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無能探偵と死者の館  作者: こよる
第一章 くるいびとの館
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第一章―09

 その後、伊勢崎さんは「食事の支度がありますので」と言い残し、空のカップを持って厨房の方へ消えてしまった。僕も霧乃のところへ戻るかと腰を浮かせかけたとき、ちょうど大広間の扉が開いて古橋さんが入ってきた。

「やぁ、きみがいたか」

 彼女は僕を認めると、如才ない微笑みを浮かべて歩み寄ってくる。遠目で見ると、彼女は霧山朽葉に少しだけ似ているため、僕は一瞬見間違えそうになった。

「あぁ、古橋さん。どうも」

 椅子に尻を戻し、軽く会釈する。彼女は僕の隣席を指して、「ここ、いいかな」と尋ねてきた。どうぞ、と答える。

 しかしこの人、表面上は気さくな態度を取っているが、どことなくわざとらしい気もする。あえて道化を演じ、演じていることを他人に隠そうとしないような……。それがこの人の性格なんだろうか。

「自分の部屋で読書していたんだけどね。暇になって、誰かいないかと広間に来てみたのさ。そうしたら偶然、きみがいた」

「僕の方もだいたい同じですよ。霧乃――東大寺霧乃を、一緒に屋敷の周りを散策しないかと誘ったんですけど、あっさり断られまして。あいつ、瀬戸内海まで来て、部屋で読書してます」

 僕がそう言うと、古橋さんは「そうかい」と声を立てずに笑った。それから、「実は僕の方も、守屋さんに誘われたんだよね」と続ける。

「もし暇だったら一緒に島の探索でも、ってさ。森の散策はもちろん、海で泳いでみるとも言っていたかな。彼も物好きな人だよ」

「聞いたところによると、無人島で生活するのが趣味らしいですからね。守屋さん」

 僕が船の上で聞いた情報を披露すると、古橋さんは「へぇ」と少し目を丸くした。

「無人島か……。確かに、そういう他者の干渉がない生活ってのは、僕も憧れるかな。いささか厭世の気性があるものでね。もっとも、世の中の大多数の人間と同様、口ばかりで実現は出来そうにないけれど」

「まぁ、ジャッカルに襲われたら大変ですからね」

 僕が言うと、古橋さんは「いや、そういう意味じゃないんだよ」と言ってひらひらと手のひらを振った。

「え、じゃあどういう意味なんですか?」

「野生動物に襲われるくらいなら構わないが、残念ながら僕は泳げないんだ。……いや、恥ずかしい話だけどね。だから、海に囲まれた無人島では、どうも生き延びられそうにない」

「へぇ……そうなんですか」

 いわゆるカナヅチというやつなんだろう。僕が小学生の頃にも、クラスメイトに一人だけそういう奴がいた。運動能力が低いんじゃなくて、水恐怖症なのだ。だから、そもそもプールに入ることが出来ない。古橋さんもその類なんだろうか。

「僕と違って、朽葉なんかはすごく泳ぎが上手いんだけどね」彼女は言った。「朽葉は趣味で水泳をやっているから。彼女だったら、無人島生活も可能かもね」

「霧山さんが水泳? ……ちょっと、想像できないですけど」

「まぁ、だろうね」

 古橋さんはそう言って、愉快そうに笑った。

 泳げない古橋さんに、泳げる霧山朽葉。含み笑いの古橋さんに、微笑の霧山朽葉。路傍のツクシみたいな性格の古橋さんに、日なたのヒマワリみたいな性格の霧山朽葉。何だか、陰と陽で対になっているみたいだ。

