい違った。
少し日に焼けて、雰囲気も変わったと思う。
以前にも増してかっこよくなった…。
もっと抱きついていたかったな……って私何考えてるんだろう?
あの時の抱きつき心地とかいろいろ思い出して、顔が熱い。
「どうしたの?リラ、顔が赤いけれど…。」
「…大丈夫。」
「溶けたエルフバターのもとが熱かったかな?気づかなくてごめんね。」
フレッド、相変わらず優しい。
そんなに見つめられると恥ずかしいです。
「ただでさえ暑いんだから見つめ合ってるんじゃないわよ、まったく。」
ニヤけた顔のアンヌに茶化された。
やだ、フレッドまで顔が赤くなっちゃった。
アンヌ…あなたの一言で恥ずかしさが倍増しました。
アルが困った顔で私を見ている…恥ずかしさ倍増するのでやめてください。
「型に流したらこちらに持ってくること。保存庫に運んでもらいます。運ばない人は道具を洗うのですよ。片付けたらいつもの厨房に集合。いいですね?」
おばあ様の声で今は授業中だということを思い出した。
アンヌとアルに型に流したものを持って行ってもらって、私とフレッドが洗い物を押した。
魔法で洗った方が楽だし、早いし、汚れ落ちもいいからだ。
それに乾かすのだって楽だ。
「鍋、重いから僕持つよ。リラはシノワを運んでくれる?」
「フレッド、ありがとう…。さっきはごめんね。私がぼーっとしてるからアンヌにあんなこと言われちゃって。」
「いいんだよ。アンヌがいろいろ言うのはいつものことだし。」
そういってにっこり笑う。
フレッドは笑った時、顔がくしゃっとなる。
私はその笑顔が大好きなんだ。
いつもはキリリとしていてかっこいいフレッドが、そんなときはすごく可愛い。
道具を片付けて、厨房に向かう。
私たちは手をつないで歩いた。
手をつないだら精霊さん達が『キャハハ…』と楽しそうに遊び始めた。
その姿を見てフレッドがまた笑う。
その笑顔が見れたのが嬉しくて、私も笑う。
「はぁ、まったくまだいちゃついてるの?」
さっきよりも更にニヤニヤしたアンヌが目の前にいた。
「うふふ、相変わらず仲良しなのね?」
ニコニコ嬉しそうなお母様に後ろから声をかけられる。
その隣には苦笑いのアルが両手に食材を抱えて立っていた。
フレッドは恥ずかしそうだ。
「さぁ、お料理しましょうね。」
食事の後は自習時間だったので、私とフレッドは精霊魔法の練習をすることにした。
アルはアルフレッドおじ様をつかまえて、話していたし、アンヌはローランおじ様が薬草の世話をしているのを手伝っていた。
フレッドと、泉のほとりへ行く。
今日はここで練習しよう。
森にはたくさん精霊さんが住んでいるけれど、ここは特にたくさんの精霊さんがいるんだ。
「ここで練習させてね。」
精霊さんに声をかけてから始める。
精霊術の練習だけれど、精霊さん達の負担はなるべく少ない方がいい。
森を傷つけてもいけないので、なるべくたくさん、両手に魔力を集める。
集中する。
空に向かって両手を突き上げると、放射状に、放物線を描くように淡い光が降り注ぐ。
いつもよりも時間はかかってしまったが、直径10mほどの半球状の障壁が出来た。
勿論地面を傷つけてもいけないので、床のような障壁を張って保護している。
これでしばらく大丈夫だろう。
耐えられなくなると、障壁にヒビが入り、ガラスが割れるような音と共に崩れてしまうので、わずかなヒビが入った時点で終了だ。
「フレッド、準備が出来たわ。痛くしちゃったらごめんね。行くわよ!」
花の精霊の力で、花吹雪を起こす。
花弁が渦巻いているところへ風の精霊にお願いして、一気に吹き飛ばしてもらう。
フレッドに向かって…。
フレッドは少しよろめいたが、何とか耐えたようだ。
「どうだったかしら?痛くなかった?」
「視界が悪くて暫く何も見えなかったよ。構えていてやっと転ばずに済んだけど、不意打ち喰らったら間違いなく吹っ飛ぶよ。結構使えるんじゃないかな?」
私は魔術だけでなく精霊術でも攻撃魔法が苦手なので、万が一の時のために、自分の身を守るための方法を模索中だ。
護身術の授業でも、大切なのは倒すことではなく逃げることだと言っていた。
時間稼ぎや、足止め系の精霊魔法のバリエーションを増やし、使い勝手をいろいろ試していた。
光の精霊の力で、すごく明るい光を出して目をくらませるとか、水の精霊の力で氷の壁を作るとか、森の精霊の力で蔦を足に絡ませて足止めするとか、私は火の精霊の加護がないので火の精霊術は使えないのだけれど、近くに火の精霊さえ存在していれば、結の精霊の援護のもと、小さな火をおこすことは出来た。
一通り試したところで、フレッドと代わる。
「今日はリラを守りながらの練習したいんだけどいい?」
「モチロンよ。」
私はフレッドの光の精霊の力で暖かな光に包まれる。
精霊の障壁だ。
フレッドは私をかばうような姿勢で、攻撃系の精霊術を連続で発動させる。
時々方向を変え、移動しながらも連発させている。
30分ほどすると、ピシッという音がしたと思ったら、フレッドは精霊術の発動をやめ、振り返ると急にわたしを強く抱きしめた。
次の瞬間、バリバリと音がして、障壁が崩れる。
身長差が以前より大きくなったうえ、私の頭を守るように抱きかかえられたので、私の耳元はちょうどフレッドの心臓のあたりだ。
ドクドクドクドクドクドク……鼓動が早い。
すごく大きな音がする。
ふいに、腕の感触とか、息遣いとか、熱が伝わってくる。
すっと、フレッドの腕が緩む。
まだ離れたくない…。
無意識に私がギュッと抱きつていた。
はぁ…落ち着く…なんだか幸せ。。。
「リラ?いつまでフレッドに抱きついている気かな?」
あ、おじ様…と思った瞬間はもう、引きはがされていた。




