おばあ様の授業
自己紹介が終わり、私がアンヌと、フレデリックがアルと談笑していると、青い顔をしたローランおじ様と、呆れ顔のおばあ様が部屋に入ってきた。
おじ様は体調が悪いのだろうか?心配になって、辛いようなら治癒魔法をかけようかと思ったんだけど、おじ様に聞いたらすぐに顔色が良くなり嬉しそうな顔をして大丈夫だと言っていたし、おばあ様も気にしなくていいわよ、と言っていたので、多分大丈夫なのだろう。
でもすごく顔色悪かったし、何か嫌なことでもあったのかしら?
後で聞いてみよう。
初めての授業はエルフ語の授業だった。
エルフ語は、文法が殆どエムロードゥ語と変わらないそうだ。
元々、エムロードゥ語はエルフ語から派生し、他の言語が混じりあって成り立ったものだそうで、共通する部分も多いのだと教えてくれた。
「エルフ文字は、9つの母音と、24の子音、促音と撥音がそれぞれ1つずつ、合計35文字の組み合わせで表記されます。母音の聞き分けさえ出来れば、耳から聞こえたまま文字を組み合わせて書くだけでいいのです。つまり、その逆も然りで、エムロードゥ語のように一つの文字がいくつかの音を持ったりしないから、いちいち単語の読み方を覚えなくても読めるのよ。」
綴りをいちいち覚える必要はないのだ。
「まぁ、ただ読める、と意味を理解するとはまた別物ですからね。単語をたくさん覚えなくてはいけないことにはかわりはないから簡単では無いけれど、単語の音と綴りを覚えなければいけないエムロードゥ語と比べたら比較的覚えやすいのよ。」
つまり、エルフ語が話せる私は文字とその音さえ覚えれば読み書きは習得したと言えるそうだ。
「母音だけで9つ…この3つが特に似ていて聞き分けるのが難しいな。」
アルとアンヌは母音を聞き分けるのに苦労していたみたいだ。
「それも慣れですよ。繰り返しが大切です。」
そう言って、再びおばあ様がある母音を発音する。
部屋の奥、少し高くなっている所(教壇というそうだ)におばあ様が立ち発音し、私達はその周りを囲む様に机を並べてその音を持つ文字が書かれたカードを選ぶ。
それをローランおじ様が私達の机を回り確認するスタイルの授業だった。
ローランおじ様がいるので、アンヌはすごく張り切っている。
はじめは母音だけ。
慣れてくると子音と組み合わせて。
母音の文字は何とか覚えたが、子音は似ている文字が幾つかあり、なかなか覚えられない…。
「もうそろそろ時間なのでお終いにしましょうね。明日以降も覚えるまでしばらく授業の始まりにカードを使いますから忘れない様に持ってきて下さい。
次の授業開始は15分後。ダイニングに集合すること。昼食を取りながら行います。アルベールとアンヌ、リラとフレデリックをダイニングに連れて行ってあげて頂戴。」
15分後、私達が時間通りにダイニングに行くと注意された。
「私は15分後に授業を開始すると言ったんです。15分後に部屋に来るのでは遅いのですよ?せめて、5分前には着席しておく様に。私の授業に限らず、そういうものですからね。」
「だったら15分後じゃ無くて10分後に来るように言って欲しいわ…。」
そうアンヌがつぶやいた。
「こうした方が印象に残って身に付くからね。あえてそうしたんだよ。」
ローランおじ様がさりげなくおばあ様の意図を教えてくれた。
アンヌはさっきまでの不貞腐れた顔から一転し、目がキラキラしている。
まるで別人だ。
昼食をとりながらの授業とはテーブルマナーだった。
いつも通り食べなさいと言われたのでそうしたら、途中何度も細かく注意される。
「カップの中にスプーンを入れっぱなしにしない。」
「それはバターナイフですよ?パンに塗るときはバタースプレッターをお使いなさい。」
「口に詰め込みすぎです。もう少し小さくカットしてから口へ運びなさい。」
「ティーカップは両手で持たない。片手で持つこと。それではぬるいと言っているとみなされますよ。」
「嫌いなものでも全く手を付けないのはいけません。一口くらい食べなさい。ただ、アレルギーだとか宗教上の理由で食べることが出来ないことも有りますからね。今日のメニューにはそう言ったものがないはずですけれど。もし、そのような場合は同席者に気付かれないように主夫人…招待してくださった方の奥方ですね、その方にさりげなく伝えるということを覚えておきなさい。また、もし今後あなた達がお客様を食事に招待する場合、招待する時点で苦手な食材だとか食べられない食材を伺わなくてはいけませんよ。まぁ、優秀な使用人がいれば問題ないのですけれど、いつもシャルルやユジェーヌがいるわけではありませんからね。」
シャルルは私のおうちに仕えていてくれるエルフの執事で、ユジェーヌは私たちをアンヌとアルベールの待つ部屋まで案内してくれた紳士な執事だそうだ。
「なんだか食べた気がしないわ…こんなに疲れる食事なんて初めてよ。」
「アンヌ、思ったことをなんでもすぐ口にするのは悪い癖ですよ?それに、今までは子どもだからと大目に見てもらっていただけなのです。これからはそういうわけにはいけませんよ。だからこそ今から慣れておくのです。そうすれば後々楽ですからね。」
アンヌのつぶやきはおばあ様に全部聞こえていたみたいで、すかさず注意されていた。
「うぅ…これでも言いたいことの8割は我慢してるのに…。」
それをきいたフレッドとアルは苦笑していた。
昼食後、ダンスのレッスンのため、ボールルームへ移動する。
そこで用意されていた靴に履き替える。
おばあ様とローランおじ様が踊るのを壁際に並べられた椅子に座って見学する。
おばあ様のドレスの裾がクルクル回る度に広がり、とても美しい。
初めて見るダンスに、興奮した。
私もあんな風に練習したら踊れるのかしら?
