千年の孤独が始まる日
十二月二十四日、夜。仕事から戻ると玄関に、絶世のイケメンが仁王立ちしていた。
俺はそのままそっとドアを閉め、外廊下の寒さに震えながら悩む。このままダッシュで管理人室か、交番にでも駆け込むべきか?
ドアの横にくっついた部屋番号も、手の中の鍵も。どちらも見慣れた自分のものだ。
しかしファッション誌の撮影から無断で抜け出してきた様な、あんな無駄なイケメンは俺の知り合いにはいないはず。つまりは全くの赤の他人が、俺の自宅で仁王立ちしている。
合鍵は彼女に渡したくらいだが、それは去年の秋に郵送で返却されていた。あれはねーよなー。しかも、別れてすぐに別の男と結婚したし。こっちは傷付く前に半笑いだよ。
と、この状況で思い出さなくていい事を考えてしまうのは、現実逃避と言うやつだろう。一人暮らしの自分の部屋で、見ず知らずの人間に出迎えられるって想像以上に恐過ぎた。
恐過ぎて、全力で自宅玄関を封じるほどだ。
肩と両手で押さえ付けたドア越しに、ずっとガチャガチャ音が聞こえる。内側から開こうとしているらしいが、完全に苛立ちしか感じない。絶対にここ開けたくねぇ。
そんな俺の気持ちが通じたのか、ドアを開こうとする力がふと消えた。ドアノブを回す音もない。おお、やった。今だ。逃げよう。
なぜ、自分の家から逃げなくてはいけないのか。そこは釈然としない。が、逃げられると思うと目の前が明るくなる。やったと思ったその瞬間、背後から首根っこをつかまれた。
「挨拶もせんとは。礼儀知らずだな、人間は」
イケメンよ、なぜそこにいる。
ちょっと意味が解らない。俺が必死で押さえたドアの、向こう側にいたはずだ。
そいつは入り口から俺をべりっと引き剥がし、玄関を開いた。そこには仁王立ちしたイケメンの代わりに、目を輝かせた女の子がいる。彼女は綺麗な顔でいたずらっぽく笑う。
「おい人間、恩返ししろ!」
素直に、驚いた。
美少女と呼ぶには少し幼い。この子の顔は、よく覚えている。忘れる訳がない。一年前、命を助けてくれた恩人だ。
そこまで考えて、俺はとんでもない事に気が付いた。あの時の恩人は、二人だ。え、待って。て事はこのイケメンまさかもしかして。
「お前、あの一つ目かよ!」
男に向かって、思わず叫んだ。
二人を部屋の中へ押し込んだあとで、だ。
狭いワンルームはやたらと寒く、俺はスーツにコートを着たままでコタツにもぐる。イケメンと幼女は並んで座ったベッドの上から、こくりと揃って頷いて見せた。
女の子の方はいい。着ているものが白い着物から洋服になっただけだから、まだ解る。
しかし、問題はイケメンだ。引き締まった体を包む、流行の服。いい感じに毛先が遊んだ茶色い髪。その髪に半分隠されてはいるが、顔はかなり甘く整っていると解る。
化け過ぎだろう。あの姿で人前に出たら騒ぎになるってのも解るけど、誰だよ。マジで。
忘れもしない一年前の年の暮れ、月明かりに見たお前は人間でさえなかったはずだ。
目玉が一つ付いた丸っこい体に、隆々とした両手。にょきっと生えたでかい足が一本。完全なるUMA。未確認なんたらかんたら。
人間が嫌いです。みたいな態度ありありの癖に、遭難中の俺を運んでくれた。幼女にせがまれて渋々だったが、命の恩人に違いない。
だから、恩を返せと言われるのは不思議じゃない。と言うか、恩人が未確認生物だって時点で俺の不思議メーターは振り切れている。
しかし一年越しに、それも人間嫌いが人間の姿に化けてまで現れた。これはあれか。無理難題を吹っ掛けられるパターンか。
そんな事を思ってちょっと緊張していると、女の子が心配そうに顔を曇らせ俺を見る。
「あのな、アタシはクリスマスが見たいんだ。そう言う祭りがあるんだろう? 無理かい? 見られない? 人間だけの秘祭かい?」
どうだろう。と反応を窺う幼女の姿に、自分の緊張が解けるのが解った。そしてニヤつく。下山を渋る人間嫌いの一つ目が、女の子に押し切られる姿が目に浮かんで。
「クリスマスを見にきたの? わざわざ? つーか、俺の案内でいいの?」
「その日はみんな、雪が降ったら喜ぶんだろう? 雪の祭りかね? コイツは人里なんて危ないって言うんだ。アタシは人間は解らないし、人間の知り合いはお前しかいなくて」
一つ目がこの子に弱いのも解る。期待と不安がないまぜになった様な表情で、涙にうるんだ幼い瞳に見詰められたらしょうがない。
俺は、使命感に燃えた。
コタツから飛び出し、通路を兼ねた台所で冷蔵庫を開ける。そして中に秘蔵した、いざと言う時貯金をうやうやしく取り出した。
