第一章―05
天上島は、それ自体がひとつの山のような島だった。南側から北側に向かって傾斜があり、島の北側は断崖絶壁になっている。ちょうど三角定規を倒して、60度の部分を頂点にしたような形だ。霧山朽葉の別荘というのはその頂点の部分に――つまり断崖絶壁に沿うようにして建てられていた。
船着き場は南端の浜辺に、別荘は北端の断崖絶壁にある。そのため、別荘まではちょっとした登山をする必要があった。
山道は鬱蒼とした森の中を、ぐねぐねと曲がりくねっていた。こういうサバイバルな体験に富んでいるであろう守屋さんは嬉々として先頭を歩いていたが、引き篭もりの霧乃と御代川さんは極めて不機嫌だった。森があるためか湿度が高く、汗がちっとも乾かないのだ。霧乃は汗だくになりながら「ゆぅくん、おんぶしてよぅ」と弱音を吐いていたが、「守屋さんに背負ってもらえよ」と言うと途端に大人しくなったのは、何だか面白かった。御代川さんの方は終始ぶつぶつと独り言を呟きながら、木々が揺れる度にびくりと身体を硬直させていた。
そうして十分弱の登山ののち、ようやく頂上の屋敷に到着する。
断崖絶壁にそびえる霧山朽葉の別荘は、館という表現の馴染む、大きな洋館だった。二階建てではあるが横幅があり、近くまで来ると威圧感を感じる。外壁がことごとく黒色で固められているのも、建物に妙な物々しさを与えている気がした。
「小坂くんには悪いが」守屋さんが洋館を見上げながら、「こりゃ霧山朽葉ってのも、相当な変わり者みたいだな。何が好きで、十七歳がこんな物騒な建物を所有してるんだか」
「連続殺人でも起こす気なのかしらね」
氷のような声で言ったのは御代川さんだった。笑える類の冗談ではなかったため、四人の間に変な沈黙が流れる。僕はこの洋館に『死者の館』とかいう名前が付いていないことを、切に祈った。
守屋さんが、一同を代表する形でインターフォンを押す。待つこと数十秒、観音開きの玄関扉がゆっくりと開かれて、中から女性二人が顔を出した。
穏やかな微笑が顔に貼り付いたような清楚な女性と、含み笑いが顔に貼り付いたような一癖ある女性の二人。何だか対照的な図だ。どちらかが霧山朽葉なんだろうか。
「みなさん」
微笑顔の清楚な女性の方が、僕たち四人をゆっくり見回した。物腰が落ち着いていて、いかにも良家のお嬢様という感じだった。
「この屋敷へ招待されていた方々ですね。本日は遠いところを、ようこそいらっしゃいました。わたくしがこの屋敷の主人、霧山朽葉です」
そう言って、彼女は深々と頭を下げる。漆黒の長髪が肩を滑って、滝になった。
守屋さんが感心したように、喉の奥で小さく唸る。僕の横にいる霧乃も、物珍しそうにまじまじと彼女の様子を眺めていた。僕にしても、彼女が霧山朽葉だというのは少し意外だった。
十四歳で、いささか猟奇的な推理小説によりデビューした天才覆面作家。瀬戸内海の孤島を所有して、別荘に読者を招待する物好き。となれば余程の変人に違いないと考えていたのだが、目の前にいる彼女は――少なくとも外見上は――極めて常識人に見えた。品位あるパーティに出席していても違和感がなさそうだ。
本当に、彼女が霧山朽葉なんだろうか。
想像していた人間像とあまりにかけ離れていたので、僕はそんなことを思ってしまった。
「お出迎えもしませんで、申し訳ございません。本来なら、港まで使いの者を寄越すところなのですが……。いかんせん、人手が足りないもので」
「いえ、構いませんよ。気を遣われた方が、かえって恐縮しちまいますから」
守屋さんが身体の前で大げさに手を振る。僕はその様子を見て、これから四日間は恐らく彼がリーダーシップを取るんだろうな、と何となく予感した。
「それより、そちらにいる女性は? 俺たちと同じ、招待客の方ですか?」
守屋さんが、彼女の隣に立っている女性に目を向ける。霧山朽葉が微笑なら、こちらの女性は含み笑いが板に付いていた。ただし、背丈や顔立ち、長い黒髪なんかは霧山朽葉とよく似ている。姉妹と言われたら納得してしまいそうだ。
霧山朽葉が「彼女は、」と言いかけるのを止めて、その女性が自ら自己紹介した。
「僕はこの朽葉の友達でね、古橋と言うんだ。今日は朽葉と一緒に、先にこの島へ来させてもらっていたんだよ。でもちゃんと、『死者の館』上巻の暗号は解いてるから、扱いはきみたちと同じ招待客ってことになるのかな。まぁ、よろしく頼むよ」
「ふぅん。古橋さんね」
守屋さんが胡散臭そうな目で彼女を眺めて、鼻を鳴らした。どうやら霧山朽葉と古橋さんというこの女性、外見は似ているが中身は随分と違うらしい。彼女たちが一体どういう経緯で友達になったのか、何となく気になった。
それから、今度は僕たちの方が自己紹介する番になった。守屋さん、僕、霧乃、御代川さんの順に、名前と一言挨拶を述べる。この屋敷に招待されている客は、どうやらこれで全員のようだった。