隣を見ると、アンヌがやはり目を輝かせて見ていた。
フレッドとアルはあまり興味がなさそうだ…。
「あなた達はまだ早いと思うでしょうが、幼いうちに体が覚えたものはなかなか忘れませんからね。レッスンを始めるのは早いに越したことはないんですよ。」
「アルベールとフレデリックが興味が持てないのは何となくわかるよ。私もそうだったからね。でも、もう7~8年もしたら今からやっておいてよかったと絶対思える日が来るから。ダンスには基本のステップとかある程度の決まった動きはあるけれど、けっこうアドリブとか必要だからね。だから体にしみこんでいるのは有利だよ。それに君達がうまくリードしてあげないと、お相手に恥をかかせてしまうからね。」
ローランおじ様の言葉に、興味がなさそうだった2人もやる気になったみたい。
まずは、男女に分かれて私とアンヌはおばあ様に、フレッドとアルはおじ様にステップを教わった。
「1・2・3、リラ、ヒールはつけないでトゥで踊る!アンヌは足元を見ない!」
「アルベール、力入りすぎだよ、リラックスして。フレデリックは背筋を伸ばして。」
おばあ様、怖い…習うならローランおじ様の方が…良かった。
「まだステップしか教えていませんよ。この程度で音を上げられては困ります。それぞれ自分でも練習してくるのですよ。」
初日の授業はこれで終わったのだが、みんなでお茶を飲むことになった。
来るときに見たのとはまた違う中庭にある四阿にお茶とお菓子が用意されていた。
「疲れたでしょうから、昼食の時のようにマナー云々は言いませんよ。ゆっくりしましょう。」
その一言に、私たちの顔はぱっと明るくなる。
「助かった…」
フレッドのついうっかり出た本音に、おばあ様はにっこり笑う。
「マナーを身に着けないといけないとはいえ、あなたたちはまだ子どもなんですからね。子どもらしくのびのびさせてあげるのも私たち大人の役目ですよ。」
そういうと、私たちを座らせて、優しい甘さのハーブティーをグラスに注いでくれた。
ダンスのレッスンでのどが渇いていたし、程よい甘さが疲れた体に嬉しかった。
それから、お菓子を食べながらいろんな話をした。
ほとんど、アンヌが1人でしゃべっていたけれど、全然退屈じゃなかった。
アンヌの話はすごく面白くって、新鮮でもっと聞いていたかった。
さすがに、おばあ様とおじ様がいるせいか、ローランおじ様が好きだとか、結婚したいとかそういうことは言ってなかったけれど。
お城のこと、家族のこと、好きな食べ物とか、好きなお花とか、オシャレのこともたくさん教えてもらった。
オシャレの話になったら、フレッドとアルはつまらなかったのか、2人で違う話をしていた。
「そろそろお開きにしましょうね。」
西の空がほんのり赤く染まってきたころ、おばあ様がそういって、アンヌとアルはユジェーヌに連れられて、私はローランおじ様に連れられて、フレッドはおばあ様に連れられてそれぞれ帰った。
おじ様の執務室から、赤い扉を使っておうちへ帰る。
扉の向こうには、笑顔のお母様が待っていた。
「ただいま!私、また親友が出来たの。アンヌっていうの。アンヌは本物のお姫様なのよ。それからね、アンヌのお兄さんのアルともお友達になったわ。アルは王子様なんですって。あのね、2人に私もお姫様だって言われたんだけど、私ってお姫様なの?」
「うふふ。リラは私たちにとってとっても可愛い大切なお姫様よ。もう親友が出来たの?よかったわね。」
それから、リビングへ行き、私はお母様に今日のことを話した。
そして、回復魔法をかけるのを忘れていたことに気づき、朝と同じくらい魔力を込めてかける。
「おばあ様ってとっても厳しいのよ。ダンスはローランおじ様に教えてもらいたいわ。」
「今はステップを教えてもらっているのだから仕方ないわよ。もう少しうまくなるときっとローランが一緒に踊って教えてくれると思うわ。」
「じゃあ、早くステップ覚えなくっちゃ。」
そういって、今日のステップのおさらいをする。
1・2・3、1・2・3、1・2・3………
「リラ、足元見ちゃだめよ?背筋も伸ばして。」
時々お母様に注意してもらいながら30分くらい練習しただろうか?
疲れたので、今度はエルフ文字のカードを使った復習を、お母様に問題を出してもらってする。
「もう大体覚えてるわね。この文字とこの文字、私も良く間違えたわ。ややこしいわよね。」
お母様も、子どもの頃私みたいに勉強したんだって。
カードを見て、懐かしい、と言っていた。
何度も何度も繰り返して、ややこしい文字も間違えなくなった。
カードを自分の名前になるように並べると、
「疲れたでしょう?もう片付けましょうか。」
そうお母様に言われたので、片付け、次回の授業の用意をした。
すごく楽しかったな。
次は何をするのかな?
そんなことを考えながらダイニングへ向かった。