しかしさすがに、ディナーとかは無理だな。今日、イブだし。どこも一杯だろう。
二人の方を振り返り、胸によぎる不安を押し隠して親指を立てる。
「行こうぜ! この国のクリスマスがどんだけ宗教的にいい加減か、見せてやるよ!」
即座にうさん臭げな顔をした男の隣で、幼女はぱっと顔を輝かせた。
「おいで、南天」
名前を呼ぶと、女の子は嬉しそうにベッドから飛び降りる。
「柊、行かねーの?」
続けて男に呼び掛けると、もの凄く嫌そうな顔をされた。この名前が嫌いらしい。それを知ってて呼んだから、この反応に俺と南天はこっそり視線を合わせて笑った。
確か、近くの商店街にでっかいクリスマスツリーが飾ってあった。そこへ行って、帰りにチキンとケーキを買おう。イルミネーションが綺麗だって言ってた道はどこだっけ。
デートプランが駄目過ぎて、彼女にキレられた古傷が疼くなー。俺の頭では、これが精一杯だ。恩返しになるとは到底思えないけど、できるだけの事をしよう。
一年前のあの夜、こいつらに出会えなければ俺は多分死んでいた。それか、高額になると噂に聞く捜索費用で借金に沈んだ。
本当に、幸運な出来事だったと思う。
命を救われたって事が一番だけど、それだけじゃなくて。迷惑を掛けまくった立場で、こんなふうに言うと怒られても仕方ない。
けど正直、わくわくした。こんなふうに期待や喜びで胸が張り裂けそうになるなんて事は、この先一生ないだろうと思った。
年明けを山の上で迎えよう。
去年の今頃、仲間内でそんな話になった。
彼女と別れて、クリスマスが侘しいのは確定していた。年末年始もそうなるはずだ。当たる要素しかしない自分の予想にうんざりして、年越し登山に参加した。
山には慣れているつもりだった。学生の頃はサークルにも所属していたし、実際に登った経験だって何度もあった。
慣れているつもりで、遭難した。あっさりと。過信や油断があったのだろうか。
登山道に沿って歩いていただけだが、何気なく踏んだ積雪の下には地面がなかった。
あ。と思った時には斜面を滑落しているところで、すぐに意識ごと暗転した。
「なあ、こいつ死にそうだ」
「そうだな。捨て置け」
「えー。連れて帰ろ? こいつにはアタシのごはんを半分やるから」
頭の上でこんな会話が始まって、急激に目が覚めた。捨て犬か、俺は。
ぱちりと開いた目に飛び込んできたのは、黒い空。白い満月。冷たい様な月明かりに輝く、綺麗な顔をした幼女。そしてその幼女と会話する、でっかいダルマだ。
ダルマは丸っこい体に一つだけ付いた、ぎょろりとした目玉で俺を見る。気に入らない、と全身で語っていて笑うほど恐い。
人間嫌いのこの妖怪が、それでも俺を助けてくれたのは一緒にいた女の子が頼んだからだ。と言うか、見た目はただの幼女でもこの子も人間ではなかったんだけど。
俺は二人に名前を尋ねた。命を助けられたんだ。恩を感じるし、名前くらい知りたい。
「アタシは雪女。こっちのは雪入道だよ」
「それ、名前じゃないだろ?」
俺に向かって、人間って言う様なものだ。まぁ、こいつらは俺を人間って呼ぶけど。
幼い頭がころんと傾く。解らない、とでも言うふうに。雪入道と呼ばれたでっかいダルマが、彼女の代わりに口を開いた。
「余程の大妖でない限り、親はない。従って名を呼ぶ者も、付ける者もない。我らの生まれ落ちた日が、千年の孤独が始まる日だ」
そう言う姿が余りに哀愁を背負ったせいか、それとも話を聞いた女の子が肩を落として見えたせいか。
「付ければいいじゃん、名前」
つい、ぽろりと言ってしまった。
ダルマは渋い顔をした。と、思う。幼女が余りに喜んだので、文句は言わなかったけど。
彼はただ黙々と、雪の積もった山中を一本足でびょんびょん跳ねて駆け抜けた。かなりの速度だ。俺と雪女はその背中に乗せられていて、冷たい夜気が肌を刺して痛かった。
さっさと俺をふもとに届けて、嫌いな人間から離れたかったのかも知れない。それでも途中で捨てたりしない律儀な奴だし、ごはんを半分くれるって言う雪女は可愛かった。
ただ出会えた事が嬉しくて、幸運だったと心から思えた。わくわくした。そして二度と会えないのだろうと予感して、胸がきしんだ。
山の表面を覆い隠す新雪に、月の光が美しく映えていた。死ぬほど綺麗で、死ぬほど寒い。そんな夜の事だった。
俺は、こいつらが好きになってしまっていた。もしも再会でもしたら、ちょっと泣いちゃうんじゃないかってくらいに。
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