第六章―06
古橋さんは――いや、〈彼女〉は――古橋さんじゃなかった。
それは、あまりに型破りな解決法ではあるが……確かに、そう考えれば図式は崩れる。古橋さんが泳げなかったという事実は、何の意味も持たなくなるからだ。
しかし、それだったら――。
〈彼女〉は一体、何者だったんだ。
「ゆぅくん、考えてみてよ」
霧乃は言う。
「最初に屋敷についたとき、〈彼女〉は霧山朽葉の友達であると自称して、堂々としていた。なおかつ、ぼくたちが霧山朽葉だと思っていた人物の方も、〈彼女〉の話している内容に何も変な顔をしなかった。とすると、これは〈彼女〉と、ぼくたちが霧山朽葉だと思っていた人物の共謀によるものだった、としか考えられないんだよ」
「だったら、まさか――」
「そう。あの二人は最初から入れ替わっていたんだよ。ぼくたちが霧山朽葉だと思っていたのが実は古橋さんで、古橋さんだと思っていたのが本物の霧山朽葉だった――。ゆぅくん、それが真実だよ」
僕たちが、霧山朽葉だと思っていたのが古橋さん。
僕たちが、古橋さんだと思っていたのが霧山朽葉。
すなわち、この事件の犯人は霧山朽葉だったということになってしまう――。
「最初から変だと思っていたんだよ、ぼくは。覆面作家であるはずの霧山朽葉が、どうして突然こんな企画を組んで、正体を明かすような真似をしたのか。確か、行きの船でもそんな話をしていたよね。答えは簡単。最初から正体を明かすつもりなんてなかったから――。
犯人である〈彼女〉――これからは霧山朽葉って呼ぶけど、彼女は多分、友人だった本物の古橋さんに頼んだんだよ。こんな企画をやるつもりで、ドッキリ企画にしたいから、悪いけど自分のふりをしてくれないか、って。そして企画の最後で、自分たちが最初から入れ替わっていたって事実を明かすつもりなんだ、って。本物の古橋さんはそれに乗せられてしまい、結局霧山朽葉の計画に利用されることになってしまった。霧山朽葉が最初に、古橋さんを殺害しないといけなかったのも、そこに理由があるんだよ」
「しかし、そうだとすると……どうなるんだ?」
「うんと、まずマスターキーの謎が片付くよね。彼女が本物の霧山朽葉だったんだから、彼女は普通に暗証番号を打ち込んでマスターキーを入手しただけだよ。そして、マスターキーがあるべき場所には、別の適当な鍵を身代わりとしてぶら下げて置いた。
それから、霧山朽葉が海に落ちて助かったってのも、もう分かるよね。霧山朽葉はそもそも、水泳をやっていたような人。だから、多少は沖に流されても、島まで生きて泳ぎ戻ることは可能だったんだよ。
さらに、ぼくたちが島から戻った後、屋敷が全焼したっていう事件。警察は事故だって見てるらしいけど、あれもきっと霧山朽葉の手によるものだよ。ぼくたちが船で島を出た頃合いを見計らって、霧山朽葉は屋敷中に火をつけ、燃やした。その理由は多分、書斎にあった本物の古橋さんの死体を誤魔化すため。のちの科学捜査で、あれが実は霧山朽葉の死体じゃないってばれたら、せっかくの計画が台無しだもの。だから霧山朽葉は屋敷を燃やし、古橋さんの死体を骨だけにして、身元を割り出せないようにしたんだよ。
とまぁ、ここまでが、古橋さんと霧山朽葉の入れ替わりによって解明できる謎の数々……。
でもぼくたちは、もうひとつだけ不可解な謎を抱えているんだよ。
それはすなわち、ぼくたちが見舞われた火事の謎――」
「うん? 火事の謎って、あの火事に何かおかしなところがあったっけ」
「あの火事は、動機が不明確だったんだよ。ここまで一人一人、言うなれば丁寧に殺害してきた霧山朽葉が、どうしてあの段になって火事なんていう不確実で派手な手段に出たのか」
「僕たちを殺そうと思った、じゃ駄目なの?」
「んー……。駄目じゃないけど、説得力に欠けるよ。霧山朽葉はマスターキーを持って屋敷に隠れていたんだから、殺害しようと思えばもっと確実な手段があったはずだもん。それなのに、どうしてあえて放火という手段を選んだのか。
そう考えるとね、これはもう、ぼくたち以外に目的があったとしか考えられないんだよ。
ぼくたち以外――すなわち、あの部屋自体を、霧山朽葉は焼き払ってしまわなければならなかったんだよ」
「あの部屋自体、だと?」
「そう。思い出して、ゆぅくん。無数にある客室の中で、ぼくたちの客室に特徴的だったこと……」
「僕たちの客室に特徴的だったこと……。そうか、熊切千早の品々だ!」
霧乃は、その通りだと言うようにはっきり頷いた。
「霧山朽葉は、あの品々を処分する必要があった……。一体何故か。それはつまり、あの品々の中に、自分への疑いを深めるような何かが残っていたからだよ。
ねぇ、ゆぅくん。気付かなかった?
きりやまくちは、と、くまきりちはや。
アナグラムだよ。
平仮名にして並び替えると、ぴったり一致するってことに――」
「――まさか」
「そうだよ。ペンネーム・霧山朽葉こそが、熊切千早その人だったんだ」