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無能探偵と死者の館  作者: こよる
生きる者であるために
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第六章―02

 八月は、二十日。

 夏休みも残すところわずかというその日も、朝から殺人的に暑かった。久々に拘束を解かれた僕は、自分の部屋でクーラーをつけて一日中のんびりする予定だった。事実、キャンセルした信州旅行をせめて雰囲気だけでも味わおうと、僕はベッドに寝そべって、朝っぱらからるるぶを広げていたのだ。

 しかし、一人でいるとどうにも落ち着かなかった。

 それは東大寺霧乃が恋しいとかそういう理由ではなくて、もっと無機的なもの。あの屋敷での出来事は、それなりに僕の心にも傷を残していたのだ。一人でいると、部屋の扉が音もなく開いて、隙間から何者かが顔を見せるような……そんな、気味の悪い妄想に取り憑かれてしまう。結局、僕はるるぶを眺めるのを中断して、誰か友達のところへ遊びに行ってみよう、と思い立ったのだった。

 そして何故か、真っ先に思い浮かんだのが東大寺霧乃だった、というわけだ。

 実を言うと、霧乃とはここ数日間、あまりじっくりと話をしていなかった。お互い、警察やその他の機関に身体を拘束されていたから、というのがその理由だ。だから、事件のことが一段落した今、もう一度きちんと霧乃と話をしてみようと思い立ったのだ。

 高級物件が並ぶマンションの高層階、果たして戸口に出てきた霧乃は黒のタンクトップ姿だった。

「あ、ゆぅくん。いらっしゃい」

 眠たげな瞳はいつものままに、僕を見上げてわずかに頬を弛める。やっぱり一応、歓待されているらしい。

 霧乃に部屋の中へ通されながら、尋ねてみた。

「その格好、どうしたのさ。いつもは一日中パジャマ姿で過ごしているくせに」

 霧乃の普段着は暖色系のゆるふわパジャマなのだ。さすがに天上島にいたときは普通の格好をしていたが、あれは旅行へ行くに先だって、二人でショッピングモールへ行ったときに買った服なのだ。それまで、霧乃はパジャマ以外の服を所持していなかったはず。

 それが何故か、今日は涼しげな黒色のタンクトップ姿。ボトムスはキャメルのショートパンツだった。露出している白く細い手足に、何となく目が行ってしまう。

「んーと、ね」

 霧乃は唇に人差し指を当てて考え込み、

「向こうにいたときは、普通の格好だったでしょ? それで、夏場は長袖パジャマより、こっちの方が涼しいって気付いたんだよ。だから、今日はこんな格好なのです」

「……そうなのですか」

 世の常識を再発見! みたいな感じなのだろうか。天才の資質はよく分からない。

「あ、そうだ。ゆぅくん、せっかくだから何か食べてく? もうお昼だよ」

「うん……そうだな。霧乃の迷惑にならないなら」

 そう答えると、霧乃は「じゃあ、こっち」と言って、本に埋もれた寝室とは反対側の扉を開け、中に入っていく。そういえば久々に寝室以外の部屋に入るなぁ、と思いながら、僕も部屋の敷居を跨ぐ。

 霧乃に通されたそこは、リビングルームだった。板敷きの床に地味なカーペットが敷かれ、その上にこれまた地味なコタツ机が一つだけ。ソファがなければ液晶テレビもなく、ごみ箱すらない、実に生活臭のしない部屋だった。本にばかり興味が集中している霧乃は、その他のものには一切拘らない性格なのだ。

 霧乃は「涼しく、そうめんでも食べよう」と宣言してキッチンの方へ向かい、僕は漠然とリビングルームに取り残された。

 コタツ机の上には、文庫本が山となっていた。そのタイトルと言えば『獄門島』、『黒死館殺人事件』、『斜め屋敷の犯罪』、『十角館の殺人』、『孤島パズル』などなど……何やら物騒なタイトルばかりだ。何なんだこれは。

「国内のは今日までにだいたい再読し終わったから、明日からは海外編だよ」

 やがて、皿や食器類を運んできた霧乃は、僕の視線に気付いてそんなことを言う。

「サスペンスと謎が融合する展開、世界に引き摺り込まれるような独特の感覚、それから綺麗にまとめ上げられるロジック……。やっぱり、クローズド・サークルはミステリの花形だよ、ゆぅくん」

「あぁ、そう」

 ついこの間まで、その渦中に放り込まれていたというのに。僕は改めて、こいつが常識外の世界に生きる人間であることを悟った。霧乃はまだ新本格的推理がどうといった話をしていたが、僕は耳を閉ざし、ひたすらそうめんを啜った。

 クローズド・サークル――。

 その単語を聞くと、どうしても思い出してしまう。

 一週間前の、天上島での一連の事件。

 霧山朽葉の首斬り死体に始まり、夕食後に起こった第二の事件、古橋さんが突き落とされた第三の事件。消えた御代川さんの死体と、不可能なはずの客室への侵入。僕たちを襲った火事、隠された監禁部屋、御代川さんの遺書――。

 うん?

 思考に妙な引っかかりを覚えて、僕は箸を止める。

 何か今、おかしなことに気付いたような……。

 しかし、その一瞬の感覚はさざ波のように消えてしまい、正体を特定することは出来なくなる。

 どこだろう。

 僕はどこに、その引っかかりを覚えたんだろう。

 もう一度、思考を洗い直してみる。

 霧山朽葉の首斬り死体、御代川さんが自作自演した第二の事件、夕食に入っていなかった毒物、『第二の犠牲者』……。

 違う、そこじゃない。

 古橋さんが突き落とされた第三の事件、泳げなかった古橋さん、波間に消えていく彼女の身体、擬似的な密室状態での犯行……。

 違う、そこでもなくて。もっと別の……。

 第三の事件の後に行われた二階の捜索、消えた御代川さんの死体、変わっていた文庫本のページ数。不可能なはずの客室への侵入――。

 それだ!

 脳のシナプスに電流が走り、僕に引っかかりの正体を告げる。

 変わっていた文庫本のページ数。

 不可能なはずの客室への侵入。 

 これ、おかしくないか?

 御代川さんが犯人だったとしたら、彼女は一体どうやって、そして何のために僕たちの客室に侵入したんだ。

 一週間前、屋敷の大広間で聞いた霧乃の推理を思い出す。

 あの時、確かに霧乃は、第一の事件、第二の事件、第三の事件、そして消えた御代川さんの死体の謎について、明快な解答を示してみせた。

 しかし、だ。

 あの時、霧乃はこの謎については一切触れていなかった。

 御代川さんは一体どうやって、そして何のために僕たちの客室に侵入したのか。

 待て。

 これは一体、どういうことだ。

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