 そこで、ふと疑問が湧いた。

「そういえば、古橋さんってどうやって霧山さんと知り合ったんですか。ずっと気になってたんですけど。友達なんですよね?」

「うん、まぁね。とあるインターネットのサイトを通じて、二、三年くらい前に知り合ったんだ。それでまぁ、性格が合うってことで何度か実際に会ったりもしたわけだよ」

「へぇ。二、三年前っていうと、じゃあ霧山さんが作家デビューした後の知り合いなんですね。彼女、十四歳のときにデビューして、今は十七歳ですから」

「そうだね。彼女があの霧山朽葉だって知ったときには、僕もさすがに驚いたよ」

 古橋さんはその時のことを思い出すように遠い目をした。

「僕も彼女も、学校には通ってなくてね。まともな知り合いってやつがいなかったんだ。そういう理由も手伝って、僕たちはわりとすぐに仲良くなった。いい思い出だよ」

「はぁ……。というか、学校に通ってないと言うと、お二人は不登校か何かだったんですかね」

「さてね。朽葉の方にどんな事情があったのかは知らないが、少なくとも僕は不登校ってわけじゃないよ。僕の方は、少しばかり特殊な事情を持つ人間でね」

 古橋さんは独特に含みある笑みを浮かべた。ほらみろ、また特殊な事情だ。どうやらこの島は、余程変わった人間に好かれているらしい。僕は内心うんざりしつつも、「どういう事情があったんですか」と尋ねてみた。

「うん。実は僕は、わりと幼い頃から海外留学していてね。ドイツで、医学を学んでいたんだ」

「医学ですか……。あれ? でも古橋さんって、そんな年上に見えませんけど」

「僕は朽葉と同じ、十七歳だよ。ただ、僕は生まれつき、少しばかり数学系の才能に恵まれていたものでね。十歳から十四歳までの四年間、ドイツに留学して、普通の人よりちょっと早く医学を学んでいたんだ」

「……要するに、天才ってことですか」

「さてね。僕はあんまり、その言葉は好かないけどな。その一言で何でもかんでも済ませようという姿勢が、ちょっと気に入らない。まぁ、きみがそう呼びたかったら勝手に呼んでくれても構わないけれど」

「じゃあ、天才と呼ばさせてもらいますよ。ていうか、そんな才能があるんだったら、霧山さんに劣らず有名人になっていそうなものですけどね。天才医学少女、とか銘打って」

「うーん」古橋さんは苦笑した。「僕がもう少し万人受けする性質の人間だったら、多少は有名人になっていたかも知れないけどね。でも生憎と、世間は人殺しには冷たいよ」

「…………え」

 全身の血液が凍り付いたように錯覚した。ぐぎぎ、と機械めいた動きで、隣の古橋さんを見やる。彼女は苦笑いしていた。

「ドイツでね。興味に駆られて、少しばかり非合法的に人間を解体してしまったのさ。三つ、四つくらいかな? まぁ檻に閉じこめられるのは免れたんだが、そのおかげで日本に追い返されたわけだ。十四歳のときの話だよ」

「……冗談ですよね、それ」

「さてね。冗談と思いたければ、冗談と思えばいい。それで僕という人間の人格が変わるわけじゃないからさ」

 彼女は喉の奥で笑い声を立てた。僕もそれに合わせるように、曖昧に笑う。

 人殺しの天才医学者――。

 古橋さんの肩書きは、こんなものでいいのだろうか。

「うん? どうかしたかい。何だか、顔色が悪いようだけど」

「ええ、まぁ。島に着いたときから頭痛が絶えなくて」

「頭痛か……。生憎と、今は頭痛薬を持ってないんだけどね。なんなら朽葉に頼んで、」

「構いませんよ」

 この島を出たらすぐ治りますから、と僕は心の中で毒づいた。

 しかし、これでようやく、この島に来ている全員の肩書きが揃ったわけだ。

 秘密主義で物好きな覆面作家、人殺しの天才医学者、世界各地の無人島を渡り歩く冒険家、十年間監禁されて育った引き篭もりのお嬢様、一日中ベッドの上で過ごす読書中毒、五年間一人で孤島で過ごした小間使い、そして、ただの高校生。……どう考えても、僕が仲間外れだ。

 一体何だっていうんだろう、この島は。

 まるで、奇人変人ばかりを狙って抽出したみたいな、そんな作為を感じる。

 その作為の陰に、僕は何者かの悪意を感じずにはいられなかった。

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